【専任教員の紹介の目次】

すがい ますろう

菅井 益郎

は、社会的不平等や差別を作り出し、労働争議や小作争議の原因になるとともに、足尾鉱毒事件や水俣病に代表される深刻な公害・環境問題を発生させた。またそれは、商品市場と資源を求めて、日本がアジア諸国を侵略すする要因ともなったのである。
 確かに、急速な経済発展は、途上国の人びとからは羨望の目を持って見られることもある。しかし、私たちが現在享受している豊かさは、海外からの大量の食糧や鉱物資源・化石燃料・木材などの輸入によって維持されていることを認識しておく必要がある。また、近い将来、豊かさを象徴する耐久消費財や建築物が大量の廃棄物となって生活環境にあふれ出てくることも想定しておかなければならない。資源の枯渇と大量の廃棄物の排出に対して、経済学は果たして有効性を持ちうるだろうか。

 「先生の授業では、日本経済の急速な発展にともなって起こった公害の歴史を深めるために、新聞記事やビデオ等のメディアを用いて講義を行い、問題点を分かり易く解説してくれます。環境や資源、エネルギー問題に興味のある方、本質的に人々を救うことのできる経済学とは何かということを学ぶことができます。」
(『環境と経済V』)

 19世紀末から20世紀初頭の欧米先進国では、化学染料や薬品の製造、内燃機関を用いた自動車の生産、電力の利用などがスタートするが、その頃日本では繊維産業を中心に急速な経済発展を遂げ、資本主義が成立する。工業化のための外資は、主として生糸の輸出によって獲得したが、明治期は銅・石炭なども重要な輸出品であった。
 鉄鋼や工作機械部門は遅れたが、電話や電灯など先進国で普及しつつあった最新技術もわずか数年遅れで導入し、日本は先進資本主義国の後塵を排しつつもキャッチアップするのに遅れ過ぎないタイミングで工業化を開始したのである。
 しかし、欧米諸国との格差は大きく、明治維新から1960年代の高度経済成長期にいたるおよそ1世紀間、政府も企業も欧米先進国に追いつくことを至上目的として走り続けてきた。日本経済の急成長は国民の生活水準を上昇させたが、他方で