しし座流星雨と南天の天の川
天文現象には誰の目にも明らかなほど目立つものから、大望遠鏡でしかとらえられない(物理的なスケールは別として)細かなものまで、無数にあるが、一般の人々にも強い印象を与える現象が5つある、と私は思っている。それはまず、皆既日食・流星雨・オーロラ・大彗星である。言うまでもなくオーロラは天文現象ではなく地球物理学的現象だが、ここでは空(そら)、とくに夜空に見える現象として拡大解釈しておく。大彗星は肉眼で見て尾が2,30度程度以上の場合に限られよう。これらを見ると多くの人々は心打たれるだろうし、日本から見られない場合には海外にまで出かけて行く天文ファンも少なくない。天文現象に詳しい人ならこの4つをあげることには異論がないだろう。私はこれらと並んで南天の銀河も加えて5つとするのである。一過性ではないので「現象」というのは適切でないかもしれないが、極めて印象的な光景である点では他に勝るとも劣らない。この5大現象のうち、私自身はオーロラを除いて一応全部見ており、ここではそのうちで最近目にした2つについてとりあげる。
流星雨とは字の通り流れ星が「雨が降るように」極めて多数出現することである。ただ、本当に文字通り「雨のように」かと言えば、そのようなことも歴史上にはなくもなかったかもしれないが、流星雨の出現例とされていても実際にはそれほどではない場合が大部分だろう。ただ、流星の記憶はいわば残像効果のようなものをもつので、後から思い起こすと空一面に雨のように現れた、という印象を残すもののようではある。昔の絵に描かれているまさに雨のような流星の光景も、おそらくこの残像効果による画家の印象に基づくものであろう。もちろん流星雨はめったに見られるものではなく、大ざっぱに言って一地点では100年に一度程度であろうか。そのような流星雨が昨年11月19日未明に日本あたりで見られたのだ。「しし座流星雨」といわれるものである。
そもそも流星とは、太陽系の空間に漂う砂粒かそれよりやや大きい程度の岩石質の個体が地球とぶつかって大気中で発光する現象であることはよく知られているが、その砂粒は彗星からもたらされたものである。彗星は凍結した水・炭酸ガス・アンモニアなどに岩石質の固体が混ざったものとされている(「汚れた雪だるまモデル」)が、太陽に近づくたびに前者が蒸発するとともに砂粒が軌道上にまき散らされ、その群が彗星とほぼ同じ軌道を動くようになる。もしその彗星の軌道が地球のそれと交差している場合には毎年決まった時期に流星が多く見られることになる。しかもその流星は、砂粒群の運動ベクトルと地球の公転運動ベクトルの差に対応する星座の方向から放射状に現れることになるので、その星座の名前をとって何々座流星群とよばれる。そのもっとも顕著な例は8月12日の夜半過ぎを中心に1時間あたり5,60個程度の出現を見せるペルセウス座流星群である。この他にも流星群は多数あり、年間に見られる流星のかなりの部分は何らかの流星群に属している。そうでない流星(散在流星という)も散逸して目立たなくなった流星群に起源がある。
しし座流星群も同類のもので、通常は11月17日前後の夜半過ぎに10ないし20流星/時間を見せる。しかし1998年秋からはより活発な出現が毎年期待されてきた。この流星群の母彗星であるテンペル・タットル彗星(公転周期33年)が1998年2月に太陽に接近したために、新たな流星物質の放出があったと推定されたからである。実際1999年には地中海あたりで見事な流星雨が出現したという。それが2001年11月19日未明には極東で大出現を見せるだろう、との予測が3,4人の天文学者から出された。同彗星が1699年と1866年の太陽接近時に放出した流星物質の塊の中を日本あたりで見やすい時間帯に地球が通過する、というのである。この出現予測には従来のそれに比べて2つの新しいアイデイアが盛り込まれていた。1つは、放出された流星物質群が運動をする過程で木星の重力によって受ける軌道の小さな変化(摂動という)を計算に入れたことであり、もう1つは、300年あるいは百数十年たっても流星物質の塊はさほど散逸しない、との推測である。しかし後者については疑問視する学者も多く、どちらかといえば、楽観的な傾向のあるアマチュアの間で期待が高まった。しかも新月期で月明かりは全くなく、晴天率も高い時期なので、絶好の条件下である。
さて当夜を私は長野県御岳山の南にある木曽観測所(東大理学部付属)で迎えた。私の専門分野は太陽系天文学ではないので、上記の予測を自信をもって評価することはできないが、もし当たって見事な流星雨が出現したのを見逃したなら生涯に悔いを残すことになるので、見てみるにしくはない。幸い私は翌夜から同観測所の望遠鏡でインドの天文学者と観測をすることになっており、そのインド人が少し早く到着したので、共同研究のデイスカッションのために、私も前日から滞在していた。もちろん流星雨を見ようというのは私だけでなく、観測所の所員やその家族もいた。ここは「光害」が全くなくて星空を見るには絶好の場所なのだ。ある予報によれば、流星出現のピークは2時20分頃と3時10分頃という。しかしすでにかなりの流星が出ているという声で、私が屋上に出たのは1時5分前だった。寒さに備えて厚着をして。流星を楽しむにはほとんど何の道具もいらない。普通の星々と違って、地球の自転に合わせて追尾して光を蓄積するようなこともできないので、写真を撮っても明るい流星しか写らないし、空全体に現れるので、肉眼で眺めるのが一番いい。ただ出現数を数えてみることにした。100個を数えたのは35分後の1時30分で、200個目は1時55分だった。その15分後には300に達して次第に活動が激しくなっているのがわかる。2時30分頃には550を数えたが、同時に2,3個も現れて数え切れなくなり、計数はやめた。東天にあるしし座の頭のあたりの輻射点から放射状に出るが、そのあたりが特に多いわけではなく、空一面の出現である。したがって同時出現でなくても当然かなり数え落としがある。しし座流星群の特徴の1つは明るい流星が多いことなので、一層見応えがある。流星が消えた後、煙状の「痕」を残すものもあり、なかにはそれが10分近く見えていたこともあった。出現数は2時30分頃から4時30分頃まで高原状のピークを示していたが、その後やや減少してきたように思われた。寒さも耐え難かったしで、4時40分頃にひきあげた。結局私がこの夜に見た流星は3000個以上にのぼるだろう。
しし座流星群は今年11月19日にもう1度大出現するだろう、との予測がされている。しかし残念ながら今度は北米あたりである上、月の条件は満月間近で最悪である。その後テンペル・タットル彗星が次に回帰するまでの30年ほどは流星雨は見せそうもない。したがって私にとって、今後再びあのような素晴らしい流星の乱舞が見られる可能性はあまりなさそうだ。今の私の脳裏には、前述のような残像効果により夜空一面の雨のような流星の光跡が残っている。
もう1つ、冒頭にあげた5大天文ショーのうち南天の銀河にもふれておきたい。わが国では天の川を見ることはかなり難しくなってしまったが、市街光の全くないところで見るその姿は美しいものである。とくに夏の宵、南の空にはその最も太く明るく輝く部分が見られる。しかしそれでも高度が低くて大気減光のためにかすんでしまっている。これが、南緯30度あたりの南半球へ行くと、まさに天頂にやってくるのだ。そしてこのひときわ明るい中心部から両側へ流れる天の川が星空を二分する眺めは、夜空の美観としては至上のものだと私は考えている。銀河天文学的にはこれは当然で、渦巻き銀河としての銀河系の中心方向とその円盤を横から見る姿なのだ。私は1985年3月にはじめて天文観測の世界最適地の1つである南米・チリにある米国の天文台へ観測に行った。はじめて見るそのような天の川の光景に私は息をのみ、望遠鏡による観測を忘れて眺め続けたほどだ。その後、チリの空にはやや劣るが、南アフリカの天文台でも見たし、オーストラリアでは何度この眺めを楽しんだことか。私の研究対象の天体は天の川沿いにあるので、出かけるのはいつもその季節なのだ。(1つ言い添えると、この光景は縄文時代前半には日本あたりの緯度で見えた。)
今年5月にもチリへ観測に行ってきた。昨年3月に引き続き5度目である。しかしこの2回とも17年前ほどの感動はなかった。見慣れてしまったせいではないはずだ。2つ理由があると思う。1つは、去年も今年も本来のチリの空ではなく、薄雲が絶えずあって透明度が悪かったこと。もう1つに、人間の眼は加齢と共に水晶体がわずかながら白濁してきて、白内障でなくても弱い光の感度が悪くなる、と聞いたことがあるが、そのせいもあるのではないだろうか。だとすると、これは私にとって大変悲しいことだ。5大天文ショーのうちで1つ見残しているオーロラを見ることになる時にも、もっと若かったなら、との思いをもつかもしれないし。 (2002年6月)