八巻緩名さんの言葉



 5歳から関わり合いを始めて、10歳になった緩名さんが、昨年の9月24日、突然パソコンで文章を綴りました。その言葉のすごさにたいへん感動を覚えるとともに、私の力のなさを思い知らされるできごとでした。
 その緩名さんが、2005年2月20日、突然帰らぬ人となりました。1月には入院でお会いできず、2月25日に会えるのを楽しみにしていた矢先のできごとでした。これから私たちにいろんなことを語ってくれることを心から期待していただけに、残念でなりませんが、今はただ、ご冥福を祈るばかりです。
 かんなさんの残した言葉は、ここに掲げるものがすべてです。宝石のような言葉です。
かんなはすき(2004年6月25日)

かんなかあさんがすきめいわくばかり(2004年9月24日)

そちこちで、みせあっているのへいき(2004年10月22日)
(研究会などで緩名さんのビデオを見せているよといったところ、かえってきた言葉です。)

ぜったいしじするかあさんががんばってきたことおひさんのようなかあさんがやっぱりじぶんはあいしています。そうわるいことばかりではないよ。(2004年11月26日)

ねふらいざーがちゃんときる−いす−なえるしせきがですぎる。(2004年12月24日)

 6月の文章は、かんなさんが最初にうったものです。そのときは、本当にかんなさんがうったものかどうかわかりませんでした。しかし、今となっては、この文章もまた、かんなさんの思いを表現したものであることがわかります。
 9月の文章は、激しい衝撃を私たちに与えたものです。途中で時間ぎれになってしまいましたが、この短い言葉の中にこもる深い意味に私たちはただただ圧倒されるばかりでした。

 10月の文章は、かんなさんの映像と言葉をあちこちで紹介しているということをきちんと伝え(ちょうど1018日にも映したばかりでした)、映像も見せたところ、書いた言葉です。文が短いのはそういうやりとりをしていて時間が短くなってしまったからですが、それまでまったく本人には無断で見せたり書いたりしてきたわけですから、許しをもらえて胸をなでおろすことができました。前月の言葉の切ないとも言える響きに対して、何かおおらかな響きがして、かんなさんがいちだんと大人っぽく見えてきました。
 11月は、いきなり文章を書いてもらうことにしたのですが、だんだん、かんなさんの手に加えた力が教材を通して伝わってきて、こちらがよく読み取れるようになりスピードがかぜんあがったため、長い文章を書くことができました。お母さんのことについての深い思いを再び書いたもので、激しく胸をうちます。「しじする」という言葉は、かんなさんが、ただただ受身ですっぽりと包み込まれているだけの存在ではないことを意味しています。いわば、母に対等に語りかえる大人のかんなさんの姿がそこにありました。
 12月のクリスマスイブの文章は、一転して、生活のことになりました。その日、寒かったこともあって、たんのことが話題になり、ネフライザーの話をしていてつづった文章です。意味は、いすにすわっているときはネフライザーのスイッチは切ってほしい。なえてしまうしせきもですぎるから、ということのようで、「−」は、長音の記号をみずから選んだものです。ネフライザーの話を書き始めたので、横でお母さんといろいろと意味を推測していたときに、私たちは、夜寝ているときのことではないかというようなことを言っていたので、あえて、「いす」とつけくわえたものです。括弧の記号のような意味で使っているわけです。私たちは、すぐにはこの「−」の意味がわからず、何かのまちがいだろうと考えていたのですが、最終的にそういうふうに考えれば非常に納得がいきました。