(2009年重複障害教育研究会発表原稿)

解き放たれた言葉の世界

國學院大學人間開発学部 柴田保之

 

1.障害の重さの見直し

 障害が重いとされ、見た目には明確なコミュニケーションの方法を持ち得ていないかに見える方々の多くが、言葉の世界を有しているという事実は、私の周りで数多く積み重ねられてきた。残念ながらこの事実がスムーズに受け入れられるほどには時代はまだ熟していない。しかし、ただ、時が熟すのを待ち続けているわけにはいかない。今もなお、言葉がないとされ、理解されたいという思いをじっと一人で抱えて生きている人、言葉を伝えることができたにも関わらず、そのことが受け入れられないではがゆい思いをしている人が、たくさんいて、中には、その思いを十分に遂げることなく、生を終えてしまう方もある。本当は、時間に猶予などないはずだ。この報告では、長期にわたり重複障害教育研究所に通い、2009年になって初めて文字を綴った2人の方の言葉を中心に報告したい。

 

2.パソコンによる文字表現の経緯

(1)これまでの経過

 私がこの研究会で最初にこうした事実を報告したのは、2005年のことだ。

2004年の9月に初めて文字を綴り、2005年の2月に10歳で逝去した八巻緩名さんについての報告だった。私が障害の重い子どもたちの言葉をパソコンで言葉を聞き取る関わり合いを初めて行ったのは1998年のことで、それから徐々に対象は広がっていったが、当初はそうした子どもたちの存在は例外的なものだった。ところが、八巻さんは、私が関わっているお子さんの中でもとりわけ障害が重いと考えていたお子さんだっただけに、この事実は私に根本からの見方の変更をもたらした。それ以降、私にとって障害の重い方々が豊かな言語の世界を持っているという事実は、決して例外的なものではなくなった。

(2)使用したソフトとスイッチ

 肢体不自由の方のワープロソフトとしては、自動的に送られていく行や文字を一つの運動によって止めるオートスキャン方式が広く知られている。しかし、当初から、見続けることの困難やタイミングの処理の困難から、行や文字を送るスイッチとその行や文字の選択を決定するスイッチとを使うステップスキャン方式を採用した。最初は、行や文字の読み上げ機能のない市販のソフトを用いたが、機能をシンプルにした上で、行や文字の読み上げ機能をつけ、色などを見やすくした自作ソフトに変えた。読み上げ機能をつけたことにより、目が外れても耳で聞いていれば選択できるようになり、現在は、視覚障害のある方でも、詠み上げ機能を使ってこのソフトを使うことができている。

 スイッチは、基本的に前後の運動によって二つのスイッチを入力するものと、二つのプッシュスイッチによって入力する場合とに分けられる。なお、最初は前後に動くレバースイッチを使用していたが、途中から前後にすべらせるスライドスイッチに変えて現在にいたっている。

(3)方法の変遷

 この10年あまりの間に、方法は、いくたびかの変遷を経てきた。まず、それを整理しておきたい。

1)自発的運動から援助を増やし、運動直前の状態を読み取る方法へ

 長年にわたって様々な教材を工夫することによって、相手から自発的な運動を引き出すことが様々に可能となっていたが、最初は、まず、こうして引き出された自発的な運動を通してスイッチを操作することから始まった。だが、二つのスイッチを使用する以上、押すと引くという二つの運動を行うこと、あるいは二つのスイッチの押し分けることが求められるが、そうした連続的な運動は独力ではむずかしかった。これはある意味では当然のことで、もしそういうことが自在にできていれば、問いかけに対するタイミングのよい応答や、二肢選択による意思表示などが可能となり、その人にはっきりとした言葉の理解が存在することが明らかになっているはずだからである。

最初に出会った子どもは、こうした独力では困難な運動でも、レバースイッチの前後運動において、手首を軽く持ち安定させることと引く動くから押す動きへの切り替えの際の援助を行えば、文字選択が可能となった。援助の内容はそれぞれの子どもによって違うが、対象の広がりとともに援助の内容も一人一人にあった様々なものになっていった。相手の動きを援助する際、起こった動きの中に運動の意図(引こうとしているか押そうとしているか、二つのスイッチのどちらを襲うとしているか)を読み取るということも少しずつ増えていった。

2)動きの中に運動の意図を読み取り、積極的に手を導く。

 実際に起こっている運動の意図の読み取りがこなれてくると、積極的に手をスイッチへと導いたりスイッチの方を近づけたりして、スイッチができるだけ早く楽にはいるような援助の方法へと変化していった。そして、読み取りがその人とかみ合ってくると、実際に起きている動きはどんどんと小さくなり、無駄な力も抜けていって、速度もあがっていった。

3)実際に運動起こす前の準備状態で加わるかすかな力を読み取る

 援助を増やすことを積極的に行っているうちに、プッシュスイッチにおいてとても興味深いことが起こった。それは、最初は。子どもの手を包み込むように握ってスイッチを一緒に押したり離したりしていると、選びたいところで反対のスイッチにいこうとする動きが起こるのでそれを読み取って、一緒に反対のスイッチに移っていた。ところが、その子の力が抜けていくにつれて、反対のスイッチに移ろうとする動きが、スイッチを押したり離したりする私の動きを止めるようものになっていったのである。その力は、実際に運動を起こす手前で準備をしたというようなもので、運動を起こすために必要なある種の身構えに伴う緊張状態であると考えられる。この子どもの場合、実際の運動がタイミングや運動方向の調整などがむずかしそうに見えるのに対して、この運動の準備については的確なタイミングになり、スピードもさらにあげられるようになった。

 このことは、別の子どものスライドスイッチにおいても応用でき、本人が起こそうとしている引いて戻すという運動を、関わり手がスイッチの方を動かすことにより積極的に援助して方が行うと、選びたいところで押すための準備としての力が入り、その力によって手が引きつけられたままになって、スイッチが入りっぱなしになるのである。それを選択の意図として押す運動を援助すると、決定のスイッチが入るということになった。この場合でも、すべてを本人の自発に任せると様々な不随意運動が起こってしまう子どもでもスムーズに文字選択ができ、また、全く全身に力が入らないように見える子どもでも、こちらがスイッチを引いては戻すという小さな反復運動を繰り返していると、選びたいところで準備のような力が加わり、選択の意図を読み取ることができた。

4)選択すべきところで「ここだ」と思った際に体にこもるわずかな力を読み取る

 準備する力を読みとる方法は、しだいにスピードが上がってきたが、スピードについて来れないという人はいなかったので、プッシュスイッチの場合も、スライドスイッチの場合も、ともに、あえてスピードを上げてみることにした。すると、みんなそのスピードにしっかりとついてきたが、「ふしぎ」「ちからをいれていないのにどうしてわかるの」と問い返されることが増えてきた。おそらく、3)の段階では、自分で力を入れた実感があったのに、それがなくなったということだろう。そこで、反対にどうやっているのかとこちらから問い返すと、「ここだとおもっている」という答えを何人もの人が異口同音に返してきた。私が読み取っていたのは、基本的には、運動の準備の力と同じものだったが、スピードをあげたところで力は非常に小さなものに変わっていた。この時、読みとる力は、準備する際の力から、「ここだ」と思った時にわずかに体にこもる力に変わっていたのである。

 この力を読み取るためには、プッシュスイッチにしてもスライドスイッチにしても、こちらがスイッチを押したり戻したりする運動あるいは取っ手を引いたり戻したりする運動を、できるだけ小さい距離、小さい力で、行うことが必要であり、それらの運動をリズミカルに繰り返していると、そのリズミカルな反復運動をほんのわずかさえぎるように力が入ってくるのである。これを言葉で伝えるのはむずかしが、例えば、お互いがダンスをよどみなく踊っている時に、別の力が入ってそのよどみなさがくずれるような感じである。感じ取っているのは力であることはまちがいないが、あまりにもわずかな力なので、力そのものを感じるというよりも、自分の動きが不自然にさえぎられるという感じである。そのことを感じ取るためにはどうしても、私自身が相手と一緒に動いていなければそれを感じ取るのはむずかしい。

 なお、この方法は、さらに、手でスイッチに触れることをいやがる場合でも、肘や肩などにプッシュスイッチをリズミカルに押しつけていくと、押しつけたスイッチが戻らなくなるというかたちで、選択の意図を読み取ることも可能となっている。

 この非常に速いスピードでは、選択はむしろシンプルになる。文字はもはや目で探すということはなく、速いスピードで規則的に発せられる音声を聞きながら、目的の音声が聞こえるのをただ待つというようになっているのだ。ゆっくり一行あるいは一文字ごと送っていた時は、現在の行や文字が違うとか、後何行かなど、いろいろなことが

5)スイッチを使わずに、相手の手をとって「あかさたな」と言いながら選択の意図を読み取る

 4)の方法を行っている人とお会いした時、パソコンを出しにくい状況にあったことがある。その時、とっさに、手を振りながらパソコンのように「あかさたな」と読み上げてみたらどうかと思いついた。なお、パソコンにはあった視覚の情報はなくなるわけだが、すでに、4)の方法の段階で多くの人が聴覚の情報だけを使って音を選択しているということがあった。実際に行ってみたところ、「あかさたな」と言いながら相手の手をとって軽く振っている私の手の動きがさえぎられるような小さな力を読み取ることができ、手と手だけでコミュニケーションを行うことが可能となった。パソコンに比べて肉声なのでスピードに緩急がつけられ、パソコンよりもさらに速いスピードで行えるようにもなっている。また、きわめて重度の方で、パソコンではうまく意図を読み取れなかった方がこの方法でようやくなめらかな意図の読み取りが可能になった方もある。

 

3.通所する方々の開かれた言葉の世界

 重複障害教育研究所に通所する方々の中で、こうしたかたちで言葉をパソコンで綴った方が何名かいる。その中から中村舞さん、川路健正さんの言葉を中心に、紹介したい。

 

(1)中村舞さん

 中村舞さんは、幼少期は歩くことができていたが、その後歩行が困難となった方である。ゆっくりと手を伸ばして興味のある物や教材、食べ物などに、手を伸ばして持つことなども可能だが、自由に選択の意図を表現するのは困難な状況にあった。その舞さんに、パソコンによる言語表現に挑戦しようということになったのは、2009年の1月のことだ。舞さんは、ほとんど手を動かさないような状態で行うことを継げて、スライドスイッチを使っていっしょに名前を書いてみると、選択すべき所でかすかな力が読み取れ、スムーズに書くことができた。それから、2月、4月、6月と合計4回の関わりを持つことができた。以下、舞さんの文章を紹介する。なお、原文は、ひらがなで、句読点もないが、ここでは、任意に漢字に変換し、句読点をくわえた。また、明らかにプライベートな部分についても割愛した。その方が、舞さんの真意に近いと考えられるからである。

1 )2009年1月18日の文章

気持ちが言えてうれしい。信じられない。忍耐してきました。不思議、考えただけで言葉ができていきます。不思議です。信じられません。小さいときから話したかった。気持ちを言いたかったです。

おかあさん感謝しています。感謝していますが伝えられませんでした。

近くの神社に行きました。言いたいことは願いをしたということです。小さいときからきまってお正月には神社に行って願いごとをしていました。ひいきにしている神社はしんぐう神社です。

小さいときから話したかったです。小さいときから話したかったけどあきらめていました。小さいときみんなのことがうらやましかったです。気持ちが言えてうれしいです。

スキーは北風が冷たいけど白い世界がすてきです。見たこともないような景色が小さいころから好きでした。小さいときから小さく夢をつむいできたので白い世界が大好きです。希望がわいてきました。

柴田先生はどうして私が言葉がわかっていると思ったのですか。

おとうさん最近からだが疲れているようだから気をつけてくださいね。健康に気をつけて長生きをしてください。大切なおとうさんだから自分のからだを最高の状態にしてください。

こんど小さいころに見られなかった深海の観光に行きたいです。小さいときには乗れなかった船にも乗ってみたい。

小さいときは自分で歩けたけど歩けなくなって自分の行きたいところには行けなくなってしまってとても残念です

人間として生きていかなければと思うので未来を信じて生きていきたいと思います。光がさしてきました。希望がわいてきました。人間として生きていきたいと思います。

かあさんにあまり心配をかけないようにしてください。たくみはたいへん考えがしっかりしているのでちゃんとした仕事について自分のためだけでなく、他人のための仕事しごとをしてください。

小さいころから考えていました。すばらしいです、気持ちが言えて。うれしいです。気持ちが言いたかった。願っていました、小さいときから。言いたかったです。感動しています、気持ちが言えて。いい気分です。

自分とは何かを考えて生きていきたいと思います。人間だから希望をたいせつに生きていきたいと思います。願いをかなえられてうれしいです。

 

 冒頭で「不思議」「考えただけで」という言葉が続くのは、舞さん自身には力をいれている自覚がないということで、伝えたい文字あるいは音がある行やその文字ないし音が来た時に、「ここ」と思う気持ちが無意識に体に小さな力を入れさせていることがわかる。舞さん自身は、そういう説明をしているわけではないが、これまでの私自身の経験からはそのように推察される。

 また、この文章は舞さんが言葉を綴っているすぐ横でお母さんが様々に語りかけることによって生まれた文章だが、お母さんとの対話の中で、思い出がとても美しい言葉で語り出されている。物理的にはきわめて限定された世界を生きていても、言葉によって内面には美しい世界が描き出されている。ぎりぎりの制限された世界の中で、言葉によって紡ぎ出される内面の心象風景が、ある安らぎをもたらしていると言えるだろう。

 そして、その上で、舞さんは、自分とは何かを考えることを生きていく目的にしたいという。このような言葉が、とっさに出てくることはありえず、長い沈黙の中で舞さんがこうした考えを静かに育んできたということは疑いないし、こうした考えが育まれてきた背景にご家族を始めとする彼女を本当の意味で支えた人との関わり合いがあるはずである。

 

2)2009年2月8日

(字の勉強はどうやったのという問いかけに対して)なぜ小さいときの字の勉強が知りたいのですか。字の勉強は最近はやってないけどはるか昔になんさいか忘れたけどにいちゃんが覚えたときに勉強しました。いいにいちゃんは小さいときに心の中にいたあきらというかっこいいにいちゃんです。字の勉強はかんたんでした。意味を知ることはむずかしかったです。字の勉強は苦労しなかったけど言い表したくてもできなくて苦労しました。

背中の肩に近いところがかゆいことがあります。痛いところはありません。

聞いてほしいことがあります。言いたいことが言いたいけど聞いてもらう話が伝えられずにくやしいです。ぬいぐるみのような生活ばかりではつらいです。自分というものがあるから気持ちをしっかりと言えるようになりたいです。小さいときもっと気持ちを伝えたいと思っていましたがあきらめていました。

おとうさんががんばってくれてうれしい。

力がはいってしまっただけです。むずかしいのですか。きっとできると思うのでよろしくお願いします。なぜできる人とできない人がいるのですか。

おかあさん健康に気をつけてください。感謝しています気持ちを伝えたいと思います。人間として生きていきたいと思うので何もわからない人間だと思われたくないです。生きている意味を考えながら生きていきたいと思っています。小さいときからのひとりぼっちの苦しさがこれで消えていきます。真剣に生きていきたいと思います。いい時間をすごすことができてよかったです。いいすてきな日曜日になりました。きっと誰でもできるようになると思うのでよろしくお願いします。いい春がくると思います。気持ちがみんなに伝えられてうれしいです。聞いていただけて感謝しています。さようなら。

 

 この日は、おとうさんもご一緒されて、この方法にチャレンジもしていただけた。「おとうさんががんばってくれてうれしい」というのは、そのことだが、残念ながら、まだ、私の伝え方が適切でないために、すぐにやれるというふうにはなっていない。「きっと誰でもできるようになると思う」という舞さんの言葉を、一刻も早く実現しなければならない。

 字を覚えるときに登場した「あきら」という「にいちゃん」は、「心の中」の存在だという。心の中に思い描かれるのは、単に風景だけではない。そこには、自分を理解してくれる存在も作り出すことができる。これは、決して舞さんだけのことではない。これまで、想像上の理解者を作っている方には何人も出会ってきた。それは、人間の想像力のすごさを表すものであるとともに、それだけ、孤独の深さをも表すものとなっている。

 彼女は、ずっとそばにいて自分を支え続けてきたお母さんンに対しては心からの感謝を表しており、4月の文章で発作について触れたところでは、一人では不安と述べているように、日常生活の中では、母親や家族などの存在によって孤独というわけではない。しかし、この文章の後半に、「小さいときからのひとりぼっちの苦しさ」という表現が登場する。これは、そうした日常生活とは別の、言葉によって人と人との間に生み出される気持ちの行き交う世界というものに、どうしても入っていくことがかなわなかったことを述べたものだと思われる。

3)2009年4月12日

小さいときから話したかったけどなかなか話せずよく耐えてきたと思います。見たことを話そうとしても理解したことを話そうとしてもだめで、夢でした、話せるようになることが。やっと話せるようになったので、これからはやわらかい願いを話しながら生きていきたい。小さいころはみんな話せるようになると思っていたけど無理でした。夢でした。みんなもきっとおなじ気持ちだと思います。人間だからやはりみんな気持ちを持っています。みんなも言葉で話したいと思っていると思います。ひとりひとりちがっているかもしれませんが敏感に感じとっている人もいると思います。勇気を出して言いたいことを言いたいと思います。ぬいぐるみのような人生とはおわかれです。

わかりません。きゅうにからだがつっぱってしまいます。意識はありますから、話はわかっています。二年前大きい発作があったときはからだだけでなく意識もなくなりました。みんなのことはわかりません。自分でもどうしようもないので困っています。別にないです。からだを抱き止めてもらえるとうれしいです。自分だけのときはこわいです。ゆうべも発作があったとき一人だったので不安でした。

 

人間として気持ちをもって生きてきて

理解されることなく ひとりのぬいぐるみのような存在として生きてきた

夢をもち未来を夢みてわたしは生きてきたけど

理解されることはなく 時がいたずらにすぎていった

だけどそんな私が言葉をもち 人間としての一歩を踏み出した

人間としての誇りをとりもどした

夢をいっぱい持ち 夢をもっといだいて

これからの人生を生きていこう

理解されたことの喜びをみんなに伝えて

ひとりでも多くのの存在が 誇りを取り戻せるようになることを願いながら。

 

 この日は、小さいときはいつか話せると思っていたということや、仲間もきっと同じような気持ちで生きているという思いが綴られた。こうした切実な思いに私たちはまだ十分に気づきえていないのではないか。そして、こうした気持ちを言葉で伝えることが禁じられた状態は、「ぬいぐるみ」というあまりにも悲しい比喩で語られる。

 そして、この日は、詩も書かれた。4月に亡くなったある少年は次のようなことを語っていた。

 

元気な子どもは言葉を知ってからずっとしゃべり続けてきいたけれど僕たちは決して何もするわけでもなく、ただじっと言葉だけを使って生きてきた。しかも一度もその言葉を誰にも話さずに生きてきたので、ノンフィクションのドラマのような世界を過ごしてきた。だからドラマよりもすさまじい体験をしてきた。だから言葉が研ぎ澄まされてくるのは、当たり前のことなのです。

 

 沈黙の中で研ぎ澄まされてきた言葉の世界そのものの詩だが、その中で、確かな未来を見据えていることに、私は心からの敬意を払わずにはいられない。そして、「ひとりでも多くの存在が誇りを取り戻せるようになることを願いながら」という舞さんの願いに少しでも応えていかなければならないと思う。

 

3)2009年6月14日

気持ちを言えたらうれしいです。小さいときからの夢でした。残念なことがありました。小さいときから気持ちが言えたらきっと話ができていたかもしれませんが、なかなか舞台装置がそろうことがなくて、なかなかみんなと話せませんでした。自分の言いたいことが言えたら人生はもっと稔りあるものになっていたことでしょう。人間として生まれて生きてきて誇りある生き方できたらと思うけど、なかなかむずかしいです。小さいころから願っていたことがかなってうれしいけど、小さいころから話せていたならと思わずにはいられない。別に誰が悪いわけでもないけど小さいときから話したかった。自分の気持ちを言いたかったです。作ったことがあります。詩歌は大好きですから。聞いてください。

聞かせてくださいあなたの気持ち

小さくしかたないそんな小さないい声で 自分の愛を伝えたいから

急に知らない願いは 不思議な声で 

見たこともない美から生まれた犠牲のような気持ちで

人間としての言いたいことと 小さい昔の歌声と 聞いたことのない希望のいいおじいさんの声とじっとくらしてきたことが

見たこともない未来の希望とともに訪れた

びいどろのような風がふき 願いの冒険を苦難からそっと解き放ち

聞いたこともないようなきれいな風の音を小さく聞きながら

いい自分になるために 澄みわたるきのうの空のように 小さく感じながら

いい時を信じながら 犠牲などけして出すことなく生きていこう

なやみのつきはてない未来かもしれないが歩んでいこう。

(歌なら)作っています

 

小さい舟が 小さく願う  涙は雪に 消えてゆく

きのうのだれかの病気のような じみなじまんの舟がゆく

 

 最後の歌は、先に歌詞を書いてもらって、「ドレミファソラシド」と手を振りながら聞いていって、一音一音選んでもらい、リズムについては、聞き取った音を4拍子と3拍子で歌ってみて、選んでもらった。舞さんが、心の中で静かに歌い続けてきた歌だ。こうした歌にしても詩にしても、誰かに聞かせるために作ったものではない。おそらく、決して誰にも聞かせることはないという思いの中で、自分自身のためだけに作られたものだ。

 

(2)川路健正さん

 川路健正さんの通所歴は大変長い。就学前から研究所に通い、養護学校を卒業してからも、ずっと学習を続けてきた。そんな川路さんがパソコンで文章を書いたのは、2009年5月のことだった。

1)2009年5月10日

うれしい。期待していました。いいスイッチですね。自分の気持ちが言いたかった。自分が考えていることがすらすら書けて学校があったら出させてほしかった。大学です。自分で自分の気持ちがいいたかった。いい気持ちです自分の学校に行きたかった。聞いているだけではなく伝えられる学校です。聞いているだけではつまらない。小さいときから話がしたかったです。小さいときから自分の気持ちが言いたかった。おかあさんとおとうさんにはいつも感謝しています。

聞いてほしいことがあります。いつだったか、聞いたことのないきれいな音楽を聞いていくつも涙を流しましたが、二胡という楽器だったかもしれません。聞いて感動しました。聞いたのはテレビです。外国の人が弾いていました。いい音楽でした。聞いてみたいです。小さいころから聞くのが好きでした。外国に行ってみたいです。いい音楽を聞いてみたいです。日本の音楽も好きです。日本の音楽を愛していますが、なかなか聞けません。いい音楽が聞きたい。見たことのないようないい詩をずっと考えてきました。聞いてください。

 

小さな小さな緑の風が 小さく小さく願いをかなえ

小さな小さな鈴の音が 不思議な音色を奏でて消えた

自分の夢をかなえるために 自分と風とシーハイル

緑の風にかかえられ 自分は木々の間を飛翔する

小さないい自分にいい風をうけて 緑のいい風に小さな夢を語らせる

においのいい風が緑になって 春の海岸を駆け抜けて

どこまでもどこまでも 自分が緑の風となり

すばらしい世界を駆けめぐる

風にのって小さな自分は 気球の小さな希望を探し

緑のいい風を受けて 小さな願いを小さくかなえる。

 

詩を書けて詩人になった気持ちです。自分の気持ちが言えるとは思わなかったので、感激しています。

小さな女の子のなくなった話でした。いい言葉でした。いいかんざしをかってあげたいと思いました。小さい子が好きですからいいかんざしを買ってあげたかった。小さい女の子が小さいうちになくなって悲しかったです。小さい子どももがなくなるのは悲しいです。

おとうさん家庭を考えてくださってありがとうございます。からだに気をつけてください。からだに気をつけて長生きしてください。がんばりすぎないでください。いい満足した時間でした。感激です。感動しました。

手を動かそうとすると見えなくなってしまいます。小さいときから困っていました。電池のときは見えます。わかりません。はい。自分の思い通りにからだが動かなくて困っています。

小さいときに覚えました。おかあさんが教えてくれました。犠牲になってくれて、感謝しています。愛されてしあわせです。いい家族です。にいさんがなくなったのが残念でした。聞かせたかった、かあさんにいい詩を。かあさんに聞いてもらえて感激しています。聞いてくれてありがとうございます。ヒーリングのような時間でした。気持ちいいです。願いがかなってうれしいです。聞いてくれてありがとうございます。嵐の夜があけたような気持ちです。聞いてくれてありがとうございます。

 

 冒頭にあるように、川路さんは、中村舞さんがやるのを見ていて、自分もできたらと「期待していた」。そして、全国大会にも参加している彼は、私がパソコンで文字を綴る子どものことを発表したことを聞いていたという。小さな女の子が亡くなったという話は、そのことである。その女の子のにかんざしを買ってあげたかっという優しさを持つ川路さんは、以前から、本物の音楽を聴くと涙を流すというエピソードを持っていた。その音楽についての感性も、また、語られている。そして、中村舞さんと同じく、彼もまた、詩を作っていた。詩の中で使われた「シーハイル」とはスキーの用語でスキーヤー同士の挨拶の言葉のようだが、彼はいつどこで、こんな言葉を覚えたのだろうか。彼の詩もまた、自分自身のためにだけ作られたものであり、まさに、この詩の中で彼は、現実の世界を越えて大空を飛翔しているのである。

 また途中、見え方の問題についても語っている。これだけの文章を綴ることのできる川路さんが、なぜ自発的な選択するなどしてコミュニケーションをとることができなかったのかということの答えの一端がここにある。見本合わせのような課題で、うまく見ることができなかったというわけだ。ただし電池入れは得意であるし、電池は比較的見やすいということになるのだろう。体をうまく使えずに困っているということに、まだまだ私たちは十分には気づけていないということだろう。

 

2)2009年6月14日

小さいときから夢でした。美人のまいちゃんが大好きです。聞いてもらえてうれしいです。美人のまいちゃん、じてきなにおいです。知的なでした。実りある人生にしたいと思います。びっくりしました。いい色のチャンスがやってきました。人間として認められた気分です。人間としていいきちんとした人生を過ごしたいです。自由がほしいです。

聞いてほしいことがあります。ずっと言いたかったことですが、気持ちを言えるようになるとは思わなかったので夢のようです。気持ちを言えたらいいと思ったことが何度もありました。小さいときからの夢でした。気持ちを聞いてもらえてうれしいです。人間として認められた気分です。

聞いてください。聞いてほしいです。

 

聞き直さないでください ぼくの声を

人間として犠牲になったぼくの気持ちは 小さいころからぬいぐるみのようだった

自分の言いたいことも言えず 自分の希望も伝えられず

ぬいぐるみのような気持ちで生きてきた

小さい小さい分相応の生き方だけど みんなとしあわせに生きてきた

いい自分になろうとしてがんばってきたけど つぶやきさえも伝えられず

小さいときから希望だけを大切に生きてきた

自分の気持ちを自由に伝えることもできず

唯一の希望は願ういのちといのちの小さな祈りだった

いい未来が望みとともにやってきた

 

いい人生にするために学校に行ってみたいです。いい人生にするためにじっと耐えてきましたから。犠牲になったおかあさんやおとうさんに感謝しています。くやしくても希望を失わずに生きていきたいです。自由に言いたいことが言えるようになりたいです。自由がほしいです。ぎちぎちの人生はいやです。小さいころからそう思ってきました。いい小さい自分に自由がほしいです。人間として認められそういう人生が送りたいです。聞いてくれてありがとうございます。いい気分です。

 

 「ぬいぐるみ」という比喩がまた語られる。説明は多言を要しない。そして、その直前には「人間として犠牲になったぼく」とある。こうした彼の心に刻まれた痛みにもう一度深く思いを寄せない限り、これからの未来を友に歩むことはできないだろう。

 そして、彼は、「いい人生にするために学校に行ってみたい」と言う。彼が過ごした12年間の学校生活は、けっして無駄な日々ではなかったはずだが、彼の本当の未来を切り開く様々な夢を切り開くことはなかった。それは、舞さんが言うように、「誰が悪いわけでもない」けれど、彼らもまた豊かな言葉の世界を生きているということを周りが気づくという「舞台装置」がなかったのだ。

 

3)2009年7月12日

最高の気分です。自分の気持ちが言いたいです。自分の気持ちを言いたいと思ってきましたから夢のようです。みんなはどんなことを書いているのですか。文を見たいです。

聞いてください僕の詩を。

 

希望にみちた人生に 虹がかかって翌朝は

きっととても明るく晴れるだろう

誰かが練習遅れてきたとしても 僕は小さい夢を持ち

遠い夢によく見たはずの 理想の世界や理想の国を目ざして 一人旅立とう

未来は遠く道の向こうに広がっている

 

いい詩ですか。練習とは気になることがあると希望を学校で勉強するのと、ぬいぐるみのような気持ちで耐えるのとの違いです。人間だから勇気があります。勇気が必要です。理解されたいです。作っています。

 

小さな水の精になり 小さな水の神に会い

小さな光を輝かせ 夢の秘密を解きましょう

人間だから意志がある 人間だから気持ちがある 人間だから願いがある

不思議な夢の秘密を語り 不思議な夢をかなえよう

 

階名で書きます。

ミソラソファファミ ファミレドレ ミソラソファファミ ファミレミド

ラソファミララソ ファミレドレ ドレミファミミソ ラドドシド

ドドドシラシド ミレドミレ ドドドシドミレ ミミレドミレ、

ドドドシドミレ レレレドシド、

ミソラソファファミファ ミファミレドレドレ ララソララド シラシシド、

 

そうです。賛美歌です。私の神さまに捧げる歌です。小さい頃から神さまと話をしてきました。寂しい時に話をしてきました。勇気が出てきました。理解者が必要でした。みんなと話したいです。みんなと願いを離し合いたいです。夢でした。不思議です。不思議な日です。未来を開きたいです。勇気が必要です。舞さんや神恵さんやかなえさんです。勇気が出てきました。

 

 今回は、思う存分に自分が自分のためだけに作ってきた詩と歌を披露した。

 詩には、表現された物は明るい未来への希望。言葉を伝えることができた喜びと重なるものだろう。そして、歌には、言葉を伝えることができなかった時、彼が、静かに作り上げてきた世界が表現されている。それは、厳かな祈りの調べであり、彼は、みずから自分の歌を「賛美歌」と呼ぶ。中盤の「人間だから」「意志」や「気持ち」や「願い」があるという一節は、私たちに深い反省を迫ってくるものである。届かない声で、彼はこのことを叫び続けてきて、ようやく、私たちに届き始めたのだ。

そして、途中、彼の求めに応じて、幾人かの文章や歌を紹介した。最後に「話し合いたい」みんなとして紹介された人たちのものである。同じように気持ちを伝えられずにいて、ようやく言葉が解き放たれた仲間たちと、いろいろなことを語り合いたいという思いは、本当に切実な思いにちがいない。

おそらく、こうした言葉はただ聞き取られるだけでなく、仲間同士でつなぎ合わされなければならないはずだ。

 

おわりに

 私たちのかつての常識を覆して語り出され言葉は、多くの反省を私たちに迫る。その一つに、障害の重いとされる人々が、表現したくてもしえないでいる世界は、ある痛みを伴っているということがある。少なくとも私に関する限り、その痛みについて、かつては鈍感だった。しかし、みんな、小さい頃から気持ちを言葉で表すことを夢みながら、なかなかその思いをかなえられず、そのうちに、その夢はもはやかなわないものといったんはあきらめてしまうことさえある。私のこの数年は、そうした痛みにしっかりと寄り添うところから歩き直すことを求められた年月だった。

 そして、さらに残酷なことに、いったん解き放たれた世界が、もう一度、周囲によって改めて否定され直すということがある。その人にとっては、つかの間の喜びの中で再び失望の中に突き落とされるということだ。その痛みにもまた、しっかりと寄り添うとともに、その痛みを感じないですむ時代を作り出していかなければならない。

 また、今私たちの目の前に表現された豊かな言葉や音楽の世界は、まだ、表現した本人そのものを表しているわけではない。表現した主体である中村さんや川路さんの存在そのものは、その表現の向こう側にある。さらに、本当の姿に迫るための工夫を、いっそう追求していかなければならないと思う。

 今回の報告では、長い沈黙の世界の中から紡ぎ出された言葉の世界の細やかなニュアンスを紹介したいために、引用を多くしたので、許されたページ数を遙かに超えてしまった。ご容赦願いたい。