『文反故から』

              哲学科 宮下 誠

 つい最近『迷走する音楽』なる一書を上梓した。20世紀西洋クラシック音楽の推移を「ものがたり」の解体過程と捉えてその経緯を詳述したものである。筆者の専門はパウル・クレーというスイス、ドイツで活躍した20世紀前半の画家の作品解釈だが、その研究途上、「絵画」と「音楽」との相関関係に思いを馳せることが重なった。その結果としての執筆だったのだが余技にも関わらず随分大部なものとなってしまった。以下にその一部を採録して筆者に与えられた義務を曲がりなりにも果たしたいと思う。
 
 「...例えば19世紀に生まれた「百貨店」、或いは例えば「制度」として19世紀
漸くその基礎を固めた「美術館」ないし「博物館」、或いはまた17世紀啓蒙の時代から延々と続けられ、これもまた19世紀に一般化した「百科事典」が、世界各地からの「もの/知」を、「一つの容れ物」に、出来るだけ「漏れ」のないよう「収集」、
「整理」、「分類」、「展示/提示」し、いわば一つの首尾一貫した「ミクロコスモ
ス(世界の雛形)」=「ものがたり」を形成しようとしたことは、つまるところ、ル
ネサンス以来西欧が推進してきた、ある視点に基づいて世界を「体系」化しようとする壮大な意志のあらわれだと考えて良い(「遠近法」)。「歴史(ものがたり)画」
の独裁もまたその流れに与している。ところが、そのような「もの/知」の体系は、
19世紀後半以来、多くの深刻な疑義に逢着する。原子論の成熟、両次世界大戦によってもたらされた膨大な「匿名の死」...「世界」は決して「体系化」されえないし、「体系」と信じられていたものは、必ずしも人類を肯定的な方向に導かない...これら「体系」の有効性を根底から脅かす諸要素は政治、社会、学芸などの分野で20世紀を通じていよいよ切実なものとなりつつある。抽象絵画、ファジー理論、ポスト・モダン的発想などは、この「体系/大きなものがたり」の解体を目論んだ壮大なプロジェクトではなかったか?...」

 断片的引用ではあるが近年の筆者の研究の根底には以上のような「思い込み」が何らかの形で関わっていると考え敢えて採録させていただいた。このテクストを読んでいるみなさんの参考になるかどうかははなはだ疑問ではあるけれども。  

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