後必ず応ずる者有りて……

                               中国文学科  宮内 克浩

 

  中国・清の或る文豪が兄の思い出を記した文章に、私にとって忘れられない言葉がある。最初にその文章に接したのは、高校生の時に模試の問題文としてであったから、二十数年も前のことになる。何しろ試験の残り時間を気にしながらのことで、何よりそそっかしい性格だから読み間違いをしていたはずなのだが、不思議と記憶の隅に引っ掛かり、何かの拍子にふと思い出すことがある。およそ次のような話である。

 当時、科挙の受験者には独特の文体を用いた作文が課せられており、彼も兄を指導者と仰いで、その対策に明け暮れた。だが、彼の豊かな文学的才能をもってしても、やはりその作文技法の習得は頭痛のたねであったらしい。「こんな技術を極めたところで、世のために活かせるはずもあるまいし……」。科挙受験にしか役立たぬ不毛な勉強なのではとの懐疑と、自分を認めてくれぬ世への不満をつい口にしてしまった。出口の見えぬ試練のただ中に立たされた者が抱く不安と焦躁を、兄も充分に承知していたのだろう。叱りつけることなく、かといって同情するでもなく、こんな話を始めた。「今では誰もがその価値を信じて疑わぬ学説も、提唱された当初は全く顧みられないことがある。それが忘却されずに、長い歳月を経て半数の人が認めるようになるのは、逆境と闘いながらも学統を絶やすまいとした幾世代にも亘る真摯な学徒の存在あってのことなのだ。学問が成就したとして、生きている内に評価されないことは、確かにある。だが、後世長期にわたる、確乎たる評価を得ることもあり得ることなのだ……」。恐らく兄の言葉は、役立たぬと判断しても、あくまで自分の小さな頭で判断したものであって、一度自分で習得を志したならば、投げ出すことや手抜きは許されないと諭したものであろう。また極められた道は、後世必ず呼応する者が現れて断絶することはない。長期的な展望を持ちなさいと励ますものでもあったろう。

  「一世の中に既に一二人有りて(これ)(おさ)むれば、(すなわ)ち後必ず応ずる者有りて、その道は(つい)には(くら)からず」。こう励ました兄の言葉は、神をも降参させた北山愚公の話を生み出したお国柄をしのばせるスケールの大きな心持ちから発せられたもので、同じ度量を持ち合わせることは難しい。だが、この言葉こそ、私にとっては学びつつ在ること、また学んだことを次の人へと受け渡すことが如何に大切であるかを時に語りかけて、怠惰な私の背を押して書物へと向かわせてくれるのである。

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