椙山林継収蔵資料とは、大場磐雄氏の資料のうち、大場氏自身が携わった調査での35oリバーサルフィルムを、本学日本文化研究所所長であり当プロジェクト実行委員長である椙山林継氏が保管してきたものを指す。35oリバーサルフィルムは総数464点であり、クリーニング作業を経てマウント加工を施し、原版とデュープ版のそれぞれを保管している。平成13年度の報告書では「神坂峠」「入山峠」の資料について紹介した。本年度は椙山氏が保管してきた資料のうち、中央高速自動車道設置に伴う緊急発掘調査関連の画像資料をWebサイト上で公開した。
遺跡調査の概要
昭和39(1964)年に、日本道路公団の中央高速自動車道建設計画に際して、東京都八王子市の北側丘陵地帯を大きく東西に縦貫することが決まった。それを受けて八王子市は石川地区、大谷地区、宇津木地区、中野地区、楢原地区、元八王子地区に分割し9遺跡の緊急調査を実施する運びとなった。本資料はその際の記録写真である。
調査は、大場磐雄氏を団長に、副団長に国立音楽大学教授甲野勇氏、調査員には吉田 格、小出義治、寺村光靖、坂詰秀一、椙山林継、塩野半十郎、椚 國男、渡辺忠胤、中村 威、秋間健郎、樋口豊治、池田和夫、和田 哲、佐々木蔵之助の各氏で編成され、昭和39年3月に開始された。この9遺跡の発掘調査のうち、宇津木町向原、石川町塚場、楢原町鹿島、元八王子町滝原台遺跡の4箇所を本学が調査した。画像資料は元八王子町滝原台遺跡を除く3遺跡が主である。この他、早稲田大学助教授桜井清彦氏が中心となって調査が進められた大谷遺跡、中野甲の原遺跡の写真も僅かながら含まれているが、担当調査地ではないことから撮影枚数が極めて少なく、被写体に関する情報が乏しい。本学調査の各遺跡の発掘調査では下記の通り多くの遺構や遺物が検出された。
(1)宇津木向原遺跡
宇津木向原遺跡は八王子インターチェンジ用地として最初の調査地となり、第1次(中央高速道八王子地区遺跡調査団1964)、2次調査を通じて縄文時代中期の竪穴住居跡19軒、その他15基、弥生時代後期の竪穴住居跡54軒、方形周溝墓4基、古墳1基、その他遺構3基が検出され、遺物は縄文中期の土器、石器、弥生土器の他、弥生時代の青銅製素文鏡1面、管玉、ガラス小玉などが出土した。
(2)石川町塚場遺跡・同天野遺跡
石川町塚場遺跡・同天野遺跡は弥生時代終末期の竪穴住居跡1軒、縄文時代早期の炉跡1基と縄文時代前期の竪穴住居跡1軒を検出した。
(3)楢原町鹿島遺跡
楢原町鹿島遺跡は縄文時代中期住居跡11軒以上、土坑墓13基、弥生時代住居跡1軒を検出し、それに伴い縄文土器、石器、琥珀平玉、滑石製大珠、土偶土鈴が出土した。
調査が終了しておよそ40年の間に調査事例が増加し、八王子市とその周辺地域の縄文時代中期、弥生時代後期の様相は『多摩考古』誌上で楢原遺跡特集が組まれるなど(多摩考古学研究会2000)、徐々に明らかになってきた。しかし、上記の遺跡の調査成果は公開されている部分が十分でなくその実態は明らかにされていない。そのため、研究的見地から本資料を十分に活用できないまま現在に至り、調査資料も次第に散逸しつつある。さらに、椙山氏が保管してきた本資料は、まとまった記録写真であり大部分に撮影内容が書き添えられていることから、資料の活用や研究目的としても必要性が高いものと予想される。こうした現状を踏まえて、本資料のWebサイト上での公開を開始するものである。
(加藤里美)
参考文献
1)1964.4『中央高速道路 八王子地区遺跡調査概報 第1次』中央高速道八王子地区遺跡調査団
2)2000.5『多摩考古』30、40周年記念号楢原遺跡特集、多摩考古学研究会