おはらいの文化史 2 『令義解』りょうのぎげ巻三


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『令義解』巻三


解説

 養老令(天平宝字元(757)年施行)の註釈書。天長10(833)年成立。同令の神まつりに関することがらは神祇令じんぎりょう第六にあり、うち大祓おおはらえの規定は2条存在する[1]。毎年6・12月に宮中で行われる大祓に関する条文には、「中臣宣祓詞」なかとみははらえことばをのれとあり、中臣が関与する大祓詞おおはらえのことばが律令制定期に制度化されたことが分かる[2]

  1. 大祓条
    およ六月みなづき十二月しはすつごもりの日の大祓には、中臣、御祓麻みはらへのぬさたてまつれ。東西文部やまとかふちのふひとべ祓刀はらへのたちを上りて、祓詞はらへのことばを読め。をはりなば百官ひゃくくゎん男女なんにょは祓の所にあつつどへて、中臣は祓詞を宣れ。卜部うらべ解除はらへをせよ。
    諸国条
    凡そ諸国にて大祓すべくは、こほり毎に、刀一・皮一ちゃう・鍬一口、及び雑物等ざふもつなど、戸別に麻一条をいだせ。その国造くにのみやつこは馬一疋を出せ。
  2. 養老令成立に先立つ大宝律令(大宝元(701)年成立)・飛鳥浄御原令(持統天皇3(689)年)等に該当する条文が記載されているかどうかは不明。ただし、神祇令にあるほかの多くの祭祀が天武朝に制度化されたものとみられるため、大祓の制度についてもこの時期に成立したと考えるのが妥当である。

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