もぐらの祭り           

小池寿子

 200341日の早朝、私は懐かしのブリュッセル南駅に降りたった。大学院時代の20数年前、15世紀フランドル美術を研究するためにこのベルギーの首都に留学したことがある。以降、ライフワークとしている「死の舞踏」をめぐるヨーロッパの旅で、むろん何度か訪れたことはあるが、長期滞在は実に久しぶりだ。在外研究という夢のような1年間の期間を頂戴し、再び、古巣であるブリュッセルを研究の拠点として選んだのだった。

 王立図書館には研究者専用の席が設けられており、本の貸し出しについては規制が緩く、若干の私物も机においておくことが出来る。図書館に研究室を持っているようなものだ。私はさっそく、登録してある席に陣取り、読書三昧、調査旅行三昧の日々を送り始めた。 

 さて、「死の舞踏」とは、死者と生者が交互に並び、死者が生者を墓地へと誘う舞踏行列で、ペストの蔓延した14世紀後半を経て、1516世紀にヨーロッパに流布した絵図である。現存する数少ない「死の舞踏」壁画の他に、当時、「死の舞踏」が劇あるいは宗教劇として上演された記録はないか。それを調べるのが目的のひとつであった。

 調査旅行しては図書館にこもるという生活をしていたある日、とある資料に出会った。ベルギー、つまりフランドル地方と呼ばれていたこの土地に、「もぐらの祭り」なるものがあったというのである。それは1466226日のカーニヴァルの最終日に、ブリュージュで催された祝祭で、誰がどのような衣装で踊ったのかわからないが、その祭りに想を得た詩が残っている。かいつまんで、その詩の雰囲気をお伝えしよう。

 「善良な皆の衆、貧者や富者、貴族や農民、大なる者やら小なる者、彼方の遠い国へ行こうとする者。さあさ、出立、もぐらの国へ。地面の下はもぐらの宮殿、肉体から魂が離れるや、それぞれの生き様いかんによって処分される。教皇、枢機卿をお頭に、誰もがこの儀式に加わらねばならぬ。ご婦人やら娘さんたち、色とりどりに着飾っても、何の役にも立ちはせぬ。もぐらは目が見えないのだから・・・。」

 そう、もぐらの国とは地下世界、つまり死の国というわけだ。そこでは、誰もがもぐらによって肉を食らわれ、最期の踊りを踊らされるのである。身分の上下、老若男女を問わず、すべては死にゆく。死を前にしての平等性を詠った死の舞踏との類似はそこにある。

 主催したのは修辞家集団といって、当時、詩の朗読や音楽や演劇、舞踏を催して都市市民に娯楽を提供し、さらには煽動した団体だ。時は近世への幕開けの時代。風刺と諧謔に満ちた「もぐらの祭り」には、古い秩序を解体しようとする民衆のエネルギーが溢れていたのである。今こそ静かなベルギーの古びた街並みで耳を澄ませば、こうした地界でどよめく民衆の声が聞こえてこよう。

 

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