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今後の能力主義の人事〜終身雇用変革の予言はあたらず

竹中 康浩

1 これから能力主義はどうなるのだろうか

 現在の不況の中能力主義化の人事制度が盛んに叫ばれている。しかし現在までのところこれは企業にとってのコスト削減政策と言う色が強いように思われる。先日あるテレビ局がアンケートを取っていたが、最近では、リストラ関係のニュースが大きく取り上げられているせいか、能力主義に賛成している若い従業員が減っているらしい。つまり、従業員にとって能力主義とは、結果を示せば、高い報酬が受けられるということよりも、リストラや企業側にとってのコスト削減の色が強くなったといえるだろう。ではこれから能力主義とは、どうなるのだろうか。

 産業構造変革の緊急性とそれを実現する重要な手だてとして労働の流動化の必要性が叫ばれている。産業構造が変われば、もちろん雇用構造も変わらざる得ない。産業構造が変われば、もちろん雇用構造も変わらざる得ない。産業構造を変えるために労働市場の仕組みを迅速に変えろといわれるのなら、それは、簡単ではないと答えざるを得ないが、失業率は急上昇しており、その意味では、「流動化」が、着実に進んでいるとも言えよう。長期安定雇用(いわゆる終身雇用)の仕組みとそれを支える勤続給的賃金決定の仕組みを抜本的に変革する時期が到来したと言う指摘は、以前から再三繰り返されてきた。しかし、その予言はあたらなかった。従業員の平均勤続年数は、むしろ長期化する現象が見られたのである。

 もともとこれらの仕組みは、高度成長の時代に最も適合する性格のもので、またそれゆえに定着したのだから、その前提条件が変わった以上、経営原則の「構造改革」があって当然と言える。事実変化は始まっている。たとえば、株の持合にはすでに減退の兆しが見える。この傾向が、進めば、企業統治が変化するゆえに、長期雇用待遇の従業員(正社員)の比率は、低下する。

 また、社会保障制度が充実するにしたがい、その不足分を補う機能を果たした企業福祉制度の必要性も薄れ、その意味でも大企業を中心に長期雇用のメリットが薄れるだろう。

 けれども日本の経済制度は、慣性が強い。制度の各部分が、その全体像に強く依存しているので、部分的な修正は難しい。雇用の流動化が、労働市場全体の構造変化を前提にしている以上、1企業だけ流動化に踏み切るのは無理がある。しかも安定雇用は、大企業を中心とする戦後日本の労使が、労使協調の前提条件として高度成長期の前夜に、暗黙の協約を取り交わした最重要事項であるから、経営側としてもこれを安易に保護することはできない。

 消費不振が続く一因は、長期安定的な雇用がどれだけ続くかをめぐって誰もが人知れず不安を抱いていることに在るのではないかと思われるが、この危機感いっきに増大させる方向での改革は、トップマネジメントとしては、慎重にならざるを得ないだろう。それに過去の判例に照らせば、「やむを得ざる理由」のない解雇は、裁判所によっては、否認される可能性が大きい。

 それだけではない。現代の職場では、個々の企業に固有の「特殊技能」がありしかもその技能は、働きながらの訓練(OJT)によって獲得されるとすれば、長期安定的雇用の比率が高まるのは当然である。賃金カーブも、勤続年数が増大するにしたがって上昇する右上がりの形をとるだろう。

 人的資本理論によれば、この場合、仕事の経験が浅く技能の習熟が、不充分な段階では賃金は限界生産征を上回り、逆に、後年技能を修得した段階では、賃金は限界生産性を下回る

 しかし、生涯をならせば、勤労者の経済的貢献の総計の現在価値は、企業が支払う総計の現在価値に等しい。いずれにせよ、ある一時点で比較的高齢な従業員の給料が若い従業員の報酬額よりはるかに高額でも、その人が後輩達に負担増強いているとは必ずしもならない。

 しかも、企業に固有の特殊技能の場合には、職能の所有権(使用権)は、その大半が働く本人ではなく、企業に属する。それなのに、高度成長時代に、技術革新の迅速な導入に積極的に協力して安いコストで能率向上に貢献しその対価の一部として長期雇用を期待してきた従業員が、能率改善の成果を十分に受け取らないまま退職を迫られるとしたらアンフェア(期待権の侵害)だと言うべきだと思う。

 

2 モデルになる英国の評価制度

 要するに、外的な大ショックがこない限り、労働慣行の変化は、緩慢にならざるを得ないかもしれない。しかし雇用の流動化を促す方策は皆無ではない。現代の労働市場は、そこで取引される労働サービスの質や、その内容の透明度が低い。労働供給者の職能に関する情報や、求人情報の不足などが目立つ。つまり労働サービスは、スポットの市場取引向きではない面が大きい。当然これは、労働取引のすれ違い(ミスマッチ)の原因ともなる。

 これら市場の不完全性を多少でも改善すれば、いわゆる「流動化」にも貢献できるだろう。たとえば、職能資格制度など、雇う側が、求職者の職能を理解しやすくなるような仕組みの整備は有益だろう。多種多様の職業適性検査を充実するのも良いだろう。他方、職業情報の増加のためには、職業紹介ネットワークの拡充をはじめ、既存の職業ハンドブック類(電子情報を含む)の普及や、職業選択を支援するための体験機会や情報を提供する「職業体験プラザ」の開設などが考えられる。職業教育の内容に立ち入った改革案としては、近年試みられているような、現代的な新しい「職人」的訓練システムを工夫しても良いかもしれない。

 このシステムでは、職業技能後とに評価(値づけ)できるよう、したがってその報酬(賃金)も仕事の成果によってスポット的に評価できるよう、技能のモジュール(単位)化をはかる。

 また職業教育に際しては、できるだけ十分な予備知識のもとに第一次職業選択を行い、訓練過程に参加した後は、在学中からの研修生(インターン)としての職業の実習に参加し、訓練終了後は、資格試験を通過したものが、一定期間の実地体験を経た上で就職する仕組みにする。再訓練や、「敗者復活戦」も奨励する。

 もしこうしたプランが実現すれば、職業情報の透明度は、大いに高まるだろう。技能の所有権を働く人の手中に取り戻すためにも良い。訓練費用は、原則として、働く個々の人々の負担とするが、選択やり直しに伴うリスクは、訓練奨励金制度を設けて救済すべきだ。

 もっとも、職業能力は、容易にその全貌をあらわさない。若年のときにはもちろん、かなりの年配になってからでも、「自分は、このような才能があったのか」と驚くこともあると思う。だから、生涯学習の概念には、大きな意味がある。言いかえれば、新規の職業開拓を志す人々には、日ごろから新しい能力の開発の機会を持つ意義は大きい。

 

3 個人の自立・教育の改革

 そのために、公的職業訓練でも、サービス的職種や、ホワイトカラー的機能を含め、対象職種の多様化に力を入れているし、昨年末に始まったプログラムには5年に1回、20万円を上限に、職業能力の自己啓発に必要な学費の一部を補助する仕組みがある(ただし対象は、雇用保険の加入者のみ)。

 この種の事業は、教育のための資本市場が不完全である事実から見て、今後さらに拡充すべきだろう。利用制限なしに、例えば専業主婦でも、希望者には、返還制だが、低利子または無利子の職業訓練資金を、潤沢に提供するファンドを設けているかどうか。同時に、自前で調達した再教育費用には、所得税控除制度を設け、税制面から奨励することも検討に値する。

 これらの措置と平行して転職を阻害する制度的要因を除去する努力が望まれる。例えば、もし退職金制度を存続させるのなら、退職金取得の権利を、転職先での同様の権利と接続可能にする必要があるだろう。

 雇用慣行の変革に時間がかかるのが必然であるだけに、長期的対策のビジョンも必要である。その中心となるのは、変動する職業構造に対処できる柔軟な人材を用意するのにふさわしい、講義の教育制度のモデルである。

 その目的は、自立した個人の確率であり、ポイントとして、@創造的な思想を伸ばすため、対話形式の(その意味で弁証法的な)教育法を大幅に採用し、カリキュラムの画一化を避ける。A知性・慣性・情緒のバランスを重視し、全人的な学習や、自然との接触に重きをおく。Bあらゆる教育が、講義の職業教育(キャリア形成)に通じる事実を認識し、「純粋」教育と「職業」教育との差を設けないと言う3点を揚げたい。

 自立するとは、他者や組織によってとらわれないことであり、逆に、他人をコントロールしないことを意味する。といっても個人個人がばらばらになるのではない。むしろ、人と人とのつながり(社会性)を大切にするような、支柱となる新しい倫理システム(従来は、社訓とか、企業理念とかがその代用を勤めてきた)の工夫が必要となるだろう。

 ここまでで述べたように、現在の構造システムでは、企業が望むような人事制度を作るのは難しい。しかし、今後、教育システムを変化させて、個人が、個人のための職能技術を持った場合、現在企業が行うとしている能力主義、そして個人をいたわる能力主義は出来上がるのではないかと思う。

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