忘れられる単語――ひよめきの話

                                         日本文学科 久野 マリ子

  ずっと以前、愛知県犬山市にある京都大学霊長類研究所へ行く機会があった。
ちょうど、ツヨシという名前の手長猿の赤ちゃんが生まれていて、ツヨシを見ることができた。ツヨシのお母さん猿は30数歳で初産だったため、全くツヨシの面倒を見ることができず、オッパイも飲ませてもらえなかったツヨシは、あやうく飢え死にしかけたそうだ。優しい動物学者の世話で、生まれた時は400グラムしかなかったが、もう800グラムの大きさに育っているということであった。 ただ、ツヨシに面会するのは大変だった。何しろ、人間はばい菌だらけなので、手を消毒し、消毒した洋服に着替え、帽子とマスクをして、ゴム長靴を履いて消毒液の中を歩いてからでないと、面会できなかったのである。 保育器からつれて来られたツヨシを見ながら(大きな目をしていて結構可愛かった!)、育ての親の研究者にいろいろ聞いて見た。               

   

 「何グラムですか?。何時間おきにミルクを飲ませるのですか?」
 そして最後に聞いた。「猿にも、ひよめきは、あるんですか?」 それからあわてて付け加えた。
「ダイセンモンのことです。」 「ええ、とても大きいので驚きました。もうだいぶ小さくなったのですけれど。 え?!。大泉門のことを何と言うのですって?」                             

 それから、ひとしきり「ひよめき」の語の話で盛り上がった。驚いたことに、周囲にいた大学院生は、誰一人として「ひよめき」という語も、それがどのようなものかもまったく知らなかったのである。 「ひよめき」は私が子供の頃は、オドリコという方言語形をもっている有名な人体部分であった。それが何故かあっという間に(と言っても15年くらいはたったかもしれない)、知る人もない無名な部分に変わってしまったのだ。 日本語の一つの語が消えていくところを、目の当たりにしたと言うのは大げさ過ぎるが、本当に、あっという間である。 人体語彙の中には、たくさん方言語形を持っている部位があるのだが、「ひよめき」もその一つで、「そこに息を吹きかけるとしゃっくりが止まる」だの「命にかかわるから、そこだけ毛を剃らないで残しておく」だの、方言調査にいくと楽しい回答が聞けるお気に入りの項目の一つだったので、残念である。 「ひよめき」の意味がわからない方は、国語辞書を引いてみて下さい。日本国語大辞典か、広辞苑になら出ていると思います。「ひよめき」と同じように忘れ去られている語に「ひかがみ」という語があるので、それもついでに調べてみて下さい。

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