かんなさんの言葉の世界の発見

 

国学院大学  柴田 保之

 

昨年、自分の大学の研究室紀要に、重複障害教育研究会の全国大会における2つの発表をまとめた文章を寄せた。それは、私が現在関わり合っているお子さんの中で、障害が非常に重いと考えてきたお子さんについてのまとめのつもりだった。ここ数年、私は、運動機能の障害が重いために表現手段を持ち得なかった子どもたちが、文章を綴る姿に何度も出会ってきた。しかし自分は言語以前の世界にこだわってきたつもりであるし、言語以前の豊かな世界をきちんと語ることをぜったいにおろそかにしてはいけないとの思いからまとめたものだった。

だが、さる924日のこと、その文章でまとめたお子さんの一人かんなさんが、自らの思いを文章に綴る姿に出会うこととなった。またしても、私自身の足元で、自分の思い込みの誤りを痛切に思い知らされることになったのである。かんなさんについての発表の副題は、「かんなさんの世界の入り口で」というものだったが、それは、まさに入り口の扉に手をかけただけにすぎなかったのだ。

この報告では、このできごとをめぐって考えたことを、やや自由なかたちでまとめさせていただきたいと思う。

1.自発的な運動を引き出す

かんなさんについて、重複研の全国大会で発表したのは、2001年の夏のことで、かんなさんは小学1年生だった。就学前の通園施設でいわゆる年中クラスの年齢にあたる年(1999年)の冬から関わり合いを始めて、現在は小学部4年生である。

最初は、体のかすかな動きでスイッチを押して音をならす教材を多用した。自発的な動きとみえるものがけっこう生まれ、そこそこに関われているのだが、姿勢に関してすっぽり抱きかかえて関わっており、この姿勢でこの動きというのがなかなかうまく見つけられず、試行錯誤的な関わり合いが多かった。

そんな中、2000年の5月にイスと机を使って座位をとるようにしたところ、右手で取っ手をつかんでひっぱりながら、自発的に体を起こしていくという非常に感動的な場面に出会ったのである。かんなさんの行動の一つ一つがきわめて理にかなっており、それまで私が寝たきりのお子さんとの関わり方に関して学んできたことが凝縮されているような感じをもった。また、本人の表情も非常に晴れやかで、深い納得と喜びがそこにあることが伝わってきた。

これ以降、この日のこの場面をわれわれはイメージしながら関わることになったので、少しずつ積み重ねていくこともでき、手の動きや姿勢の保持がだんだんよくなっていったり、音の内容をいろいろと変えたりして関わりを続けた。

あわせて、子ども自身が運動をなぜ繰り返すのかということや、子どもが感じ取っている因果関係の内実などについても考察を深めることができたのである。

こうしたかんなちゃんの姿を記録した映像は、身近で接してきた通園施設の先生や養護学校の先生には、驚きをもって受け止められた。自分で体を起こしたり、自発的な運動を起こすということが、日常の場面ではほとんど見られなかったからである。

そして、私は、大学の授業や様々な場所での研究報告で、かんなさんのことを繰り返し話した。自分の中で、寝たきりのお子さんのことを話すなら最近の事例ではかんなさんがいちばんだということになっていたのである。かんなさんの文字の力に気づく直前である200498日には、あけぼの養護でも話をさせていただいたはずである。

 

2.その後の展開

ただ、その後、かんなさんの健康面の状況は、あまり芳しいといえない時期が続き、風邪をこじらしての入院が繰り返しあり、2003年には、胃漏の手術、2004年の1月には気管切開の手術などを経て今日にいたっている。幸いにも、こうした医療面の処置の結果、ずいぶんと健康を取り戻してきた。

ただ、かんなさんは、どんなに体調が悪くても、私たちのもとを訪れると、右手の引き寄せる動きはしっかりしており、その事実を頼りにしながら関わり合いを続けてきた。実際、手をスイッチに触れてから力強い動きが生まれるまでにかかる時間も非常に短くなり、取っての握り方もしっかりしてきたように思われたのである。

この時期、学校では、午前中ずっと眠っているような状況で、目がぱっちりとあくのは午後からということだった。学校の先生は、楽に呼吸できたり、体がかたくなってしまわないようにというような最低限必要なことを懸命に続けるしかないとおっしゃっていたし、実際、私もこの頃、何度か学校を訪問し、ぐったりと横になっているかんなさんの姿に胸が痛んだ。

そして気管切開をしてからは、健康面の改善が著しく、そんな手の動きを、以前のように自分で体を起こすこととあわせてねらいながら関われるようになり、手の動きによって、スイッチを押して、チャイムの音、パソコンのアニメのソフトなどを操作する関わり合いを順調に続けてきた。そして、その延長線上で6月には、2スイッチワープロという自作のソフトを使って名前を書いてみる試みをした。チャイムや音楽もいささかマンネリ化しかかってもいたので、そういう言葉を材料にすることで新しい展開が生まれるかもしれないという思いからだ。彼女が言葉という材料に何らかのかたちで興味を示すかもしれないという思いと、何度もいろいろな子どもに思い込みを打ち砕かれていたので、試してみる価値もあるだろうという考えだったと思う。

まず、かんなさんと、全面的な補助で一緒に名前を書いてみた。かんなさんは引きよせるスイッチだけをつかんでいるので、カーソルを送っていく操作しかできないわけだが、名前を一緒に書いた。手がしっかり動いていることはわかり、続けていくと、時々手を止めて選択しているようにも見受けられる場面もあったので、それを決定とみなして文字を選んでいくと、最終的に「かんなはすき」という言葉ができあがった。この時、視線もほとんど画面に注がれることもなく、ひたすら耳をすませて音を聞いているという印象だった。しかし、この日は、さすがに、本当にそういうふうに選んだのかどうか判断しかねるところもあって、このことをどうとらえたらいいのかわからなかった。

8月には、前に来ていた別のお子さんがやっていた足し算のソフトの画面を見ているように思われ、たまたま付き添ってこられた養護学校の担任の先生も、かんなさんは、足し算が好きなのねとおっしゃり、実際にかんなさんにもそのソフトを試みた。自分で操作するには非常に複雑なソフトなので、操作を期待することはしなかったが、確かに興味を示しているかのような印象がしたのも事実である。少なくとも私は、いきなりではけっしてわかりやすいとはいえないそのソフトの意味を理解してその画面を見ているとは信じがたかったし、あっさりとかんなさんのことをそう表現された先生に、驚きを覚えたのである。ただ、日ごろ接している先生が自然にそういう印象を持つということは、小さなことではないと思った。

 

3.始められた言語表現

そういう経過を経て、924日を迎えた。名前を書くことに何か興味を感じているらしいので、ワープロをやるということは決めていたが、もう少しわかりやすいと思われるピアノ伴奏のソフトから始めた。ところが、今ひとつのってこなかった。これが興味をひかないのであればなおさら文字は、という思いを抱きつつ、2スイッチワープロのソフトを始めることにした。すると、少しずつ、引く手の動きがよくなり、表情も生き生きとしてきた。そして、私がまさかと思った最初は、選ぶべき場所で押す動きをしたことである。これはそれまでの教材操作の中では一度も見られなかったものである。最初は、名前を書くと決めてかかわったので、こちらが選択すべきところで押したわけだが、そのとき緩名さん自身が押すような動きを感じることがあった。そして、押しやすいように微妙に教材の角度を調整しているうちに、自分ではっきりと押す動きが現われたのである。本当に驚きだった。引く動きはすでに積極的で、決定するために押す動きも出たので、かんなさん自身の選択に任せることにしたところ、彼女が書いた文章は、「かんなかあさんがすきめいわくばかり」である。

もはや彼女が文章を綴る力を秘めていることは疑いようもなかったし、初めてかんなさんが発したまとまった言葉は、母への愛情と、母を思いやる気持ちだったことは、私たちを激しくゆさぶった。かんなさんの持っている力とその深さについてまったくとらえ違いをしていたわけだし、こうしたお子さんの存在については、もういやというほど思い知らされていたはずであったのにである。

私たちは、かんなさんがいろいろなことを感じ取っているということについては、わかっていたつもりであった。しかし、それは言葉の理解ということではなかった。歌を歌いかけたり呼びかけたりはしてきたが、言葉を理解している存在として本気で話しかけたことはなかった。まだ、尋ねていないのだが、そういう関わり合いがどれだけかんなさんを傷つけたり、失望させたりしたことか、ゆっくりと反省してみなければならないと思う。

また、かんなさんの文章を綴る力の存在が明らかになったわけだから、それまできちんと確かめなかった「はいーいいえ」についても、簡単に問いかけてみた。すると、問い掛けに対して、手で肘から先がだらんとなっているときには、手首をかすかに動かして「はい」の意思表示ができることにも改めて気づかされた。これは、学校でも返事などの時に使っているものらしい。そのことに対しても私たちはあまりに鈍感であった。

それから、101112月と3回の関わり合いを経てきた。毎回、毎回、次の関わり合いが待ち遠しくてならないでいる。今のところ、かんなさんが言葉を表現できるのは、月に一度の私たちとの関わり合いの場面に限られている。今度は、どんなことを表現するのだろうという思いや、少しでも多くの表現できる時間を作ってあげたいという思いがそういう気持ちを駆り立てるのだ。

そして、つづった言葉は、9月のものも含めると以下のようになる。

 

かんなかあさんがすきめいわくばかり(2004年9月24日)

 

そちこちで、みせあっているのへいき(2004年10月22日)

 

ぜったいしじするかあさんががんばってきたことおひさんのようなかあさんがやっぱりじぶんはあいしています。そうわるいことばかりではないよ。(2004年11月26日)

 

ねふらいざーがちゃんときる−いす−なえるしせきがですぎる。(20041224日)

 

10月の文章は、かんなさんの映像と言葉をあちこちで紹介しているということをきちんと伝え(ちょうど1018日にも映したばかりだった)、映像も見せたところ、書いた言葉である。文が短いのはそういうやりとりをしていて時間が短くなってしまったからだが、それまでまったく本人には無断で見せたり書いたりしてきたわけだから、許しをもらえて胸をなでおろすことができた。前月の言葉の切ないとも言える響きに対して、何かおおらかな響きがして、かんなさんがいちだんと大人っぽく見えてきた。

11月は、いきなり文章を書いてもらうことにしたのだが、だんだん、かんなさんの手に加えた力が教材を通して伝わってきて、こちらがよく読み取れるようになりスピードがかぜんあがったため、長い文章を書くことができた。お母さんのことについての深い思いを再び書いたもので、激しく胸をうつ。詳しいことはわからないが、例えば、胃漏や気管切開の手術の際、悩んでいたお母さんの姿を私たちも知っている。食べる楽しみを奪ってしまうこと、苦しい時には声を出して呼んでいた声も奪ってしまうこと、それでもそれがかんなさんによいことならと、それを選択なさったお母さんのことを思うと、この言葉の意味もよくわかるような気がする。そして、おそらく、言葉のすべてを理解しているとは思っておられなかったお母さんが、かんなさんを抱きかかえながら、語りかけるともなく口にした様々な内面の吐露が、かんなさんには痛いほど伝わっていたのだろう。そんなかんなさんが使った「しじする」という言葉は、かんなさんが、ただただ受身ですっぽりと包み込まれているだけの存在ではないことを意味している。いわば、母に対等に語りかえる大人のかんなさんの姿がそこにあるのだ。

12月の文章は、一転して、生活のことになった。その日、寒かったこともあって、たんのことが話題になり、ネフライザーの話をしていてつづった文章である。意味は、いすにすわっているときはネフライザーのスイッチは切ってほしい。なえてしまうしせきもですぎるから、ということのようで、「−」は、長音の記号をみずから選んだものである。ネフライザーの話を書き始めたので、横でお母さんといろいろと意味を推測していたときに、私たちは、夜寝ているときのことではないかというようなことを言っていたので、あえて、「いす」とつけくわえたものと思われる。括弧の記号のような意味で使っているわけだ。まったく自分で考えだした使い方と言えるだろう。実際、私たちは、すぐにはこの「−」の意味がわからず、何かのまちがいだろうと考えていたのであるが、最終的にそういうふうに考えれば非常に納得がいったのである。

こうした日常生活の細部は、やはり言葉によって正確に伝えられるということがよくわかる。これまでの経緯から、生活は全面的に受け身のままに組み立てられているが、こうしたやりとりを通じて、少しずつかんなさん自身が組み立てる生活に変化していくことになるのかもしれない。

 

4.考えなければならないこと

 ところで、このできごとを、単に見落としていたということだけですませてよいのかということをここで問い直してみたいと思う。

 ここで問題となるのは、私たちがそれなりにうまく関わり合えているという考えを持っていたということである。一つの自発的な運動が生まれることをめぐってどういう感覚が使われているか、どういう運動の調整がなされているか、そこに姿勢の調整がどう関わっているかということは、非常に深く研究されてきたことがらであるし、自分自身もそのことを長い間追求してきた。その意味で、私たちが一定の関わり合いをもてたことは、そういうことの成果だったと思っている。かんなさんが体を起こす姿に、驚きと感動を覚えた人がいたことも事実だ。だから、問題は、そこでとどまっていてしまったことにあるのだろう。もっと言えば自発的な運動をめぐる関わり合いがうまくいったことが、逆にある固定的な見方を生んでしまっていたということになるだろう。

 寝たきりの障害の重い子どもというカテゴリーでくくられている子どもたちのことを私たちは、自発的な運動を引き出すことについては多くのことを明らかにしてきた。しかし、言葉という点で、まだまだ未開拓の領域があるはずだ。私は、最初、寝たきりと言われながら豊かな言語を有している子どものことを、本当は障害が重い寝たきりの子どもではなかったというふうに考えればすむと思ってきた。理屈上はそれでもよいかもしれない。しかし、目の前の寝たきりの子どもについてわれわれにとって確実なことは、実はこの子は豊かな言葉を持っていたということを事後的に言うことだけで、それ以外に言語の有無を判断するすべを現在の私たちはもっていないのである。つまり、今のところ、目の前の寝たきりの子どもが言葉を持っていないという推測をする根拠はないのである。

したがって、極端な言い方かもしれないが、少なくとも障害の重い寝たきりの子どもに対しては、言葉を持っているかもしれないという可能性をたえず持ち続けていなければならないということである。しかし、それは、言語ということにのみ関わり合いをしぼるということではない。それでは、関わり合いは、窮屈になりかねない。関わり合いは、やはり、その子の自発性を引き出すことを土台にすえていくことが大前提である。そして、その上で言語の可能性を探っていくという順番になる。

ただし、いつも心がけておかなければならないことがある。それは、きちんとした言葉で話しかけていくことだ。それは、特別な工夫を必要とすることではなく、いつでもできることだ。私自身、そのことはわかっているつもりだったが、今回改めて、それができていなかった自分に気づいたのである。

 

5.話しかけることをめぐって

ここで、話はそれてしまうが、話しかけることをめぐって、ふれておきたいことがある。

かつて、広島の研究会で、ある先生が、その日に映すビデオの子どもに許可をとっていなかったから、前日に、夏休み中であるにもかかわらずその子が暮らしている施設へ出向いて許可をとってきたということを聞いたことがあった。その時は、その先生の誠実さや感性のすばらしさというふうにとらえてしまい、研究会で映すというような私たちの世界のできごとをその子がいったいどう理解するのだろうと、まともに考えることをしなかった。だが、今なら、はっきりわかる。そういう語りかけこそ大切にしなければならないということが。そして、そのことならば、その気にさえなれば誰でもできることにちがいない。

 また、私は、学校で何気なく歌われている歌が実に豊かな歌詞を持っていることに改めて気づかされたことがある。一つは昨年5月にうかがった熊本の重症心身児施設の病棟内のこと。もう一つは、都内の養護学校のことである。

 熊本では、5月ということもあって「ハナミズキ」という歌が歌われていた。そして、その歌を聞いていたのは、中学時代に突然寝たきりになってしまってほとんど反応がないとされる高校生である。その歌詞には「ぼくのがまんがいつか実を結び」というような言葉があった。その若者の思いを考えると、歌うのなら本気にならないと歌えないと思ったし、その言葉はきっと彼に通じるだろうと思った。

 また、もう一つの例は、昨年の11月、「スマイル」という歌がある養護学校の朝の会で歌われていて、その歌が始まった瞬間、心の底から笑顔を浮かべた中学部の女の子がいたことにどきりとさせられたのである。そのお子さんは、いわゆる医療的ケアを必要とされるお子さんで、非常に重い寝たきりというふうに見えるお子さんだった。その歌詞には「きみのえがおがせかいをかえる」「意味のないことなんか一つもない」というような言葉があった。私は初めて聞いたその言葉に強い感動を覚えたし、もしかしたらそういうメッセージをこのお子さんも聞いて、その言葉に共感していると考えてもよいのではないかと思ったりもした。

 どちらも、その後の話し合いの場で、子どもが深い意味を感じ取っているかもしれないということを考えた上で、いわば覚悟を決めて歌うべきではないかと申し述べた。

 なお、熊本の彼は、その後、やはり私たちの言葉が通じているらしいことが少しずつ明らかになってきたし、また、東京の養護学校の中学部の女の子とは、これから関わることになっている。

 

 私は、最近、子どもの可能性という言葉を多用するようになった。すでに使い古された感のある言葉だが、自分自身の深い反省に立って、子どもの可能性を今、改めて問うべきであるということを、痛切に感じている。

(2005年1月:山梨重複障害教育研究会冬季学習会)