国学院大学法学部横山実ゼミ


ゼミ生とグアムでの春合宿


横 山 実

(この随筆は、國學院大學若木育成会会報第28号から、転載いたしました。)

グアム警察本部捜査課
グアム警察本部捜査課で (Investigation Section in Guam Police Headquarters)

私は、毎年2回、ゼミ生と合宿をしている。これまで、海外で2回合宿をしているが、この随筆では、1回目のグアムでの体験を、記しておきたい。

1994年の冬に、当時の3年生が、合宿先を検討していた。その中に、Z君がいた。彼は、高校時代に、留学の体験を単行本にして出版していた。彼は、その実績で自己推薦入試に合格し、法学部に入ってきたのである。そのZ君が、3年生の仲間を誘って、海外で春合宿をしたいと言い出した。そして、8万円のグアムへのパック旅行を探してきた。その上で、4月からゼミ生になる2年生をも説得し、総勢22名でグアム旅行することになった。

私は、合宿の際には、かならず施設を見学することにしている。グアムには、知り合いの研究者はいなかった。そこで、首都のアガニァの警察署長宛に手紙を書き、見学の希望を申し出た。その手紙は、幸運にもグアム警察本部に届き、本部長のスガムベルリ氏から、見学許可の返事をもらうことができた。

3月28日に、大学の会議に出席した後、研究室で着替えをして、成田空港に向かった。ゼミ生の多くは、初めての海外旅行だった。私たちの飛行機は、午後9時に成田を発ち、翌日の午前1時25分にグアムに到着した。添乗員が付かない旅行なので、ゼミ生は、蒸し暑いアガニァ空港で、緊張した面もちで、それぞれグアムへの入国手続きをした。

ホテルで仮眠をとった後、午前9時半から、パック旅行に付いているバス観光に参加した。台風の影響で雨や風がひどくなり、観光地でゆっくり歩き回ることはできなかった。ただ、土産物屋に留め置かれて、時間を無駄にするだけであった。それでも、一つだけ収穫があった。それは、ホテルや土産物屋には、必ず警察官が駐在していて、観光客のために警備に当たっているのに、気づいたことである。グアムにとって、観光は最大の産業なので、グアムの警察は、観光客が犯罪の被害に遭わないように、警備に抜かりないのである。日本を手本にして作られた交番も、観光客の安全確保のための施設であった。

30日の午前中には、ホテルの一部屋を借りて、ゼミ生に、新聞の記事を材料にして、討論の練習をさせた。それは、春合宿の慣例であった。

グアムでの観光地では、日本語が通じ、日本食を食べることができた。そこで、ゼミ生の中には、沖縄旅行と変わらないと、述べる者がいた。ところで、討論の練習の後、昼食代を節約するために、丘を登って、キング・バーガーの店に行った。そこで、ゼミ生の多くは、注文の言葉が通じないために、頭を抱えることになった。たとえば、日本流に抑揚をつけずにハンバーガーと注文しても、現地の店員は、その言葉を理解してくれなかった。つまり、ハンバーガーの「ハ」にアクセントをおいて発音しなければ、理解してもらえなかったのである。このような体験によって、ゼミ生は、初めて、海外に来た実感を持ち、また、英会話の勉強の大切さを、思い知らされたのである。

午後には、グアムの警察本部を訪れた。広報課のサントスさんの案内で、警察本部の各課を廻った。ゼミ生は、英語を聞き取る力を欠いていたので、私が彼らのために通訳を行った。鑑識課では、薬物の鑑識の装置の説明を受けた。少年課では、少年の被疑者の人権を守るために、取り調べに特別な配慮がされていることを知らされた。交通課では、観光客による交通事故の現状を聞かされた。また、捜査課では、凶悪犯や麻薬犯などの捜査の時に、ライフルやショットガンなどで、重武装して出かけることを、聞かされた。銃や装備の現物を見せてくれたので、捜査官の説明には迫力があった。最後は、本部長のスガンベルリ氏と懇談した。親日家のスガンベルリ氏は、私たちの訪問を歓迎してくれた。私たちに、記念として、キー・ホルダーを贈呈してくれた。

翌年、スガンベルリ氏は、コミュニティ・カレッジの副学長に転身した。私は、彼の招きで、6月に再びグアムを訪れて、彼が組織した講座で講演をした。その講演の後で案内されたのが、太平洋戦争で日本軍が構築した塹壕であった。それは、一流ホテルの庭の片隅に、ひっそりと残されていた。日本人の多くは、ただ観光のために、グアムを訪れている。彼らには、是非とも、グアムに残る激戦の傷跡を見て、戦争の悲惨さを認識してもらいたいと思った。

グアムの夕焼け
グアムの夕焼け (Sunset in Guam Beach)

前に戻るトップに戻る次に進む