『平成14年度 國學院大學学術フロンティア構想「劣化画像の再生活用と資料化に関する基礎的研究」事業報告』より

近代日本の文化財保護行政における柴田常恵

田中 秀典
(國學院大學日本文化研究所)


 柴田常恵は、明治後期から昭和にかけて活躍した考古学・文化財保護行政の専門家とされている。しかし、行政機構の中でどのような立場にあり、どのような役割を果たしていたかということについては、これまであまり触れられて来なかった(注1)。本論は、その柴田の立場、役割について、整理・確認することを目的とする。
 近代日本の文化財保護行政は、明治4(1871)年の太政官布告「古器旧物保存方」を発したことに始まる。以下、近代日本における文化財保護行政の制度的な変遷を概観する。
 有形文化財については、その後いくつかの個別の法令が出されたのち、明治30(1897)年の古社寺保存法で本格的に制度化される。これは、社寺の古建築物等を法的保護の対象としたものであり、社寺以外の所有物についてはその範囲とされていなかった。それらは、昭和4(1929)年の国宝保存法で初めて法的保護を受けるようになる。続いて、昭和8(1933)年には「重要美術品等ノ保存ニ関スル法律」が制定されてその完成をみる。
 記念物については、明治7(1874)年の太政官達「古墳発見ノ節届出方」など個別のものがいくつか出された後、体系的なものである史蹟名勝天然紀念物保存法が大正8(1919)年に制定される。
 これらを所管する部局もまた、さまざまな変遷を辿る。有形文化財関係は、当初、内務・宮内両省が担当していたが、古社寺保存法の制定とともに内務省社寺局に一元化される。そして、社寺局から分かれた宗教局が大正2(1913)年に文部省に移されると、それに伴って、文化財についても文部省の所管となる。記念物関係は、史蹟名勝天然紀念物保存法の制定以来、内務省の大臣官房で地理課が所管していたが、昭和2(1927)年に地理課が廃止されたことに伴って、文部省宗教局へ移管される。「重要美術品等ノ保存ニ関スル法律」の制定後は、それについても同局の所管となる。
 また、それらにの諮問機関として、古社寺保存会、国宝保存会、重要美術品等調査委員会、史蹟名勝天然紀念物調査会が調査・審議に従事した。
 柴田常恵は、東京帝国大学理学部人類学教室の助手等を経て、史蹟名勝天然紀念物保存法が施行された大正9(1920)年に史蹟名勝天然紀念物調査会の考査員となり、ここで文化財保護行政との関わりが始まる。それと同時に、内務省地理課の嘱託となり、昭和2(1927)年、事務の移管に伴って文部省の嘱託となる。また、その間、大正10(1921)年には東京帝国大学文学部標本調査嘱託を兼務し、その後は、昭和7(1932)年から慶応義塾大学講師、昭和11(1936)年から重要美術品等調査委員会委員、帝室林野局嘱託を務める。本論においては、この中で、史蹟名勝天然紀念物調査会について検討する。
 史蹟名勝天然紀念物調査会の組織については、史蹟名勝天然紀念物調査会官制で定められている(注2)。これによれば、史蹟名勝天然紀念物調査会は、会長・委員・臨時委員・幹事・考査員・書記からなる。会長のもとで、高等官と学識経験者からなる定員20名以内の委員と定員外の臨時委員が調査・審議を行う。そのもとで調査の実務を担ったのがこれも学識経験者から任命される考査員であり、事務を掌ったのが幹事と書記である。
 この官制にもとづいて成立した、史蹟名勝天然紀念物調査会の初年のメンバーは下表の通りである(注3)。

 会長は、実際は歴代の内務大臣が就任しており、この調査会が内務省における史蹟名勝天然記念物についての事実上の最終的な決定機関として機能していたことがわかる。官僚を除いた委員・臨時委員と考査員が学識経験者である。この中で、委員・臨時委員は帝大教授もしくはそれに準ずる人々であり、前述の「官制」にもあるように、審議に参加して決定に与る立場であった。それに対し、考査員の多くは若手研究者であり、この人々が実際に調査の中心となる立場であったと考えられる。
 また、史蹟名勝天然紀念物保存法の対象は多岐にわたるため、委員・臨時委員・考査員には生物学・歴史学等、様々な分野の人物が任命されている。この中で、考古学を専門とする人物は、考査員である水木要太郎と柴田の2名であり、各地へ赴いての実際の考古学的な調査は主に水木と柴田が中心となって行ったと考えられる。また、委員・臨時委員には考古学を専門とする人物は見られず、審議・決定段階においても二人の影響力があったことが想像される。
 以上のことから、柴田の文化財保護行政への関与は、考古学の分野に関しては大きなものであったと考えられる。その柴田が残したノートや写真などの資料を分析することによって、柴田の足取りや行動が明らかになり、近代日本の文化財保護政策の決定過程や行政機構のしくみを解明するための一助となるであろう。また、大場磐雄も言うように(注4)、柴田のノートや写真の中には現在亡失した貴重な資料も多くあり、その柴田資料を整理・分析することは考古学界の発展に寄与するものでもあろう。


1)文化財保護行政全般を扱っているものとして、最近では高木博志『近代天皇制の文化史的研究−天皇就任儀礼・年中行事・文化財』(1997年2月、校倉書房)、枝川明敬「我が国における文化財保護の史的展開−特に,戦前における考察」(『文化情報学:駿河台大学文化情報学部紀要』第9巻第1号、2002年6月)などがあるが、柴田を中心に扱っているものは、山内利秋「画像資料と近代アカデミズム・文化財保護制度」(『日本写真学会誌』65‐2、2002年4月)が見られるのみである。

2)史蹟天然紀念物調査会官制(抄)
 第一条 史蹟名勝天然紀念物調査会ハ内務大臣ノ監督ニ属シ史蹟名勝天然紀念物ノ保存ニ関スル事項ヲ調査審議ス
 第二条 調査会ハ史蹟名勝天然紀念物ノ保存ニ関シ内務大臣ノ諮問ニ応シテ意見ヲ開申シ又ハ内務大臣ニ建議スルコトヲ得
 第三条 調査会ハ会長一人及委員二十人以内ヲ以テ之ヲ組織ス
     前項定員ノ外必要アル場合ニ於テハ臨時委員ヲ置クコトヲ得
 第四条 会長、委員及臨時委員ハ関係各庁高等官及学識経験アル者ノ中ヨリ内務大臣ノ奏請ニ依リ内閣ニ於テ之ヲ命ス
 第五条 会長ハ会務ヲ総理ス
     会長事故アルトキハ内務大臣ノ指名シタル委員其ノ職務ヲ代理ス
 第六条 調査会ニ幹事並考査員及書記若干人ヲ置ク
     幹事ハ内務省高等官ノ中ヨリ、考査員ハ学識経験アル者ノ中ヨリ内務大臣ノ奏請ニ依リ内閣ニ於テ之ヲ命ス
     書記ハ内務省判任官ノ中ヨリ内務大臣之ヲ命ス
 第七条 幹事ハ会長ノ指揮ヲ承ケ庶務ヲ整理ス
     考査員ハ上司ノ指揮ヲ承ケ考査ニ従事ス
     書記ハ上司ノ指揮ヲ承ケ庶務ニ従事ス       (『法令全書』大正8年)

3)『職員録』等をもとに作成。こののち、臨時委員・考査員の若干の増員や、一部のメンバーの入れ替えが随時行われる。なお、この翌年には臨時委員に新島善直(北海道帝国大学農学部教授・林学)・原煕(東京帝国大学農学部教授・農学)・八田三郎(北海道帝国大学農学部教授・動物学)・関野貞(東京帝国大学工学部教授・建築史)が加わり、その後も、農商務省技師の伊原敬之助(地質学)、小倉勉(地質学)、早尾丑麿(林学)が考査員に加わるなど、おもに理科系の分野で増強がはかられる。

4)大場磐雄『日本考古学選集12柴田常恵集』1971年11月、築地書館。


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