国学院大学法学部横山実ゼミ


歌麿の肉筆画三部作「雪月花」は本物か(1)

「品川の月」は偽作


横 山 実

私は、2014年3月5日にNHK総合「歴史秘話ヒストリア」で放映された喜多川歌麿の肉筆画「深川の雪」をビデオに撮っておいて、後日、それをゆっくりと見ました。その肉筆画は、小林忠先生(国際浮世絵学会会長、岡田美術館館長)の本物という鑑定を受けて、岡田美術館が古美術商から購入して、修復したということです。NHKは、2012年の購入時から、小林先生の解説付きで独占取材していました。そして、もう一人の権威である浅野秀剛先生(国際浮世絵学会理事長、大和文華館館長)の本物という鑑定を得て、2014年4月4日から岡田美術館で一般公開するのに先駆けて、「世紀の大発見」として放映したのです。

それから間もない3月12日に、私は、友人の酒井雁高さんから、「深川の雪」は偽作であるというメールをもらいました。そのメールの内容と、その後の酒井さんの調査結果の詳細に関しては、酒井好古堂のホームページに掲載されています。酒井さんの指摘は説得力があるので、私は彼とメールで意見交換しました。その結果、私は、酒井さんが指摘した「深川の雪」だけでなく、「品川の月」および「吉原の花」も、明治時代に作成されたと思われる偽作であると判断しました。NHKで放映された小林忠先生と浅野秀剛先生の説明に疑問を投げかける形で、それらが偽作であるという根拠を、皆さんにお伝えします。

「品川の月」が偽作である根拠

NHKの放映によると、歌麿は、栃木に3回長期滞在して、「品川の月」「吉原の花」「深川の雪」の順番で、雪月花の大作3部を描いたということです。「品川の月」が描かれたのは、天明8年(1788年)頃と推測されています。当時、歌麿は、30代半ばの駆け出しの絵師で、絵本や狂歌の挿絵を描いていたのです。その中で、有名なのは、画本虫撰です。下の絵も、歌麿が駆け出しのときに、狂歌の巻物に描いた挿絵と思われます(後年に巻物を入手した者が、歌麿の署名のある挿絵の部分を切り取ったものと思われます)。

この絵から推測されることは、天明の時代には、歌麿はまだ美人画を描く一人前の絵師として、版元によって認められていないということです。小林先生は、彗星のごとく出現してきた天才絵師歌麿の注目度は高かったので、狂歌仲間の栃木の豪商である通用停徳成が、彼を栃木に招いて、「品川の月」を描かせたと推測しています。しかし、版元から美人画の浮世絵版画を出版してもらっていない時に、通用停徳成が、先物買いで歌麿に大きな肉筆画を描かせたとは考えられません。

江戸という都市は、女性が少ない社会でした。そこで、江戸の人々は、美人画をもてはやしたのです。版元は、多色摺りの錦絵が誕生してから、鈴木春信や磯田湖龍斎という名手に美人画を描いてもらっていました。その後も、版元は、新進の浮世絵師に、当時、人気のある第1人者の美人画を模倣する絵を描かせたのです。そして、人気が出ると、浮世絵師は、独自の美人画を描くことができたのです。湖龍斎の後に、天明時代に第1人者になったのは、鳥居清長です。下の右の絵は、清長が描いた大判の代表作「美南見十二候」(江戸の南に位置する品川の遊里の情景を描いたシリーズ)の中の一枚です。この絵は、天明4年(1784)頃に描かれたといわれています。

天明7年になると、清長は、役者絵を描くために、鳥居家四代目を襲名して、それ以降、美人画を描かなくなったといわれています。しかし、天明期には、彼が描く八頭身の健康美の女性の絵は、多くの絵師によって模倣され続けたのです。下の左の絵は、清長に代わって美人画家の第一人者になった鳥文斎栄之が、品川の遊里を描いたものです。そこでは、清長に倣って、八頭身の立美人が描かれています。

歌麿が肉筆画「品川の月」を描いたといわれる天明8年当時は、このように清長風の美人画がもてはやされていたのです。それなのに、「品川の月」では、清長風の美人が描かれていません。これが、「品川の月」が偽作である根拠の一つです。西洋美術を崇拝する多くの日本人は、この肉筆画がワシントンDCのフリーア美術館に保存されていることで、本物であると信じているようですが、それは間違いです。

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