サドと太鼓

外国語文化学科   秋吉 良人


私の専門は、精神分析を創始したフロイトと18世紀のフランス文学者・思想家サドです。フロイトは、「無意識」というものを想定し、当時見向きもされていなかった夢、錯誤行為(言い間違いなど)といったものが「意味」をもっているといった人です。あまり知られていませんが、「人が好んで使う比喩や決まり文句」もその人を知る重要な情報源になると考えていました。この観点から、最近サドが用いている一見取るに足りないひとつの比喩に目を留めてみました。それは、人間を「太鼓」にたとえるというものです。「すべて精神作用は、それが、あらがいがたく隷属している物理的physiqueな原因から生じる。 [...] それは、ばちが太鼓の皮に衝突した結果生じる音だ。物理的原因がなければ、つまり衝突がなければ、必然的に精神的結果も、つまり音もないってわけだ。...私の隣人のポケットから盗まれた100ルイ、あるいは不幸な人にあげた100ルイ、これは衝突の結果つまり音。 [...] 太鼓は、打たれても音を出さないなんてことができるか?」私たちが吸い込む原子、食べ物のなかに含まれている微粒子など何千もの物理的因子が「ばち」のように私たちの身体=太鼓を打ち、個々の人=太鼓のありよう(太鼓で言えば張り具合など)に応じて、異なった音すなわち美徳や悪徳を生み出すというのです。

楽器のたとえは古くからよく用いられてきました。18世紀には、哲学者たちが、人間の感覚、精神、魂といったものを物として説明する際に、こぞってこの楽器の比喩を、とくに神経=弦の連想から弦楽器の比喩を用いています。たとえば有名なドルバックという思想家は、人間を「自分自身で音を出す感度のよい竪琴」や弦楽器に、ラ・メトリもヴァイオリン、チェンバロを引き合いに出して説明しています (18世紀のディドロの『百科全書』によれば、チェンバロはヴァイオリンと同じ弦楽器の仲間です。チェンバロは、ピアノ線をハンマーで打つピアノと異なって弦をはじいて音を出すからだと思います)。では、楽器の比喩を用いるにあたって、こうした哲学者たちとサドとの違いは、どこにあるのでしょうか。まず大きな違いは、サドが引きあいに出した楽器が「太鼓」であるという点にあります。私は当時サドのように太鼓を持ち出した人をほかに知りません。調べているうちに、楽器というものがそれぞれじつにさまざまな歴史的、社会的背景を、したがって異なった意味・意義をもった存在だということがわかりました。 

18世紀のヴォルテールの『哲学辞典』で「太鼓tambour」を引いてみましょう。すると、「ローマ人たちには知られておらず、アラブ人とモール人たちからわれわれのもとに伝わった戦争の楽器instrument。...太鼓は、われわれのところでは、歩兵隊のためだけに用いられる。太鼓によって、隊を集合させ、訓練し、指揮するのである。」とあります。太鼓がヨーロッパに、それも軍隊に導入されたのは、オスマン・トルコとの戦いの後、その影響を受けてのことでした。今「戦争の楽器instrument」と訳しましたが、これは文字通り「戦争の道具instrument」であったわけです。それは指揮官の命令を兵士たちに伝えるともに、「敵に突撃する勇敢さと勇気を鼓舞する、男らしく力強自らを守る合図と警報を発する」(アルボー)物だったのです。また当時こうした戦争を行った当事者は誰でしょうか。王です。その意味で太鼓は王権の象徴といってもよいものでした。

ほかのひとたちが取り上げた楽器はどうでしょう。オルガンはもちろんミサを荘厳に執り行うために教会で使われた重要な楽器でした(パスカルは一徹なカトリック信者でした)。チェンバロとついでヴァイオリンは、17世紀から18世紀にかけてそれまでの代表的楽器リュートをおさえて主流となった楽器です(もっともその座は19世紀になってピアノに奪われてしまいますが)。チェンバロは、貴族のサロンで活躍しました。ヴァイオリンは、ダンス会やコンサートでほかの楽器を従えて主役の座につき、「ほかのすべての楽器の音よりも快活で、精神により大きな効果をもたらし、ある人たちから楽器の王様と呼ばれて」いました(フルチェール)

教会、サロン、ダンス、コンサートとは対極にある戦場で、指揮官の意志を伝えまた戦士の気を奮い立たせる太鼓、サドがこの楽器もちだした意味はもうお分かりでしょう。先ほどそれが王家の象徴であるといいましたが、サドは母方を介して王家とつながっていましたし、貴族将校として軍隊にも長くいました。しかしそれだけではありません。サドが書いた小説は、「万人の万人に対する戦い」を地でいくものでした。「太鼓」という戦場の楽器は、教会も貴族のサロンもすべて戦火に巻き込んで展開していくサドの小説にまったくよく見合ったものだったのです。


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