川名広喜
かわな ひろき
明治43(1910)-昭和20(1945)
洋画家。山口県下関市小月町に生まれる。旧姓高田。昭和5年(1930)、東京美術学校図画師範科に入学し、昭和7年、第13回帝展初入選。昭和8年に卒業し、青森県立師範学校教諭となる。昭和10年、福岡県小倉の陸軍歩兵第14連隊に入隊。中国各地を転戦。昭和15年末に除隊。昭和16年3月、東京府立第二十一中学校教諭。昭和17年6月、東京府立第二十一中学校(旧制都立城南中学校)教官。昭和19年2月、再び召集されて中国に出兵。12月には報道班に転属。昭和20年1月28日、九江にて乗船が機雷に接触して戦死。
作品としては「敵潜水艦と闘ふ輸送船○○丸」(昭和17年(1942))、「洞庭湖驀進船団」(昭和18(1943) 第2回大東亜戦争美術展)などが知られている。人物画や風景画をよく描いた。講談社雑誌『少女倶楽部』(昭和17年9月号かー昭和19年2月号)、東京・大阪日日新聞雑誌『大日本少年』(昭和15年3月15日号から昭和18年4月15日号)の表紙や挿絵も描いている。
◇戦争画との関連
前述の通り、二回召集されており、そのときのスケッチがある。昭和18年、南京西本願寺英霊奉安所に自らの絵画を奉納するために中国に赴く。続いて、陸軍報道画家として九江、漢口、武昌、洞庭湖、沙市、荊州、宜昌などを廻る。7月末に帰国。陸軍美術協会会員。文化奉公会会員。
戦争美術関係の展覧会では、昭和18年の陸軍美術展(第1回)、昭和18年の国民総力決戦美術展に出品しており、昭和17年の第1回大東亜戦争美術展、昭和18年の第2回大東亜戦争美術展に出品している。
◇参考文献
東京都立城南中学校(旧制)一期会 1990『川名広喜遺作集』東京都立城南中学校(旧制)一期会
『靖国の絵巻』作品リスト