靖国の絵巻

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東条英機(東條英機)

とうじょう ひでき
明治17(1884)-昭和23(1948)
 陸軍軍人、政治家。現在の東京都千代田区に生まれる。父は陸軍中将東条英教。明治38年、陸軍士官学校を卒業して、歩兵少尉となる。大正4年に陸軍大学校を卒業。陸軍省副官、スイス駐在武官、陸軍大学校教官、ドイツ駐在武官、陸軍省整備局動員課長などを歴任する。大正9年に少佐、大正13年に中佐、昭和3年に大佐となる。昭和6年8月、参謀本部編制動員課長となり、昭和8年、少将に昇進。陸軍省軍事調査委員長、歩兵第二四旅団長、関東軍憲兵隊司令官を歴任して、昭和11年に中将となる。
 昭和12年に関東軍参謀長となり、中国との開戦を迎えると、事変拡大論を主張して、内モンゴルに出動している。陸軍次官を経て、第二次近衛内閣で陸軍大臣となる。第三次近衛内閣においても留任するが、対米交渉を続けようとする近衛文麿首相と対立し、昭和16年10月、内閣総辞職をひきおこす。つづいて、第40代内閣総理大臣に就任し、陸相・内相を兼任する。大将に昇進する。同年12月、対米戦争を始める。昭和17年4月、翼賛選挙で戦時独裁体制を築いた。しかし、戦局が次第に不利になると批判が高まる。陸海軍の対立、国務と統帥の不一致を克服するために、参謀総長を兼任して政戦略の一致をはかったが、昭和19年7月に内閣総辞職に追い込まれ、失脚する。
 終戦後、昭和21年5月、極東軍事裁判においてA級戦犯として起訴され、昭和23年11月、絞首刑の判決が下される。同年12月、巣鴨拘置所で死刑執行。

◇参考文献

国史大辞典編集委員会 1990『国史大辞典 第10巻』吉川弘文館
原剛・安岡昭男 2003『日本陸海軍事典 コンパクト版 下』新人物往来社

『靖国の絵巻』作品リスト

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