小林秀恒
こばやし ひでつね
明治41(1908)-昭和17(1942)
挿絵画家。伝神洞画塾に入り池上秀畝に師事して日本画を学ぶ。また、山川秀峰に師事して美人画を学ぶ。昭和6年より挿絵を描き始め、昭和8年、挿絵に専念することを決める。講談社の雑誌『キング』などに挿絵を描く。昭和9年、菊池寛の「貞操問答」(『大阪毎日新聞』『東京日日新聞』)の挿絵で脚光をあびて、岩田専太郎、志村立美とともに挿絵界の三羽烏と呼ばれる。吉屋信子「男の償い」「妻の場合」「良人の貞操」などで、マツゲの長い、憂いを含んだ美人画を描いて好評を得る。小島政二郎「清水次郎長」、久米正雄「白蘭の歌」、獅子文六「沙羅乙女」などがある。また昭和11年(1936)から始まる江戸川乱歩「怪人二十面相」の挿絵で知られる。清水望陽とも名乗る。
◇参考文献
尾崎秀樹 1987『さしえの50年』平凡社
中村嘉人 2007『大衆の心に生きた昭和の画家たち』PHP新書
弥生美術館編 平成21(2009)『夭折の挿絵画家 小林秀恒展―僕は死にたくない…!まだしたいことが沢山あるんだもの…』
◇美術館
弥生美術館(東京都文京区)