SARS騒動の意外な余波            外国語文化学科 黒澤直道

 

10年ほど前から中国雲南省のナシ族の調査を続けているのだが、現地調査をやっているとやっかいなことに巻き込まれることがたまにある。2003年の夏、世界を震撼させたSARS騒動がようやく落ち着きかけた頃、私は昆明市の友人のアパートで一人で寝ていた。というのも到着して5日目の朝から、肋骨のあたりが痛くなり、起き上がることが出来なくなってしまったためである。もちろんSARSにかかったわけではない。日本を出発する10日ほど前に風邪を引き、咳だけが少し残ったままで雲南に行ってしまったのが全ての発端であった。

雲南省最大の都市である昆明市は、のんびりした良いところだが、車が多く空気は悪い。街を歩くと、すぐに喉の調子が悪くなる。さらに、あちこちの食堂から立ち上るトウガラシの辛味を含んだ煙が喉を襲う。雲南料理の最大の特徴はその辛さである。別に自分が食べなくとも、否応なく吸入してしまうトウガラシを炒めた煙の刺激は非常に強い。これらの悪条件が重なり、治りかけた喉は再び悪くなり、咳が長引いていた。病院に行った方が良さそうであるが、あいにくのこの時期である。SARSは肺炎が重症化して死に至る病気だ。ゲホゲホと咳などしながらうかつに病院の門をくぐれば、とんでもない誤解を招きかねない。もちろん風邪を引いたのは日本なのだから、SARSでないことは分かりきっている。しかし、雲南でもまだ隔離された患者が多くいた頃である。入国審査では一人一人体温計で熱を測られた。ニュースでは毎日患者数の統計が流され、緊張感は続いている。そればかりか公式発表には出てこない妖しげな噂も飛び交っていた。万が一勘違いでもされれば、自分が寝泊りしているアパートはもとより、この数日間に自分が会った現地の大学の先生やナシ族の友人まで隔離されかねない。そうなったらもう一大事である。調査どころではない。

 風邪を引いた原因も実にくだらない。出発の二週間前、四国一周の格安パックツアーに妻と二人で参加した。雲南では疲れる調査が多いだけに国内旅行は全て旅行社に任せて、のんびり楽しもうと思ったからである。しかし、格安だけにその考えは甘かった。夏休みに入る直前、参加者のほとんどは学生などの若者ではなく、第一線を引退した元気なご老人の方々である。一泊目はフェリーでの船中泊なのだが、港のフェリーの待合室は、すでに缶ビールで出来上がった何十人ものおじいさんたちの異様な熱気に包まれており、ツアーの説明をする添乗員の声すらよく聞こえない。そして、二等船室の大部屋では朝の四時から昔話に興じる楽しげな声が我々を襲う。到底十分に寝れるわけもなく、重い体を引きずりながら、あいにくの雨の中、金毘羅様の785段の石段を登った。別に無理して登らなくてもいいのだが、せっかく来たのだからという貧乏根性である。道後温泉にもつかったが、もともと熱い風呂が苦手なのでさらにくたくたになった。一夜明けても参加者のテンションは一向に下がらない。バスガイドさんへ向けられたいぶし銀の歓声とともにバスは四国を巡る。そんなこんなで東京に帰りついたときには異様に体力を消耗してしまい、雲南での調査前なのにうかつにも風邪を引いてしまった。

 痛みの原因を探ろうと、昆明のアパートで携帯用のパソコンをネットにつなぎ調べてみると、肋骨にひびが入った時の症状とよく似ているようだ。咳が長引くと骨に負担がかかることがあるらしい。そのまま放っておいても治るようで、痛み以外には特に深刻な症状があるわけではないので、とりあえずテレビでも見ながら寝て過ごすことにした。自分がアパートに着いて以来、部屋の主の友人は別の土地へ調査に出かけて留守である。こうして一人で寝ながら延々とテレビを見る日が続く。一体何をしに来たのか分からない。幸い、10日ほどで次第に痛みは治まっていった。この間、テレビばかり見ていて番組事情にやたら詳しくなってしまったため、後からきた調査仲間の友人たちに、雲南でそこまでテレビを見るのは、日本の家では妻にテレビを見させてもらえないからじゃないのかと笑われた。

その後、昆明市からナシ族の本拠地である標高2400メートルの麗江市へ移ると、きれいな高地の空気のお陰で咳はあっという間に治ってしまい、調査は予定通り行うことが出来た。日本に帰国して後、病院でレントゲンを撮ってもらうと、確かに肋骨に小さなひびが入って自然に治ったところがあるという。留学にしろ現地調査にしろ、体調を万全にして臨むことの重要性を、身に沁みて実感した次第である。現地の正確な安全情報に目を光らせることも重要だ。格安パックツアーの落とし穴も理解した。ともあれ、大事に至らずに無事に帰国できたのは、やはり金毘羅様のご利益だったと思われる。 
 

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