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平成22年9月18日 シンポジウムにおける発表要旨 |
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伊海孝充
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『能作者の庖厨にはどんな平家物語があったか』の研究史
世阿弥は、源平の武将をシテとする能を「平家のまゝ」に作るよう述べているが、この言葉は、この種の曲の研究を大きく規定してきたように思える。従来の研究では、複数の『平家物語』テキストを比較検討し、特定の「素材」を発見することに力点が置かれてきたが、ほとんどの曲が、能作者が素材としたテキストを特定することはできず、複数の本を参照したと考えざるをえない。そのため、能の詞章と『平家物語』諸本との対応関係を調べ、それ以外を能作者の工夫と位置づける研究が多く、本説の追究だけでは閉塞感を覚えることがある。本発表では、こうした従来の研究を振り返った上、能と『源平盛衰記』の関係を論じるための新たな視点を模索するために、〈清経〉を二つの側面から検討した。
一つ目は、〈清経〉の「読み」の論から、『源平盛衰記』との差異を見つける方法である。〈清経〉の前半は、入水した夫を恨み遺髪を返す妻と、それを不服とする清経の霊の応答が中心となるため、両者の関係をどのように捉えるかという研究も多い。今回は、それらの研究を踏まえながら、夫婦の関係を物語と説話に頻出するプロットで色付けし、説話的興味を広げた『源平盛衰記』と、夫婦の対立を描きながらも能の枠組みに規定されるからこそ、矛盾のない結末を描けなかった能との差異を指摘した。
二つ目は、〈清経〉の[クセ]に出てくる「やうでう」という語句の分析である。この語句は、『平家物語』諸本にも散見する「横笛」の特殊な読み方であり、用例も多くはないが、諸注釈では「横笛」が「王敵」に想起させるため、「ヨオジョー」と読むと理解されている。しかし、「やうでう」が「音取」とセットで使われることが多いことに注目し、「平調子(ひやうでう)」の誤伝が、「笛」のを指す言葉として、曖昧に理解されたのではないかと推測した。これをもとに『源平盛衰記』との関係を考えるのであれば、清経入水の場面だけではなく、各々の作品がこの誤伝を共有しているか否かまで念頭に置き、考察することも必要ではないかと主張した。
いずれも、能と『源平盛衰記』との関係を捉えるための試論であり、今後再検討を加えたい。
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岩城賢太郎
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源平盛衰記と中世・近世芸能−木曽義仲周辺の謡曲・浄瑠璃作品−
本発表では、平家物語諸本には見えない源平盛衰記の独自記事、すなわち巻第二十六「木曾謀叛」「兼遠起請」に見える、幼少の木曽義仲を斎藤実盛が中原兼遠に託したとする件り、巻第三十「真盛被討」「朱買臣錦袴」「新豊県翁」に見える、義仲が手塚光盛に討たれた実盛を養父と慕って追悼する件りに注目し、実盛の登場する浄瑠璃作品が、盛衰記の記事に取材しながら、併せて世阿弥作の謡曲〈実盛〉の詞章の影響を受けて展開していることを確認した。
謡曲〈実盛〉の詞章は、流布本等に見える平家物語巻第七「実盛最期の事」の本文を多く引用するかたちで構成されているが、浄瑠璃作品への影響という観点では、@実盛の霊が生前の実盛譚を相対化して語る、修羅能の形式であること、A実盛首洗いの場面が、『和漢朗詠集』所載の「気霽風梳新流髪氷消波洗旧苔鬚」等の詩歌を引いて美化されていること、B最後の戦さに義仲と組み討とうとしたところを手塚に阻まれたと、実盛の執心が創作されていること、以上の3点における世阿弥の創作性が注目される。
浄瑠璃では、源平盛衰記や謡曲〈実盛〉の影響を受けている作品として、寛文年間版行と考えられている古浄瑠璃『ともへ』等があり、享保期初演『加賀国篠原合戦』や延享期初演『軍法富士見西行』等の浄瑠璃では、義仲・実盛、義仲・兼遠の擬似的な恩愛関係、そこから派生した親子・男女の恩愛関係が、作品展開の中核となっている。
盛衰記の記事内容を踏まえず、流布本の実盛関連記事と謡曲〈実盛〉との影響が顕著である、宝永〜正徳年間版行と考えられている『斎藤別当実盛』のごとき浄瑠璃もあるが、管見の限り、この浄瑠璃の影響を受けた浄瑠璃作品は他に見えない。盛衰記を踏まえた浄瑠璃作品の様相や、草双紙『実盛一代記』、浮世草子『実盛曲輪錦』、絵巻『木曾物語』、軍書『義仲勲功図会』等の近世文芸作品との関連、及びそれらの版行本等の挿絵に窺える特徴も考えあわせると、斎藤実盛関連話は、中世・近世芸能を通して、義仲の一代記の一端として展開して行ったと見てよいであろう。
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