吏江さんの多彩な姿〜自発と笑顔を中心に〜

 

 

                      国学院大学  柴田 保之

 

 

 中村吏江さんと出会ったのは、昭和57年4月、越谷市立あけぼの学園においてだった。吏江さんは昭和54年11月生まれなので当時2歳。生後9か月に罹ったヘルペス性脳炎の後遺症ということだった。泣いていることが多く、どのようなかかわり合いをすればよいのかわからぬまま、途方にくれていたことを思い出す。春の遠足にお供した時の写真には、吏江さんを抱っこして戸惑っている私が写っている。そして、その年の5月からT研究所へ通所するようになった。昭和61年に越谷養護学校に入学するまでの4年間は、あけぼの学園で週に一度会うことができた。昼食後の午睡の時間、カーテンの引かれた薄暗い部屋で、パッチリと目をあけて友だちの寝息を聞いていたすがすがしい表情は、中でも特に目に焼きついて離れない。

 養護学校入学後は、月一度、研究所でお会いすることになったが、少しずつ安定していく座位の姿勢や豊かになっていく表情を見つめながらかかわりを進めてきた。ところが、4年生の秋頃から足の付け根のところが痛むようになってきて、姿勢を変えるたびに泣くという大変痛ましい状況になり、一進一退の状況が2年ほど続いた。本当に長い2年間だった。ようやく状況が好転を見せ始めたのは一昨年の冬頃からである。その間は、研究所にも、年に2回程度しか来ることができなかった。車に乗ることさえ痛みを呼んだからである。

 だが、すっかり痛みから解放された最近の吏江さんはよく笑う。それも、何と言っても、自分で教材を操作して起こった結果を納得して笑うのである。長いトンネルを抜けたところで出会ったのはそんな輝く笑顔だった。

 

1.吏江さんの多彩な姿

(1)感覚を研ぎすます〜全身の運動を止める〜

 吏江さんが、まさに外界の刺激に対して感覚を鋭く集中させているなと感じられる場面に出会うことがある。連続した刺激にじっと注意を集中させたり、ある間隔を置いて繰り返される刺激をじっと待ち構えたりしているのである。私たちにそうした鋭さの印象を与えるのは、顔で言えば大きく開かれた目と、口もとの表情と言えるだろう。

 目は、大きく見開きつつも、時折ぱちっぱちっと瞬きをし、瞳の動きは、見つめているのでなければ、上の端や横の端の方でじっと止められている。見つめる時は、もちろん対象をとらえてじっと見すえるわけだが、この時は、対象が動けば視線を動かすことになるので、一切の運動を止めた状態から少しずつ運動を起こす状態に変化してくることになる。

 口は、少し開きぎみの自然なかたちで、首の角度がややうつむきかげんであればそこからよだれがツーッときれいに出てくるし(聞きほれている、見とれているという感じ)、また、やや上向きかげんであれば、時折、そのたまったよだれをごくんと飲みこんで口をもぐもぐさせたりする(まさに「飲みこむ《=納得する》」という感じ)。

 ところで、このような時全身の運動は静止しているわけだが、動きを止めるということは、ある姿勢をバランスよく保持しているということであり、それ自体非常に意図的な活動である。特に、座位の時は、上体や首のバランスをきちんと保つことによって初めて運動を止めることができるのである。吏江さんの首の止め方としては、後ろの端で止める場合と前の端で止める場合とがある。一見苦しそうに見えることもあるが、その姿勢を作ることによって、初めて感覚を研ぎすますことが可能となるのである。仰向けの場合でも、力を抜ききっているのではなく、意図的に力を加えて一定の緊張した状態を作ることによって運動を止め、感覚を研ぎすませていると考えられるのである。

 

(2)強い情動の表現〜全身に力が入る〜

 吏江さんは、大きな音や急激な姿勢の変化に驚いたり、痛みなどで不快な思いをすると、目をぎゅっとつぶり顔をちょっと右の方に向け右手をさっと顔の方に持ってくるという動きをすることが多い。全身の動きとしては体を縮めるような動きと言ってもよいだろう。これは、仰向けでも横向きでも座位でも、同様である。出会った時からこのかたちはあり、顔に小さなひっかき傷がいくつもできるような一時期もあった。一方、驚きや痛みが高じて声を出して泣くような時は、全身をそらしている。こうした、全身を縮めたり全身をそらしたりするような動きは、自分で力を調整して作った姿勢というよりは、力を入れた結果そうなったという性格が強い。ある刺激の受容が、調整された運動につながるのではなく、強い情動につながって、全身に力が入ったわけである。もちろん力を入れたのは吏江さん自身であることは言うまでもない。

 ところで、全身を縮めるような動きの方には、ある力の調整につながるようなきっかけが含まれていると考えることができる。全身をそらすような強い情動にいたる前に、全身を縮めるようにしてそれを抑えようとしていると考えられるのである。全身を縮めること自体すでに強い情動の表れでもあるのだが、そのように考えられるのは、時には、上体のバランスを調整するために、空をかくような右手の運動をすることがあるからで、しかも、後述する最近の右手の自発的な運動のことも考慮すれば、こうした強い情動の表れとしての右手の運動の中に、すでに調整の芽生えがあると考えられるだろう。

 

(3)意図的な外界への働きかけ〜調整された力を体の部分に入れる〜

@首の運動と口の触覚

 かかわり始めて2年目ぐらいから、首を左右に振って口で物を触って確かめたり、同様に首を左右に振って頬でスイッチを押すというような場面にずっと出会ってきた。なお、これには、こちらの働きかけが首の運動のきっかけになる場合と、吏江さん自身がすでに首の運動を起こしているところへ働きかける場合とがある。すなわち前者については、座位をとった吏江さんの唇に軽く風船などが触れるようにしたり、頬にスイッチが軽く触れるようにすると、首の運動が起こって、触って確かめたり、教材を操作したりするのである。この時、吏江さんの工夫は、単に首を動かすことだけにあるのではなく、首を動かすことで不安定になる上体や首のバランスをたえずとっているということも忘れてはならない。また後者については、自ら上体のバランスをとるために、特に口や頬に何かが触れているわけではないのに、首を左右に振るのである。吏江さんにとっては、それ自体で充足した運動なのだろうが、ここで口で触れる物や頬で操作できる教材を提示することによって、その運動に新しい意味をもたらすことができるのである。ある場合には吏江さんにとっては迷惑かもしれないが、よりおもしろく感じることもあるだろう。

 さらに、この首の左右の運動は、次に述べる右手の運動を調節する役割を果たすこともあるということも付け加えておきたい。

A右手の運動

 足の痛みから解放されるようになってからのこの1年半ほどのかかわり合いの中で、特に顕著なことは、吏江さんが右手で教材を操作するようになったことだ。そして、最近は、右手で教材を操作して音がなると、とてもうれしそうに笑うのである。この右手の動きは、もともとは驚きや痛みなどの《強い情動の表れ》だったものが、《バランスをとる動き》へと発展し、さらに《操作する動き》へと変化してきたものと考えられるが、顔に手がいって不快そうにしている時にはそんな手の動きはいとわしくさえ思えたが、吏江さん自身は、そういう望ましからぬ動きを新しい運動へとしっかりと組み立て直してきたわけであり、何かしたたかさのようなものを感じる。


@)横向きの姿勢における右手

 平成4年2月9日の通所では次のような場面が見られた。吏江さんを右手が上になるような横向きの姿勢にして、筒すべらせスイッチ(図1)を右手につかませてあげたところ、顔に手を引き寄せる時と同様の肘を曲げる運動を起こして筒を引き寄せ、何度もホロホロチャイム

を鳴らしたのである。最初に右手を筒につかませてあげた時は、まだ横向きの姿勢になったばかりで、姿勢が定まらず、右手や首や上体をもぞもぞと動かして姿勢の定まるところを探していたので、その右手の動きが偶然筒を引き寄せることにつながったという感じだったのだが、しだいに、意図的になり、深く集中して運動を起こしているという印象を与えるようになっていった。

 具体的には、まず、力の調節については、力が強すぎると筒は終点まで動くが、手はそのまま筒から外れて行き過ぎる一方、弱すぎると終点まで動かない。筒を終点まで動かししばらく止めるためには、ちょうどよい強さの力が必要なのだ。吏江さんは、最初、強い力で行き過ぎる運動を起こしたのだが、次第に、運動を小さくしたり、ちょっと強くしたりというふうに、力の種類を工夫して、適当な力でスイッチを押し続けるということが何度もできたのである。そんな中で、いったん肘を伸ばすような反対の運動を起こしてから引き寄せるといった運動や、力が強すぎたため筒から外れそうになるのを、懸命にこらえようとして握り直そうとするなどの工夫も見られたのである。

 また、姿勢の調節については、横向きにしたばかりの時にはまだ姿勢は安定していなかったのだが、しだいに首を少し右に回したところで止めた姿勢で手の運動を起こし始めたのである。途中、あくびをしていったんその首の力が抜けても再びもとの位置に戻したり、こちらがいったん姿勢を作り直していったんまっすぐ向いた顔が、運動にともなって再び右を向くようになったりするなど、姿勢を意図的に作って運動を調節しようとしていることをはっきりと見てとることができた。

 顔の表情についても、瞳を右の端の方に寄せ、まばたきを盛んにし、口を時折もぐもぐとやっており、結果としてのホロホロチャイムの音や、握っている筒の触覚的実感、加えた運動の力の実感などを、繊細に受容していることがうかがわれた。こうした厳密な受容が、自分の運動と結果の音との関係の理解を、際立たせているのではないかと思う。

A)座位における右手

 この1年半のかかわりでは、足が痛み始める以前のように積極的に体を起こすことを試みてきた。その都度の感じで、大きなビーズクッションに背中全体をもたれて座位をとったり、背もたれのない椅子に座って肩をちょっと支えたりしてきたが、だんだんと、肘を机についてできるだけ自分で座るような場面

 


が増やせるようになってきている。

 最近のかかわり合い(7月16日)では、こんなことが見られた。この日は、初めから机に両肘をついた姿勢で

横に倒れないように脇の少し下の辺りを後ろから軽く支え、右手に図2のような回転式のハンドルスイッチを触らせてあげた。すると、しばらくその姿勢を確かめるようにじっとしてから、首を右に振った後、右肩を軽くぴくっと上げ、肩から肘にかけての上腕を主として動かしてにっこり笑ったのである。表情等から音や自分の体の動きや姿勢のバランスに対して細心の注意を払っているように思われていたのだが、自分の運動とそのバランスの変化、それに続く音というものの関係が理解されたことが生んだ笑顔だと思われた。ちなみに、その直後、私が間違えて鳴らしたチャイムの音には全く反応しない。その後も、肩をぴくっとあげ、主として上腕の動きでチャイムを鳴らして楽しそうに笑った。

 こうしたことがしばらく続いた後、集中して体がいささか堅くなったように思えたので両手を上に伸ばして揺すってあげたら、とても気持ちよさそうに笑った。そして、もう一度もとの姿勢をとらせると、今度は、肘から先の前腕を主として動かして連続してチャイムを鳴らしたのである。動きとしても先の運動より大きく力強くなり自信に満ちているようにも見えたが、大きく動かし過ぎて手が離れ後ろへそってしまうということも起こった。しかし、これは逆に、これまでいかに、吏江さんが自分の体のバランスに対して慎重であったかを示していると言えるだろう。

 上腕を使うか前腕を使うかということは、吏江さんにとっては、その時のバランスが関係していると思われる。特に、この日の姿勢では肘に体重がかかっているので、よりいっそう右手の運動が上体のバランス全体に関係していたのである。
 ところで、こうした上体を起こし机を前にした姿勢においては、この研究会でよく話題になる垂直軸や水平面というものが外見的な要素としてはそろっていることになる。だが、そうした垂直軸や水平面というのは、子ども自身が主体的に構成していくものである。そして、この場合、垂直に起こした上体と、水平面に体重をかけて支える手とのバランス、さらにその水平面に沿って運動する手とのバランスを、たえず細かく調整するという吏江さんの自発的な活動を通して、垂直軸や水平面が構成されていると言ってよいだろう。

2.私たちに問われているもの〜笑顔の意味〜
 小学2年の弟の友紀君がとてもおもしろい言葉を言った。「吏江ちゃんが笑ってるよ! みんな、見ないと損するよ!」『障害の重い人たちに学ぶ会』という小さな会で、月に一度、こばと館という越谷市の会館の一室に集まっている時のことだった。みんな話に夢中になっていて、吏江さんが笑っていることに気がつかなかったのだ。笑顔が持っている価値と、それによって心が満たされるのは私たちの方であるということを、実にうまく言ってくれたなと思った。 笑顔というのは、それだけで私たちの心を明るくさせてくれる。だが、おそらくその笑顔の価値が心から感じられるのは、何らかのかたちで、吏江さんと共に生きてきたという事実が存在しているからだろう。笑顔の背後にある吏江さんの感じ方、考え方、運動の起こし方の世界に少しでも迫ることにより、少しでも吏江さんに届くような働きかけができるならば、そこに共に生きる時間というものが生まれるのだろう。今、輝かしいばかりの吏江さんの笑顔が目の前にある。その笑顔の意味を少しでも深く感じとっていきたいと思う。