『帝京大学山梨文化財研究所報』Vol.42 2001年10月31日

画像資料は使えるのか?

山内 利秋
(國學院大學日本文化研究所兼任講師)


使われない文化財

まずはじめに、文化財を「活用」するという言葉自体が先行していて、では、どう使うのかというアイデアが浮かんでくる以前に制度の問題が出てきてしまうような現況では、顧客の満足が十分に期待できる程の優れたサービスが生まれてくる可能性がそう高いとは言えない。また、今は直接の関心は薄くとも、将来一度は有名な史跡や博物館に訪れてみるかもしれないとか、自分達の子孫のために文化遺産が保存される事に何らかの価値がある、と、積極的ではないにせよ考えている潜在的な顧客にとって、実際にどのようなサービスが受けられるのかがクリヤーになっている事は、自らの税の使い道を知るにとどまらず、将来にわたって質の高い行政サービスが行われていくであろうとの安心感にもつながる。しかしながら、そうなりつつある努力は認めるにせよ、こと文化財保護の分野で「透明性」が普遍化するのにはまだずいぶんと先のように感じてしまうのは何故だろうか?

もちろん、行政はあくまでも地域社会に生活する人々を支援する側、システムを管理する側にあってもそれを実際に使って何かをする立場にはないという意見があったとしても、実際にこのシステムを通して還元された文化財にかかわる情報が、国民にほとんど使われていない現状なのはもはや明らかであって、これはシステムが顧客に「知られていない」・「ニーズに合わない」という極めて古典的な行政への批判的な言説から逸脱するものではない。しかも、たとえ使えないシステムをなんとか使えるようにしたいという奇特な個人が、インターフェイスの改善を目指して行動を起こそうとした場合でさえも、その好意すら特定個人の利益につながる目的であると考えられてしまうような状況の理不尽さは、インターネットなど情報を簡単に公開する事が可能となった現状では大きな軋轢を引き起こす結果となっている。

画像資料の使い方

人工物を記録化する議論において、少なくとも経験的には他の文化財の分野と比較して先行していたはずの埋蔵文化財/考古学の分野においては、情報をデジタルデータに置きかえ、さらにそれを皆が使える・見られるようにするというプレゼンテーションの部分ではいつのまにか後塵を拝してしまった。もちろん、それまでの間にいくつかの先駆的な試みがあったが、「伝統的」な記録方法が一気に先端的な方法に変化をとげたわけではなく、その多くはトータルステーションのように異分野での臨床例が蓄積され、コピー機のように入手しやすい条件にある技術こそが、記録環境を少しづつ変化させていった。

しかしながら、長く考えておよそ10年、短く見ればここ5年程度の間に、これまでは異業種と見なしていたいくつかの企業・部門からの参入が記録化の手段そのものを変えつつある。それはこれまでの記録手段の省力化を担うものから、別の新しい記録方法を提示するものまでさまざまであるが、少なくともコンピュータがほんの10年前と比べて圧倒的に身近になった現在の時点では、多くの人々が納得し易い、そしてそれ故、これら技術の利用に対して理解が得やすい状況になりつつある趨勢なのは−現状では混乱があるにせよ−間違いない。この状況はコンピュータの潜在性について、現時点ではいったい何が可能であるのかをユーザーの理解のうちに引き寄せさせもするのである。

産業構造の転換、「デジタル化」「IT化」への認識を前提するとしても、以上の状況ならばいきなり難しい技術を導入するよりも、今ある情報を最も簡単な方法で接触可能にする事の方が先決ではないかと考えてしまうのは、大規模なインフラ整備−実はそれ自身が埋蔵文化財の調査需要とも密接であるのだが−が、必ずしも十分に機能している訳ではない現実が明らかになった今だからこそはっきりと言えるのであり、地に足の着いた変化を埋蔵文化財/考古学の分野でも期待出来るのだ。

ところで、恐らくは考古学的調査において不可欠な記録手段であり、かつ、撮影時に相当な手間をかけたはずであるが、写真ほど無作法に扱われている資料はない。それほど古くはなくとも、手元にある昭和40年代〜50年代に撮影された調査時のリバーサルフィルムを見てみると、黄ばんでいたり、強い酢酸臭を放っているものがあるかもしれない。劣化が少ないとされるモノクロプリントも、放っておけば数10年後には退色やミラーリング(銀鏡)も進んでいくであろう。同じ事は、現場や整理作業時に作成され、紫外線・土・ホコリ・汗などからの影響を避けられない図面にも言えるのだが、これから新しい記録手段によって実施される調査・記録化、生産される調査資料・記録とは別に、過去に調査された膨大な資料をどうやったら生かしていくのかは、一次資料に最も近く、時にはそれ自体が一次資料になりうる写真や調査図面に関わってくる課題であり、活用の仕方、例えば情報の「見せ方」のアイデアすら左右させてしまう力を有している。

文化財写真の有する記録性は、それを正確に読み取る能力を見る者に要求する一方で、画像の持つイメージの具体性は極めて強いインパクトを持っており、これは読み取り方の経験的な能力を超えて見た人に訴える力がある。もっとはっきり言って、高度な技術を保有して写真を撮影するのと、撮影された画像記録から情報を読み取る行為とは異なった行為であり、時に撮影者の意図などまったく飛び越えた読み方さえ要求される場合もあり得るのだ。我々、すなわち考古学的な調査・研究を実施してきた専門家はしばしばその事を忘れがちになるが、基本的だが、こうした視点に常に振り返ってみると、専門家が記録化の過程において必須であると考え、さらには報告書を編集する段階において重要であると考えられたもの以外の資料も含めて、非専門家が何を見たい・知りたいかとのニーズに答えるというもう一つのプロセスが念頭に持ち上がってくる。

ここまできてようやく、これまで記録された画像資料の「使い方」の問題が視野に入ってくる。ごく普通の認識ならば諸権利・制限の問題がとりあえずクリヤーならば、web上で調査時の画像データが利用され、使われるのは当たり前の事だし、レイアウト、さらには財政上の理由から報告書に掲載されなかった画像データもここで使う事すら可能であるはずだ。大阪大学考古学研究室の行っている実験のように、発掘調査の状況を、あたかもその日の夜に書いた調査日誌と同じように更新してオープンにする事さえ、事情が許されれば不可能ではない(註1)。また、報告書のデジタルデータ化もそれがPDFかHTML(ないしはXML)かのいずれのファイル型式をとるかの議論は別にしても、それをデータ化する事自体の支持率は高い(註2)。そもそも写真をデジタルデータ化する作業など、必要に応じた解像度でスキャニングするか、デジタルカメラで取りこんでしまえばいいだけであって、通常のスタジオや暗室での作業よりはるかに容易いのである。

しかしながら、web上に調査データを流したり、報告書をCD-ROM化するのは情報提供として重要な課題であるのは間違いないが、広く専門家に限らない利用を前提とするのであれば、それはまだ「活用が制限されている」と感じざるを得ないとの外からの反応を受ける場合があるだろう。では、一体、どうすればいいのだろうか?

顧客と向き合う事

歴史が解釈というプロセスから逃れられないとしても、だからといって調査資料を非専門家が解釈しても一向に構わないはずである。しかし、専門家はこれまで自分達が構築してきた歴史、すなわち合理的・妥当とされている解釈が、異なった方向に向う事を恐れて非専門家の活動を制限してきた。実はこれは、「ミュージアム」の単語で括られてしまっている博物館と美術館との大きな違いの一つでもある。前者は専門家の構築してきた体系を、より効果的に理解させるメディアとして介在してきた。親切にも展示表現を解りやすくしようとすればするほど、キャプションの文章が長くなってしまったりもする。ここには、美術館が作品について見学者の解釈の多様性を可能とさせるべく、極力キャプションから文字を排しているのとは大きなギャップがある。

  画像資料に話を戻すならば、デジタル化したいくつかのデータが利用可能であり、そして本当に使ってもらいたいのならば、それをどのように使うかの判断は利用者の側にあって、専門家によって書かれた説明文は一つの解釈に過ぎない、位の思いきった判断があってもいいのかもしれない。また、あたかもDランクの遺物と同じように、調査時に撮影されながらも決して専門家に使われる事のない大量の写真資料があるのならば、それを使いたいという奇特な人々に「使って頂いて」も構わない程度の判断はできないのだろうか?活用などというおこがましい言葉を使わざるを得ないにしても、そうではない、サービスとは何かという根本に立ち返らない限りでは「それをどううまく使っていくか」などというアイデアなど生まれてこないし、やっと関心を示してくれた顧客すらも遠くへ行ってしまうだろう。

そもそも、文化遺産から何らかの情報としての知的欲求ないしは審美観ややすらぎの希求といった個々人の質的条件に関与する要求に対して、生活の最低水準の保証と同じような「公平性」でもって利用者に一定の条件でもって制限を加える事は、はたして妥当なのだろうか、とも思うのだ。


1)「大阪大学考古学研究室」
2)「日本考古学のデジタルリソース化」内の「電子メディアのニーズに関するアンケート集計報告」を参照。



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