1.宮地直一と大場磐雄
宮地直一氏(1886〜1949)は、近代における神道史学の第一人者である。東京帝国大学を卒業後、明治42(1909)年に内務省に入省して神社考証を担当し、明治神宮造営局参事、内務省神社局考証課長などを歴任した。神社行政・文化財行政において活躍すると同時に國學院大學や東京帝国大学においても講義を行い、のちに東京帝国大学教授となって神道講座を担当した。そして、終戦後の昭和21(1946)年3月に退官したのち、昭和24(1949)年に長野県穂高町で没した。
宮地氏の研究は、実証主義に基づいた精緻なものであり、神道史学の先駆的な業績と位置づけられ、現在においても高い評価を得ている。また、当時の内務省神社局考証課には、文献史学や考古学などを専門とする若手の研究者が在籍しており、大場磐雄氏もその中の一人であった。
大場磐雄氏は、大正14(1925)年に内務省神社局考証課に嘱託として勤務するようになった。このときの考証課長が宮地氏である。その後、大場氏は神社との接触が多くなり、神社の文化財や神社祭祀の源流の調査など、神社・神道を研究のひとつの柱とするようになる。のちに、大場氏は祭祀遺跡の研究を中心として神道考古学を確立するが、神社局考証課における宮地氏の指導が大場氏の学問的基礎の構築に影響を与えたとも考えられる。
2.宮地直一資料について
現段階は初期調査の段階であるが、宮地邸母屋の応接用玄関、玄関隣接廊下、母屋の1階応接間、2階の1部屋に蔵書(洋装本)及び天神像等を確認した。また、書庫の1階と2階には作り付け書架が設置され、そこに宮地氏が分類・整理したままの状態の蔵書(和装・洋装本)、文化財調査報告書、軸物、葉書類、自筆原稿、調査時に撮影した写真・乾板などを確認した。特に、書庫の中には当時の調査を物語る貴重な資料が多く存在していた。また、天神関係の資料(写真・神像・軸物・和書)は、質・量ともに個人蔵としては特筆すべきものがある。
これらは、今後の整理・分析によって、高い評価がされていくものと考えられる。さらに、現在の研究の中では十分になされているとはいえない研究史における宮地氏の位置づけ、宮地氏を中心とする大場氏といった研究者間の交流など、解明されるであろう課題は多い。また、宮地資料は大場資料と研究上の関係が深いことも推測され、今後の宮地資料の整理によって、大場資料の研究の幅も拡がっていくと考えられる。
(田中秀典)