おはらいの文化史 8 『宇佐御祓図』うさおはらいのず


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『宇佐御祓図』


解説

八坂神社疫神社夏越祭茅の輪

 宇佐八幡宮うさはちまんぐう(豊前・今の大分県)で行われていた御祓会おはらいえ神幸しんこう行列の概略を描いた絵巻。大祓おおはらえと同様6月末に行われた[1]。行列の前方には「菅貫輪」すがぬきのわを持つ人が描かれている。菅貫(菅抜)は平安時代以来の夏のはらえの道具だが、後世、素盞嗚尊すさのおのみことが伝えた疫病よけ・[2]と同一視され、人がくぐれるものも作られた。

  1. 現在の宇佐神宮では、御神幸祭(夏越神事)ごしんこうさい(なごしのしんじ)として7月末か8月初旬に行われている。祭神さいじん3座(八幡大神・比売大神・神功皇后)はちまんおおかみ・ひめおおかみ・じんぐうこうごう神輿みこしが、本殿から境内の頓宮(御仮屋)とんぐう(おかりや)まで進む。菅貫は、頓宮に神霊が鎮まったあとで行われるはらえ(菅貫神事)で用いられる。夏の祓については『拾遺和歌集』しゅういわかしゅうに「水無月みなづきの 夏越の祓する人は 千歳ちとせの命 ぶといふなり」という歌があり、平安時代中期には風物詩となっていたようである。
  2. 『釈日本紀』しゃくにほんぎに引かれた『備後国風土記』びんごのくにふどきによれば、蘇民将来そみんしょうらいとその家族は、「茅の輪を腰の上につけよ」という素盞嗚尊の教えに従い茅の輪をつけ、災厄から逃れることができた。とされる。したがって、茅の輪はもともと身につけるためのものと考えられるが、人がくぐれるものも多く、江戸時代には庶民にも親しまれていた。


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