歴史地理学とは?

 歴史地理学という分野は、現在では地理学の一分野で、過去を対象とする地理学、と規定されることが多いようです。
 この規定はそれ自体、誤りとは言いませんが、一方で、こうした規定が一般化する以前から、実質的な研究分野として「歴史地理学」が存在したことも事実です。「歴史地理学」はこうあらねばならない、といった議論よりも、新たな歴史地理学的研究を創造してゆくことのほうを、私(吉田)は重視しています。
 以下の文章は、『歴史地理調査ハンドブック』(古今書院2001)の序章の草稿として、私(吉田)がかなり以前執筆したものです。現在の私の考えとは多少違う部分もありますが、参考として、この文章を掲出したいと思います。

このページの文責は吉田敏弘に属します。



歴史地理学の方法と課題

1、歴 史 地 理 学 の 本 質

 歴史地理学とは
 初学者や読書人にとって歴史地理学 (historical geography) という分野は、おそらく馴染みのある分野でもないだろうし、かといって、名称自体が自明の研究領域を指すものともいえないであろう。とりわけ「歴史は過去、地理は現代」といった古典的な通念からすれば、歴史と地理はおよそ対置さるべき分野となるし、同様に科学の分類においても、カント以来の時間・空間論のなかで歴史や地理を位置付けるならば、この両者がクロスオーバーする「歴史地理」は、事象の時間的側面と空間的側面をあわせ持つ、きわめて包括的な−−それゆえ非現実的な−−分野となってしまう。歴史地理学とは一体どのような分野なのだろうか。
 歴史学の観点から現代という時代を考えることができる(現代史)のと同様に、地理学の観点からも過去を考えることができる。歴史地理学を一言で定義するならば、それは「過去を対象とする地理学 Geography of the past」である1。地理学の研究対象は地表に関する諸現象(環境、景観、地域、空間などに関連する諸現象)であるが、それらは決して現代に限定されるわけではない。地表はいかなる時代のいかなる社会においても当然重要な意味をもっていたのであり、過去の地表に関する考察は過去の社会を理解するための重要な基礎となるはずである。過去・現代といった時間軸の規定はともかく、「過去」の世界を扱う学問を総括して広義の「歴史学」とよぶならば、そのなかで歴史地理学は、文献史学(狭義の歴史学)や考古学・民俗学などと並ぶ、独自の知識体系をもった一分野と位置付けられよう。
 しかし歴史地理学は、文献史学や考古学・民俗学などのように過去の社会の諸様相の解明のみを第一の目的としているわけではない。研究対象や研究方法によって分類するならば、歴史地理学は地理学に属し、その一部門に位置付けられるべき性格をもっている。したがって歴史地理学は過去の地表現象の研究を通じて、現代・過去の別なく、地表それ自体や地表に展開する諸現象の本質の理解に寄与することをも重要な目的としているのである。換言すれば、歴史地理学の成果は、歴史研究のみでなく、地理学そのものにも還元されなければならない。この意味において歴史地理学は、研究が「過去の解明」に収斂される他の歴史系諸分野と本質的に異なる側面を有しているのである。

 黎明期の歴史地理学
 とはいえ、そのような分野としての歴史地理学は、近代アカデミスム地理学の発達に伴って徐々に形成・構築されてきたものであり、その歴史は未だ百年にも満たない新しい学問なのである。
 およそ歴史地理学のルーツは、歴史史料に登場する古地名の考証に求めることができる。歴史的事件の舞台がいったいどこであったのか、という関心は、古くから存在したし、実際にそうした考証・研究も行われていたことが知られている。ヨーロッパでは聖書の地名考証が長い伝統をもっているし、わが国でも近世の国学の中で紀記の地名や天皇陵の考証が進められたことは周知の通りである。そしてこうした観点からひとまず歴史研究の側から歴史地理の重要性が叫ばれることになる。わが国では喜田貞吉や吉田東伍らによって組織された日本歴史地理研究会(明治32年創設)が、まさにそうした歴史研究の補助学としての歴史地理の成立であった。こうした歴史地理と並行して、やがて近代地理学のなかにもその一部門であることを自覚した歴史地理学が形成されてゆくのである。
 しかし、地理学の内部においても「過去を扱う地理学」のレゾン・デートルを過小評価する立場もないわけではなく、従来歴史地理学の位置付けをめぐって様々な議論が繰り返されてきた。
 近代地理学の黎明期にあっては、歴史地理学の名称はいまでいう人文地理学の総称として用いられることもあった。「いかなる地理的現象の研究にも、自然的基礎と歴史的背景の考察が不可欠である」、あるいは「現在を理解するためには、過去からの変化を追求する必要がある」といった言明は、人文地理学的諸事象の研究が歴史的考察を最も重視していた段階の地理学観を代表するものであった。
 ヘットナーA.Hettnerの「地誌学の図式」2においても「歴史的背景」という項目が人文社会現象の冒頭におかれているように、そこでは自然的基礎とともに歴史的背景の考察はあらゆる地理学研究の基礎的ジャンルと位置づけられることになる。しかし、それらはあくまで現代の理解を優先させる立場であって、過去の考察はそのための一補助手段にすぎず、現在と直接関連しない過去の地理的様相は研究対象から除外されることになってしまう。しかし、現代とは切り離された「過去そのもの」からも地理的真理を追求することも決して不可能ではない。現在のみを優先する歴史地理学では、歴史地理学という知識領域の独自性を自ら放棄することになりかねないのである。
 すべての人文地理的現象が歴史性を有することは事実だが、そうした歴史性の側面から考察すべき格好の研究対象に集落景観の問題があった。集落の景観や形態がいつ形成されたのかを考究する起源論的研究では、すでに19世紀のドイツでマイツェン3が民族起源説を打ち出していたが、今世紀にはいると、シュリューターをはじめとする景観地理学派が実証的研究に取り組み、歴史時代における農村景観の変容を論じるようになった4。わが国でも小川琢治がいちはやく砺波散村や畿内垣内集落の起源を論じた5ことは、人文地理学・歴史地理学研究史上重要な意味をもっている。小川によるこれらの集落形態古代起源説は、その後歴史畑の歴史地理研究者であった牧野信之助6との間で論争を展開することになるが、これを端緒として、わが国の歴史地理学はまず集落形態起源論の分野に独自の研究を展開していったのである。

 Another geography?
 これに対し、多少とも理論的に歴史地理学を位置付けたのは、「時の断面」説(cross-section theory)であった。それは、今世紀初頭のヘットナーA.Hettnerの地理学本質論に基づいて、一般の地理学が現代という時間断面を扱うとすれば、歴史地理学もこれと同様に、過去におけるある特定の時間断面(それは無数に存在している)を研究するのだ、とする見解である。従って、資料の許す限りにおいて、過去の断面についても現代のそれと同等の地理学的研究が可能であり、そうした無数の過去の断面の地理的様相を解明するのが歴史地理学だとするのである。
 この立場は、1940〜50年代の地理学方法論に大きな影響を与えたアメリカ人地理学者のハーツホーン R.Hartshorn7の著名なフレーズ "another geography, complete in itself, with all branches(あらゆる分野をもち、それ自体が完結したもう一つの地理学)"に集約され、歴史地理学の本質を語るとき、繰り返し引用されてきたのである。イギリスではダービー C.Darby8、わが国では小牧実繁9や藤岡謙二郎10等、多くの主導的な歴史地理学者がこの立場を支持してきたし、この方法論に基づいて、様々な過去の地誌的研究(「歴史地誌」とも呼ばれる)や時の断面における景観復元的研究が展開されるところとなった。
 後述するように、過去の自然環境の復元作業などにおいて、時の断面説は現実的な方法論を提供するものであり、この方法論を通じて歴史地理学がヘットナー流の地理学の体系の中に確たる位置を占めるようになったことも事実である。こうした立場から研究された歴史地誌的・景観復元的研究は、今日の歴史地理学的知見の蓄積を生み出した貴重な共有財産であり、多くの優れた事例研究が展開された11。
 しかし、今日の目から歴史地理学の本質論として時の断面説を評価するとき、その地理学観が余りにもスタティクであることに留意せねばならない。
 社会集団の生活空間が織りなされる地表面は、一日ごとに、また一年ごとにサイクルをなして変化し、そして歴史的時間のなかで絶え間なく変化を繰り返してきた地表面である。もちろん地形条件や気候など自然地理学的な諸現象やそれに強く規定された諸現象は、人文的・社会的諸現象に比べて変化しにくい、あるいは変化のスピードが遅いという傾向をもっている。しかし地理学の対象は、こうした自然地理学的な地表面だけではない。そのうえで人間や社会集団が日々の生活の営みを繰り返す「社会化された」地表面なのである。こうした地表面に対して、あたかも時間を捨象するかのような、時の断面といったスタティクな捉え方ははたしてどこまで有効であろうか。
 現代地理学は「時間」に対して一層柔軟な捉え方をするようになってきた。事象の空間的側面に偏ったパターン論から、その形成のメカニスムを重視するプロセス論へ、さらには生活時間を空間の一つの次元と捉える時空間論ないし時間地理学へと、地理学は積極的に時間軸を空間の枠組みに取り込んでゆこうとしている。いまや時間と空間は決して相反する次元ではなくなったのである12。
 もちろん、こうした新しい研究分野と歴史地理学との間には浅からぬ溝が横たわっている。歴史地理学が扱う時間は二度と繰り返されない歴史的時間なのであり、一日、一年を単位に果てしなく繰り返される円環的時間ではない。しかし、こうした考え方に立脚するならば、地理学が過去を扱うことも決して特殊ではなく、過去を対象としても同じ地理学的研究が可能なのだということが、自明のことになるであろう。そして、過去に関する地理学的研究は、現代のみを対象とする研究からは得ることの出来ない、多くの地理学的知見を提供し、地理学研究の深化に独自の寄与をなすはずである。
 過去を扱う「別の地理学」なのではない。歴史地理学は、歴史的時間の経過のなかで地理学的現象を捉える「同じ地理学」なのである13。

 三つの研究領域 こうした「新しい地理学」の研究動向をふまえて、イギリス人地理学者プリンス H.Princeは1971年に歴史地理学の研究領域を三つの世界に分類して、今後の研究課題を展望したことがあった14。三つの世界とは、a.real world, b.imagined world, c.abstruct world,のことであり、その詳細は以下のとおりだが、ここではまずこうした三つの世界が、ひとり歴史地理学の問題であるのみでなく、広く地理学全体に共通する研究領域である点を確認しておきたい。従来はともかく、現在の歴史地理学の問題意識や手法は、現代を扱う地理学と共通するものにほかならない。
 まずreal worldは現実世界、すなわち過去の現実的な地理像に関する研究領域であり、通常行なわれてきたほとんどの歴史地理学研究がここに含まれる。そこでは資料上に登場する地名の現地比定や歴史的景観の分析を通じて、過去の景観や地域的事象を可能なかぎりリアルに再構成(復元)し、過去の地理(past geography)を描出したり、あるいは過去の地理的変化(geographical change) のプロセスやメカニスムを解明したりする。
 この方向は従来の研究の主流を占めてきたものであった。しかし、過去のリアルな地理像を再構成するには資料上の制約が大きい。古文書や古絵図などは過去の同時代史料といえども、常に客観的な立場で作成されているとは限らない。従来の研究では、こうした史資料に対して厳しい史料批判を加え、出来る限り主観を排し客観的な地理像を描くことに努力が傾けられてきた。それ自体は決して不毛の努力ではなかったが、しかし、従来資料のノイズとして切り捨てられてきた主観的な部分にも、地理学的な真理が含まれていることが強調されるようになったのは最近のことである。
 イメージの問題は、現代を扱う地理学においても、人間の空間的行動や意志決定に際して重要な役割を果たしていることが注目されてきたが、1970年代後半より、絵画や文学などの芸術作品をも分析対象に取り込んで、地理的イメージや場所15や景観のシンボリスム16を文化的/社会的/政治的な次元で捉えようとする研究動向(人文主義的地理学humanistic geographyが芽生え、80年代以降それは一つの顕著な研究領域を形成するに至った。もちろんそれは、現代を主とする地理学一般においても大いに注目されたが、とりわけ歴史地理学にあっては、地理的イメージの分析は、文化相や価値観を異にする過去の社会を理解するための有力な武器として積極的に活用されるようになった。Princeの段階ではいまだ素朴な問題提起でしかなかったが、今日の研究状況におくならば、imagined worldとはこうした研究動向のなかから形成された諸研究領域を包括するものであり、過去の社会や人間が抱いていた地理的イメージを解明し、それを通じて過去の地理的様相や生活世界の諸原理を探ろうとする立場の総称と考えて差し支えない。(改行)
わが国においてこうした立場をデモンストレートしたのは絵図研究であった17が、古絵図以外にも、文学作品や絵巻などの絵画資料、紀行や古地誌類、農書などに見られる知識体系など、この観点からの分析を不可欠とする資料群は少なくない。また、地名や歴史的景観自体も、祖先から継承されてきた地理的知識の体系や生活世界の象徴的意味を担っており、場所や地域、景観などの認識に関する新たな分析の可能性が拓かれようとしている。
 これに対し、1960〜70年代における「新しい地理学」が標榜した空間理論は、過去の世界においても追求可能であり、実際に欧米では、空間モデルを過去の地理的現象に適用した事例研究も少なからず蓄積されてきた18。abstruct worldとは、こうした計量分析を導入して過去のさまざまな現象を素材として数理的空間モデルを構築しようとする研究領域を指すが、そこでは過去の社会やさまざまな現象それ自体よりも、抽象的な空間モデルの構築に主たる関心が寄せられることも多く、ことさら過去を対象とすることに大きな意味が見出せない研究も少なくなかった。したがって、上述のimagined worldへの標榜は、こうした抽象性に立脚した空間モデル研究への強烈なアンチテーゼと理解されたのである。
しかし、特定の空間モデルが過去においても妥当するか否かの検証や、長いタイムスパンを必要とする空間モデルの構築にあたっては、過去のデーターの活用が不可欠なのであって、こうした研究の進展が歴史地理学に新たな知見を提供することも十分期待できよう。
 現実的に見れば、従来のわが国の歴史地理学研究の蓄積は著しくreal worldに偏しており、これと比較すれば、imagined worldやabstruct worldの解明はいまだ緒についたばかりである。しかしこれらの新たな研究領域、とりわけimagined worldの研究は近年次第に軽視しえない分野として定着しつつあるのであって、着実なアプローチが始められていることは本書の後章からも十分くみ取っていただけるであろう。

    2、歴 史 地 理 学 と 隣 接 分 野

 歴史地理学固有のテーマと方法
 以上のように、歴史地理学を地理学そのものと位置付けるにしても、それが過去の社会を扱う限り、歴史科学に属する諸隣接分野との関係が密接とならざるをえないことは当然である。実際に歴史地理の研究者は、研究対象や資料の取り扱いなどをめぐって、地理学者よりも文献史学・考古学・民俗学などの関連分野の研究者との協力が緊密であるかもしれない。またこれらの隣接分野の成果や方法に対する理解や造詣も要求されよう。こうした意味において、やはり「歴史地理学」の名称は、なお一定のレソン・デートルを有している。
 歴史地理学研究に際しては、古文書・古記録をはじめ、考古学的な発掘データー、民俗的な諸情報など、多くの隣接分野の資料を分析しなければならない。とりわけ、実際的な事例研究は地域研究の形で進められることが多く、ある対象地域に関してこれらのあらゆるデーターを処理することも稀ではないのである。時折聞かれる「歴史地理は何でも屋」風の皮肉も決して故無きことではない。
 しかし、ある時の断面における対象地域に関して、あらゆる情報を総合することが歴史地理学の使命であるとは決して言えない。それは現実の事例研究の過程でしばしばおこりうる事態ではあるが、必要に応じて他分野の資料や方法を導入することはあれ、あくまで地理学の方法と知識に立脚して過去にアプローチすることが歴史地理学の本分である。本格的な「地域史」の研究は、たとえば県史・市史・町史・村史などの地方自治体史編纂などにおいてしばしば実行されているように、これらの関連諸分野の研究者を結集した学際的な研究体制によって遂行されるはずである。こうした学際研究の現場において、それぞれの分野は固有の資料・方法を駆使して成果を提供することが要請される。その際、歴史地理学は一体いかなる資料をいかなる方法で分析し、いかなる方面の成果を提供すればよいのか。これは学際的な現場に携わる誰もが経験する疑問であろう。
 個々の研究者の問題意識や関心は別として、多くの場合、隣接分野が歴史地理学(地理学)に期待するのは、@地形条件をはじめとする自然環境の問題や、A条里制・都城プランや城下町プランなどの歴史的景観の問題であって、つまりは自然から人文にわたる「景観」の問題が中心であった。現地調査による景観の観察や地名の収集を通じて、人間の活動する舞台や装置に関して詳細な記述を行なうことこそが歴史地理学の役割であって、こうした舞台・装置のうえで、歴史学は人間集団の営為を論じてきたのである。
 これらの問題は、確かに他分野よりも歴史地理学が扱うに相応しいテーマであって、換言すれば、個々の研究者の関心はよそに、歴史科学が歴史地理学に期待するのは、まずこれらの課題や資料分析であるといってよい。だからといって、これらこそが歴史地理学の中心であるとは言えないのだが、ひとまず、隣接分野から期待される歴史地理学がいかなるものであるかを吟味することも決して無駄ではあるまい。

 自然環境の復元
 歴史地理学と同様、歴史学もまた隣接分野の成果と方法の吸収・同化に熱心な分野であるが、それでも自然環境に関する分析には手を出しかねているように思われる。とりわけ地形条件に対する認識と理解は、農村史(開発)研究の不可欠の前提であって、この方面における歴史地理学の寄与が何にもまして大きく期待されている。
 過去、とりわけ歴史時代における自然環境の変遷の問題は、既に地理学に固有の課題というよりも、それ自体が地質学や土壌学、生物学・生態学などとの学際的な協力によって研究されるべき課題となっている。実際、こうした学際的な構成を持つ「第四紀学」があり、自然科学的な方法が歴史時代の研究に取り入れられ、歴史時代に関する様々な知見を提供してきた。また、近年では災害史研究の発達に伴い、歴史資料と自然科学の手法の結合が試みられるようになった。こうした自然科学的な手法は今後ますます歴史時代研究に導入されることが予想される。
 しかし、こうした手法や成果はともすれば余りに自然科学的な次元に終始し、人間活動を重視する歴史研究とは乖離する側面も強い。こうした中で、伝統的に自然現象と人文現象を両眼で「実体視」する指向性をもった地理学は、自然科学と歴史科学の媒体たりうる条件を備えている。多くの事例研究において歴史地理学は対象とする時代の自然環境を吟味してきたし、自然環境の変化と人間活動との関係や、環境変化に対する人間活動のインパクトなどについても少なからぬ成果の蓄積をみている。こうした成果を総括・精緻化して隣接分野に提供することも、歴史地理学の重要な使命である。
 近年の歴史考古学の発達に伴って、地形環境分析もより微細なレヴェルでの議論が深められつつある。すなわち従来の大縮尺地形図や空中写真を駆使した地表景観分析に加え、近年では歴史時代遺構発掘にともない、埋積された重層的な旧地表面が摘出されるようになり、歴史時代におけるきめ細かな地形発達史の構築が試みられるようになった。抽出された旧地表面はまさに「時の断面」としての地表であって、これらの地表の分析はもっとも厳密な意味での「時の断面」地理学と評せよう。こうして設定された「時の断面」上において、人間がいかなる営為を刻み込んできたのか、という問題に関しては、考古学と歴史地理学の対話が一層重要な局面を迎えている。
 また、こうした地形発達や農業生産力(たとえば飢饉の背景として)を規定する古気候復元、あるいは古植生復元による古環境分析などの手法も、今後歴史研究に充分活用されねばなるまい。また上述の災害史研究においても歴史地理学の果たすべき役割は大きい。 本書においても、自然環境に関する一つの章を設けている。これらは歴史地理学の共有財産たるのみならず、当面考古学関係者、とりわけ発掘の現場で個々の遺跡の地形環境を考察される方々に広く受容・活用されることを期待したい。考古学の遺物編年と同様に、それは過去を考察する際の地理学的な一つの基準を提供するものだからである。

 景観プランと景観復元 これに対して、景観復元、とりわけ景観プランの問題に関しては、早くから歴史地理学の主要なテーマとなり、研究成果の蓄積も大きいため、その成果や手法は広く隣接分野に取り込まれている。条里プランや都城プラン、古代の計画直線古道、あるいは近世城下町プランなどは、今日では決して歴史地理学固有の研究課題ではなく、条里学会の発足などに見られるように、従来の歴史地理学の成果を基礎として、隣接分野が共同して学際的に一層研究を深化させようとする段階に至っている。また中世城館・城郭プランなど、元来歴史地理学のテーマであるべき問題が、むしろ歴史研究者によって体系化されつつあるものもある。ここにも、景観の問題が歴史地理学固有の領域から、広く隣接分野にまたがる関心領域へと開放されつつある徴候を窺うことができる。
 こうした景観研究の普及の一因として、方法の簡明さを挙げねばならない。景観プラン研究では、明治期の地籍図を駆使して古地割や古地名などを渉猟し、これと歴史資料を対比することによって、過去の施設を現地比定する、ないしは過去の景観を再構成する、という方法がとられる。対象となる景観プランのモデル自体は、既に歴史資料から復元されている場合が多く、一般に歴史地理的な景観復元研究と呼ばれているのは、こうした景観プランを現実の地表面に同定してゆく作業であった。これらの研究成果は、いわば同定のためのノウハウの蓄積としての側面が大きい。したがって、一度そのノウハウを総括して提示すれば、その方法は広く隣接分野に共有されるところとなるのである。
 しかも、歴史考古学の発達によって、従来、地表景観や地名から推測するほかはなかった景観プランを、発掘によってまさに同時代の地表面から摘出することが可能になった。これは、歴史地理学が従来試みてきた<同定>を検証する、といった意味あいをもち、時として議論は歴史地理学的分析の妥当性や有効性にまで及びかねない事態を招いている。元来景観プランの問題は、考古学的な遺構研究とオーバーラップする側面が大きく、純粋に歴史地理学固有の問題であったとは言えないが、いずれにせよ、こうした動向のなかで景観プランが歴史地理学の独壇場でなくなったことだけは明白な事実である。
 従来景観プラン研究が果たしてきた大きな寄与を過小評価するわけにはゆかない。それは、長く歴史地理学のレソン・デートルを代表するものであったし、その成果は歴史地理学の重要な共有財産であって、もちろん本書でもこれらの成果が総括されている。しかし我々にとってより深刻なのは、今後の歴史地理学の研究課題として、いかに景観プラン論を深化させてゆくか、という問題である。条里にせよ、都城にせよ、それぞれが少なからぬ検討課題を抱えていることは言うまでもないが、それらが地理学的な問題意識にねざした課題であるかどうかは改めて吟味する必要がある。本書ではこうした吟味にまでは筆が及んでいないが、既往の成果の総括をふまえて、今後の議論の展開を期したいと思う。
 なお、これと関連して、従来歴史地理学の方法として頻繁に指摘されてきた「景観変遷史」についても言及しておかねばならない。景観変遷史とは、過去の断面における景観復元に基づいて、これらの断面を時系列的に比較し、景観変化を歴史的に叙述する方法である。景観の復元ないしは再構成にあたって、地理学的な方法とセンスが要求されることは自明だが、景観変遷の歴史的叙述となると、地理学よりはむしろ歴史学の領域に属する問題である。地理学的な景観研究としては、景観変化のプロセスやメカニスムを解明し、特定の歴史的背景における景観形成(形態発生)の諸問題を考察すべきであろう。また景観として刻み込まれた形態やそのパターンなどにもさらに考察すべき余地がある。
 景観を造り上げたのが人間である以上、景観にはそれぞれの文化や社会における人間の知識や思考、理念などが込められているはずである。景観を「平面形態」から「立体像」へと開放するならば、そこには当時の社会における景観への嗜好性や趣味(Lowenthal & Prince, 1971)までが反映されているといっても過言ではあるまい。あえて景観プランのごとき制度的・画一的な景観を離れて、日常的な生活の場の地名や景観から「場所」に与えられた象徴的な意味付けを抽出し、生活世界の構造にアプローチできるかもしれない。また非日常的な宗教景観にも、日常的な景観を読み解くためのモデルが潜んでいるかもしれない。こうした視角からのアプローチをも射程において、歴史地理学的な景観論を一層深化させてゆくことが必要であろう。
 歴史地理学的な景観研究の新たな展開はいま緒についたばかりである。

  3、歴 史 地 理 学 の 視 角 と 課 題

 歴史資料の地理的解釈
 以上のテーマは、歴史地理学がその研究成果を隣接分野へ提供し、やがては隣接分野においてもこれらを受容して様々な研究を進めるための基礎となるものである。したがってこれらの成果の提供が隣接分野との分業上重要であるとしても、それは決して歴史地理学研究のすべてなのではなく、いわば地理学の歴史研究への応用的側面を構成するものであった。
 これとは逆に、歴史地理学研究の最前線では、隣接分野の資料や方法を援用しながら、それらを地理学的な視角からアプローチし、新たな研究領域を切り拓いて行く作業も並行して行なわれているのである。
 この種の研究には、つねに亜流視されかねない危険性が付きまとう。時として地理的視角に固執する余り歴史的なコンテクストを軽視したり、あるいは逆に歴史的コンテクストに束縛されて地理的視角に徹しきれない場合も少なくあるまい。しかし、問題意識や方法の錬磨さえ充分であれば、多くの歴史資料が地理学的な分析の対象たりうるであろう。そして、こうした研究によって歴史地理学のフロンティアは拡大されてゆくのである。
 もとより地理学の研究には多くの問題意識があり、それに応じて多様な手法と思考様式が存する。歴史地理学にあっては、史料的制約によって援用しうる手法も自ずから限定されるが、過去・現代を問わず、従来地理学が培ってきた様々な手法を歴史資料にも適用し、そこから幾多の新たな課題を抽出することこそが、歴史地理学という研究領域の充実・深化のための最も重要な途となろう。
 かつてA.Bakerらイギリスの新進歴史地理学者たちが此学に関するアンソロジー(1970)を編んだときのタイトル"Geographical interpretations of historical materials"は、いかにも歴史地理学再生の意気込みに満ちたものであった。そこには歴史地理学固有のテーマや対象の束縛を脱して、むしろ歴史科学の大海のなかへ身を投じ、地理学というメスの切れ味を思う存分試してみようとする積極的な姿勢が一貫している。実際このアンソロジーには、いわゆる伝統的な歴史地理のモノグラフにまじって、のちに空間の地理学の旗頭となったハーヴェイD.Harvey(1963)の19世紀イギリス・ケント州におけるホップ栽培地の立地変動に関するモノグラフも収録されている。このモノグラフでハーヴェイは、19世紀中葉のホップ栽培地が同心円状の圏構造を示していることに注目し、ホップ栽培の立地を規定した諸要因を分析して、同心円構造の形成・分解のメカニスムを説明したのであるが、ここには既に後の<空間の地理学>につながる問題意識、すなわち個々の現象自体よりも、それが地表上に描き出す空間パターンに着目する姿勢が表明されている。
 以後、イギリス歴史地理学は同国の地理学界の中に大きな位置を占めつつ今日にいたっており、同時に世界の歴史地理学を主導する地位を確立することになった。そうした動向の中から国際的歴史地理学雑誌THE JOURNAL OF HISTORICAL GEOGRAPHYも発刊されるようになった。イギリスと並ぶ歴史地理学の本場はわが国であると自負するものであるが、それゆえにこそ、われわれもまた「歴史資料の地理的解釈」にむけて日本独自の新たな地平を開拓してゆかねばならない。
 それぞれの研究対象や資料分析に関しては後章に具体的な記述が展開される。ここではこれらを総括して、歴史地理学の研究視角や課題を展望することにしたい。

 歴史地理学的史資料批判
 歴史的時間の流れの中で変化してきた地表面、ないしそのうえに展開される地表現象を、どのような視角から捉えればよいのだろうか。
 過去を対象とする地理学の意義は、まず第一に、過去における地表現象や景観をできる限り精密に復元し、描出することにある。地理学的な知識や技術を導入することによって初めて解明される知見も少なくないのであって、そうした新たな発見、事実認識を積み重ねてゆくことが、歴史地理学という分野に広がりと深さをもたらすことになろう。
 こうした個別事例の分析において、つねに問いかけられるべき問題は、そこで取り扱う史資料がいかなる性格をもち、どのような可能性と限界を有しているのか、ということである。 わが国でアカデミスム歴史地理学が登場してすでに一世紀近い年月が経過してきたが、ここで我々は再び初心に返って、歴史地理学の研究資料がどのような性格をもち、どのような分析可能性と分析方法をもっているのかを問い直す必要に迫られているように思われる。従来、地形条件をも含めた研究資料としての景観、あるいは地名、あるいは古地図や文献資料など、それぞれの研究資料は様々な実証研究に利用されてきたが、それらの資料としての特質と限界は、いまだ共通認識をうるまでにいたっておらず、その利用法についても研究者の自由な裁量にゆだねられているところが大きい。歴史地理学固有の資料論が必要とされるゆえんである。
 先に、景観復元の問題が他の分野においても容易に導入されうることを指摘したが、そこには多分に危険性が伴っていることも留意しておかねばならない。歴史地理学的方法を導入した他分野の研究にしばしば見られることであるが、地形条件に関する認識の不足や誤解、
あるいは地名や景観に関する短絡的解釈や過剰解釈などによって、この方法が議論を誤った方向に導くことも少なくないのである。これはもちろん他分野のみの問題ではなく、歴史地理学者相互の間にも認められることであり、同じ方法に依拠していても、必ず同じ結論が導かれるとはいえないのである。こうした混乱は資料批判の不徹底に由来するものとみられよう。
 条里型地割の分布域の中のある一区画にパターンの異なる地割がある場合、これが後世の撹乱によるものか、あるいは当初から施工されなかったものなのかは、往々にして研究者の主観によって判断されている。古代以来の条里型地割や関連坪地名が、ある地区には残存し、ある地区では消滅する、といった問題、換言すれば地名や景観の持続性について、歴史地理学はさらにナーヴァスに検討を加える必要がある。地割や地名にどのような要素が重なった場合、それをいかに解釈しうるのか、といった判断基準についても、いっそう明確化するよう努力せねばならない。
 絵図・古地図についても同様の問題が指摘できる。絵図中のある表現をめぐって歴史地理学の空間認識論と歴史学の作成目的論が対立することは少なくないが、これを研究者間の主観の対立の次元に解消するのは不合理なことであり、我々は絵図・古地図から空間認識を導き出すための条件と方法について根本的に検討を加えなければならない。こうした方法論的・史料批判的な議論を通じて、他の分野との共通の土俵を築いてゆかねば、相互に独善的な主張を叫ぶのみになるだろう。
 自然地理的資料や考古資料などの一部を除き、歴史地理学の研究資料は大半が人間の手によって「表現された」ものであるから、資料批判にあたっては、つねにそれを「表現した」
人間や社会の認識や意図が問題となる。従来ノイズとして切り捨てられてきたこれらの情報からも、興味深い分析が可能であると注目されるようになったのは、いまだ最近のことである。空間認識論や景観認識論といった新しい分野が広く認知されるためには、活発な資料批判に基づく資料論的・方法論的吟味を重ね、そこにしっかりした足場を構築することがなによりも肝要と思われるのである。 

 変化する地理、変化しない地理
 個別事例研究によって蓄積されたデーター、新たな復元結果に依拠して、様々な歴史地理学的分析が実行される。こうした分析の視角は、大別して動態論的視角と構造論的視角の2つに分けられるであろう。前者は様々な地理的現象が同時並行的に変化する様相を捉え、その地理的変化のプロセスやメカニスムを解明する視角である。これに対し、後者はさまざまな歴史的変化の中でも、つねに変わらない地表の論理(地理学的法則)を明らかにする研究視角といってよい。
 前者の一例として、グリッグ D.GRIGG(1980)による人口増加と農村変容に関するモデルをあげたい。古典的なマルサスの人口論とその批判、新しいボズラップE.BOSERUP(1965)の農業生産性に関するモデルなどをふまえ、歴史時代のヨーロッパ諸国におけるいくつかの過剰人口状態とその克服の過程を歴史地理学的に分析し、これらを総括して過剰人口状態に対する農村の対応形態をモデル化しようとしたものである。これによって、マルサスモデルが検証される段階、検証できない段階などが明かとなり、現代の第三世界における人口爆発問題への見通しも示されている。あらゆる時代、あらゆる地域における地理的変化を総括したモデルなど、とても容易ではないし、その有効性もさほど期待できない、といった見方もあろうが、当面、地域や時代を限定して、そこにおけるさまざまな地理的変化をシステマティックに捉える試みが期待される。そして、そうした事例研究の蓄積が、より包括的な地理的変化のモデルへと昇華されるのである。
 地理的変化そのものを捉えようとする視角とは逆に、歴史的な地理的変化の背後で、常に変化しない地理的構造を捉えようとする視角もまた、歴史地理学固有の知見をもたらすのものと考えられる。こうした視角の基礎として、特定の時の断面におけるさまざまな場所や地域、景観などの構造を考察する事例研究の蓄積が要求されることはいうまでもない。これらの蓄積を通じて、地理的構造の変化を考察することもまた重要な課題となるが、ここではむしろ変化しない地理的構造にあえて着目することにしたい。
 変化しない地理的構造といえば、O.シュリューターの「時間の克服」が想起される。変化してやまない地理的諸相のなかで、時代が移ってもそこに「繰り返し現れる」現象は、時間を克服した地理的真理であり、シュリューターはこうした現象の解明を通じて地理学の法則を考究しようと考えていたという(水津一朗)。シュリューター自身は特定の場所・地域における個別的現象の次元(例えば地形と交通路の関係など)でそれを捉えていたきらいもあるが、そこからあえて論理を飛躍させるならば、それは、場所・地域・景観・空間と人間集団の行動との相互作用の構造を解明する立場であるとみなされるのであり、そこに一つの歴史地理学の課題と視角を見いだすことができる。
 地理学が構築してきたさまざまな法則を過去において検証しようとする研究もまた、<変化しない地理学的構造>への一つのアプローチとなる。かつてクリフら A.D.CLIFF et al (1981)が、前世紀末以来のアイスランドの疾病を事例に空間拡散理論 spatial diffusion theory を検証した著書に、「島嶼社会の疾病に関する歴史地理学的研究」の副題が付されていたことは記憶に新しい。この研究などは、事例が過去であろうと現代であろうと、またいかなる現象であろうと、そのこと自体にさしたる意味はないのであるから、こうしたものまで歴史地理学と呼ぶことにはいささかのためらいがないわけではない。時間地理学 time geography をも含めて、より純粋な「空間の地理学」では歴史的時間は問題にされないのであり、同じ時間軸を扱うといっても、その問題意識は歴史地理学とは必ずしも一致しない。
 しかし、現代を主として構築された地理学的な法則、理論がつねにいつの時代にも適用できるわけではないのであって、時代によるさまざまな違いや変化を考慮しつつ、その法則や理論の変化しない側面を追求することは歴史地理学的にも意義ある視角となるだろう。
 いまクリスタラーの中心地理論を事例に検討してみよう。中心地の階層的分布にひそむ空間的秩序を説明したこの著名な地理学理論は、あらゆる時代の社会に妥当するであろうか。理論構築後すでに半世紀を経過し、モデルには少なからぬ修正が必要となっているように、クリスタラー理論もまた時代の申し子であって、それが構築された大戦間という時代の状況と切り離して考えることはできない。従って、過去における中心地の分布や階層構造の実証研究を通じて、どの時代において中心地理論のどの部分が有効であり、どの部分が妥当しないかを明らかにする必要が生じるのである。
 クリスタラー・モデルを援用して近世中国における市場社会論を構築したG.W.スキナーの研究はその代表例であろう。スキナーのモデルは、対象とする社会における中心地の階層構成や上位中心と下位中心との結びつきに関して、独自のシステムを設定しているが、中心地立地の秩序に関しては基本的にクリスタラー・モデルを踏襲している。すなわち六角形モデルに関しては近世中国社会においても妥当すると判断されたのである。
 確かに六角形モデルには、時代的条件に規定されない超歴史性がある。しかし、これを中心集落の分布の説明モデルとしてみるならば、次に中心集落という場所の概念を歴史地理学的に検討する必要が生じるのである。定期市などの市を媒介とする流通形態はわが国でも中世以来急速に普及していったと見られているが、そうした段階の流通システムを検討すれば、商品の生産や供給の不安定性に規定されて、空間的な合理性が優先されない流通も十分想定されるのである。それはそれで一つの地理的知見を形成するのであるから、そこでは、単に中心地の分布だけでなく、流通の地域構造の側面にまで踏み込んで、その段階の中心地の配列モデルが論じられなければならないし、併せてクリスタラー・モデル成立の前提条件と六角形的立地パターンの形成過程が論じられることになるだろう。
 変化する地理せよ、変化しない地理にせよ、歴史的時間軸における分析を通じて初めて明らかにしうる地理学的知見なのであり、これらの解明こそが、地理学における歴史地理学のレソン・デートルなのではなかろうか。歴史地理学に委ねられた課題はきわめて大きく、また重要である。わが国の歴史地理学研究の伝統をふまえ、これをさらに大きく発展させたいと念じている。

1 R.Johnston, D.Gregory, G.Pratt, and M.Watts(eds): Dictionary of Human Geography(4th Ed.), TJ international,G.B. 2000, "Historical geography"の項目(Dan Clayton執筆)参照。
2「地誌学の図式」をはじめとするヘットナーの地理学方法論については、水津一朗『近代地理学の開拓者たち』地人書房、1974、を参照。
3 浮田典良「マイツェン」(藤岡謙二郎・服部昌之編『歴史地理学の群像』大明堂、1978)
4 こうしたヨーロッパ農村の景観研究の成果は、水津一朗『ヨーロッパ村落研究』地人書房、1982、に詳しい。
5 小川琢治『人文地理学研究』古今書院、1928
6 牧野信之助『土地及び聚落史上の諸問題』河出書房、1938
7 R.Hartshorne、野村正七訳『ハーツホーン地理学方法論』朝倉書店、1957
8 Darby: On the relation of geography and history, Transactions I.B.G. 19, 1953
9 小牧実繁『先史地理学研究』,内外出版,1937
10 藤岡謙二郎『先史地域及び都市域の研究』柳原書店、1955
11 イギリスでは、Domesday Bookを用いた中世初期の復元研究(Darby, H.C. 1952-77: The Domesday geography of England, 7 vols. Cambridge Universiry Press.)や中世イングランドのフィールド・システムに関する実証的研究などがその代表例とみなされる。わが国では、藤岡謙二郎編『日本歴史地理総説』(全5巻、吉川弘文館、1979)にこれらの成果が集大成されている.
12 時間地理学time geographyを含めて、こうした新しい地理学new geographyの研究動向については、坂本英夫・浜谷正人編『最近の地理学』(大明堂、1985)などを参照。
13 野間三郎「歴史地理学の発達」『歴史地理講座』朝倉書店、1959
14 Prince: Real, imagined, and abstruct world of the past. In "Progress in Geography"6、1971
15 Yi-Fu Tuan 山本浩訳『空間の経験』筑摩書房、1988
 Yi-Fu Tuan 小野有五・阿部一訳『トポフィリア』、せりか書房、1992
16 Cosgrove, D. 1984: Social fonrmation and symbolic landscape. Croom Helm;
Cosgrove, D. and Daniels, S., eds; 1988: The iconography of landscape: essays on the symbolic representation. design and use of past environments. Cambridge Universiry Press.
17 葛川絵図研究会編『絵図のコスモロジー』(上下2巻、地人書房、1988・89)
18 一例として、近代アイスランドにおける疾病の空間的拡散を扱った次書を挙げておきたい。Cliff,A.D. ,Haggett,P., Ord,J.K., and Versey,G.R.: Spatial Diffusion: An Historical Geography of Epidemics in an island community .Cambridge U.P., 1981