学術フロンティア研究会 画像資料と近代史 −歴史学研究における記録資料の役割−



日 時   3月15日(土)13時より18時まで
場 所   國學院大學常磐松1号館 第2演習室

報 告
「文化財担当者柴田常恵の記録−大場磐雄との関係性を軸に−」→関連論文
 山内 利秋氏 (吉備国際大学社会学部)
「"楽石雑筆"にみる君津地方の遺跡調査」→関連論文
 光江 章氏 (財団法人 君津郡市文化財センター)
 酒巻 忠史氏 (木更津市教育委員会)
「登呂遺跡にみる記録写真と大場磐雄」→関連論文
 中野 宥氏 (静岡市教育委員会)
「保存科学における記録」→関連論文
 大久保 治氏 (元興寺文化財研究所)
「登呂遺跡関連大場磐雄資料−ガラス乾板と大場資料」→関連論文
 加藤 里美氏 (國學院大學日本文化研究所)
「近代初期における学術雑誌の写真利用-『考古学雑誌』を事例として-」→関連論文
 平澤 加奈子氏 (國學院大學大学院博士課程後期)

総合討論
 司会:杉山 林継氏 (國學院大學日本文化研究所)


 2003年3月15日、「画像資料と近代史 −歴史学研究における記録資料の役割−」と題し、当プロジェクトで整理中の大場磐雄の画像資料およびその周辺の問題についての研究会を開催した。


 山内利秋氏は、大場磐雄に大きな影響を与えた人物である柴田常恵について報告された。東大時代の朝日貝塚・氷見洞窟、南洋パラオの調査、内務省・文部省時代の地方の文化財調査の一例についての資料を紹介し、これまで「学史上の考古学者」という認識が定着していた柴田常恵について、「大正期から昭和戦前期の文化財保護行政担当者であった」という観点を示された。

 光江章・酒巻忠史の両氏は大場資料を用いた具体的な調査研究の一端を報告された。大場磐雄の調査日誌である「楽石雑筆」についての研究成果と、当プロジェクトから提供した大場磐雄写真資料をもとに、丸山古墳、牛ケ作窯跡、九十九坊廃寺址等の千葉県君津地方における大場磐雄氏の調査と遺跡の現状についての追跡結果が示され、大場資料の有効性が改めて明らかになった。

 中野宥氏は、大場磐雄が調査に関わった登呂遺跡について、戦中の遺跡の発見から戦後の調査にいたる経緯をまとめられ、その中で戦中に作成された測量図の意義について指摘された。また、大場写真資料に写されている発見時の遺物の状況と一部劣化しつつある現状との比較も行われるなど、近年、再調査・再整備が進む中での過去の記録の役割について報告された。

 大久保治氏は、日常的に保存処理に携わっている立場から、処理を行う上で欠かせない資料の製作技術に関する調査における記録や、処理前後の現状記録などについて報告された。特に、原形を留めない保存処理においては処理前の記録が重要であると指摘された。また、記録の保管・活用の問題についても触れられた。

 加藤里美氏は、大場磐雄資料について、現在別々に整理作業を行い、一部は公表している写真資料(ガラス乾板)と、それ以外の目録のみ公表している資料(焼き付け写真・図面・小冊子類)を統合して活用していくことの意義を指摘され、具体的事例として登呂遺跡関連の資料を紹介された。

 平澤加奈子氏は、学術雑誌における写真利用についての調査研究成果の一端を報告された。創刊から20年間の『考古学雑誌』における写真印刷技術や写真の扱いについての変遷についてまとめられることで、学術資料としての画像を位置付ける上での基礎となる資料を提示された。

 各報告の後、杉山林継氏の司会のもと討論が行われた。ここでは、画像資料の利用体制の整備の必要性(山内氏)や、再調査の意義(酒巻氏)、関連資料の集成の必要性(中野氏)、複数のコレクションの比較検討の必要性(杉山氏)などが指摘されたほか、保存上の問題点や、利用の前提となる共通分類の是非についても議論が交わされた。

(中村耕作)


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