ようこそ、青年学級へ  これから担当者になる人のために




町田市障がい者青年学級へ、ようこそ。
1.青年学級の概要と歴史

 町田市障がい者青年学級は、主として知的障害のある人のために、町田市公民館が主催している事業です。現在、総勢約180名の学級生が、3つの学級に分かれて活動しています。公民館で第1、第3の日曜日に活動しているのが「公民館学級」。ひかり療育園で第1、第3の日曜日に活動しているのが、「ひかり学級」、公民館で第2、第4土曜日に活動しているのが「土曜学級」です。ひかり学級も土曜学級も、もとは一つの青年学級が活動を広げていく中で生まれてきたものです。

 公民館学級とひかり学級は、コース制をとっています。コース制とは、テーマ別に分かれて行う活動ですが、現在、音楽、劇ミュージカル、生活、健康からだづくり、自然といったコースがおかれており、年度によっては、新たな内容のコースが生まれることもあります。

 土曜学級は、班活動というかたちをとっています。これは、まず、班という集団を作ってから、その中で何をしていくか決めていくというかたちをとるものです。

 青年学級が生まれたの1974年の11月のことです。当時の障害者のおかれた状況は、現在とは大きく違っていました。まだ、養護学校の義務制は実施されておらず、ようやく東京都が障害児の全員就学を始めたばかりで、作業所などの卒業後通える場所もほとんどなく、一般就労の道を選ぶ卒業生も、様々な差別の中で苦労して働いていました。そんな状況の中で、親たちが、わが子が非行に走らないように、あるいは事件にまきこまれないようにと、青年学級の開催の要望を出したのです。町田市では、この要望を受け、これを生きる力、働く力を育てる社会教育の場と、積極的に位置づけ、公民館で開催することとしたのです。

 最初の数年間の試行錯誤の中から、活動を進める上で大切にしなければならないことが明らかになってきました。それは、一人一人が主体的に活動を作っていく自治活動、劇や歌など表現活動を伴った文化的な創造活動、一人一人の生活をテーマにしていくことなどでした。こうした、自治活動、文化的創造活動、生活というテーマということを、青年学級では実践の3つの柱と呼んできました。

 こうした活動の成果がしだいに積み重ねられてきた1985年に、青年学級は、コース制というものを採用することになりました。それまで、班活動で集団の自治活動を、各自の課題で一人一人の学習要求に沿った活動をと午前と午後で違う活動をおこなっていたのですが、じっくりテーマ別に取り組んで、より質の高い成果をあげようということになったからです。

 その成果はさっそく、いろいろなかたちで現れ始めました。そして、その具体的な現れの一つがオリジナルソングの誕生です。もちろん、それぞれのコースでいろいろな成果が上げられましたが、このオリジナルソングは、若葉とそよ風のハーモニーの開催へとつながっていきました。1988年のことです。地域の中に、自分たちの独自の文化をひっさげて出ていくというこのコンサートを通して、青年学級は大きな成長を遂げました。

 1980年代の後半から、学級生の増加が著しくなり、公民館の一つの学級だけでは足りなくなりました。そこで、あらたに、ひかり療育園を借りて、「ひかり学級」が誕生したのです。それまでの仲間と別れる不安などを乗り越え、青年学級は新しい一歩を踏み出しのです。

 ところで、1990年に、私たちの仲間の一人高坂茂さん(残念ながら2000年に職場の事故で亡くなりました)が、パリで開かれた知的障害者の親の会の世界大会に出席するということがありました。青年学級の中でつちかわれた力が認められたからです。こうした世界大会に障害当事者が参加するのは、日本で初めてのことで、この世界会議から帰った後、高坂さんらは、日本で最初の知的障害者本人の会「さくら会」を結成します。この動きをきっかけに、日本各地で、当事者自身の会が作られるようになったのです。

 1990年代前半には、高坂さんの後に続くように、海外研修に出た仲間が出てきました。スウェーデンやアメリカに出かけ、現地の障害者の状況を見て、様々なことを学んで帰ってきたのです。

 1990年代にはいってからも、学級生の増加はどんどん続き、ついに、199 年、さらに土曜学級を開催することになりました。これが、現在の青年学級の姿です。

 

2.担当者という存在

 青年学級で学級生を支えるスタッフは、「担当者」と呼ばれてきました。担当者は、いわゆるボランティアとは違い、仕事として公民館の事業に関わり、担当者謝礼が支払われています。仕事として位置づけられていることの意味は、特別な事情がない限り、学級日や会議に参加しなければならないということです。これは、一見窮屈に感じられるかもしれませんが、学級生の活動の支援体制を準備や反省も含めて安定的に確保し、活動の高い質を維持するという視点からみれば、大切な意味をもっています。

 青年学級のお手伝いをしてお金がもらえるというと、最初は気がとがめる方も少なくありません。しかし、当事者や家族の立場からすれば、より質の高い活動を作るために、行政が相応の経済的裏づけをもって、体制を保障するということは、教育を受ける権利、学ぶ権利という視点からみて、当然の要求とも言えるのです。

 仕事として関わることについての今ひとつの条件は、担当者自身が学ぶことが求められるということです。現実の学級生の姿から、あるいは、担当者会での議論から、あるいは

月一回開かれる学習会を通して、様々なことを学び、実践者としての力量をつけてほしいと思います。あまり堅苦しく考える必要はありませんが、これもボランティアには求めにくいことです。

また、こうした謝礼のある仕事に携わるということは、私たちが単なるお手伝いではなく、実践者として主体的に関わるということを意味しており、実践を作り上げる喜びや手ごたえを得ることができるということでもあります。

 

3.知的障害とは何か

 青年学級に通っている人たちのほとんどが知的障害という障害をかかえています。知的障害は、認識の働きに関してハンディキャップをもっています。発達心理学の考え方などでは、認識の働きが何歳レベルであるというようなかたちで、その認識の働きの段階をたてることが普通になっています。

 ただし、認識の働きが、実際の生活年齢よりも低いからといって、それは、けっして幼いということを意味しているわけではありません。

 確かに、認識の働きにハンディがあると、文字の読み書きや計算などが苦手だったり、抽象的な思考が苦手だったりするということが起こったりします。しかし、一人一人の考えは、その年齢や生活経験にふさわしいものです。議論の中で、たくさんの考えを整理するのが苦手でも、深い知恵に満ちた考えをきちんと持っている人たちがたくさんいます。このことは、まだまだ、一般には理解されていません。それは、社会全体が、知的障害者をそういう存在としてみてこなかったからです。

 また、これまで知的障害のある人は社会の中できちんと自分の意見を言ったり、一人前の人間として堂々とふるまえるポジションを奪われてきていたため、知的障害のある人は自分の意見を言うことができないというようなイメージや、保護されなければならない弱い人たちというようなイメージがあやまって作られてきました。しかし、この青年学級の学級生の姿は、それがどれほどまちがったものであるかをはっきりと示しています。

 知的障害の程度は様々ですが、例えば言葉を話す以前の段階にいるような人についても、こうした理解を、土台にすえておくことが大切です。

 

4.障害のために特別に配慮すべきこと

 基本的には、対等な人間としての当たり前につきあうということが大前提ですので、最初から、特別な配慮ということに気を取られてしまうと、当たり前のことが見えなくなってしまうこともあります。障害に対する配慮や障害に対する理解は、相手の人間としての理解が進み、関係が深まっていく中で、おのずと深まっていくことですし、また、具体的にできごとに即して理解していく必要があります。

 また、私たちの障害というものに対するイメージは、常識に染め上げられているために、目の前の障害者を理解する上では妨げになってしまうことも往々にしてあります。青年学級を始めて訪れた人は、みんなのパワーに圧倒されるということが少なくありません。まずは、私たちの不十分な障害者に対するイメージを改めることのほうが先なのです。

ここでは、そのことをふまえた上で、最初に知っておいたほうがよいと思われる配慮の必要なことについて、最小限の範囲で触れたいと思います。

(1)てんかん発作について

 まず、医療的なことに関わることで、発作のことがあります。知的障害のある人の中には、てんかん発作のある人がいます。てんかん発作とは、脳の中で起こっていることで、発作が起こっている間は、体が硬直したりけいれんしたりして、意識がなくなってしまい、たっていれば倒れたりするおそれがあります。

 てんかん発作はかなりの部分薬でコントロールできるものなのですが、活動中に起こってしまう人が何人かいるのは事実です。発作は、当人にとってもつらいものですが、普通の発作ならば、けがをしないことに気をつけてください。ほとんど出会うことはありませんがいちばんこわいのは、発作がある一定の時間以上連続して続いて、その間脳に酸素が送られなくなってしまい、脳にダメージを与えてしまうことです。ただ、薬などの服用もあり、これほどの大きな発作が起こることはほとんどありません。

 また、人によっては、発作で疲れたり、眠ってしまったりする人もいますので、ゆっくり休めるような援助も必要になります。

 以上は、一般論なので、自分が関わるグループに発作を起こす可能性のある人がいる場合には、一人一人に応じた対応を個別的に知っておくことが大切です。

(2)集団から離れていく人との対応

 また、集団から離れて、部屋から出て行ってしまうような行動をとる人がいます。気持ちの上で入れないというような場合はわかりやすいのですが、人間関係の作り方やルールの理解が独特で、私たちがすぐにはわかりにくいような理由で集団からはなれていく人がいます。理由は様々ですが、気にかかっていることがあって確かめてみたくなったりするというようなことが理由だったりすることもあります。

そういう場合には、原則として担当者が行動を共にする必要があります。基本的には、その人に任せておけばよいのですが、その人のやりたいことが、社会と摩擦を起こす可能性がありますし、そんなことが起こった場合、まだまだ社会の対応は厳しいからです。

しかし、別に、監視するわけではありません。その人にじっくり寄り添うことで本当にその人がやりたいことが見えてくることも少なくなく、その人の世界を知る絶好のチャンスといってもよいかもしれません。

 

5.学級生との関係の作り方

 担当者と学級生の関係はどうあるべきかということが、常に問われます。最初の出発点

は、対等な人間であるということです。しかし、それぞれ、生きてきた歴史、おかれている状況がちがいます。その違いをどうふまえていくかということが、現実には問題となってきます。

 また、活動を進める上で、あくまで私たちは援助者という立場なので、主体は学級生にあるわけですが、そのことを具体的な活動の中でどうしていくのかということです。

 このことを文字通りにとらえると、担当者は、学級生の主体的な発言や行動をひたすら待つということになります。こうしたことが必要となる場面もありますが、担当者は、活動をともに作り上げる仲間という側面も持っています。例えば一つの歌を歌うとき、その担当者と学級生の声が合わさって一つの歌声になるような関係です。学級生が歌うのを後ろで見守っているというのでは、ともに活動を作る仲間ではなくなります。

 このように仲間であるということがとても大切になるのですが、意見のぶつかりあいが起こってしまったらどうすればよいのでしょうか。学級生の意見と自分の意見がくいちがった時のことです。これは、まずは、主体者である学級生の意見を尊重するということが当然のこととして出てきます。しかし、問題なのは、たんなる意見の尊重ということではなく、本当にその学級生が願っていることと一致しているのかということです。つきつめると、一人一人の願いは、自分自身が豊かな人生を送ることでしょう。

 今、目の前で出された意見が、その人の本当の願いと違っていると感じられた場合、本当に相手を尊重するのならば、そのことをはっきり言わなければなりません。ただし、これは、時間をかけて築きあげてきた人間関係が必要となります。そういう人間関係をふまえた上でないと、違う考えをぶつけることが相手の存在の否定になってしまうからです。

 また、相手の本当の要求というものを知ることも、時間と努力を要することです。生い立ちや生活の現実を知ることなしには、本当の要求を理解することはむずかしいからです。

この問題は、じっくり学級生とつきあいを深める中で考えていただければよいと思います。

 ところで、学級生とつきあう上で、プライベートな部分のつきあいが問題となることがあります。学級以外の時間にどうつきあったらよいのかということです。

 大前提は、当たり前の人間関係を作るということなのですが、いくつか問題が起こることがあります。学級をはなれた人間関係というのは、具体的には、電話や手紙のやりとりなどです。

 これは、一般の人間関係でもよく起こることであり、大原則は、そういう一般常識にのっとったつきあい方をすればよいということですが、最初は簡単ではありません。

 そのため、みんなのことがわかり、人間関係がしっかりできあがって、当たり前のつき合いのしかたが具体的に見えてくるまでは、電話番号や住所などは、伝えないほうがよいと思われます。相手が気軽に電話をかけてきても、慣れていない場合には、受け取る側には負担になるもので、それがかえって相手のただしい理解を妨げてしまうことにもなります。(初対面の人にいきなり電話番号を教えたり、住所を教えないというのは、一般的な社会の約束事でもあります。)

 

6.学級ソングについて

 青年学級では、20年にわたって、オリジナルソングを作ってきました。既製の歌では、もりこむことのできないみんなの様々な思いがこめられた歌です。今では分厚い歌集ができるまでになりました。私たちは、こうした活動をた新しい文化の創造の一つと考えてきました。

 

 ぼくらの輝きを君にとどけよう、今、歌声にのせて。

 ぼくたちみんな夢がある、胸にしまっておいたこと。

友だちともっといろんな話がしたい、友だちをもっとたくさん作りたい。

もっと強く生きたいから、もっと大きくなりたいから、思いきり今日も歌う私の歌。

拍手、拍手、働くことのよろこびに、拍手、拍手、生きてることのよろこびに。

いろんな生活を送って私たちはここにいる、障害があってもおれたちはできることを大切に暮らしてる。

 

 歌詞の一節を思いつくままに並べてみました。みんなの生活の実感があふれ、そして、夢や希望をもち、誇りをもって生きている姿が伝わってくるような言葉です。

 手作りの歌ですが、みんなで作り上げた大切な歌です。みんな学級ソングが大好きです。ぜひ、早く覚えてみんなといっしょに歌ってください。

 

7.おわりに

 いろいろなことを述べてきましたが、まずは、一人一人の顔と名前を覚えてください。

まずは、一人一人との人間関係から始まります。

 そして、いっしょに歌声を重ね合わせてください。そこから、ともに生きる時間が始まります。