独房WORKS

過去7年間のもの

*「インド哲学の愉しみ」『本』講談社、2002.12

〔インド哲学の、哲学としての愉しみを、短く紹介した。インド哲学では、知性は信仰と衝突することなく、ただひたすらおのれの論理のみにしたがって、どこまでも進もうとするのである、など。〕

*"What is absolute absence(atyantAbhAva)”,『木村清孝博士還暦記念論集 東アジア仏教―――その成立と展開』春秋社、2002.11

〔『インド哲学七つの難問』にある「絶対無とは何か」という節の英語版。〕

*『インド哲学七つの難問』講談社選書メチエ、2002.11

〔インド哲学の学問的位置づけを「はじめに」で行う。ちょっと挑発的に見えるかもしれない。本論では、インド哲学で扱われる重要な論題のなかから7つを選び、自分の見解も交えながら、論争史を紹介した。あとの論題になればなるほど難解になっているが、努力すればかならず読破できるはず。インド「思想」史ではなく、インド「哲学」史の入門書的なものとしては、従来にないまったく新たな試みをしたつもりである。1500円〕

*「菩薩と真実(satya)―――大乗仏教の起源をめぐって」『印度哲学仏教史』17,2002.10

〔学術雑誌掲載の論文であるが、一般の人にも読めるはず。自利と利他とをふたつながら目指す菩薩の行である波羅蜜行と誓願行とが、真実のことばは世界を創る(いかなる大願をも成就させる)力をもつというインド人の共通感覚にもとづいていることを明らかにした〕

*(共著)『翼ある言葉』フォーラム哲学編、青木書店、2002.7

〔「神の世界創造は遊戯である」「無はある」「認識主体は認識されない」の3項目を担当。西洋哲学にはほとんどないインド哲学ならではの視点を紹介した。1800円〕

*〔辞典執筆〕 『新イスラム辞典』平凡社、2002.3

〔「ヒンドゥー教」の項目を担当。イスラム神秘主義がインドで大きく開花した理由はヒンドゥー教のなかにあるとの趣旨。〕

*「虚空を『虚空』と呼ぶわけ―――インド哲学の視点から(2)」『春秋』463、2002.2/3

〔普遍と特殊というものは、西洋哲学では、もっぱらその概念の外延の問題としてのみ考察されてきた。これにたいして、ヴァイシェーシカ学派が先導するインドの実在論哲学では、普遍も特殊も、個物に内属する属性であり、かつ、その個物の名称付けの根拠であるとして捉えられてきた。つまり、ある一群の個物をたとえば「牛」と呼ぶのは、それらの個物のひとつひとつに牛性という普遍が内属しているからであり、また、単一のものであって普遍をもたないもの、たとえば虚空を「虚空」と呼ぶのは、その虚空に内属する特殊によるのだということである。〕

*「文化相対主義と知性の崩壊」『國學院雑誌』103-1、2002.1

〔主に文化人類学(ないし構造主義)が主張する文化相対主義は、判断中止説にほかならないこと、非知性の自然主義を助長すること、ゆえに、教養教育を破壊した主犯格は文化相対主義にほかならないことを論じた。〕

*「生きている論理学と文法学の伝統―――インド哲学の視点から(1)」『春秋』435、2002,1

〔古く哲学を生んだ民族はギリシア人とインド人だけである。インド哲学の特徴は、精緻な論理学に支えられていること、そして文法学に由来する強い公理体系志向に貫かれていることである。この伝統ゆえに、今日、IT革命でインド人が大活躍していると考えられる。〕

*『わかる仏教史』春秋社、2001,12

〔仏教史の本は少なく、しかもみな「わからない仏教史」になっていることを憂えて書いたもの。1600円〕

*(星野知子、青木保、小池寿子など20名との共著)『異文化はおもしろい』講談社選書メチエ、2001.11

[小生は「超ロジカルな人々の国インド」を担当。軽いエッセイ集。小池寿子さんは本学の教員で、西洋美術史が専門。1500円〕

*「『勝宗十句義論』を中心に見たヴァイシェーシカ哲学概史」『印度哲学仏教学』16、2001.10

〔一般向きではない。〕

*「絶対無(atyantAbhAva)とは何か」『印度哲学仏教学』15、2000.10

〔一般向きではない。〕

*"Universals and Particulars in the Early VaiSeXikas", The Way to Liberation vol.1, ed. by Sengaku Mayeda. New Delhi: Manohar, 2000

〔一般向きではない。〕

*「インドにおける「真実の力」というもの」『仏教文化』40, 2000.12

〔真実のことば、守り切られた誓いのことばは、大願を成就する力をもつと、古来、インド人は考えてきた。大乗仏教でいう菩薩の誓願も波羅蜜行も、すべて「ことばの力」を頼りにする行であること、インド独立の父マハートマー・ガーンディーが展開した運動「サッティヤーグラハ」が「非暴力、不服従」という反英独立闘争の方法をどんな困難があっても守り抜くことを意味するなど、新しい見解を示した。〕

*「武士道の構造的理解に向けて」『國學院大學日本文化研究所所報』37-4, 2000.11

〔武士道を日本の枠から抜け出す普遍的な行動哲学としてとらえるための方法論を示した短いエッセイ。〕

*(共著)『比較思想辞典』東京書籍、2000.8

〔小生担当項目は「感覚と知覚」「観念論」「実体」「神秘主義」「無分別知と有分別知」。玉石混淆もいいところである辞典なので注意が必要。哲学科研究室に所蔵されているのでどうぞ。〕

*『仏教法数辞典』鈴木出版、2000.6

〔法数というのは、三学、四聖諦、八正道など、数字を付した仏教の基本用語。仏教語辞典は数々出版されているが、法数辞典は本書が最初。仏教の体系的理解にはきわめて重宝な辞典である。本文は一般読者でも理解できるようにやさしくていねいなものになっているが、詳細な索引がついていて学術性も確保している。9800円と高価であるが、仏教をきちんと学びたい人には必携かと。哲学科研究室に所蔵されているので、購入する余裕のない人はどうぞ。〕

*(共著)中村元監修・阿部慈園編集『原典で読む原始仏教の世界』東京書籍、2000.3

〔小生は「原始仏教とバラモン教」を担当。3000円。「原始仏教」とあるが、小生も含め、「初期仏教」と表記する人も多い。〕

*「中村先生とわたくし」『現代思想』1999.vol.27-13

〔かつて小生の指導教官であった故中村元博士への追悼文。学界の最近の風潮も批判。〕

*「新校訂本 漢訳『廻諍論』」國學院大學紀要37, 1999.3

〔重要ではありながらもあまりにも誤訳だらけであるナーガールジュナ(龍樹)の著作の漢訳を徹底的に批判的に校訂。〕

*「ナーガセーナへの問い4----慈悲の危険性をめぐって」『春秋』1999.2-3

〔パーリ語『ミリンダ王の問い』の批判的研究だが、研究者および一般向け。慈悲をニヒリズムとプラグマティズムの枠からはずして仏の全知性と結びつけると、慈悲ゆえの殺人も肯定する危険思想になることを指摘。大乗仏教にも通ずるこの危険思想は、オウム真理教が地下鉄でサリンを撒いて無差別殺人を起こした理屈とまったく同じである。〕

*「ナーガセーナへの問い3----輪廻の主体性的無我説をめぐって」『春秋』1999.1

〔ゴータマ・ブッダの非我説を歪曲した無我説が、理論としては成立しないことを論じた。研究者および一般向け。〕

*(荒俣宏、京極夏彦など5名との共著)『死の本』光琳社出版、1998.12  〔小生は「インド死者の書」を担当。大量の図版を使用しているが、図版選定者は、本学の教員で西洋美術史が専門の小池寿子さん。3200円。なお、本書刊行後数ヶ月で出版社は倒産。古書店でしか入手不可となってしまったのは残念。京極夏彦ファンの本学女子学生が、「京極さんと共著だなんて、先生ってエライんですね」といってきたのには驚いた。ま、動機はなんであれ、学生が教師を尊敬することはよいことで、教師としても教育効果が高まってうれしくないこともない。あはは。〕

*「ナーガセーナへの問い2----現象主義的無我説をめぐって」『春秋』1998.11

〔ゴータマ・ブッダの非我説を歪曲した無我説が、理論としては成り立たないことを論じた。研究者および一般向け。〕

*「『勝宗十句義論』における「分離より生ずる分離」など」『印度哲学仏教学』14, 1999.10

〔研究者向け。〕

*『牛は実在するのだ! インド実在論哲学『勝宗十句義論』を読む』青土社、1999.10

〔徹底的に論理的で公理体系志向に貫かれているヴァイシェーシカ哲学の西暦紀元後5世紀初めの綱要書を詳しく解説したもの。インド哲学といえばおどろおどろしい神秘主義ばかりだと誤解している人は目を覚ますであろう。研究者のみならず、一般読者にも読めるように書いてある。2200円。平成12, 13年度の哲学演習に使用。〕

*(石飛道子氏と共著)『インド新論理学派の知識論----『マニカナ』の和訳と註解』山喜房佛書林、1998.11  〔2800円。インド論理学のなかでも、実在論論理学に徹したナヴィヤ・ニヤーヤの論理学の要点を猛烈に簡潔に記した書物を全訳。詳細な註つき。痒いところに手が届く配慮は十分に施してあるが、しっかり本腰を入れて読まないと、研究者にも難解。平成11年度の哲学演習で使用したが、学生には歯が立たなかったようである。〕

*「初期ヴァイシェーシカ学派の知識手段論」『印度哲学仏教学』13, 1998.10  〔研究者向け。〕

*『日本奇僧伝』ちくま学芸文庫、1998.10  〔900円。旧東京書籍版の文庫化。日本仏教は在家主義的で国家権力によって強烈に統制されてきた。したがって、出家の本懐を遂げようとする一部の出家は、権力の末端機関である寺院から出奔した。二重出家である。だれもできないようなことを敢然と行ったこうした出家たちは、日本仏教史の表舞台にはほとんど登場しないが、人々に感銘を与え、平安時代から鎌倉時代にかけての説話文学のなかで異彩を放っている。本書は、小生自身も感銘を憶える人を選んで評したもの。山野で野垂れ死ぬことが人間としてもっとも正しい死に方であることが理解できると思う。人間到る処青山あり(じんかん・いたるところ・せいざんあり)なのである。平成12-13年度の教養演習で使用。〕

*「ナーガセーナへの問い1----唯名論的無我説をめぐって」『春秋社』1998.8-9

〔ゴータマ・ブッダの非我説を歪曲した無我説が理論としては成り立たないことを論じた。研究者および一般向け。〕

*『ブッダ----伝統的釈迦像の虚構と真実』光文社知恵の森文庫、1998.8

〔序論は「ブッダ観の変遷」で、大乗仏教がゴータマ・ブッダの仏教からいかに懸け離れたものになっているかを明示。小生はアニミストで、仏教の宗派意識をまったくもっていないので、本書は、仏教学者が書いたこの手のものとはまったく異質である。〕

*「解説」唐木順三『無常』ちくま学芸文庫、1998.8

〔インド的無常観と日本的無常観のちがいを指摘。前者は論理的、後者は情緒的。唐木氏の道元研究が、のちの天台本覚論研究と重なることを指摘。〕

*『インドはびっくり箱』花伝社、1998.8

〔1500円。留学やら旅行やらちょっとした研究やらで、小生はインドで長期、中期、短期の滞在経験をいろいろもっている。1991年に、インドは、それまでの社会主義的国産至上主義的経済を投げ捨て、革命的に経済開放政策に転じた。それとともにインド人の風俗、生活習慣、そしてなによりもものの考え方が大きく変化するようになった。その変化の諸相をヴィヴィッドにとらえ、生きているインドを素描しつつ、些末な現象の背後にこそものごとの本質があることを示唆。平成12-13年度の主題講座で使用。〕

*(共著)『信仰の地域史』〈地域の世界史7〉山川出版社、1998.7

〔小生は「地域性の希薄な宗教のかたち----インド諸宗派〕を担当。〕

*(共著)『ブッダ大いなる旅路@輪廻する大地・仏教誕生』NHK出版、1998.6

〔小生は「インド仏教衰退の理由〕という短いコラムを担当。短いながら、今までだれもまとまって論じたことがないことを論じえたと自負している。〕

*「一休宗純という謎」『春秋』1997.12

〔春秋社による『一休全集』刊行に合わせたエッセイ。同じ禅僧とはいえ、良寛にくらべていかに一休をつかみとるのが困難であるのかの理由を述べる。〕

*「初期ヴァイシェーシカ学派の接触論」『インド思想史研究』10, 1998.5

〔研究者向け。〕

*「『勝宗十句義論』における二種の推論」『印度哲学仏教学』12, 1997.10

〔研究者向け。〕

*(共著)小西正捷編『インド』〈アジア読本シリーズ〉河出書房新社、1997.7

〔小生は「輪廻と裁き----死後の世界」「宇宙の暮らしのめぐり----時間の観念」を担当。〕

*『インド死者の書』鈴木出版、1997.6

〔1600円。インド人の死生観の変遷をサンスクリット語などによる原典を紹介しながら自己をめぐる哲学的な問題を追い、オウム真理教を引き合いに出しながら自己責任思想と救済主義思想とのせめぎあいを論ずる。〕

*(共著)井上順孝編『世界の宗教101物語』新書館、1997.4

〔小生は「総説 インド宗教の展開」「バラモン教」「ジャイナ教」「原始仏教」「上座部仏教」「大乗仏教」「密教」を担当。〕

*(共著)井上順孝・月本昭男・星野英紀編『宗教学を学ぶ』有斐閣、1996.10  〔小生は「インド宗教の展開」を担当。〕

*「釈尊と外護者たち」『仏教コミックス通信 しん』1996.6  〔仏教の開祖ゴータマ・ブッダを援助した在家の有力パトロンを紹介。〕

*『仏教誕生』ちくま新書、1996.12

〔680円。最古の成立になる『スッタニパータ』(中村元訳『ブッダのことば----スッタニパータ』岩波文庫)への忠実な入門書となることを企図して書いたもの。ゴータマ・ブッダの生のニヒリズム、経験論、それらに裏打ちされたプラグマティズムの全貌をはじめて明かした書。小生としては、この手のものでこれほど画期的なものはないと確信している。〕

*The Metaphysics and Epistemology of the Early VaiSeXikas. Pune: Bhandarkar Oriental Research Institute, 1996

〔研究者向け。1994-95にかけてインドに留学したときの研究成果をまとめたもの。博士号学位請求論文となった。この書の付篇で、サンスクリット語原典が失われたヴァイシェーシカ学派の古い綱要書、慧月著玄奘三蔵訳『勝宗十句義論』の批判校訂を行い、サンスクリット語を再構成し、文献学的な詳細な註を付した上で英訳した。〕

 

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