元気君の9年間の歩み

〜物に触れることから文章を綴るまで〜

国学院大学 柴田保之

 

T.はじめに

人間の外界のとらえ方や感じ方、運動の起こし方というものが成立していく道筋を大切にしながら、手作りの教材を通して関わるということを根本にすえるとき、私たちは、その道筋と教材の関係について、一定のよりどころとなるものを必要とする。そして、私たちは、これまでのたくさんの実践研究の積み重ねの中から、その手がかりを数多く得てきた。例えば、学習の中で、ボールを穴に入れるという行動が見られた時、その行動はその道筋の中でどういう意味を持つのか、あるいは、どのような学習を通してどのような行動へと発展していくかなどについて、私たちは多くの実践や考察から学んできた。そして、そういう整理を通して、私たちの実践は、単なる場当たり的なものではなく、ある筋道だったものになっていく。しかし、それは、時として、実践の固定化を生みやすいことや、その枠に縛られ目の前の現実を見誤らせてしまうこともある。私たちの実践はいつもこうしたジレンマの中にあると言ってもよいだろう。

私に関しては、教材を決められたプログラムとして並べることには強い抵抗を感じてきたが、少なくとも、子どもの外界のとらえ方や運動の起こし方の道筋やその背後にある空間の構成のプロセスなどについては、積極的に整理を進めることを通して、できるだけ私たちの実践をより系統性のあるものへとしていくことを目指してきた。そして、それが実践の固定化や事実の誤認を生みかねないことについても、敏感であろうとしてきた。しかし、それを言葉で述べることは簡単だったが、現実には多くの固定化した実践と、事実の見誤りを生み出してきたこともまた事実である。

今回、ここでまとめる実践は、私のこうした実践の固定化と事実の誤認とを何度も繰り返す中で、進められてきた実践である。実践はいたずらに速さを競うものではなかろうが、本来、現在の場所にもっと速く到達すべきところを、ずいぶんと時間をかけてしまった。このことは、深く反省すべきことだ。そして、今、こうして一定の成果として報告ができることは、ひとえに、その遅々とした歩みにもかかわらず長い年月にわたって関わることができたおかげであるといってもよいだろう。

この背景には、私自身の甘さがあることはもちろんだが、また、まだまだ未開拓の領域が存在していたことも事実である。そのことを先に述べておくならば、子どもが起こす運動の背後には、その子どもの外界のとらえ方や運動の起こし方の原則が存在するだけでなく、子どもによってはその子ども独自の運動の調整に関わる困難が存在しているという事実である。つまり、目の前の行動は、確かにその子どもがどのように外界をとらえているかを何らかのかたちで表すものであるのだが、そこには、障害という条件に特有のハンディがあって、結果的に目の前の行動から推察されたその子どもの外界のとらえ方や運動の起こし方の原則を、実際のその子どもの水準よりも低い水準のものとしてとらえてしまう危険性があるということである。

それは、さらに次のようなことをも意味している。一つの運動が新たに成立するためには、その原則の高次化が必要であるだけではなく、場合によっては、その困難に対する適切な理解と援助というものが必要であるということになるのである。私たちは、子どもの自発ということを重視してきたため、目の前の子どもの行動は子どもが主体的に選択したものとして見なす傾向がどうしても強くなりがちであったのだが、子ども

 そして、このことは、具体的には、一つは手の運動の問題に表れ、もう一つは、発語の問題に表れていた。手の運動については、行動として表れる手の運動が、特有の運動の調整の困難に負うところが多かったにもかかわらず、外界のとらえ方の表れと判断しすぎたため、外界のとらえ方の水準を低く判断することが続いたということ、発語については、やはり特有の運動の困難のために発声ができないでいることを、それを言語の水準の表れと判断して事実を見誤ることが続いたということである。

 

U.元気君との関わり合い

1.元気君のこと

ここで報告する藤村元気君は、現在中学2年生で、町田市内の中学校の肢体不自由学級に通っている。私たちが関わり合いを始めたのは、1997年4月のこと。元気君の通っていた通園施設の障害の重い子どものグループから「かりんくらぶ」という自主グループが生まれ、元気君もそのメンバーの一人だったのである。なお、私が直接参加するようになったのは、それから8ヶ月ほど経過した12月からのことになる。

元気君は、物をさわったり握ったりすることから始めて、少しずつ学習を進めてきたが、現在、2つのスイッチを操作してパソコンで文を綴るようになった。思いのたけを文章で綴る姿に出会うということは、当初の私たちの予想を大きく超えたものだった。私たちの予想を軽々と超えていく子どもたちの可能性のはかりしれなさを、元気君から、あらためて学ぶこととなった。

 なお、元気君の学習については、すでにまとめられた資料があり(註1)、その資料を適宜参照した。 

 関わり合いは、非常におおざっぱには、次の4つの時期に分けて、まとめたいと思う。なお、関わり合いは、2001年度までは月に2回、20022003年度は2か月に3回、2004年度以降は、月に1回のペースで続けられた。

2.学習の経過

(1)物に触れることから、入れることへ(1997年4月から)

1)物に触れることから

 元気君は、最初の頃(19974月から9月)は歌が好きで、歌に合わせて両手で拍子を取ってたたいたり、ドラムをたたいて、曲の終わりなどに力の入った声を出すなどの様子が見られた。タイミングの調整には苦労していたようだが、それが力が入りすぎているためであるということがはっきりわかるようになったのは、最近のことである。また、物に対しては、手に物を持たせようとすると、涙があふれ、口を尖らせるというように非常に慎重で、新しい物に不安を感じている様子が見られており、右手に棒を持たせると、手首を回してすぐに落とすというような状況であった。

そんな中で、でんでん太鼓に初めて手を伸ばして取るということが起こり、棒の部分を持ち、手首を振って音を鳴らしたりした(199757)。さらに、椅子に座り、前方やや下に置いたぶらさがりシロフォンを手で握って揺らして鳴らすなどの積極的な手の使い方も見られるようになってきた(199762日)。

 姿勢については、背もたれのない箱いすに座ると、両手を肘を曲げた状態でばんざいをするように上げ、両足も床から上げ、腰の支点だけで懸命にバランスをとろうとすることが多かった。

2)スポイトスイッチと缶転がし

 こうした中で、19979月から提示したスポイトスイッチと玉入れのために用意した缶をころがすことに興味を示すようになり、関わり合いは安定したものになっていき始めた。

フレキシブルスイッチの先端にスポイトをさしたスポイトスイッチでは、スポイトの蛇腹の部分を口の近くに提示すると、唇を近づけて触れ、口の中に入れて、しばらく口の中で確かめてから離し、繰り返しているうちに勢いよくはじけて大笑いするということも起こった。そして、しだいに、手を伸ばしてスポイトをつかみ、揺らしてから放すようにもなった。

 一方、大きめの缶のプラスチックのふたにゴルフボール大の穴をあけた物を提示したところ、介助してボールを押し込むと、落ちた音や缶の中で転がる音を聞き、音が止まると、缶に手を伸ばして触れ、缶を動かして音を出すということが起こったので、ボールの入った缶を横にして転がるようにすると、積極的に缶に手を出して、音に伴う缶の動きをよく見るようになり、机から落ちたり、再び机の縁から出てくるのを予測しながら見るようになった。

 また、このプラスチックのふたをはずした広口の缶の状態では、ボールを缶の上で離し、入れることができたが、見ることについては、手を伸ばす前に見ることはあり、そこに先取り的な目の使い方が認められたものの、手の運動をずっと追い続けることはできなかった。

3)アクリルの筒の玉入れへの発展

 199712月に、玉入れの一つとして透明のアクリルの筒(直径はゴルフボール大)にゴルフボールを入れる教材を提示した。ゴルフボールを持ってから穴の方へ移動させようとする元気君の手の動きに合わせることができ、また、入れる場所に関して視覚的にも触覚的にもはっきりしていたため、元気君にはわかりやすい教材となったようで、ゴルフボールの離し方に関して変化が見られた。すなわち、最初の頃は、握ったゴルフボールを筒のふちにぶつけてから離していたのだが、筒の先端より下の方から上に向かってゴルフボールを沿わせながら上に移動していき入り口に触れてから離す、ゴルフボールを空中で移動させて筒の入り口の上の方に持っていき、そこでいったん上向きに手の平を回転させてから離して落とす、さらに、その手の回転をせずにそのまま指を開いて離すというように、離し方を変化させていったのである。

 この時、目に関しては、運動をずっと追い続けることは困難だったが、手の運動が始まる前やあとにはアクリルの筒をよく見ていた。

 手の運動を見続けるような見方は、その必然性が本人の中に生まれてくればできるようになると当時は考えており、見続けることを可能にする外界のとらえ方はすでに可能であるにもかかわらず、手を伸ばすための力が全身に入りすぎて見ることを妨げているだけだとは考えきれていなかった。なお、この見続ける必然性とは、当時の考えでは、入れる方向の調整を含んだ棒入れや電池入れなどのような教材において生じるもので、物に手を伸ばす時や玉入れの際に目がそれることは、むしろ見ないことの必然性の表われと考えていたのである。しかし、今から考えれば、ゴルフボールを入れる際の手首の調整に、すでに、ここでいう棒入れに相当する手首の調整があったのである。

 元気君は、アクリルの筒にゴルフボールを入れた後、その筒を傾けた時のゴルフボールの移動を見ることが好きになり、最初は、こちらが見せていたが、自分で筒をもって手首をひねりながらゴルフボールの移動を作り出そうとするようになった。この面白さは見ることの面白さなので、眼前で筒の動きを作り出し、それを見ようとすることが多かった。

4)形のはめ板の試み

 アクリルの筒への玉入れを続けていく中で、まるの板をまるの穴に入れるというはめ板の学習も試みるようになった(19985月)。私たちの学習に対する一定の仮説からすると、ボールを穴に入れるという学習は棒を入れる学習へと発展し、さらにまるや三角、四角などのはめ板につながっていくという道筋が意識されていたのだが、手首の調整のむずかしさから棒さしはあっていないと感じられたので、まるのはめ板を提示した。しかし、位置の微調整などに困難があったため、独力ではすっきりしたかたちで入れることがむずかしく、どのようなとらえ方をしているのかがなかなか読み取れなかった。しかし、同じ−違うの学習への発展を考えると、どうしても形の学習をさけては通れないということと、形の学習にはやはり、はめ板学習が最適であるとの考えも強かったので、この学習は続けていった。

5)運動の調整と方向の分化をめざす学習

 運動の調整の学習として、取っ手をつかんで操作してスイッチを入れチャイムなどの音源を鳴らす教材も一貫して取り組んでいる(199710月〜)。この当時、元気君にとってもっとも大切なのは、物を入れることに代表されるような物と物との空間的な関係づけと考えていたが、力の調節が容易ではない元気君にとって、運動感覚による調節を伴って運動を方向づけることの学習として、こうした学習はその土台になると考えたからである。前後に動かす、左右に動かす、回転させるなど、様々な運動の方向性を含んだ教材を元気君は非常に喜んでやった。こうした学習は、物を入れる以前の手の使い方で十分に行える学習と考えていたが、今から振り返ると、元気君にとっては、そうした方向を視覚的にとらえる学習にもなっていたことが明らかである。

6)パソコンを用いた学習

 こうしたスイッチ操作の発展として、1スイッチで操作するパソコンのソフトにも取り組み始めた(19989月〜)。最初に取り組んだのは、MES(障害者とコンピュータ利用教育研究会)で入手したソフトの中の、マウスの左クリックのみで操作できるソフトで、元気君は、特に、カードめくりというソフトで、スイッチを押すと画面上で10枚のカードがめくられていき、最後にロケットが発射するソフトを非常に好んでいた(註2)。その後、ソフトを自作するようになり、アニメが完成して音楽が流れる様々なソフトを使用するようになった。

 ただし、操作としては単純だが、視覚的には変化に富んだこうしたソフトを元気君がどのように理解しているかということをとらえる枠組みを私たち自身が持ち得ていなかったため、その教材の展開については、まったく見通しを持つことができなかった。

(2)同じ−違うをめぐる試行錯誤と入れることの発展(19995月から)

1)実物や色の分類および文字のスイッチの試み

同じと違うということをめぐる学習については、形のはめ板で行っていくという考えが強かったのだが、上述したように1枚のまるの板に1個のまるの穴が対応するという学習しか行えなかったため、はめ板では同じ−違うの学習につなぐことはなかなかむずかしかった。そこで、試行錯誤的に、2個の透明のビンに同じ物を分類する学習を導入した。

最初に使用したのは、ケーキや果物などおもちゃのミニチュアだった(1999年5月)。これに対しては、分類するよりもその物自体を持とうとして、うまくいかなかったのだが、この時に、イントネーションなどから「ケーキ」「かき」と聞き取れる音声を元気君が発しているのがビデオに記録されている。力の入った不明瞭な声ではあるが、現在の私たちは、まったく自然にそれを言葉として聞き取ることができる。だが、残念ながら、当時は、そう言ったような気がしたということ以上の意味を見いだすことはできなかった。  

また、この頃、50音の出るおもちゃを改造して、文字カードを押すと声の出る教材を試行錯誤的に提示していた(19989月〜)。その学習でいきなり文字の学習をするつもりではなかったのだが、スイッチ操作の延長線上で取り組んだものだった。そして、その時も、その音をまねるような声や口形をすることがあったのだが、こちらも、やはりそれ以上に意味づけをすることはできず、こちらの見通しのなさからこの学習は打ち切っている。

ミニチュアの分類はなかなかうまくいきそうになかったので、色のついたゴルフボールの色分けを行うことにした(1999年6月)。具体的には、あらかじめ2個の透明のビンの中に赤、青、黄色に彩色したゴルフボールのいずれかの色を1個以上入れておいて、それを見本として、分類するものだった。目の動きを見ていると、入れるべき方を見ているように思えることもあったのだが、いったん入れようとすると、右側の方に運動が起こりやすくなってしまうため、確実に分類できているのかどうかがなかなかわからず、継続することはできなかった。今から振りかえると、これは、後に取り組んだ分類の学習とほぼ同じ形式の学習であり、ここに大きな展開のきっかけがあったのかもしれない。

2)入れることの発展としての円盤転がしや玉転がし

こうしたことと並行して、物を入れる学習の発展として、円盤転がしや玉転がしの教材にも取り組んだ(19997月から)。これは、アクリルの筒の学習で見られていた移動するものを追う元気君の目の使い方を受けたものである。こうした教材では、円盤を置く位置や玉を入れる位置が決まっている場合が多いが、元気君はそこへ円盤や玉を持っていくことが難しいため、置いたり入れたりする場所を広くとるようにした教材を提示した。この段階で、元気君が物を正確に入れたり置いたりできないことの理由が、必ずしも元気君の空間のとらえ方そのものを反映しているのではなく、力が入りすぎて抜けないことによるものであるとの認識が私たちにも生まれ始め、学習の中ではそのことを考慮していかなければならないと考えるようになってきたのである。元気君は、こうした円盤転がしや玉転がしは非常に喜び、私たちも、この時期非常に強い手応えでこの学習を進めることができた。選択的な状況ではなかなかはっきりとした行動にならないのとは対照的だったと言ってよいだろう。

3)はめ板の学習の発展

一方、はめ板の学習では、まるや三角、四角のはめ板を選択的な状況ではなく、入れる学習を、(1)の時期からずっと継続してきていたのだが、なかなか独力で入れられないという状況が続いていた。そんな時に、長方形の板の上に描いた絵(ドラえもんなど)を縦あるいは二分割にした絵合わせのはめ板を提示した(20008月)。入れ方は、溝付きの枠を用意したので、板を滑らせればよいようにしておいたのだが、非常によく見ながら、板を滑らせて入れることができた。

手の操作に比して、視覚的には十分に絵をとらえることができていることが推察され、選択的な操作はむずかしくても、もっと複雑な内容のものを行ってもよいのではないかと考え始めたのである。そして、少しずつではあるが、いろいろな絵の絵合わせや大小や長短の系列化のはめ板、数字を切り抜いたはめ板なども提示するようになった。こうした板を持ってしまうと選択的な方向づけはむずかしいのだが、入れるところは援助し、それを視覚的にとらえることで学習が進むと考えたりしたからである。

こうした状況の意味をはっきりと私たちが理解することができたのは、2002年の1月の関わり合いである。持った物を移動する際の方向づけが難しいのは、肘を曲げている時で、肘を伸ばした状態で肩から先の腕全体を一本の棒のようにして方向づけを行うと、うまくいくのではないかと考えたのである。そこで、机をとりはらって、腕がのびきった位置になるくらい低い位置でびんへの玉入れをやってみた。すると、ほぼ正確にびんの位置へボールを持って行くことができ、それは場所を変えてもうまくいった。このことから、机上での学習では、肘を曲げながら運動を方向づけなければならないことが多く、それが方向付けを困難にしていたと考えられたのである。つまり、肩、肘、手首を同時にコントロールすることと、主として肩をコントロールすることの違いなのである。

 学習を進めるにあたっては、机はやはり必要なので、机をとりはらったのはこの時だけだったが、このことに気づいたことは私たちにとっては決定的な意味をもった。つまり、出されている選択的な課題に対して、すでに十分に理解しているにもかかわらず、手が思うように動かないために選択的な行動として表現できていないという視点で、元気君の行動を見ることができるようになったのである。そして、改めて、その観点から選択的な状況の課題として形の学習などを始めることにした(20023月)。そして、形はもちろんのこと、大中小、5段階の大小などが、十分に理解されているということが伝わってきたのである。こうした学習を経て、元気君には、もっと複雑な弁別学習が必要であるということが明らかになってきたのである。

4)パソコンを用いた学習

 パソコンの学習については、ずっと継続して続けており、4回スイッチを押すとひらがなが完成するソフトなども導入し始めていた(20017月)。こうした学習においても、何らかのかたちでひらがなの文字の区別がなされていることにも、しだいに確信がもてるようになっていった。

(3)分類箱による分類の学習(200210月から)

 元気君の認識の世界がようやく私たちにも納得したかたちで伝わってくるようになっていく中で、新しい展開につながるようなできごとが起こった。はめ板の教材では、この頃、枠の板は、底のないものを使用していたので、これを使ってスケッチブックにまるや三角、四角をいっしょに描くことにしたのである。そして、まるの輪郭線の図形が描いてある一辺が5pの正方形の木の板のカードをわたしたところ、まるの絵の上に納得したような様子で置いた。これは三角、四角においても同じようにうまくいき、形の学習に、それらの輪郭線の図が描かれた木の板のカードを使ってみてのいいのではないかという考えが浮かんだのである。

 そして、さっそく次の回から二つの容器を使った輪郭線図形の分類に取り組むことにした。容器は、最初、以前使用した透明のびんなども試みたが、最終的に紙の箱に落ち着いた。

 とりかかりは、分類のはめ板に使う実際のまるや三角、四角の木の板のカードを使って分類をし、まるや三角や四角の輪郭線の図形の分類、「+」「×」「L」「T」などの線図形の分類、さらに、さいころの模様のようなドット図の分類から、文字の分類へと進んでいった。入れ方としては、カードを持って肘を伸ばしきった状態で、目的の箱に手を伸ばし、入れるというもので、最初は、箱の中にあらかじめ入っている見本となるカードをしっかりと見たり比較したりすることがむずかしい場合もあるが、最初からきちんと見ることができたり、実際に分類をしながらよく見ることができていれば、きちんと分類をすることができて、きちんとした区別ができていることに驚かされた。

 その中で、線図形「+」と線図形「T」では、同じものとして分類して本人も納得しているような感じがあったが、こうしたことはむしろまれで、よく見たか見なかったかということが結果に影響を与えるというかたちで学習は進んでいった。

 弁別する内容については、この時期は、元気君にとってほぼ一貫してわかりやすいものが続いたことになるが、じっくり見ることによって、より細かな弁別が可能になっていったのではないかと考えている。

 また、パソコンの学習においても、スイッチを押すと名前が一文字ずつ画面に現れていくソフトも導入し、非常に興味深く見るということがあり(20031月)、また、タッチパネルを導入してから(20034月)は、カードの見本に対して、タッチパネル上の2個のかな文字のいずれか同じ方を選択するというようなソフトにも挑戦し、分類課題と同じようにうまく弁別することができるというようなこともあった。 

(4)2スイッチワープロによる文字表現の学習と数の学習(2003年12月から)

1)聞き取った言葉や決めた言葉を選ぶ文字の弁別学習と平行して行っていたパソコンの数の学習で、タッチパネルに触れるたびに数字が1、2、3と発声を伴いながら増えていくものをやっていた時、軽く手を添えてスイッチを小さい力で押せるようにしておいてあげた状態で、選ぶべき数のところまでリズミカルにタッチパネルに触れていき、そこで運動を止めるということが見られるようになった。そこで、2スイッチワープロを使って、50音の中から文字を選ぶ事を試みた。すると、具体的には、「ふ」を選択する場合には、元気君が「は行」までタッチパネルに触れて動きを止め、そこで私たちが決定のスイッチを押し、再び「ふ」の文字まで元気君がタッチパネルに触れて動きを止め、私たちが決定のスイッチを押すというものであった。初めてにもかかわらず、選ぶべき場所で動きを止めることができ、止めた時には、表情や発声でもそこを選んでいることが伝わってきた。

書く内容については、こちらが提案した言葉にしたり、元気君の言葉から聞き取った言葉にしたりしたが、しだいに、自分で発声しようとすることが増えてきた。なお、スイッチ操作については、20043月からは、タッチパネルに触れるのではなくプッシュスイッチを押すことにした。

20052月に、仲間のかんなさんが亡くなるというできごとがあり、元気君に、かんなさんへのメッセージとして「かんなさんさようなら」と書いてくれないかと提案したところ、「かんなさんさようなら。」と書き、さらに「げんき」と付け加えた。なお、この日から、スイッチの操作については、プッシュスイッチを2つ並べて、以前からの行や段を進めていくスイッチを止めた時に、決定の方のスイッチへと手を導くようにした。

2)自発的に文字を選択する

20053月からは、書く内容をあらかじめ決めずに、元気君の手の操作だけで文字を綴ることとした。濁音や半濁音、拗音などで困ることもあり、書いている内容から推測して、そうした表記の方法について説明をすることもあった。

書く内容については、どんどん深いものになっていき、小学校を卒業して中学校に入学したこと、入学した中学校ではがんばるという意志が表現されたり、20057月からは、家族の話題が何度も登場するようになって、元気君の深い内面というものがかいま見られるようになってきた。文を綴るというところまで到達したことも、私たちにとっては、驚きだったのだが、その深い内容にいたっては、まったく想像すらできなかったことだった。

大学受験で忙しい兄と母との間にコミュニケーションの行き違いが生まれた時(もちろんそれはどこの家庭でも起こるできごとなのだが)、元気君は、その間で重要な絆の役割を果たしていたそうで、その心配を言葉にした。そして、春になってまた平穏さが戻ってきて、その喜びも感嘆符のついた文として表現されている。

また、最近は、ローマ字を学校で覚える機会があったらしく、アルファベットの画面を自分で出して、文章の最後にサインのようにローマ字で名前を記すようになった。

なお、終始、元気君の手に私たちの手を添えており、実際に、スイッチ間の移動をする際には、私たちが実際に元気君の手を動かすので、私たちが操作しているのではないかと疑われる可能性がないわけではない。ただ、元気君は、自分の意図と違う動きを私たちがした場合に、声を出して違うということを表現してくる。元気君の意図を無視して私たちが元気君の手を動かすということは現実には不可能なのである。

3)数の学習の試み

文章を綴る関わり合いの中で、2度、数の学習に取り組んだことがある。200512月には、10=○+□という形式の10の分解を行った。自分でタイルを入れるのは大変なので、タイルを見せたりしながら問題の意味を伝えていったが、10=9+□、10=8+□、10=7+□という形式で問題を出したところ、それぞれ正解を選択した。

また、20066月には、かけ算について面積の図で説明した後、2の段のいくつかについて問題を出したところ、それぞれよく考えるような間があった後、正解を出した。

これらは、学習と呼べるほどのものではなく、何かを積み上げていったものではないが、元気君の中に、すでに、数の体系ができあがっていることをうかがわせる。ただ、それがどのようなものかを知るのはこれからだ。しかし、少なくとも、こうした数の体系の存在自体が、やはり周囲の予想を大きく超えるものであった。

4)発声について

ワープロの学習では、自発的に文字を選ぶようになる前、元気君の発した言葉を何とかして聞き取って、それを選ぶということに取り組んだが、ここで、元気君の発声についてまとめておきたい。

元気君の発声は、最初の頃は、「アー」とか「パパパ」、「プププ」といった音で、喃語のような音声が中心だった。これは、細かな息の調整や口形の調整などが困難であるためだったが、このような中でも、時折、「できた」・「はいった」(1998年度)というような音声が学習の終わりに伴うことがあった。当時は、これを簡単な音声の模倣という以上の意味づけを与えられなかった。

その後、そのように聞こえた気がした言葉として記録のあるものを上げておくと、「え」・「ま」・「たっくん」・「あお」・「あう」「ケーキ」「かき」(1999年度)、「(3)こ」(2001年度)、「さんかくかいた」・「ま(る)」・「げんきかいた」(2002年度)、「いぬ」・「ととろ」・「ぱん」・「け−き」・「ぷーさん」・「(と)けい」・「ねーちゃん」・「あけ(る)」(2003年度)などがある。これらも、イントネーションなどから推測されたものであるが、今から考えるとこれらは立派な言葉だったわけである。

さらに、ワープロの学習に入ってからは、文章を打つ前に話かけながら聞いていくと、「ケーキ」「こてくん」「たっくん」・「かれー」・「じゅーす」・「おかあさん」・「びでお」など(2004年度)。「せんせい」・「まる」・「いけ(て)」・「あし(た)」(2005年度)などを聞き取ることができた。これらは、私たちも、はっきりと言葉として聞き取ろうとしたものであり、そのような私たちの聞こうとする態度は、元気君の発声への意欲を高めたようだった。

 

元気君の言葉

 

ふじむらげんき、おとうさん(2003.12.26)

げんきひこうきおかあさんふじむらけーきこてつ(2004.2.13)

けへき、おちゃたっくんかれえ。(2004.3.5)

けーきじゅーすおおたさん (2004.4.23)

びでお (2004.7.23)

なつやすみうみはこだておばあちゃん。(2004.8.27)

くおかあさんびでおおねがい (2004.9.24)

げんきはかこいな。 びでお (2004.10.22)

おおたかき (2004.11.6)

くりすますけーき (2004.12.24)

かんなさんさようなら。げんき (2005.2.25)

(ここまでは、いっしょに書いた文章。以下は、完全に自分で選択して綴った文章。)

そつぎょお (2005.3.25)

がっこうがんばる。せんせいがまる○○○△△△。(2005.4.22)(○○○△△△は、学校の先生のお二人の名前である。)

せんせいとがんばります (2005.5.27)

ぼらんてぃあやろうおおたさんちからづくよ (2005.6.24)

げんきずしいきおかあさんに、たのしくたべてもらう。 (2005.7.23)

いけてよかつた。おかあさんいけてきげんがよいたつくんなやみで (2005.8.26)

げんきひまつぶし(ショートステイ施設の名前)でたべたさみしかつた (2005.9.30)

あしたがつこおでこんくーるだからがんばらないと (2005.10.28)

けーき。11.25  (2005.11.25)

10=9+1.10=8+2.10=7+3のふさんたさんぷれぜんとおねがいしますのは、くりすますけーきですよ。 (2005.12.24)

せんたーしけんたつくんおわればやつとらくになりかあさんちょっとうれしい(2006.1.27)

たくみくんが○○○だいがくにゆうしうかればうれしい。 (2006.2.24)

なまえはとにかくらくながくぶにはいればいい (2006.3.24)

たくみくんとおかあさんがなかがよくなっちゃった!FUJIMURAGENKI (2006.4.28)

たんじょうびけえきかってねみんなでたべよう。たくみくんがびっくりするよ。ともだちよぶのだいじょぶ?FUJIMURAGENKI (2006.5.19)

たくみくんにもっとあせらずにべんきょうーしてね。FUJIMURA 

8+2=10!3+7=10,2×3=62×8=16,2×9=18 6.23 (2006.6.23)

すてきなしゃしんでしたよ。けっこんおめでとうございました。よかった!FUJIMURAGENKIどれみるのいいよ。のんちゃん(2006年7月28日)

よくみにいらっしゃいましたね。いなばせんせい、ずっとまえ(8.25)

おかあさんげんきかなどうしてるかなー。いいりょこうができるかなー。すばらしーりょこうになりますようにいのってます(9月22日)

 

V.まとめ

 昨年、全国大会で発表したのは、かりんくらぶの仲間の一人、かんなさんだった。もっとも障害が重いお子さんと考えられていたかんなさんが、文章を綴ったというできごと、そして、その半年後に亡くなったというできごとは、このグループでの関わり合いに、深い影響をもたらした。それまで障害が重いと考えて言葉の世界の可能性について深く考えてこなかった3人のお子さんが、かんなさんが亡くなるまでの半年の間に文章を綴った。そして、元気君が自分の思いを自発的に綴るきっかけとなったのは、かんなさんの死に接して書いた文章だった。

 みずから言葉の世界を持ちながらそのことを長い間表現し得なかった心の世界とはどのようなものなのだろうか。

 かんなさんのことをきっかけに文章を綴るようになったはるなさんは、最近、こんな文章を綴った。

「くいちがうことがおおくてなみだいっぱいでましたよ。せんぱいのひとにからかわれておおきなかなしみをかんじました。のはらくんいてくれてたすかりました。みかさんもやさしくてわかってくれてうれしくおもいました。なかまのかなしみをわかってくれるともだちがいてかなしみもやわらぎましたよいことでした。」

 私たちは、「のはらくん」と「みかさん」を実在の生徒だと思った。ところがたまたまそこにいらっしゃっていた学校の先生方は、そんな名前の人はいないという。そこで、はるなさんにその二人のことを尋ねてみた。するとこんな答えがかえってきた。

「わたしのこころのなかのえんぎしゃです。わたしがつくりました。」

 そして、私が先生方にはるなさんの動きについて説明していると再び、こう綴った。

「からだはうごかなくてもかんがえていています。」

 これは、あくまではるなさんの思いだが、様々な思いが一人一人の感じ方に応じて存在しているはずであることに敏感でありたいと思う。

 アセスメントという言葉が最近よく使われる。確かに、子どもの可能性を、事前に予測できるのならばそれに越したことはないだろう。しかし、私にとって子どもの可能性は、いつも事実が生まれた後になって初めて明らかになるものだった。そして、いったん事実が生まれてしまうと、いつか当たり前のことになってしまう。元気君の今回の報告も、今のこの時点で振り返れば、当たり前のことに気づけなかったことの羅列となってしまっているが、私たちなりに精一杯であったこともまた、偽らざるところなのだ。

 私たちは子どもたちを前にして、根拠のない夢物語を語ることは許されない。しかし、いつか明らかにされる子どもの可能性は、今、自分の想定しているものを超えたところにあるということもまた真実である。現実をしっかりとらえながら、しかし、常に未知の世界を見据えるまなざしを持ち続けなくてはならないということをつくづく感じている。

 

註1.柴田奈苗「げんきくんとの9年間の学習をふりかえって考えたこと 視覚と手の操作の高次化と文字を綴るまでの歩み」 NPO法人 彩・彩主催「障害児教育実践セミナー」資料(2005年)

註2.加地守氏広島県立西条養護)作、「カードめくり」(MES自作教材集CD-ROM97所収)