川合玉堂
かわい ぎょくどう
明治6(1873)-昭和32(1957)
日本画家。現在の愛知県一宮市木曽川町に生まれる。京都で望月玉泉や幸野楳嶺に師事し、京都派の画風を身につける。23歳で上京して、狩野派の系統の橋本雅邦に師事する。明治31年(1898)、東京美術学校を追放された岡倉天心が日本美術院(初期)を設立すると、これに参加する。明治40年に始まった初期文展では審査員を務め、以後、官展および日本画新派の重鎮として活躍する。長流画塾を主宰した。大正4年(1915)、東京美術学校教授。大正8年、帝国美術院会員。昭和12年(1937)、帝国芸術院会員。昭和15年、文化勲章。
代表作として「行く春」(大正5(1916) 第10回文展 重要文化財)、「宿雪」(昭和9(1934))、「彩雨」(昭和15(1940))などがある。日本の自然を好んで描いた。独特の線描により新しい風景画を確立した。
◇参考文献
河北倫明監修 1989『近代日本美術事典』講談社
◇美術館
玉堂美術館(東京都青梅市)
岐阜県美術館(岐阜県岐阜市)