東日本大震災への思い

障害の重い人たちの言葉から

國學院大学 柴田保之

 

 2011311日、東日本を襲った地震と津波は、大地をゆさぶっただけではなく、すべての人の心をも激しくゆさぶった。大震災以降、私がお会いする重い障害のある方々もまた、みな、その心の激しいゆれを語った。その数は50名近くに上る。そして、重い障害とともに生きてきた方々の表現した言葉には、その状況を生きた者にしかわかりえない思いがずっしりとこめられていた。

 この報告では、その中から重複障害教育研究所に通所する井上神恵さん、中村舞さん、川路健正さん、名古屋和泉さんの4人の声を紹介していきたい。なお、4人とも長い通所歴を持っているが、この3年ほどの間にパソコンを通じてその内面の言葉を表現することができるようになった人たちである。中村さんと川路さんについては2009年に、井上さんについては2010年に本研究会で報告した。なお、引用した文章は句読点のないひらがなの文章だが、適宜漢字をあて、句読点をくわえた。

 

1.4月10日:井上神恵さん、中村舞さん、川路健正さん 

 重複障害教育研究所で大震災後に初めて言葉を聞いたのは、翌日で地震からひと月目を迎えるという日だった。最初に語ったのは井上神恵さんである。彼女のお父さんは福島の原子力発電所の付近の町のご出身なので、ご実家の町は、地震と津波の被害だけでなく、原子力発電所の事故でも多大な被害を被った。そんなことを踏まえたところから文章は始まった。

 

「みんな悪いことなど何もしていないのになぜ亡くならなくてはいけなかったのでしょうか。小さい時からお父さんに連れられていった町がなくなったことがとても悲しいですが何とか亡くならずにおじさんが元気な声を聞かせてくれたのがせめてもの救いでした。(…)早く家に帰ることができたらと思いますが、原発はなかなか放射能がなくならないみたいなので迷惑だと思いますが、とても澱んだ空気を体に浴びると大変なので日本中が心配していますが、誰を責めるわけにもいかないので仕方ありません。(…)亡くなった人の中にまだ小さい子どももいたのがつらかったです。なぜ小さい子どもまで犠牲にならなくてはならないのかとても理解できませんがどうにかしてそういう子どもの魂がわずかであっても救われたらと思います。人間はちっぽけな存在だということを思い知らされた出来事でしたが、つくづく世の中ははかないと思いました。わずかな希望は、私たちのような障害のある人間だけは苦しみの意味を知っているので、その経験が何かの支えになればと思います。(…)理想は私たちの声を被災地に届けることですが、寝ずに考えてもいい方法は浮かびませんでした。小さい声ですが私たちの声も届けられたらと思いますが何とかなりませんか。日本のろうそくになれたらなどと大きなことも考えました。わずかなあかりでも何かの役に立てたらと思いました。」

 

井上さんがもっとも深く問いかけているのは、この大震災がいったいなぜ起こったのかということである。その問いに明確な答えを与えることは誰にもできないが、そこから彼女は、人間の存在の小ささとはかなさを思うとともに、「障害のある人間だけは苦しみの意味を知っている」という言葉にある通り、この大災害を自分の障害と重ね合わせて、大震災の苦しみと障害との苦しみに相通ずるものを見出し、苦しみの意味を知っている自分たちの経験が役に立つのではないかと思うにいたった。だから彼女は「私たちの声を被災地に届けたい」という強い願いを持ったのである。

この日は、中村舞さんもまた大震災への思いをたくさん秘めてやってきた。

 

「地震について話します。ランプの明かりが消えそうな思いで生きていました。なぜこんなに悲しいことが起こるのか本当に不思議でしたが、魔法のようにすべてがなかったらいいなと何度も思いました。唯一の救いは私たちにも希望があるように被災地の人たちにも希望があるということです。みんな何もかもなくしてもまだ希望があるということが救いです。未来を切り開きたいので私たちはもっと大きな声で本当のことが言いたいです。私たちのような存在でも未来があるようにどんな状況にあっても人は希望を失わないということです。」

 

その気持ちは驚くほど神恵さんと共通である。やはりこの悲しいことが起こる理由がわからないということと、自分の障害と重ね合わせた上で自分たちにも未来があるのだから被災地の人にも希望はあるはずだということを彼女は語っている。

2人と同世代の川路健正さんもまた、同じような思いを語った。

 

「ぼくは地震が起こってからずっと地震と津波のことばかり考えていました。でも、あんなにたくさんの人々が亡くならなくてはいけなかったのかがよくわかりませんが、何か大きな意味があると思うのですが、そういうことを言うと被災地の人に悪いのでもう少しそういう言い方は避けようと思いますが、なかなかそういう気持ちがなくならないので、いつも悩んでいます。何か大きな意味があるなら乗り越えられると思うのですが、何も意味がないならどうしようもなく空しいだけだと思うのです。でも何か大きな意味があるのなら、それがわかれば乗り越えられると思うのですが、なかなかその意味がわからなくて困っています。」

 

 川路さんもまた、いったいなぜこんな災害が起こったのかを疑問に思い、そのことを、災害にも「何か大きな意味がある」のではないかと表現した。おそらく彼は意味そのものを求めているというよりも、「何も意味がないならどうしようもなく空しいだけ」という絶望や虚無感をどうやったら向こうに押しやることができるのかということを懸命に探し求めていたにちがいない。そしてそれは、まさしく彼が幾度となく自分の障害と向かい合う中で繰り返してきたことだったはずだ。

ここで川路さんに、希望を語った中村さんの言葉を紹介した。

 

「ぼくもそういうことも考えました。(…)ぼくたちはずっと苦しんできたのでよく被災地の人たちの苦しみがわかりますが、そんなにわかるわけでもないのでそれは言いませんでしたが、同じように考えていました。でもそれはまだ言葉に出せないように思っています。まだ、みんな悲しみの中にいるのでそういうことは言えません。でもみんな同じように地震や津波のことを考えていたとは思いませんでした。(…)ぼくたちは理不尽な障害を持って生まれてきたのでその理不尽なところが共通です。」

 

「理不尽なところが共通」という言葉は深く突き刺さってくるような表現だが、この文章には、彼もまた、この大震災と自分たちの障害とを重ね合わせているということが表されている。川路さんの言葉には、まだ明確なかたちでは希望は語られていない。だが、何か意味があることがわかれば乗り越えられるはずだと懸命に考え続けている。その背景には、彼がこれまでの人生の中で、自分の障害の意味を考え抜き、その中で希望を見いだしてきたという事実があるはずだ。そして、このあまりにも大きな災害はそのような考えをたやすくは許してくれないが、必ず希望はあるはずだという願いがそこにはこめられているように思われる。

 

2.5月15日:中村舞さん、川路健正さん

 5月の通所指導でもまた、震災について語られた。

最初は中村舞さんの言葉である。

 

ずっと考えているのは地震のことです。(…)もう少しで私も生きる希望をなくしてしまいそうでしたが、ろうそくの明かりがともったのは全国から支援が届いて被災地の人たちも何とか望みをつなぐことができているからです。(…)小さい私たちの存在ですが、理想はとても高いので空高く昇ってゆけるように頑張りたいです。もう少しで被災地も落ち着くと思うので、私たちもそろそろ涙を拭かなければなりません。みんなもどうにかしてもう一度希望を取り戻そうとしていると思うので、私もまた元気に未来を願うのを日常にしたいです。わずかな希望でもあれば人は立ち上がることができると思うので、何とかなるというそういう気持ちを取り戻したいです。夢を取り戻そうという気持ちがまた湧いてきてよかったです。私たちの友だちはみんな無事でしたが、本当に被災地の障害者のことが心配です。人間の問題が突きつけられたので私も毎日そればかり考えてしまいます。問題をどうにかして乗り越えたいと思います。

 

「わずかな希望でもあれば人は立ち上がることができる」という思いは、おそらく中村さんが自分自身の体験の中で得てきた思いだが、震災からふた月が過ぎ、日本中の人々が心を寄せているということが具体的な希望となり、ようやく悲しみと絶望の淵から立ち上がることができたのである。

 そして、川路さんも、次のように書いた。

 

「なぜこんなに津波で人が亡くなってしまったの。不思議で不思議で仕方ありません。みんなのことがかわいそうで、僕はいつも泣いています。でももう少しのしんぼうですね。もう少しで被災地の希望を取り戻せそうです。でも私の家や私の子どもを返してという人たちの声は消えませんが、いつかそういう人たちも希望を取り戻せると思いますからいつかそういう日が来ることを信じています。こんなに悲しいことがたくさんあったので私たちのように苦しみを経験してきた者はいつかこの経験を生かしてみんなの役に立てればと思いますが、まだまだ僕たちのことは理解されないので残念ですがもう少しのしんぼうですね。」

 

 彼もまた、希望を取りもどしつつあるが、語り口は慎重だ。被災地の人の悲しみが容易には癒えないことを心から理解した上で、自分たちの障害の経験が役に立つことがあるはずだと述べている。

 

3.6月26日:名古屋和泉さん、中村舞さん

 6月の通所指導では名古屋さんと中村さんの二人がパソコンで対話をすることができた。

 

名古屋「万人にとって全く未経験の話でとても私は理想を失いそうになってしまいましたがようやく理想を取り戻すことができました。私の理想はどんなときでも人は希望を失わないということですが理想がなくなりそうでした。ランプの明かりが消えてしまいそうでした。ランプの明かりは私には見えませんが私にとっては希望の象徴のようなものです。私の理想は私などのように障害を持っている人間にとってはとても大切なものです。私たちは理想がない世界ではただの困った存在に過ぎません。私たちにとって理想があるところだけが私たちの存在を認めてくれる世界です。まさに中島先生がそういう世界を理想としていた先生でしたが場所だけではなくそこに宿る精神こそが大事です。唯一の場所というわけではありませんがとても精神の優れためったにない場所だと思います。中島先生の精神を受け継いだ知子先生を中心にした先生たちがまだまだよい精神を守ってくれているので私たちは安心していますが、中島先生の話をもっと多くの人たちに聞いてほしいのですが、もう元気な姿にも声にも接することができないのがとても残念です。中島先生の録音テープをまた今年も聞けるのがとても楽しみです。」

中村「茫然とした人たちは茫然としたところからもう脱したのでしょうか。私はそれが心配です。よそのどうでもいい話はよく聞こえてくるけれど、茫然とした人たちのことがあまり紹介されないのがなんだかとても気がかりです。みんな肉親を亡くしてもう生きていられないと思った人はどうなったでしょうか。

名古屋「私は茫然とした人たちはどうしているか全然わかりませんが、理想がないとその人たちは生きていけないということだけは事実だと思います。私たちは何度も茫然としてきたのでもう慣れてしまいましたが、なかなかむずかしいことでしょうが私たちは勇気を出して訴えていかなくてはなりません。中村舞さんもきっと同じだと思いますが、私たちはまるで津波にあったのと同じような障害を持ってきたので茫然としていてもいつかは初めは立ち上がらないわけにはいかないのは変わらないでしょう。私たちの理想はどうしても世の中には伝わりにくいのでまなざしを高く持って世の中に向かっていかなくてはいけませんが、なるべくなら世の中の人に伝えてもらえたらうれしいです。(…)中島先生にも私たちの感謝の言葉を伝えたかったです。」

中村「ぜひ私たちの言葉を伝えましょう。どんなに小さな存在でも私たちには理想があるということを伝えてほしいです。私たちの希望は誰でも理解できるようなものではありませんが、みんなにもわかってもらいたいです。理想さえあれば私たちは生きていけますがなかなかそのことがわかってもらえないので勇気を出して頑張りたいと思います。」

名古屋「地震はまだまだ人々を涙の中から解き放ってくれないけれど必ず人々は立ち上がれるはずです。それは私たちがすでに証明してきたことですから。」

中村「私たちの声を必ず届けてくださいね。よろしくお願いします。」

 

大震災を通して理想が重要であるということが再確認され、そこから改めて自分たちのことを振り返ると、「理想がない世界ではただの困った存在」「理想があるところだけが私たちの存在を認めてくれる世界」ということが改めて再認識されている。そして、重複障害教育研究所という場所がその理想を宿した場所であるということに話が及んだ。

そして中村さんはそれを受け、「茫然とした人たちは茫然としたところからもう脱したのでしょうか」と問いかける。これは、震災から日が経つにつれ、「どうでもいい話はよく聞こえてくるけれど」本当に心が傷ついた人たちに大切な話が聞こえなくなってしまったことを危ぶんだものだ。それに対する名古屋さんの答えは、だからこそ理想が語られなければならないという強い主張を帯びている。そして、二人の気持ちはそこから自分たちの声を届けたいというふうに発展していく。もちろん、それが容易ではないことは十分承知した上でのことだが、二人はその役目を私に果たすよう申し入れてきた。それは、まさに、この全国大会での発表を念頭においたものである。

 

4.7月10日:井上神恵さん

 710日は井上神恵さんの話は,現実的な言葉から始まった。

 

「いい気持ちだったのにまたばかばかしい政治家の話で残念です。行き過ぎた政治家の言葉はよくないけれど、なぜなのかわからないけれど名ほどある人があのような様子ではではどうしようもありません。満足のいく人はいないのかもしれないけれど何とかならないのかと思ってしまいます。私たちにとってランプの明かりをともしてくれそうな人は被災地の人たちです。(…)私たちのような存在にとっては理想がないと何ともならないのにさっぱりわからないのは理想を語る人がいないことです。もっと高い理想がないと私たちまで生きる希望を失ってしまいそうです。ランプの明かりが消えてしまわないように私たちをもっともっと世の中で発言させてもらえたらと思ったりしています。なかなかむずかしいとは思いますが私たちにしかわからないことがあると思うので、私たちにも今回だけは言わせてもらいたいです。私たちにとってわずかな希望は理想さえあれば人間は生きていけるということです。まだまだ復興には時間がかかるのかもしれないけれど、私たちのようにずっと黙々と生きるしかなかった人間にとっては、よい地域の絆や人々の理想こそが大切だということがよくわかっているので、理想こそが今必要だということは自明の理です。悩みは尽きないかもしれないけれど理想さえあればろうそくに明かりはともるはずです。」

 

 6月の名古屋さんと中村さんの言葉に呼応するように、大震災の発生から時間が経過するにつれて理想が語られなくなったことの危惧を表明し、その危惧が自分たちの障害と深く関わっていることが語られる。すなわち、自分たちは理想がないと生きてゆけないことと、理想さえあれば人間は生きていけることを知っているという認識だ。そして、同様に「今回だけは言わせてもらいたい」という強い主張へと移っている。

 

5.724:名古屋和泉さん、中村舞さん

 名古屋さんは、まず、冒頭に、先月私に申し出た発表のことから話を始めた。

 

名古屋「私の勇気を理解してもらえたでしょうか。茫然としたままでろうそくの明かりが消えてしまわないようにするために私は私の意見を伝えてもらいたいです。全国大会のことです。私は勇気を出しますのでよろしくお願いします。私の意見は発表してもらえますか。(…)茫然としていた人々のことは私も未だに気がかりです。理想があまり語られなくなって私も気にかかっていました。理想が語られないと本当に復興は物質的なものになってしまうので、精神の復興はむずかしくなると思います。なぜまた物質的な話になってしまうのでしょうか。私たちは物質的なことでは絶対に救われないのでまた精神的な話をしてもらいたいです。物質的な話より精神的な話でないと本当には人々は救われないと思います。地震の後はよく精神的な話がなされていましたが、全く話されなくなってしまったのでとても心配です。特に政治家は物質的なことばかりで誰も精神的なことを言いません。仕方ないかもしれませんがマンネリ化した議論ばかりで残念です。でも被災地の人の言葉は今でもとても心に響きます。特に存分に悲しみを乗り越えたの言葉は精神的な深さを持っていました。」

 

 今回は、前回の議論を引き継ぎながら、さらに「物質的」、「精神的」という言葉で理想についての話が重ねられた。そこへ、中村さんがお見えになり、二人の対話へとつづいたのだが、なんと名古屋さんはいきなり、中村さんに「文明観」について尋ねた。

 

名古屋「舞さんに聞きたいことがあります。舞さんの文明観について聞きたいです。舞さんは自然と私たちの関係についてどんなふうに考えていますか。私は自然とただ共存するというのは間違いとは言わないけれど満足はいきません。なぜなら私たちは自然のままでは生きていけないからです。自然とは闘わざるを得ないのが人間の宿命だと思いますから。」

中村「ランプの明かりをともすためにはやはり自然とは闘わなくてはいけませんね。待てよと思うためには自然との共存は必要なことですが、理想はやはりうまくどう自然を従えていくかということだと思います。私たちは自然のままでは生きられないですから自然と闘わないと生きられません。でも自然との共存もまた大切な考えだと思います。唯一の基準は人が望みを超えるほどの欲望を持っていないかどうかです。なかなかむずかしい問題ですがよくまた考えてみたいです。」

名古屋「夢のようです。ランプの明かりならもうともりましたね。こんな話題が二人でできるのですから。」

中村「私はとても不思議です。みんなきっと茫然と立ち尽くした経験から立ち上がってきたので通じ合えるのでしょうね。誰でもわかり合えるとは思わないけれど私たちはわかり合えそうです。この研究所に来ている人たちだったらきっと。」

 

 今回の大震災は、地震と津波という自然災害と原発の事故という人災との両面から自然と人間との関係が問われた。そのことをストレートに問いかけたものだが、ここでも障害が重要な論点となった。自然がもたらした障害をあるがままに受け入れたなら自分たちは生きていくことができず、自然とは闘わざるをえないという認識である。中村さんは、その議論にさらに「人が望みを超えるほどの欲望を持っていないかどうか」というのが基準だという認識を付け加えた。そばにいて通訳をしていた私は何の事前の申し合わせもないのに繰り出されてくる確かな言葉のやりとりに、二人がいかに深い思索の日常を送っているかを思わずにはいられなかった。

 

6.まとめ

 重複障害教育研究所に通う4人の方々によって語られた東日本大震災をめぐる言葉をそのテーマだけ要約すると、@なぜこんなに悲惨な地震や津波が起こったのかという問い、A地震や津波と障害の共通性、B障害の経験が示唆する「人間は希望さえあれば生きてゆける」という希望の原理、C被災地に寄せる人々の思いや行動が具体的な希望をもたらしたこと、D時間の経過とともに理想が語られなくなっていったことへの危惧、E自分たちは理想のない社会では生きてゆけないことの再確認、F自然との闘いと共存の問題であった。これは50名近くの方々が語った言葉とも大筋で符合する。

残念ながら、現在、こうした言葉を語っている方々がそもそもこうした内的言語を操る力を持っていること自体に共通理解は得られていない。今回はその議論に立ち入る余裕はなかったが、私たちは、これまでの常識にしばられている限り、豊かな言葉の世界の存在も、その中で密かに研ぎ澄まされている深い認識の存在も見過ごしたまま、彼らと向かい合うことになってしまう。

この未曽有の大震災に遭遇し、日本中の人々が深く傷つきながらそれぞれの思いを懸命にめぐらせていた同じ時に、津波のような理不尽な障害によって言葉の世界を封じられた人々が、密かにこうした思索を紡ぎ出していたという重い事実を私は一人でも多くの人に知ってもらいたいと願っている。

なお、こうした事実と向き合うことと日々の学習はけっして対立するものではない。この事実をいかに学習の中に繰り入れていくかということが新しい希望に満ちた課題として私たちに提示されているのである。