最初に、画像資料データベース作成における設定項目について触れたい。本データベースでは雑誌名、巻号数、発行所、印刷所、発売所、page1(総合)、page2(単独)、タイトル、撮影・印刷者、印刷技術、関連論文、その他、出版年月日、備考の14項目を設定した。上記の項目は、一雑誌内における画像資料の導入・展開と、その技術のあり方を詳細に確認することを目的として設定した。
『考古学雑誌』の前身である『考古学会雑誌』は明治29(1896)年12月に創刊されたが、その後明治33(1900)年4月に『考古』、明治34(1901)年6月に『考古界』という誌名の変遷を経て、大正元(1911)年9月より『考古学雑誌』として発刊され、現在に至っている。次に本データベース作成上に於いて気がついた点をいくつか述べたい。
まず第1点として、『考古学会雑誌』1編1号(1896年12月)から2編9号(1899年2月)においては、全ての図版は木版であり、コロタイプや写真石版・網版などは全く採用されていない点が挙げられる。
第2点として、『考古学会雑誌』上でコロタイプが使用されたのは2編10号(1899年6月)の口絵写真「扇面写経地紙畫」が最初であるが、その後コロタイプは『考古界』5編1号(1905年9月)まで使用されていない。また、『考古学会雑誌』2編10号以降、「写真」という言葉を雑誌上において使用するようになる。
第3点として、『考古学会雑誌』2編10号以降、口絵写真に写真石版と網版を用いるのは『考古』1編7号(1900年11月)までであり、それ以後『考古界』1編1号(1901年6月)〜4編12号(1905年6月)までの口絵写真には写真銅版の技術が専ら使われている。さらに、『考古界』5編1号(1905年9月)以降は、口絵写真はすべてコロタイプ製版となっていることを指摘しておく。
最後に、現在データベース化の作業途上であり、先に述べた知見はあくまでも一案に過ぎないことをお断りしておきたい。
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