文化財系画像資料の保存から活用へ

−國學院大學での取り組みを例として−

山内 利秋
(吉備国際大学社会学部文化財修復国際協力学科)


1:はじめに
 学術系情報資料としての文化財系画像資料は、例えば近世の松平定信『集古十種』に代表される図集のように、近代以前の図法で描かれた資料がある。特にこれは、四条圓山派のような写実性の高い画風を身に付けた絵師達が、草本学ないしは古物学といった、後の時代の言い方で言う博物学的な資料のデータ化に寄与した事を意味する。

 この事は明治期に入ってもなおも引き継がれており、近代以前の資料の描出手法は、文化財に関連する専門研究雑誌等でも頻繁に使われている。

 一方で写真術の伝来が文化財の記録化に影響を及ぼしたのは比較的早い。すなわち、記録保存を目的とした文化財の記録化という意味では(特に日本人の手によるものとしては)、明治4(1871)年の蜷川式胤・横山松三郎・高橋由一による江戸城の撮影があり、翌年にはこの同じメンバーで関西地方の社寺宝物調査時においても写真撮影やスケッチによる記録化を実施している。これ以後、現在まで文化財の記録化をはじめとする学術系写真資料は、数々の研究者によって蓄積されてきた。

 これらの資料は現在の視点から見ても極めて重要なものが多く含まれていると考えられ、当然ながら、その保存について感心は年々高まっている。しかしながら、現在の文化財保護の認識からは、単に資料を保存処置するのみならず、いかに有効に活用していけるかの手段を考えていく必要が生じている。

 では、どうしていけばよいのか?はっきり言って、このテーマに関する妥当な回答をすぐさま見つける事は難しい。ただ、少なくとも自らの経験してきた事を参考意見として話す事はできる。本発表では、発表者が取り組んできた國學院大學での事例、主に学術系情報として蓄積された写真・映像資料の保存・活用についての問題と可能性について述べる。

2:劣化画像の再生活用と資料化に関する基礎的研究

國學院大學と資料のアーカイブズ

 明治15(1882)年に有栖川宮幟仁(たるひと)親王を初代の総裁に迎え、東京・飯田橋に設立された皇典講究所は、
“わが国が独立を全うし、国家の発展を将来に期するためには、思想も文化も体制も、単に欧風の模倣でなく、わが国の歴史・民族性に基づくものでなければならない”
 として、皇室の援助や歴代総裁を宮家から招き、近代化によって一気に失われつつあった日本の古典を収集・研究してきた機関である。

 明治20(1887)年には、その中に國學院が設立された。この意味で、國學院大學は創設以来古典籍のアーカイバル的な機能を有していた機関であると言えよう。以後、國學院は大正9(1920)年の学制によって、文部省政令下による大学となった。

 國學院大學は文学部を主体とした大学である故、伝統的に歴史学・考古学・民俗学さらに独特な神道学といった分野の研究が広く蓄積され、現在、貴重な文化財やフィールドワークに関わる調査データが数多く存在している。実際、学内には重文指定を受けている資料や学史に必ずといっていいほど登場する資料、未整理ながら極めて貴重な資料も多数存在している。

 しかしながら、大学アカデミズムの問題として多く指摘されているごとく、従来の研究活動は多くが縦割りで、情報の共有化がなかなか果たされていない側面が多い。文部科学省の科学研究費の区分ではないが、「共同研究」のつもりが、相互のコミュニケーションに欠けた単なる「分担研究」なってしまう事例は後を絶たない。

 これは組織の新旧に限らず発生する事ではあるが、特に國學院大のように1世紀以上におよぶ「伝統」が研究分野ごとを分離してしまうパーテーション、すなわち「障壁」となってきた場合には、たとえ教員同士が個人的には横のつながりを持っていたとしても、それぞれの研究資料を異なった研究部門間で活用していきにくい状況になっている。

 まず、他の分野の研究者が資料を活用する際に目録が備わっていない場合がある。すなわち、実際に資料を作成した研究者以外には誰もその資料を理解できない状況が生じている。そもそも、他の研究者に資料を活用させる事自体が前提として薄かったりしている。また、それだけではなく、研究分野ごとに出来てきた慣習は、ある特定の研究者社会の存在を可能とするものでもあるから、その壁を容易に飛び越えようとする事に対しては障害となっており、領域を横断する必要性が増加している昨今の研究でさえも活用を難しくしている側面がある。

 さらに、資料が活用できるかどうか決定する、記録化を実施した研究者による画像の選択は、選択された時期の研究パラダイムに左右される場合が多く、当時は無視されながらも、その当時とは異なった現在の認識において必要とされる資料については、必ずしもデータの処理がなされている訳ではない。

 このような状況は、長年蓄積されてきた資料を有効に活用していこうとする際に物理的な弊害となっているばかりではない。活用する事を「資料を劣化させてしまう事である」と一概に考えてしまい、さらに、妙に伝統に束縛されてしまい、本当の意味で良好な保存環境を形成する事を考えている訳では決してない、「悪しき保存認識」をも生じさせ、重要な資料を劣化させる結果をも招いてしまう事すらある。

 実際に研究活動を行う立場である一方で、文化財保存にも積極的に関与していく、というスタンスをとっている國學院大學日本文化研究所では、大学内や、さらには各地域に埋もれている画像情報を保存し、今後有効に活用していく事を目的に、平成11年度より5ヶ年間の研究として当時の文部省の学術フロンティア事業に申請した。そのテーマを『劣化画像の再生活用と資料化に関する基礎的研究』と名づけ、研究プロジェクトを開始した。

 このプロジェクトで扱っている資料は、主に國學院大學で所蔵しているもの(大場磐雄氏関連資料、桜井満氏フィールドワーク資料、柴田常恵氏文化財調査資料、椙山林継氏写真資料、折口信夫氏写真資料)を主体としながら、宮地直一資料のような個人資料や、公共団体所蔵資料等学外のものも扱っている。

公共団体その他関連資料

 言うまでもなく、現在、日本の文化財保護を中心的に担っているのは大学等の研究機関ではなく、地方公共団体や公共団体関連機関である。もちろんこれは、文化財は国民共有の財産であって、営利目的に馴染まない側面があるからであるが、公共団体が地域に密着した役割を持っているからこそ、各地域社会において存在するさまざまな文化財の所在・所蔵状況を最もよく把握しているのである。

 後で述べるが、こうした公共団体と連携してく事は、大学が自らの研究活動の「素材」を吸い上げるような一方的な認識を持つのではなく、地域社会の案件解決に積極的に関与するシンクタンクとしての、ないしは公共団体のパートナーとして具体的な作業にも参画する機能をも併せ持つ事を意味している。

 また神職養成機関である國學院という大学の性格から、神社関連の所蔵資料をも取り扱う事が多い。このように國學院大學では、公共団体や神社界と連携していく事により、重要だが手の付けにくい画像資料を大学の側で保存・デジタル化していくという作業を推進している。

伝統的社会の映像記録の問題

 第2次大戦後の日本、特に高度成長期以降において、失われゆく日本、失われゆく地域の歴史や伝統を何らかの方法で残す事に対する考え方が生じてきた。1970年代において全国に「郷土資料館」という博物館には及ばないながらも、資料を収蔵する機能を持った施設が多く誕生したのはこの時期である。

 資料の重要性を認識し、それを残す事を考えていた専門家や関係者にとって、これは一つの契機であり、その対処方法を真剣に検討し、実践していなかねればならなかったのである。

 民俗映像記録は、岩波映画等いくつかの映画会社によって撮影されてきており、昭和20年代においては、折口信夫なども脚本制作に関与していたりする。すなわちこの時期既に、伝統の記録化は研究者にも映像メディア関係者にとっても重要なコンテンツとして意識的にストックされてきた事が理解されよう。

 NHKが『新日本紀行』の放映を開始したのは昭和38(1963)年であったし、民放でも『すばらしい世界旅行』等の研究者でも及ばない重要な映像記録を撮影・放映している。このように広い放送網を有したTVで放映される事を目的としたものとは別に、記録映像は日本国内ではそれぞれの地域社会において撮影されていた。

 昭和49(1974)年、文化庁はNHK放送文化ライブラリーに文化財映像記録の実態調査を依頼し、その結果が昭和50(1975)年1月20日付けで『文化財記録映画制作の実体調査結果の概要』として公表されている。これによると、昭和49年7月の時点で各都道府県と政令指定都市(当時の数)の合計56から寄せられた回答ではすでに記録映画として製作済みものが327点、計画中のものが61点の計388点であった。

 この数は、一見多いようにも見えるが、日本各地に残っている無形文化財の総数に対しては決して多いものではなく、伝統文化が急速に失われつつある状況において、行政的にも何らかの取り組みが必要であった。

 こうした状況から、翌昭和50(1975)年には文化財保護法が改正され、重要無形民俗文化財の指定等の規定が出来、新たに「記録等の処置を構ずべき無形の民俗文化財」の処置が講じられた。

 公共団体によって蓄積されてきた民俗映像資料はこの時期から撮影されたものが多いが、特にこの時期に記録され、出来上がった映像の多くは、現在16mmフィルムからビデオやDVDに変換されつつあり、フィルムのメディアとしての新しさからか、資料自体のオーセンティシティー、すなわちメディア自体がオリジナルであるかどうかについてはまだ考慮されていない部分が大きい。撮影された内容の重要性については異存がないが、では、記録が残されたメディアはどうなる運命にあるのか?

 すなわち、データのみを別のメディアにシフトし、オリジナルの媒体は破棄してしまうという実体がある。また変換されるチャンスのなかった媒体については、近い将来、コンピュータと同じくレガシーデータとなる可能性すら、持っているのである。

 國學院大學でもこれまでいくつかの民俗映像記録撮影を実施しており、これらは特に昭和50年代以降にベータカムや市販のVHSによって撮影されたものが多いが、最終的な作品として完成した後のマスターテープについては、必ずしも保存が考慮されているわけではない。

 実はこの問題については、我々のプロジェクトでは議論が及んでいないのだが、動画撮影の場合、静止画以上に編集という工程が大きなプロセスを占めるため、いきおい完成した作品では、使われていないカットも極めて多い。しかしながら、芸術性の高い作品の場合ではなく、民俗映像のような記録性の高い資料に関しては、使われなかったカットをどう考えるか、という問題は重要視されなければならないだろう。現代的な認識においては、カメラを複数の定点に据えて撮影を実施するという事もコスト的にも可能となっているが、過去に記録された映像に関しては、そうした情報を新たに加算する事はできないのだ。

 専門の機関とは異なって、特に中小規模の公共団体においてはその取り扱いについての考え方もメディアの変換だけではすまされるわけではない。

3:画像資料のデジタル化とオリジナルの保存

 写真を中心とした画像資料をデジタル化するにあたって、最も考えなければならないのは作業工程、すなわちフローテーションの問題に他ならない。資料を保存する事と資料そのもののデータの整理・解読・調査といった研究部分を同時に進行する必要性があるので、必ずしも通りいっぺんな流れ作業に終始させる事は出来ないのである。

 特に歴史系の資料を扱うに関しては、最も基礎的な作業としての肉眼での解読という作業は、データ化した以降の資料(史料)がデジタル化されたからといっても、必ず視覚や、時に触覚をも伴った身体レベルでの認識が必要とされるのである。現段階においては、極めて多様な形態を有する視覚的情報をオートマティックに情報化する事はできていないので、この部分のコストを削減する事は不可能である。

 また内容の正確な把握なしにして文化財の活用も有り得ないし、あったとしても極めて底の浅いものにしか過ぎない。だからこそ、この基礎研究にあたる部分を抜きにして扱う事はできないのである。画像をデジタルデータ化する上で、テクニックとしては最も一般的かつ、普遍的とも言えるスキャニング作業は、その作業が単純であるからこそ最も徹底させなければならない工程の一つである。

 一方でカメラによる写真撮影は、銀塩・デジタルに関わらず一つのプロジェクトおける一まとまりの資料に関して比較的短い期間で一気に作業を進めてしまうものである。

 ある意味、スキャニングは現場による資料の記録化というよりも、デスクワークにおける作業ルーチンの一つとして認識する事もできよう。実は学生を作業要員として機能させる大学において、このような「通常作業」を実施する場合には、カメラよりもスキャナーを扱わせる方が効率がよい。特に授業の合間を縫って複数の学生にデジタルデータ化の作業を行わせるという事を考慮するならば、資料をある程度整理整頓させながら扱う事ができ、また、腰を据えて行える作業であるからこそ、オリジナルの資料一つ一つに内包される意味を彼等が学習・体得できるのだという事を、実際の作業を通じてみて実感できた。

 公開されているソースを確認してもらえば一瞥だが、webは見た目のデザインを含めて極めて単純・シンプルな構造になっている。これは1995年頃、まだ初期のダイヤルアップ接続が主流であった頃からインターネットを活用している筆者のポリシーをある程度反映している。すなわち、付加価値を省いた質実剛健、「軽くて・早い」コンテンツ。

 フィールドワーカーである文化財の専門家にとって、データの確認は最もすばやく出来る事が望ましい。いまだPHSはおろか、iモードも切断されてしまうフィールドで、モバイルツールを、特に画像データを使わなければならない事もある我々にとっては、最先端のものよりも確実にあやつれ・落とせるデータの方が重要なのだ。この意味では、國學院でのプロジェクト研究は専門家志向であり、特化した分野にしか活用の幅がない資料の公開にすぎないと考えられるのかもしれない。

 しかしながら、実際に情報公開を行ってみると、博物館での展示や誌史編纂事業だけでなく、専門家以外からの活用に関わる問い合わせがある。ようするに、この事からわかるのは、さまざまな装飾を施した付加価値よりも、資料の基礎データをきちんとテキスト化し、確実に情報として公開したデータそのものの重要性が見えてくるのである。

 ネット上でデータを公開する事によって、種板や文献資料等のオリジナルデータに関する問い合わせがいくつも出てくる。他の研究機関において、このような場合の対処方法について伺いを立ててみると、多くの場合は複写資料の閲覧のみに限定させている場合が多い。

 実際、國學院大學の場合でも、現在はまだ整理作業中という事から、通常はオリジナルの公開は実施していない。オリジナルの保存の問題は確かに大きい。しかしながら、まず自分自身がある分野の研究者として資料を活用するという立場に立った場合を考えてみても、デジタル化されたデータだけではなく、オリジナルを「見る・知る」事の重要性は考えていかなければならない。

4:資料は誰のものか?

 今回の國學院でのプロジェクトのように、国庫補助事業として研究事業を推進した場合、補助金はいずれ年限が尽きてしまうという事ははじめから理解しているといえば理解できる事ではあるが、この補助金という財政的裏付けが失われてもデータベースのように継続性を伴う研究活動が、以後どの程度継続していけるかは、その機関がどれだけ努力するかに一様に負っているところが大きい。

 それには、新たな補助金の獲得を目指したり、別の外部資金の導入を志向したりするのは当然行わなければならない努力ではあるし、実際、筆者は大学を移ってからもそのような活動に奔走する毎日を過ごしている状況である。

 しかしながら、中小規模の私立大学や同じく中小規模の公共団体が同じ条件にたった場合、この考え方は大規模国立大学や大規模な公共団体に比べて圧倒的に不利になってしまっている。そもそも文化財保護は営利目的には馴染まない・公共性の強い分野として認識されてきたものである。

 極端な話、大学の倒産や自治体の合併という現実があるような状況で、資金調達までをもこれら弱小組織が強大な組織と対等に行えるかというとやはり問題があろう。むしろ方向性は、このような現状のなかで従来事業の見直しがはかられ、その結果、文化財担当者のやる気を消失させ、折角構築してきたアーカイブをも、再び死蔵させてしまう恐れを生じさせてしまっているに他ならないのである。

 残念ながら、画像資料の保存・活用に際しては、作業現場レベルでの判断とは別に、ソフトよりもハードを志向する考え方が未だに強く、あたかも国際協力の場で言われているような持続可能な適正技術を援用していくスタイルはあまり志向されていないのが現状ではないだろうか?だが、まず考えればわかる事だが、文化財が存在している場は必ずしも財政規模の安定した大都市や、大規模研究機関ばかりではないのだ。

 もう一度言うならば、ある地域の文化財の存在を最も把握しているのは、資料の所在する地域の公共団体の担当者である事を忘れてはいけない。大学をはじめとする研究・教育機関は、まず、規模に関わらず彼等にその資料にどのような価値があるかという評価を行わなければならないし、評価する方法を教示しなければならない。

 そして、ともに地域に所在するそれら資料を保存していく対策を考えなければならない。写真を主体とする画像資料の保存に関する認識は未だ高くはない。それはなぜか?繰り返すようだが、実際に文化財を扱う担当者の間にさえ、写真を評価する事ができないからだ。これははっきり言って、資料の歴史資料として扱う上での基礎的な操作すら確定されていない現状を見直す事から考えて、解決していかなければならない。

 例えば、恐らく近い将来には日本の各地でその多くが文化財として扱われるようになるであろう写真乾板の年代をみわける術はなにか?プリントのメーカーをみさだめるこつはなにか?つまり必要なのは、そういった資料の外形や品質から特徴を認識していく方法の確立であって、実際に撮影した作家の評価などはその次の段階におくべきではないのだろうか?

 さらに、単に写真を保存する事の必要性を説いたとしても、それでは意味がない。恐らくそれだけでは、「保存するための予算がない」で終わりになってしまうだろう。そうではなく、現状の文化財保護行政の認識にあるのは、「では、保存した対象をいかに活用できるのか?」といったレベルでの回答なのだ。大学機関に求められているのは、画像資料をいかに活用していくかをコーディネートしていく役割を果たさなければならない点にある。筆者は國學院大學でのプロジェクトにおいてもそのように考えてきたし、現在においても、そうした観点から文化財としての画像資料を扱っている。だからこそ視点は「保存から活用へ」にあるのだ。

 例えば城郭をはじめ、古建築の修復には古写真が活用されるのは当然であるし、過去をノスタルジックにみるという観点にたって、一般の方々にそのすばらしさを知って頂くという場合においては、写真が持つ視覚的効果が絶大である事は疑いない。実は「活用」の視点にたってみると、保存をその一連のフローテーションの中で考えていく事もできるため、財政的裏付けすらも期待できるのである。

 筆者が現在取り組んでいるのは、そのような観点においての「活用」を目指した画像資料と、その関連施設の評価である。

#この文章は2003,10,17の日本写真学会主催『平成15年度 画像保存セミナー』における同名の講演原稿に加筆・修正を加えたものである。


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