中国・武陵源の猿声


中国文学科 波戸岡  旭

 

 中国の自然を旅するたびに、私はいつか猿の声を聞いてみたいと思ってきました。中国の山地や峡谷で啼く猿の声をじかに聴いてみたいと願っていました。李白の「早に白帝城を発す」の詩に、
 

両岸の猿声 啼いて住(や)まざるに

軽舟 已に過ぐ 万重の山


とありますから、三峡下りの時は、三日間の船旅の朝な夕なに耳を澄ませてみたのでした。一、二度遠くで鳴き声がしたような気もしたのですが、はっきりそれと確認はできませんでした。三峡下りは二回したのですが、一度目が冬の十二月で、二度目が春の三月末でした。訪れた季節が悪かったのかもしれません。
 

私が中国の猿の声にこだわったのは、その鳴き声が、日本猿の悪声とは違って、もっと哀調をおびた音声のはずだと考えていたからです。中国の漢詩には、ご存知のように、古くから猿の声がしばしば登場します。どの詩文の猿声も、みな旅人の心をしめつけるような哀切さを感じさせ、旅情をかきたてるるものとして詠まれています。三峡のあたりの舟旅は、水流激しく、舟行の険しさに旅のつらさやるせなさを覚え、長安・洛陽の都からはるか遠く離れた地での心細さに涙して聞いたからなのでしょうが、それにしても、日本猿の悪声からではとても湧いてはこない情感です。ですから、私は、きっと中国の猿は、日本猿とは別の種類の猿であって、その鳴き声はきっと哀調をおびた美的な音色を響かせるのにちがいないと思ってきたのです。
 

さて、その思いが、湖南省の広州・長沙の旅でやっとかなえられました。旅の目的地は、湖南の仙境とも呼ばれる武陵源(張家界)でしたが、この峡谷で、偶然にも猿を目の当たりにし、至近距離で鳴くのを聴き、また高い梢で、猿声が峡谷の奥深くへひびきわたるのも耳にしました。
 

やはり、そうでした。高く澄んだ美しい音色でした。中国にもたくさんの種類の猿が棲息しているのでしょうが、この武陵源で見た猿は、大きさも姿も日本猿とほとんど変わりません。あえて違いを言えば、やや小ぶりであるのと、日本猿ほど顔が赤くないというくらい、それもわずかな違いにすぎません。尾っぽも同じくみじかいようでした。けれど、日本猿の「ギャーギャー」という濁声とは全く違っているのです。
 

その鳴き方というのは、口を小さく0型に突き出すようにして、ホ―っと高く声をのばすのです。高く澄んだその声は、むしろ鳥の声に近く、けもの類と鳥類とのあいだのような音色です。それはちょうど日本の鹿の鳴き声にも似ているようでした。鹿の遠鳴きの声は、ピーっと高く細く澄んだ音色なのですが、その鹿の声にきわめてよく似ていました。まさに「哀切」の形容がぴったりです。
 

緑いきいきとした高い木の梢を枝から枝に飛び移り、鳴き交わす、その「ホーッ」と「ポーッ」との中間音の高い声が発せられると、白く霞のかかった峡谷の奥深くにまで、こだましつつ澄んだ響きが生じて、樹下の私の身にもしみこむかのようでした。深い呼吸の森林浴をしながら、耳奥に記憶させたことでした。
 

主として長江流域で啼く哀調をおびた「猿声」は(黄河流域を舞台とする『詩経』の作品にはあらわれませんが)、古くから、旅人の旅情を一層つのらせるものとしてよく詩に詠まれ、ことに唐詩にたくさん詠われてきましたし、同時に、それは、日本の詩歌にも大きな影響を与えています。さらにまた、「断腸」の悲話の故事とともに、「猿声」は詩語として定着していきました。
 

*ちなみに、この武陵源という景勝地は、中国湖南省、長江の中流域に広がっている森林公園で、奇峰と渓谷が織りなす独特の地形とその豊かな生態系の普遍的な価値が認められて、1992年に世界自然遺産に登録されました。千数百メートル級の奇岩・奇峰が無数に林立し、かつ緑濃い樹木の茂るこの風景は、秀麗・原始・集中・奇妙・清新という五つの特徴があって、武陵源の「五絶」と言われています。まさに水墨画の世界です。

 

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