味噌汁と鯛の思い出

 

                                                                                                                中国文学科  浅野 春二

 普段味噌汁の味などはあまり気にしないが、「これは違うだろう!」と思ったことが一度だけある。 台湾に道教儀礼の調査に行ったときのことだが、遠くからよく来てくれたと歓迎され、食事をご馳走になった。そのとき、日本人だからというので、特別に「味噌汁」を注文してくれた。そのとき出てきたのは、たしかに味噌を使ったスープではあるが、「味噌汁」ではなかった。味は中華料理のスープとして飲めばとてもおいしいのだが、「味噌汁」だと言われると納得できないものがあった。「うまいか」と聞かれて、「まずい」とは言えないので「なかなかうまい」と答えたが、心の中では「違う」「そうじゃない」という思いが渦巻いた。

  澎湖島で鯛をご馳走になったことがある。天然物の立派な鯛であるが、それが甘酢あんかけになってテーブルの上に出て来たときの悲しさというか無念さというか、そうした思いはご理解いただけるであろうか。わたしは、中華料理がとても好きであり、甘酢あんかけも嫌いなわけではない。しかし、「やっぱりこれは塩焼きでしょう」という思いは消せなかった。自分でも意識しないこだわりがあったわけである。 味覚というのは微妙なもので、生まれ育った環境で知らず知らずのうちにこだわりをもってしまっているものらしい。

 台湾の人々の微妙なこだわりが理解できなかったという経験もある。よく宴会料理で出てくる定番のスープがあるのだが、わたしはそれをいつもご馳走になりながら、とくにうまいともまずいとも思ったことはなかった。あるとき、そのスープが出されて来てみんながそれぞれ自分の器にそれを取って食べ始めたときに、ちょっとした事件が起こった。みんなが口に入れたものを吐き出したり、器に取ったスープを足元に捨てたりして、「まずい」「この料理人はだめだ」「こんなのは食べられない」と怒って騒ぎ出したのである。わたしはいつもと同じ味にしか思えなかったが、何かどこかが決定的に違っていたのであろう。そんなにまずいのかなと思ってもう一口食べようとしたら、隣の席の人に器を取り上げられ捨てられてしまった。いまだにその微妙な違いは理解できないでいる。

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