おはらいの文化史 13 『中臣祓記解 中臣祓義解』なかとみのはらえきげ なかとみのはらえぎげ


ホーム » 資料解説 » 13 『中臣祓記解 中臣祓義解』


『中臣祓記解 中臣祓義解』


解説

 「義解」は、平安時代初期の官人で、陰陽頭をつとめた阿倍真勝に仮託され、『中臣祓訓解』を下敷きにしつつも仏説を排し、『日本書紀』『先代旧事本紀』せんだいくじほんぎなどを典拠として、中臣祓を説明する。京都府立総合資料館所蔵若杉家文書本には度会常昌わたらいつねよし(弘長3~延元4(1263~1339)年)の奥書があり、それ以前の成立と考えられている[2]

  1. 天文22(1553)年~寛永9(1632)年、吉田兼右の子。臨済宗の僧。吉田神道を学ぶとともに、神道書や古典を多く書写した。
  2. 弘安8(1278)年に書写し、永仁5(1297)年に書き改めている。よって、これ以前の成立と考えられる。

このページの冒頭へ


Copyright© Research Center for Traditional Culture, Kokugakuin University 2010-2011 All Rights Reserved.

お問い合わせ