チュニジアから見える世界
教職・資格課程(図書館学) 須永和之助教授

チュニジアの国旗

チュニジアは2002年FIFAワールドカップで日本と対戦したことで知られるようになった。アフリカ大陸の北端に位置してイタリアと対峙する国土は日本の半分くらいである。7年前に訪れてから、この国の限りない魅力に惹きつけられている。

紀元前には古代国家カルタゴが支配して、ポエニ戦争で古代ローマと地中海の覇権を争った。カルタゴの運命を決したザマの戦いの地は内陸の砂の中に埋もれている。カルタゴへは首都チュニスからローカル電車に乗って20分ぐらいで着く。かつての都は破壊尽くされて、現在は古代ローマの遺跡が残る。

チュニジアには古代ローマ、ヴァンダル、ビザンチン帝国、イスラム諸王国、オスマントルコ帝国、フランスと次々に支配された歴史があり、地層のように濃密な文化が積み重なっている。チュニス市外のバルドー美術館には世界随一のモザイク画のコレクションがある。チュニジアの歴史は様々に彩られたモザイク画なのかもしれない。

7年前には南のジェルバ島に向かった。地中海に浮かぶこの島にはヨーロッパからの観光客を受け入れるリゾートホテルが林立する。現在イスラムの国でありながら、この島にはユダヤ人が多く住んでおり、ユダヤ教の礼拝所シナゴーグまである。パレスチナ問題から考える我々には意外に思われるが、実はイスラムではユダヤ教徒もキリスト教徒も差別はしない。チュニジアではユダヤ人保護政策を採った時期もある。その一方でパレスチナ解放機構のアラファト議長を受け入れたこともある。しなやかな外交政策に注目する必要がある。

モロッコやチュニジアの旧市街を歩いていると、かつてのマドラサ(聖典クルアーンを読み、イスラムの学問を学ぶ神学校)を見かける。ここでは、異教徒であっても学ぶことができた。イスラムは宗教を超えて寛容であった。その寛容の精神がチュニジアには息づいている。日本ではアメリカというフィルターから世界を見ているため、偏見でイスラムを見ているのではないか。チュニジアを訪れると知識のパラダイムが組み変わる。

チュニジアの町を歩いていると、女性たちがベールを被ることなく闊歩していることに気がつく。多くのイスラムの国では女性が黒いベールに黒ずくめの服装で外出する。そのため、イスラムでは女性差別をすると思われているが、独立に導いた初代大統領ブルギバが女性の社会的地位向上と社会進出を促すために体を覆う民族衣装を廃止した。家族からの結婚強要、夫からの一方的な離婚も禁止した。夫が浮気をすると夫と愛人は重罪に処せられる。それだけ、かつてのチュニジアでは女性が不利な立場に置かれていた。

ブルギバ前大統領は、近代的な社会を築くためには、アラブの伝統的な習慣を破った。断食月(ラマダーン)の昼間にジュースを自ら飲んだ。国民の昼間の経済活動を妨げる断食の習慣は望ましくないと考えたといわれる。さすがに国民の反発を招いたが、イスラムを現代の生活に近づけようとした意図は高く評価される。

暑い一日の終わりには公衆浴場(ハマム)に行く。サウナ風呂にちかい。入口の番台でマッサージをお願いすると、屈強な男の人が垢すり・整体マッサージをしてくれる。勿論、女性の場合はたくましい女性がしてくれる。日本のように素っ裸になってはならない。必ず、下着かバスタオルで局部を隠す。同性であっても見せてはならない。節度を守るイスラムの習慣が残っている。

チュニジアは国家予算の20%を教育に充てている。6歳から16歳までを義務教育として、数年間で低かった初等教育の就学率を100%に近づけた。国立図書館は旧市街(メディナ)の本館のほかに、官庁街に雑誌と新聞を扱う新図書館をオープンした。ベン・アリ大統領の安定した政権で、文化やスポーツにも力を入れている。古代ローマを恐怖に陥れたカルタゴの名将ハンニバルのように世界を脅かすのも近いかもしれない。4年後のワールドカップが楽しみになってきた。


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