國學院大學日本文化研究所 所内研究会
黒崎 浩行
hkuro@kokugakuin.ac.jp
平成9年7月29日
総合プロジェクト「インターネットによる学術情報発信」では、 7月1日の日本文化研究所ホームページ 公開を皮切りに、インターネットを通じての学術情報の提供を開始した。
本発表では、今日の日本における人文科学分野の研究において インターネット利用の水準はどのようなものかを概観し1、今後の課題を提示したい。
インターネット (the Internet) は、企業、教育・研究機関、政府機関などの組織の コンピュータ・ネットワーク同士を相互に接続したネットワークのネットワークで ある。現在ではほぼ世界中をカバーし、1000万台近いコンピュータが接続されている という ([nikkei] 14頁、[murai] 2頁)。 インターネットを代表する組織は1992年1月に発足した インターネットソサエティ (ISOC) で あるが、これは「インターネットとインターネットの技術、利用に関しての 国際的な協力、協調を行う組織」([wide] 3頁) であり、 実際の接続の維持や、各種サービスの提供などの管理・運営は、 接続しているそれぞれの組織が分散的に行っている。
國學院大學ネットワーク (KUIN: Kokugakuin University Information Network、1996年7月運用開始) の場合、大学内のネットワークおよび接続された コンピュータについては大学が管理しているが、 インターネット接続のために JOIN協会 (東京理科大学に設置) という 学術ネットワーク組織に参加しており、 その接続先のネットワークおよびコンピュータの管理は JOIN が行っている。
インターネットの起源は、1969年に米国で ARPA (高等研究計画局) が軍事研究目的で 設立した ARPANET である。このときに開発された TCP/IP というプロトコル (コンピュータ・プログラム同士のデータ交換のための規約) が事実上の標準と なって普及し、全米の大学・研究機関がこの TCP/IP プロトコルによるネットワーク 間接続に参加していった。その後1986年に NSF (全米科学財団) が構築した NSFnet が ARPANET にとって代わったが、企業の営利活動目的での利用が 増加していったことにともない、1995年に NSFnet は解消され、 複数のインターネット接続サービス企業による相互接続としてインターネットは 維持されることとなった。
日本におけるインターネットの先駆けは 1984年10月に発足した JUNET である。 JUNET は遠隔コンピュータ間の相互接続実験として、東京工業大学・ 東京大学・慶應義塾大学を一般公衆電話回線で結ぶことで始められた。 1988年には TCP/IP 接続による学術ネットワーク、WIDE プロジェクトが発足する。 これとは別に地域ネットワーク、および全国規模のネットワークプロバイダが 出現していった。米国と同様、このころからインターネットの商用利用が 増え、1995年の「インターネットブーム」を経て現在に至っている。
インターネットに参加する組織は当初、 自然科学系学部のある大学や研究機関、企業などが中心であった。 日本で人文系の研究機関が本格的にインターネットに参加するようになるのは 1993〜4年ごろからで、国立民族学博物館 ([yamamoto] 57頁)、 東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所 (以下A・A研と略) ([aaken] 26頁)、 国立歴史民俗博物館 ([suzuki] 63頁)、 国文学研究資料館 ([hara] 46頁) などが相次いでインターネット接続を 開始した2。 これらはいずれも、以前よりメインフレーム・コンピュータ上で 研究資料データベースや目録データベースの構築を進めてきた研究機関である。 その研究者への公開は、自機関内の計算機センターや、文部省学術情報センター (1986年に大学共同利用機関として設立) のデータベース検索サービスを 通じて行われていた。こうした公開の方法に代わって、 利用申請の要らないインターネットによる公開への移行が図られている。
インターネットに接続されたコンピュータのユーザー同士で メッセージをやりとりする手段として最も広く使われているのは電子メールである。
従来のコミュニケーション手段に対する電子メールのメリットは以下の点にある ([wide] 133頁)。
最後の点の応用として、「メーリングリスト」がある。メール配送サーバーに対して、 あるアドレスにメールを送ると複数の人に同じ内容を送るような仕組みを施すこと により、電子メールによる会議グループを構成することができる。
ネットニュースは、複数の人で議論をするためのシステムである。 ユーザーは自分の接続している組織にあるニュースサーバーから記事を読み出したり、 記事を投稿したりすることができる。投稿された記事は、インターネット上の 他のニュースサーバーへとバケツリレー式に配送されていく。 テーマ別にニュースグループが分かれており、ユーザーは購読・投稿する ニュースグループを選んで利用する。
FTP (File Transfer Protocol) は、インターネット接続されたマシンの間で ファイルを転送するためのプロトコルである。通常は承認されたユーザーしか 接続先のマシンにアクセスすることができないが、anonymous というユーザー名で 誰でもアクセスできるように一部のファイルを開放しているサーバーがある。
anonymous FTP サーバーは、ソフトウェアや文書などの配布に広く用いられているが、 WWW の登場以前は学術情報の公開手段としても活用されていた。
WWW (World Wide Web: 直訳すると「世界規模の蜘蛛の巣」) は、その名の通り インターネット上に散らばったあちこちの文書が縦横無尽にリンクをなしている 一種の巨大な文書データベースである。文書にはテキストだけでなく、 画像、音声、動画など、さまざまなマルチメディア・コンテンツを含めることが できる。 ユーザーは WWW ブラウザと呼ばれるきわめて操作の容易なソフトウェアを使って、 自由に閲覧することができる。 近年の「インターネットブーム」はこの WWW によってもたらされた。
以上の代表的なサービスのほかにも、ビデオカメラを使ってリアルタイムの テレビ会議のようなことができる CU-SeeMe や、複数の参加者がそれぞれ キャラクターを演じて行動する MUD (Multiple User Dungeon) などがある。 現在は WWW がことさら大きく注目されているが、インターネット上のサービスは まだ発展の可能性を秘めている。
電子メールは研究者個人間で交わされるものなので、主要な動向というものは なかなかとらえがたい。だが、次のような傾向をかいま見ることができる。
一方、メーリングリストは特に学会・研究会や共同研究の連絡手段や議論の場として 有効活用されている例をみることができる。
人文系研究におけるコンピュータ利用の中心はテキスト処理である。 そのためのソフトウェアは研究者自身によって開発されることもあり、 その多くはフリーソフトウェア3 として anonymous FTP サーバーを通じて入手することができる。
その代表的なものに、以下のようなソフトウェアがある。
また、各種のテキストデータも anonymous FTP サーバー上で公開されている。
現在では、386の人文系研究機関が WWW ページを公開するに至っている ([goto])。
WWW は今日、研究機関としてだけでなく研究者個人の情報発信のメディアとしても 活用されている。ここでは WWW 活用の現状をジャンル別に見ることにする。
多くの研究機関が WWW を通じて取り組んでいることの最大公約数はこの部分に あり、一般の人々への広報をねらったものが大半である。
研究資料データベース、目録データベースは従来、計算機センターの メインフレーム・コンピュータ上で構築され、利用に当たってはその機関に 赴いて申請手続きを経なければならなかった。
今日では、こうしたデータベースも WWW を通じて公開されるようになった。 その代表的なものに、東京大学史料編纂所の SHIPS データベースがある。 SHIPS (史料編纂所歴史情報処理システム) は1984年より開発され、 「古文書・聖教類データベース」、「古文書画像データベース」、 「全文テキストデータベース」、「大日本史料索引データベース」、 「中世記録統合索引データベース」、「維新史料綱領データベース」、 「蒐集史料管理情報データベース」が構築されて公開利用がなされてきた ([ishigami] 74--75頁)。 これらは、史料編簒所の WWW ページからアクセスすることができる (http://www.hi.u-tokyo.ac.jp/cgi-bin/todai/txlogin)。
また、花園大学国際禅学研究所 (http://www.iijnet.or.jp/iriz/irizhtml/irizhome.htm) では、禅籍を中心とする膨大な東洋仏典情報を公開している。 日本で情報交換に用いることのできる漢字コードはわずか6,000字のため、 これを超える漢字を定義して情報交換するための独自の方法が開発されており、 それをユーザーのパソコン環境で検索・表示するためのツール類もともに 提供されている。
データベースは、公開に至る前に、 資料の性質の分析にもとづいたデータモデル設計の方法論、 挿入・削除・並べ換え等のデータベース操作のためのプログラム開発、 利用者に公開するためのインターフェースの開発など、 データベース構築のための基礎的な研究の蓄積が必要とされる [yaegashi]。 このような蓄積は各研究機関の貴重な資産ともなるが、 同時に研究会やメーリングリスト等、さまざまな機会を通じて学界全体での共有化を 図るべきものでもある。
こうした大規模なデータベースに対し、研究者個人で作成されたデータベース、 電子資料館も存在する。伊藤鉄也大阪明浄女子短期大学助教授による 源氏物語電子資料館データベース (http://www.mahoroba.or.jp/~genjiito/) では、 『源氏物語』に関するさまざまな情報が蓄積、公開されている ([yasunaga] 232頁)。町田和彦A・A研助教授の「ヒンディー語電子辞書」 (http://www3.aa.tufs.ac.jp/~kmach/hnd_la.htm) は、ヒンディー語の 任意の語形をユーザーが入力すると、その解析結果を表示する。
このほか、個人研究業績を全文公開した Web ページは数多く存在する。
学会、研究機関で発行する紀要、論集、会報を WWW で公開するという試みは、 日本にはまだあまりみられないが、 南山大学宗教文化研究所 (http://www.nanzan-u.ac.jp/SHUBUNKEN/) では、 Japanese Journal of Religious Studies 掲載の論文を一部全文掲載している。
インターネット利用を電子メールを中心とする双方向的な研究者間コミュニケーション の側面と、WWW を中心とする調査研究のための情報発信の側面に分け、それぞれに ついて課題を挙げておきたい。
インターネットを通じ、とくに外部に籍を置く共同研究員や遠隔在住の研究者と 積極的に研究交流を行う機会が得られる。これは、日本文化研究所の設立趣旨にある 「内外研究機関との連絡および資料の交換」にとって大きなメリットである。
しかし反面、メーリングリストなどによる研究者間コミュニケーションの充実は、 コンピュータを使わない、またはインターネットに接続していない研究者との 情報格差をもたらすことにもなる。 現在のコンピューティング環境はすべての人間にとって易しいものではなく、 あくまで発展途上のものという認識をもたなければならないだろう。 そのうえで、インターネット利用を積極的に支援するための人的・経済的体制を 整備していく必要がある4。
大山敬三 (学術情報センター) [oyama] は、インターネットにおける 学術情報流通の問題点として、以下の4つを挙げている。
インターネットを通じて調査研究のための情報を得ることが日常化してくると、 常に新しい正確な情報が提供されていることが不可欠になる。 逆に、それが保証されなければ、いつまでもインターネット利用が定着することは ないであろう。これまで大規模データベースを運用してきた実績のある研究機関では こうした体制がすでに整っているが、新たに WWW で情報提供を始めるところでは 情報の安定供給のための体制づくりについて理解を深めておく必要がある。
今日、インターネットでは膨大な量の情報が提供されており、利用者は 得た情報が信頼に値するものかどうかを見極める鑑識眼を求められるほどに なっている。発信する情報については内部での十分な検討に加え、 第三者による評価を得て、客観的な信頼性を確保するようにしなければならない。
データベースやオンライン・ジャーナルなどにおいて網羅性を確保するには、 著作権の問題をクリアしたり、他の研究者の協力を得るなど、組織的な協調体制が 不可欠である。また、蒐集した情報を秩序ある仕方で提供し、利用者の便宜を 図ることも必要である。
日本文化研究所のインターネットによる情報発信はまだその緒についたばかりで ある。しかし、これまでの数々の参考書籍・研究成果の刊行を通じ、 情報発信のためのノウハウについてはすでに大きな蓄積があるといえる。 この資産を応用しつつ、しっかりとした基盤整備に取り組むべきであろう。
1. 海外の人文科学研究における実例にははるかに先進的なものが数多くある。 それらを日本にいながら手軽に享受できるのもインターネットの魅力の一つだが、 ここでは扱わない。
2. 国立民族学博物館はこれ以前に、1988年に JUNET に接続している ([yamamoto] 57頁)。
3. 「フリーソフトウェア」 free software とは、 主にパソコン通信やインターネットを通じて 公開されているソフトウェアの一種で、ユーザーが自由に利用・改変・ 再配布できるものである。 ただし、フリーソフトウェアとして扱う、ということはあくまで著作者による 著作権表示にもとづくのであって、 著作権の放棄を意味する public domain software (PDS) や、再配布は自由だが 使用にあたってライセンス料を請求するシェアウェア shareware などと 混同しないように注意したい。 フリーソフトウェアの精神を唱える代表的な運動は Richard M. Stallman が主宰する GNU プロジェクト である。
4. A・A研 COE 非常勤講師 (1995--6 年度) としての私の職務の一つは、 外国人客員教授を含む全研究員がインターネットを自由自在に利用できるよう アドバイスすることであった。