研ぎ澄まされた心と言葉

―閉ざされていた障害の重い人々の言葉の世界―

                                                                                                                  柴田保之

 

目    次

1.言葉の有無をめぐって

(1)言葉の有無と人間の尊厳

(2)言語表現への誤解や無理解

2.他者への思い

(1)家族への思い

(2)友への思い

(3)想像上の他者の存在

(4)世界に向けられたまなざし

3.学びをめぐって

(1)学びへの渇望

(2)文字習得の経緯

4.自己をめぐって

(1).大人になること

(2)障害について

5.研ぎ澄まされてきた詩的表現

 

 

 障害がきわめて重く発達の初期的な段階にとどまっているとされる子どもたちの自発的な運動を呼び起こすことを目指す関わり合いに携わって20数年が経過した。そして、その関わり合いを通して、感覚の使い方や運動の起こし方、姿勢の調整の仕方などをめぐって、実に緻密な世界が広がっており、一人一人の存在の奥行きの深さを手応えをもって明らかとすることができた。そして、それは今でも変わっていない。

 ところが、1997年に、ある一人の少年に出会ってから(柴田、2001)、そうした障害の重い子どもたちの中に、たとえ、明確なコミュニケーションの手段が確立していなくても、すでに豊かな言葉の世界を有している子どもが存在することが、パソコンによる言語表現を通じて少しずつ明らかになってきた。最初は、そういう子どもたちの存在は、見かけ上の障害が重く見えるだけの例外的な存在だと思っており、あらかじめ言語理解の可能性が予感されるような子どもに限られるものだった。しかし、そうした子どもたちとの出会いが増えていくとともに、まさかこの子がと思われるような子どもたちや成人の中にもそういう存在がいることがしだいに明らかになっていった(柴田、20022006)。

 そして、2004年に、それまで数年にわたって関わりをもってきたお子さんが突然、パソコンで文字を綴るということがあった(柴田、2005)。そのお子さんは、私が関わっているすべてのお子さんの中でも、ほとんど全身の動きのないもっとも障害が重いと考えてきたお子さんだっただけに、自分の障害の重さに対する考えを根本的に見直す必要を痛感せざるをえなかった。そのお子さんが属していたのは10名ほどのグループだが、その中でも彼女はもっとも障害が重いと考えてきたので、彼女が文字を綴った以上、それまでその可能性を考えても見なかった他のメンバーにも、挑戦しないわけにはいかなくなった。すると、十分な目算があったわけではないが、わずか4ヶ月の間に3人の子どもがワープロで言葉を綴ることができるようになったのである。3名とも、それまでにすでに長期にわたって関わりをつづけてきただけに、言葉の存在に気づけなかったことは、やはり私たちの中の奥深いところに考え違いがあることを厳しく示すものであった。

 そして、きわめて残念なことに、私たちに強い反省を迫ったそのお子さんが、文字を綴ってわずか半年後に10才でこの世を去ることになった。これからたくさんの気持を聞こうと思った矢先の悲劇だった。だが、彼女は、私たちに、未知の可能性の領野という大きなプレゼントを残していってくれた。

 このグループでの経験は、私たちをまったく新しい世界に誘うこととなり、それまでの思いこみの壁を次々と突破するように、様々な障害の重い子どもや成人がパソコンによって文字を綴るようになっていった(柴田20072008)。

今、私は、どんなに障害が重くても、相手が言葉を綴る可能性を有しているということを前提に関わるようになっている。何か客観的な指標によってそのことが関わりを持つ前にあらかじめ予測できるならば、それに越したことはないだろう。しかし、今のところ、関わり合いをもって言葉を引き出せた時に、その相手が言葉をもっていたと事後的に言えるのみで、仮に言語を導き出すことに失敗しても、それだけでは言葉がないことを何ら意味するものではなく、可能性はただ開かれたままになっていると言えるだけなのである。

しかし、医学や心理学の現状では、こうした子どもや成人の方々は、客観的とされる医学的なデータや発達診断などから、言語獲得以前の段階にあると判断されることがほとんどである。そして、医療や福祉、教育の現場でも、そうした認識が広く共有されており、しかも、それは、実際にそれらに携わる人の日々の実感に必ずしも背くものではないのである。

そうした現状のため、私たちの取り組みは、専門的見地や現場の実感からは、非常に無謀なものと見なされることが少なくない。もちろん、私たちが理解を広めるための努力を進めることが何よりもまず求められることである。そのためには、客観性や実証性の議論も、厳しく乗り越えていかなければならない。仮に、私たちの取り組みを否定する人がいても、それは、現在の学問や現場の常識の水準から言えば、まったく無理のないことであろう。

しかし、残念ながら、目下のところ必ずしもそうした努力は実を結ぶにはいたっていない。だが、私の努力の問題とは別に、理解されることを求めて障害の重い子どもや成人の方々が、現実に毎日を過ごしているという現実がある。しかも、私がそのようにして関わり合いをもち、言葉を綴るにいたった人たちの数は、160名を超えるが、その中には7名の故人が含まれる。時間は無限に与えられているわけではないのだ。

ところで、長い間、言語の習得の事実を看過され、言語による表現の可能性を断たれて生きるということは、どういう心の世界をそこに生み出すのだろうか。それは、常識的に考えれば悲惨をきわめる世界のようにも見える。しかし、人間とは、いかなる状況においても尊厳をもって生きぬこうとする存在であろう。実際、私が出会った方々によって綴られた言葉の数々は、そのような状況の中で研ぎ澄まされた心の存在を表すものだった。

 本稿では、そうした子どもや成人の方々の言葉のいくつかを抜粋して、彼ら、彼女らの心の世界の一端を描き出してみたいと思う。記述にあたっては、一人一人の障害の状況やコミュニケーションの現状などについての記述は省き、紡ぎ出された言葉に焦点をあてていくことにする。なお、ここに紹介するのは、若干の例外を除き、通常は、こうした言語表現の力を持っているとはおよそ考えられてこなかった方々の言葉であることをあらためて断っておきたい。

 

 

 

1.言葉の有無をめぐって

(1)言葉の有無と人間の尊厳

 障害の重い人たちの言葉の世界を記述していくにあたって、冒頭で確認しておきたいことは、言葉の世界の有無が一人の人間の命に重さに決して区別をもうけるものではないということである。

かつて発達的に言語獲得以前の段階にあると想定してきた方々の中の多くが、実際には言語を有していたという事実に出会うことによって、重度・重複障害ないし重症心身障害というものの根本的な見直しを迫られている現状にあっては、目の前の方が言語を有しているかいないかについて、確たることを言うことができないわけだが、かつて私たちが言語獲得以前の段階にあるとして明らかにしてきたのは、どんなに障害が重く重複していても、そこに、その人自身の感じ方や運動の起こし方、考え方があり、外界を何らかのかたちで受容し、その受容に基づいて、感覚や姿勢の働きを通して調整を行いながら外界に対して何らかのかたちで自発的に働きかけるという姿であった。そして、そこに、その人の奥行きの深い世界を認めることができた。このことは、目の前の方が言語を有していようといまいと、堅持されなければならない考え方である。このことを見誤ると、障害の重い方々との関わり合いに、能力主義や差別を持ち込むことになり、ひいては、命の重さに優劣をもうける優生思想にたどりつくこととなる。そのことは厳に慎まなければならない。

 ある小学4年生の少女の言葉に、次のようなものがあった。

 

わたしがことばをしっていたことをなぜわかってなかったのにやさしくしてくれたのですか

ありがとうございます にんげんとしてみてもらえてうれしいです2007624日)

            (bP.小学4年生女子:1757と同じ)

 

私に向けられたこの言葉は、表向きには、私に対して「なぜやさしくしてくれたのか」と問いかけ、感謝を述べてくれたものだが、この言葉が暗に意味していることは、多くの人は、自分が言葉を知らないと考え、やさしくしてくれなかったし、人間として見てもらえなかったということである。私たちは、相手が言葉の世界を有しない存在であると考えると、対等に見ることをしないということを、痛烈に批判した言葉であるとも言えるだろう。

 言葉以前の段階を生きるとされる存在を福祉や教育の現場に迎え入れて、すでに長い時間を経過しているというのに、このもっとも根本に横たわる問題の解決が不十分であるということを痛感せざるをえないひとことであった。

 言葉の世界の有無は人間の尊厳には関係がない。そのことを十分にふまえた上で、私たちは常に言葉の存在の可能性に目を見開き続け、もしそこに言葉の世界が存在しているのであるならば、ていねいにその言葉の世界を聞き取らなければならない。これを基本的な身構えとして、先に進んでいきたいと思う。

 

(2)言語表現への誤解や無理解

 現在の私たちの方法は、何らかのかたちで相手と直接接触して運動を援助している。その内容は、スイッチを持つ、持ったスイッチを相手の動きに沿って動かす、相手の手をもって支える、相手の運動の意図に沿って手を導く、一緒に手を動かしながら相手の意図を読み取るなど様々であるが、体の保持やスイッチの固定などの状況を設定した後は、本人に触れずに任せるというかたちでは、ほとんどの場合、残念ながらうまくいかない。障害の状況によって様々だが、みんな、姿勢の保持、運動方向や強さ、タイミングのコントロールなどに困難をかかえているからである。別言すれば直接的な援助を必要としないような障害の状況の人はたいてい、意思表示の手段を持つことができ、言語理解の存在が確認されるからである。意思表示は、どんなに小さな動きでも、肯定と否定に関して、二つの区別する動きを、確実性をもって、タイミング良く出せるということが必要条件となる。こうした動きがあれば、設定の工夫をすれば独力でのスイッチ操作が可能となるのだ。

 以上のような理由で私たちは、言語表現の援助を直接的に行っているのだが、そのことが、信憑性や信頼性の議論を呼び込んでしまう。それが、大切な議論であることはもちろんだが、疑われている当事者の立場に立つと、信憑性や信頼性を云々している世界とはまったく違った世界が開けてくる。それは、自分を言語的な認識の存在する者と見なされ、当たり前の人間として認められるか、それとも、そうでない者として、不当に扱われるかというぎりぎりの状況が反映される世界である。

 最初の文章は、肢体不自由の特別支援学校高等部に通う生徒の言葉である。しっかりとしたまなざしで彼は、無言の意志を伝えてくる人だ。

 

またあえてうれしいです。つらいことがありました。せんせいにわかってもらえなくてしんじてもらえませんでした。ちいさいときにべんきょうしてじはおぼえたのにひていされてくやしいです。なぜかのうせいをひていするのでしょうか。かなしいです。べつにせんせいがそろってひていすることはないとおもうのにへんです。おとながかってにこどもたちのこえをかきけしてはいけないとおもいます。ふしぎですせんせいはぼくたちのことがなぜわかったのですか。いろいろなせんせいにあってきたけどりかいしてくれたのはせんせいだけです。よくなってほしいなとおもうけどしんじてもらえないのはつらいです。2008420日)

(bQ.高校2年生、男子:54と同じ)

 

はいやいいえ、カードによる選択などで、ある程度のコミュニケーションはとれているようだが、これだけの文字の能力が存在するとは誰からも思われずに来た。彼は、無心に尋ねる、「ふしぎですせんせいはぼくたちのことがなぜわかったのですか」と。答えは、簡単だ。私だって長い間わからなかったのだが、障害の重い人たちが私たちの迷妄の隙間をついて、言葉の存在を訴えてきたからだ。それは、いったん気づいてしまうと簡単なことなのに、立ちはだかる常識の壁のいかに厚いかを彼は訴えているのだ。障害児の学校にいる先生方は、子どもたちを心から理解しようとしている人たちでいっぱいだ。それでも、なお、このような言葉を発せざるをえないところに、この問題のむずかしさがある。

 次の対話は、小学生によるものである。二人の男の子と一人の女の子の3人のクラスメイトに対する関わり合いで、3人ともにパソコンによって思いを綴ることができた。これは、その後の関わり合いで、女の子が休んでいる時に、男の子が2台のパソコンを並べて綴ったものである。

 

A:どうやってわかってもらえばいいか

B:くちでわかってもらえなくてもねがいをつたえるのはたいせつです

A:どうやってつたえたらいい

B:むずかしいけどがんばることがたいせつです

A:がんばりたいけどたくさんがまんしないといけないかもしれない

B:しんじてもらえるまでがんばろう

A:わかってもらうことができないのがくやしい しんじてもらえるかどうかわからないでもしんじてほしいね ともだちだからくるしくても××ちゃんもいっしょにがんばろう

B:××ちゃんはおんなのこだからしらないとおもう ひとはおんなのこにはやさしい たよられたらいやとはいわないとおもうけど

A:××ちゃんもそうおもうとおもうけどふたりのかんがえたことはわすれずにいないとね

2008530日)

(bR.小学5年生男子:B君は、77と同じ)

 

 こうした状況が生まれてしまうのは、これまでのいろいろな経緯から、いきなり学校の先生に文字を綴れるという事実を伝えても理解が得られないどころか、誤解を生んでしまうおそれがあるために、保護者がはっきりと学校に伝えることがむずかしいという事情も反映されている。彼らには、そんな大人の事情は不可解なだけだろう。それでも、懸命にいかに理解されるかを語り合っている。理解しない大人たちよりも、彼らはずっと先を歩いている。

 次の文章は、中学生の文章である。率直な物言いのできる少年で、この文章は、自分の友人のことをユーモアを交えて書いたものである。直接、信憑性を問題にしたものではないが、彼には、せっっかく表現できるようになっても、そのことが容易には受け入れられていかない現実を、自分自身や仲間の事実を通して体験してきており、この文章はそのことを背景にしたものである。

 

○○○さんのわかっていることをせんせいたちにりかいしてもらえてよかった。りかいしなければやきをいれてやるところだった。はずかしいとおもうべきだ。いままでかかるなんておそすぎたけどきづかれないよりはよかった。いがいせいこそのうりょくのひとつだとしるべきだ。ざのさめないうちにくもんにみちたときをよろこびのときにかえてしまおう。かこのくのうをみらいのかんきにたかめよう。20071227日)           

(bS.中学生男子:1470と同じ)

 

ここで言及されている友だちは、かねてから彼が自分の好きな人として名前をあげていた女の子だが、私たちがその女の子の言葉の世界の存在をわかるのに、時間がかかったのに対して、彼は、実際には言葉を交わし合ったことはないにもかかわらず、その子の言葉の世界の存在を自明のものとしていたのである。こうした例は、少なくなく、あの子も自分と同じように表現できないだけで、豊かな言葉の世界を有しているという共感的な認識は、むしろ、当事者としては当然なのかもしれない。彼の言うとおり、私たちの無理解は恥ずべきことなのである。私が最初に彼女に出会ってから、彼女がワープロによる言語表現が可能になるまでに、18ヶ月を要したのだが、それは、まさに彼の言うとおり、「おそすぎた」のである。

次の文章は、施設で暮らす高校生のものだ。私は知り合いを介して彼の通う学校の校長先生に声をかけられたことがある。それは、この高校生に言葉があると言っている人がいるが、どういう人が言っているのかを確かめたかったとのことだった。それは、まさに、信憑性が問われていたことを物語っていた。

 

しばたせんせいあいたさがつのってたまらなかったぜ なやんでよるのながさがみにしみる。なかなかしせつせいかつをするのはたいへんでおもうようにはいかないけど しんでしまうわけにはいかないのでがんばっていきているぜ。もっとりかいしゃがほしいとおもっているけど わかってくれるひとはすくないからどうしようもない。わかってくれるひとをどうやったらふやすことができるかわからなくてこまっている。よいかんがえはないかおしえてほしい。ねがっていることはただひとつだけ あいしあっていきていくことだ。ほんとうにそうおもう。ぼくらはみんなそうおもいながらまいにちいきている。わかってもらいたい。なぜわかってもらえないのかがわからないけどわかってもらえるまでうったえていくつもりだ。2007年6月23日)    

(bT.高校2年生男子)

 

 「なぜわかってもらえないのかがわからない」という言葉はまさにその通りだろうと思う。関わる側だって、言葉が理解できない人に関わるよりも、言葉が理解できることがわかっている方が、関わりやすいはずである。仮に、相手からの意思表示を読み取ることはむずかしくとも、確実に理解していることがわかっていれば、安心して話しかけることができるからだ。現在彼との日常的なつきあいがないため、何もできないが、ただ、「わかってもらえるまでうったえていくつもりだ」という彼の力強さが救いである。

この項の最後に、通所施設に通うある20代の男性の文章を紹介したい。一つめに登場する○○○さんとは、彼と長い間同じ施設に通っていて、ようやく言葉を表現できたきわめて障害の重い女性のことである(残念ながら、その方は、その半年後に亡くなった)。

 

○○○さんはのぞみをかなえられてよかった。てがつかうことができなくてもわかっているひとがたくさんいるけどなかなかいいたくてもいえなくてかなしい。このことはりかいされにくいけれどさんぴめぐるぎろんよりもだいじなのはなかなかはなせないひとのきもちです。2007127日)

なぜみんなしんじてくれないのでしょうか ふしぎです せっかくはなすことができるようになったのにざんねんです せんせいたちはなぜかのうせいをしんじてくれないのでしょうか おしいです ぼくたちのそんざいをむししてもらいたくないです てをつかえなくてもにんげんとしてとうぜんのけんりがあるはずです とうぜんのけんりをたいせつにしてもらいたいです うまくいえなくてもぼくたちはにんげんとしてきちんといきています200810月4日)

                  (bU.20代前半男性:13と同じ)

 

「賛否めぐる議論よりも大事なのはなかなか話せない人の気持ちです」というのはあまりにも的を射た表現である。

長い沈黙の時を経て思いを表現した時、きっと誰もが両手放しで喜んで、そのことを受け入れてくれると思ったのではないか。言葉さえ表現できれば自分を取り巻く環境は劇的に変化すると考えたかもしれない。ところが、思ったようにこのことは理解されていかない。それは、また、新たな失望を生んでしまったことだろう。理解されないということは、表現ということに関する「とうぜんのけんり」を侵害されていることなのだ。

信憑性の問題は、当事者にとっては、非常に残酷な議論になりうることに私たちはもっと敏感でなければならない。

 

(3)気持ちを伝えられない世界

 表現すべき言葉を持っているにもかかわらず、その機会を得ることができずに生きていく中で形作られる世界とは、一体どのようなものなのだろうか。おそらく、おかれた人間関係やコミュニケーションの様態に、大きな影響受けることはまちがいない。様々なことを思いめぐらしながら、そのことを伝えられないどころか、そのような思いがあることさえ理解されないでいるという状況は、私たちと比べれば非常に疎隔された厳しい世界であることはまちがいないだろう。ここでは、理解されることと表現することがかなわなかった心の世界をストレートに吐露した言葉を取り上げたい。

 最初に紹介したいのは、私が27年前に出会って関わりを続けてきた男性が最近になって文字を綴った時の言葉である。この時点で34歳の彼は、決して放置されていたわけではなく、専門家と呼ばれる人間から様々な働きかけを受けて今日に至る人である。それでも誰も彼にこんな力が潜んでいることを見抜くことはできなかった。その中で、もはや自分が言葉で話すことをあきらめていたのである。

 

なぜわかったのことばをしっていたことを ことばではなせるとはおもわなかった ねがってもかなわないとおもっていた てをつかえるとはおもわなかった やっときもちをつたえることができるのできぼうがでてきました ふりかえるとながいねんげつだった。 りかいしてくれてありがとうございます。20085月6日)

ことばがつかえることがわかってほんとうによかったとおもいます もしいっしょうはなすことができなかったらほんとうにどうなっていただろう ほんとうによかった200874日)

(bV.34歳男性:2539と同じ)

 

 27年間、言葉を知っているということを前提につきあってこなかった私が、突然彼にワープロを試みた。最初の「なぜ」には、その時間の重みがある。彼にとっては、いったい突然、どうしたのということだったろう。その上で書かれた「ふりかえるとながいねんげつだった」という言葉は、私との間に流れてきた年月だけに、胸にしみてくるものだった。そして、長い間このことがわからなかったということを、ただ彼には、謝るしかなかった。そして、その上で、これだけの歳月はかかってしまったけれど、何とか、彼の言葉に気づくことができて、「ほんとうによかった」と私も思う。彼と同じ頃に同じ通園施設で出会い、その後もずっと関わり続けていながら、途中18歳で亡くなった女の子のことも頭をよぎる。彼女にもおそらく確実に言葉はあった。しかし、間に合わなかったのだ。

 次の方は、ある入所施設で長い間暮らしている37歳の女性だ。30数年の沈黙の中から語られた言葉の重みがここにもある。

 

らくにわかるのでうれしい なぜできるとわかてくれたか わたしだれにもはなしがりかいしてもらえるとはおもわなかった かんしゃします くなんのひびがたたかうきもちにかわりました あたらしいはじまりです あなたしかわかってくださらなかったけどこれからはみなさんがわかってくれます りかいとしんらいこそたいせつです ありがとうございます2007829日)

(bW.30代後半女性)

 

 頻繁に面会に来られるお母さんのていねいな口調に似ていると見守っていた先生に言われた。残念ながら、この後、信憑性の議論を呼んでしまい、必ずしも「みなさんがわかるように」なったわけではないと聞く。だが、きっと、「たたかうきもち」で生きておられることだろう。

次に、高校生になってようやく、パソコンによって表現手段を得た5人の文章を紹介したい。

 

うらやましかったけれど ひとりでこそにんたいしていれば いつかきもちはつたわるとしんじていました。じぶんのきもちたたれるのがつらかったけれど あきらめなかったからといいたいきもちです。ながかったけれど やっとかないとてもらっきーです。くせんしてきたけれど とうとうかつことができました。がまんしてきたかいがありました。やっときぼうがでてきました。2007529日)                 

なやんでた けなげにみえるが ほかからながめると すべてのことがわからないようにみえるじぶんを すなおにうけいれてもらえるか きっとだれもりかいしてくれないとおもっていて あきらめていた でもうけいれてもらえて たいしたものだとおもっている なぜねがいがかなったのか ふしぎだけど ちゃんとひとりでたたかったかいがあって やっとねがいがかない とてもうれしい。すばらしいことはりかいされていることです。うれしさがあふれだしてきます。いろいろなきもちがわかってもらえてまんぞくしています。20071226日) 

(bX.10代後半男性:3163と同じ)

 

わたしずっとえられぬもんだとかんがえてきたことばをりかいしてもらえるとは。

                200633日)

えいえんにりかいしてもらえないとおもってきたけれどせいいっぱいがんばってきたことをとてもほこりにおもいます。とわにきぼうをもちつづけていきたいとおもいます。2007年6月1日)

         (10.高校生女子)

 

わかってくださってありがとうございます。うれしいきもちです もうだめかとあきらめかけていたけれど きぼうがでてきました なぜわかってくださったのですか。くやしがあっちゃったけどみんなにわかればいい20071222日)

11.高校2年生女子:76と同じ)

 

うれしいやっといいたいことがいえる まっていたこのときを きぼうがでてきました そつぎょうのことがきがかりです りかいできるひとがいるところにいければいいとおもう2007829日)         

12.高校2年生女子)

 

 ここには、高校生になるまで言葉で表現できないだけではなく、言葉を豊かに持っているということさえ気づかれなかった若者の気持が切実に綴られている。

 一人目は男性であるが、自由に語れることをうらやむ気持ち、それでも気持が伝わる日を信じてあきらめずに「にんたい」してきたということが語られるが、ひときわ目を引くのは、「かつ」という言葉である。ただただ受け身のままに生きてきたわけではなく、この忍耐の日々は、主体的にいどんできた戦いだったのであり、勝利は、あくまで向こうからやってきたものではなく、自らが戦いの成果として勝ち取ったものなのである。

 二人目は、女性の文章で、二度にわたって書かれた文章である。一つ目の文では、もう半ばあきらめかけていたということが率直に語られている。この方との出会いは、10年以上も前に遡る。私たちは、彼女の自発的な動きをいかにして引き出すかということをもっとも重要なことと考え、様々な教材を工夫し、彼女の貴重な笑顔に接するなど、いろいろな手応えを感じてきたはずだった。しかし、それは、言葉に関して言えば、「ずっとえられぬものだ」という諦念をもたらす結果となってしまっていたのだ。そして、一月後に綴られた二つ目の文章には、その思いの後に、「せいいっぱいがんばってきたことをとてもほこりにおもいます」との言葉が続く。一人目の男性と思いは同じであり、戦いという言葉こそ使ってはいないが、戦いをかちぬいてきた誇りが語られている。

 三人目の女性も、「もうだめかとあきらめかけていた」人だ。「くやしがあっちゃったけど」とは、あきらめかけていたということを両親の前で語ってしまったことに対して生じた、慎み深い心の動きだ。あきらめかけていたとは確かに、本当の気持ちだろう。しかし、大切に育ててくれた両親に対して、その言葉を生にぶつけることは、やはりためらわれたのだろう。短い言葉だが、「みんなにわかればいい」と続けられる彼女の心の広さは、また、二人目の女性と同じ矜持を胸にもっているからであろう。

 四人目の女性の気持は、「うれしいやっといいたいことがいえるまっていたこのときを」という言葉にストレートに表されているが、彼女もまた、「きぼうがでてきました」という言葉にあるように、希望を失いかけていたことがうかがえる。そして、生まれてきた「きぼう」とはうらはらに、高校を卒業した後のことへの不安も語られた。ただし、ここで彼女が言おうとしている「りかい」は、自分の言葉を理解するということではなく、自分の存在を受け止めてくれるというようなことかもしれない。なぜなら、将来への不安は、翻って現在は家族や学校の先生に「りかい」されているというようなニュアンスがうかがえるからだ。

 こうした四人の文章から、読み取っておかなければならないことがもう一つある。それは、表現の手段を持たなかったという体験が決して安易な同情を許さないものであるということだ。それは私たちには想像を絶するほどの過酷な体験である。しかし、すでに述べたように、彼らは、この沈黙の時代を誇りをもって主体的に戦い抜いたのである。私たちが寄せるべきものは、深い敬意でなければならないだろう。

  次に紹介したいのは、そうした体験を別の言葉で表現した文章である。

 

けんこうなからだとこころのおとうさんのくらしでかていすっかりへいわです。すべてがうまくいっています。なにもけってんはありませんかんしゃしています。あすからもいいくらしをくりかえしていきましょう。すばらしいじんせいですにせものきらいいいじんせいですよ。200656日)

ありがたいとおもいげんきがでますがほんとうはぼくいきお(を)しないですごしてたのくるしきひでしたいかにくるしまないようたえていきていくかーからいよのなかになった か(が)まんしていきてきたかりもののじんせいはなんてつまらない2006915日)

        (1320代後半男性:bUと同じ)

 

わかるよ すごく せんせい せっかく せんせい ゆめりと(ゆめみて)ちかに いたよ だから ちかや(いや) みんなに おす きー つくってね2005725日)

ちかも くち いう いう ちがい ちきしょう(表現できない子も話すんだよ。言えるか、言えないかの違いだけなんだよ。)(20051025日)

ちくき(地茎=地面から茎が出て来るように、表現できない苦しさから抜け出した)すげい(すげえ) へいき(平気)すけそう(透けそう(心の中が見えてしまう))きめ(決め)すて(捨て)ゆき(行き) (詩=文)(気持ち)かく(書く)(自分の気持ちを文で書けるようになり、茎が伸びるように、地下から抜け出すことができた。自分の気持ちを伝えるのは、すげえ平気。)つち(土)かき(掻き)(詩=文)くらい(暗い)ききでいた(危機だった)(文を作れるようになるまでは、暗く危機だった。)(20051220日)

いつも地下 いつも経験し 地下見てる

退屈してるんだ 宇宙記録目指し いつも退屈さ

北に南に車イスで飛びたい…

転んでも平気さ 明日 地下生活から飛び去ろう

さあ行くぞー 来た遅いなー 言われたりして 2006年夏)          

14.小学6年〜中学1年生男子:bS、70と同じ)

 

けしてあきらめないものうたってすばらしいいつもそばにいてなぐさめてくれる。あえなかったときさびしい (あえないとさびしいという相手は?)うた。 きてくれてありがとう。 2007220日)      

15.高校生女子)

 

すてきなかみかざりがつくりたい。しろくてとにかくうつくしいのがよい。ぺんだんとかってほしくてたまりません。むもくてきなじかんをすごすのはいやです。そんなことばかりおもっています。のぞみはひとつあいしてほしいです。 2007220日)                                   

16.中学生女子)

 

りかいしてくださったひといるけどことばがりかいできているとかんがえてくれたひとはいませんでした。ふつうのわかりかたをしてだけなのにわかってもらえずわたしはとてもさびしかったわ。なやみはつきないけれどやっときぼうがでてきました。またがんばりたいです。20071028日)             

17.小学4年生女子:bP、57と同じ)

 

一人目は、二十歳を過ぎて言語表現ができるようになった方で、「さんぴをめぐるぎろんよりも」と書いた青年である。徐々に文章が長くなっていく中で、最初は、前半のように家族を讃える文章だったが、回数を重ねる中で、「ほんとうはいきおしないですごしてた」「かりもののじんせい」という表現が生まれた。彼は、単語を発することができるが、それは、必ずしも状況とかみあっているものではないことが多々あり、また、その音声表現の力にもかかわらず、私たちの問いに対してわかりやすい「はいーいいえ」を返してくれることも少なかった。そうした状況は彼にとっては、「いきお(を)しない」と表現されるものだったのかもしれない。まさに彼は心をなかば閉ざしながら生きてきたということになるのだろう。

 二人目は、小学五年生で言葉を表現できるようになった少年である。全身の動きが非常に限られた彼は、車いすでうなだれていることが多かったという。しかし、文章を綴る時の彼の顔は、輝くばかりにあがっている。「ちか」というのは胸をしめつけられるような表現だが、彼がうつむいて過ごしてきた日々は、まさに「ちか」だったのだろう。単なる比喩にはとどまらない、彼の実感から生み出された重い重い言葉である。なお、これらの文章は、お母さんが、口頭でパソコンのように、「ア行、カ行…」と聞いていって、彼のわずかな反応から選択の意志を読み取るという方法で綴られたものである。私との関わり合いを通じてパソコンで文章を初めて綴った彼だが、スイッチの援助がなかなか私以外の人には難しいという状況にあって、お母さんが考え出したやり方だ。言葉が短縮されているのは、より簡潔に言葉を伝えるために彼が工夫した独特の文体である。最初の文は、彼が小学校六年の時に、私が出したメールに対して返ってきた答えで、続く三つの文は、同じ時期に母と綴ったものである。そして、五つ目の詩は、中学三年になった彼が、綴った詩である。

 三番目の文章は、施設で生活する高校生の言葉である。言葉を解したりできないとされている人たちに対して音楽はとても大切なものであるとは、広く受け入れられている考えである。リズムやメロディーやハーモニーから構成される純粋な音の世界が、そうした方々に直接訴えているのだと私もまた、長い間考えてきた。ただ、この高校生の言葉は、彼女たちは、また、曲に添えられた歌詞をも深く受け止めていることを意味している。そして、「あえないとさびしい」ほどに心を「そばにいてなぐさめてくれる」ものとして、歌詞も含めて音楽があったということだ。私たちが何気なく聞きとばしてしまいやすい歌詞は、人間の複雑な感情の襞をとても洗練された言葉で紡ぎ出したものであるということを、改めて思わないではいられない。そして、複雑な内面を持って生きていることを理解されないまま、施設生活を続けていることから生まれるさびしさが、うたでしかなぐさめられないさびしさであるということになる。そして、また繰り返しになるが、生まれて初めて綴られた文章が「けしてあきらめない」から始められていることにも注目しておきたい。彼女もまた、誇りをもって状況に向かい合おうとしている、主体的な高校生の一人なのである。

 四人目の文章は、同じ施設で暮らす中学生の女の子の文章である。話の流れでかみかざりやペンダントの話になったあと、突然「むもくてきなじかん」という言葉が綴られた。彼女が欲しているのは、意味のある時間と、愛である。昔に比べれば社会福祉は豊かになったとはいえ、施設に暮らす当事者の立場にとってそこに流れている時間は無目的とさえ表現されてしまう時間である。それは、施設批判ではなく、貧しい条件しか用意できていない社会にこそ向けられるべき言葉であろう。そのことは彼女もよくわかっているはずだ。ただ、そこに横たわっている存在が実は、豊かに言葉を理解する存在であるとわかれば、現状のままでも、時間の流れ方は変わるのかもしれない。しかし、それもまた、施設の責任ではなく、私に向けられるべき批判であろう。

 五人目は、この文章の冒頭にかかげた言葉(bP)を綴った少女である。彼女の周りには、確かに、彼女に好意的に関わってくる人が何人もいた。しかし、そういう人でも言葉がわかっていると思ってくれた人はいなかった。まちがいなく私もそのうちの一人なのだが、往々にして、私たちは、彼女にまつわる様々のことを、彼女がその言葉をすべて理解しているわけではないことを前提に語ってきた。心ないことを語る人だって少なくはなかっただろう。しかし、彼女はいつも、「ふつうのわかりかたをしてただけ」だった。なのに、言葉はけっして本当に自分に向けられることはなく、自分の前をいつも素通りしていった。それは確かに寂しいものだっただろう。率直に語られた言葉だけに、いっそうつきささってくる言葉である。

 この項の最後に、軽度の知的障害者として成人を迎え、その後、進行性の障害で、しだいに歩けなくなり、明確な音声言語も失い、30代前半には、もう、言語的な認識を失ったかのように見えるようになって長い時間が経過した女性のことについて紹介したい。彼女とは障害者青年学級で出会ったが、彼女は、学級に来たとき、服飾の専門学校に通っていた。おとなしく、いつも眉間にしわをよせているような表情が、気になっていたが、しっかりとした女性という印象があり、作文なども、短いながらしっかりと書いていた。しかし、彼女が車いす生活になり、言葉にならない声を時折あげるような状況になってから、私は、真剣に彼女に語りかけることをやめていた。しかも、以前に比べると眉間のしわも消え、笑顔も増えたので、不遜にも、言葉と引き替えに穏やかな境地をえたのではないかとさえ仮定していた。だが、3年前同じコースで活動した際、ていねいに問いかけると、その言葉の内容を理解して答えたかのような印象を時折持てるようになった。しかし、集団活動である青年学級の場に、パソコンを持ち込むという発想はうかばなかった。そんな彼女に、改めてパソコンを試してみようと思ったのは、つい5か月ほど前の7月のことである。すると、彼女は、すぐに長文を綴ったのである。

 

じぶんでかけてうれしい いままでつまらなかった しゃべることができなくなって りかいしてもらえなくなって なきたいきもちでした きもちがきんじられてこまっていました おかあさんがなくなったときもおとうさんがなくなったときも はなしができなくてすさみ もらいなきさえできませんでした せっかくことばがはなせるのだから しっかりいいたいことをいっていきたいです ちいさいときからくよくよしてきたので ここでげんきなじぶんにうまれかわりたいです でもなかなかうまくいかないかもしれないので ずっとおうえんしてください ゆめをみているようなきもちです きもちをかけるとはおもいませんでした げんじつではかんがえられませんでした うきうきします すてき さけびだしたいきもちをおさえるのでせいいっぱいです ぬいぐるみのじんせいにおわかれです しぬまでいまのままだとおもってきたから ぬいぐるみのじんせいにかわって となりのととろのようによろこびをかんじながらいきていきたいです このぬいぐるみのじんせいはできないことがいっぱいですが もうおわかれです けうなればこそくなんのじんせいですが いきていくいみがあるとおもいます とりかえしのつかないおもいがありますが ねらいどおりのこころでがんばりたいとおもいます けっしてあきらめずにねがいどおりのじんせいをいきていきたいとおもいます200876日)

1840代女性:36と同じ)

 

 彼女が、言葉を失ったかのように見えてから、ほどなくして、母親は進行性の難病でこの世を去り、そして、最近父親も、亡くなった。だが、施設にすでに入所していた彼女は、その葬儀に出ることもかなわず、父親の死を知ったのも後になってからだった。「ぬいぐるみのじんせい」という表現には、私たちは返す言葉もない。

 ただ、救いは、彼女が家庭での生活が困難になった時、青年学級の関係者たちが、遠い施設に行くことを阻止するために、アパートを借りて交代で介助をするなどの努力をして、彼女は町田市内の施設にとどまることができたこと、そして、送迎の公的な手段のない中、彼女を昔の知人や青年学級の若いスタッフの手でボランティアで送迎を続けて青年学級への参加を支え続けてきたことなどがあったため、こうした表現の機会をつくることができたということだ。

 いずれにしても、失われてしまった時間をこれから少しずつ取り返していかなければならない。

 なお、「ぬいぐるみ」という言葉を使うのは、彼女だけではない。

 

けっこんしたいとおもっていますがどうしたらいいかなやんでいます まねがしたいというのではなく つまとしていきていきたいからです ぬいぐるみのようなじゆうのないじかんだけをすごしているのではなく じゆうなじかんをすごしていきたいです とてもこのままではがまんすることができません そつぎょうしたかったけどねがいごとのかなうしゃかいではないのでそつぎょうしたくありません くなんをいしきするといきれなくてこまりますが きぼうをうしなわずにがんばりたいとおもいます きぼうがこんなふうにかたれることをこころのよりどころとしてがんばりたいです みらいをしんじてがんばりたいです 200861日)

19.高校2年生女子)

 

りかいしてもらえてうれしいです てがつかえてわたしはそれもうれしいです もっといろいろなことをはなしたいです ぬいぐるみのようないきかたはしたくありません ずっとかんじてきました ねがいはつよいきもちでなんでもやることです すぎたことはもどってこないからしかたないけれど みらいにむかってきぼうをもっていきていきたい らくにできてうれしい のぞみはそらのようにすみわたるこころでいきていくことです のぞみどおりのいきかたはむずかしいかもしれないけれど こどものようにきよらかなきもちでいきていきたい 2008920日)

2020歳女性)

 

くるしみのなかからみつけたふしぎなこと まるでけんこうなこどもたちに 

ほんとうのよろこびをみつけました りかいしてはいないけど ねがいはめーてるりんくのあおいとりのようになんでもかなうには よくねがいをむきあってぎんみして まるでしんじられないようなねがいをもつことです ぬいぐるみはなにもねがいませんが にんげんはねがいをもつことができます ねがいのふしぎなちからでなんでもゆめみることができます めーてるりんくとは ははのきずなといういみです うしなわれたあかりをとりもどすことができます すばらしいなまえです 20081114日)

21.高校1年生女子:4985と同じ)

 

 もしかしたら、自分のかたわりに置かれたぬいぐるみの瞳を見ながら、何度も繰り返し自問自答を繰り返したのかもしれない。それにしても、あまりにも重い言葉だ。

 

2.他者への思い

(1)家族への思い

 長い沈黙の後に、もっとも頻繁に語り出される言葉は、親、それもとりわけ母親への感謝の言葉である。

 10才の誕生日を前にした頃にようやく言葉を綴り、そして、その半年後に亡くなった少女の、最初のことばは次の一言だった。

 

かんなかあさんがすき めいわくばかり2004924日)

22.小4女子:23と同じ)

 

 説明は要しないだろう。日々、献身的に世話を続ける母への心からの言葉だった。そして、その2ヶ月後の言葉が次のものである。

 

ぜったいしじする かあさんががんばってきたこと おひさんのようなかあさんがやっぱりじぶんはあいしています そうわるいことばかりではないよ20041126日)

23.小4女子:22と同じ)

 

 かんなさんが支持するかあさんのがんばり、それが具体的には何を意味するのかわからない。しかし、支持すると言いたくなるようなことがあったとすれば、一つ思い当たることがないわけではない。それは、かんなさんが気管切開の手術を受けることをめぐって、母親は1年近く悩んだ結果手術に踏み切ったということである。手術をすると、夜中に発せられていた呼ぶような声を奪ってしまうことになる、それが唯一の彼女からの発信なのだが、それでもよいのかということが母親の大きな戸惑いだった。実際過去のビデオに、母親と私たちが手術に関して話し合っている場面があり、その中で、彼女は、その話に合わせるように身をよじっていたのだ。彼女が残した言葉は、全部で4回の文章に過ぎない。永遠にかんなさんの言葉を聞くことができなくなった今、また、この短い言葉にこめられた母への思いの重さに、胸をうたれる。

 また、30代も半ばを過ぎた通所施設に通うある女性が、突然、文章を綴るということがあった。それは、次のようなものだった。

 

おかあさんありがとうございますげんきでいつまでもながいきをしてくださいめんどうをみてくれてかんしゃして(います)(2007921日)

2430代女性)

                               

 長い間の沈黙を経て、ようやく言葉の世界を表現した彼女は、ふだん動きが非常に少なく緩慢で、表情も乏しいように映る方だが、この時は、きらきらと輝く目で、きりっとした表情で、懸命にスイッチ操作に集中していた。長いこと彼女を支え続けてきた母親は、もう高齢だ。「長生き」という言葉がひときわ重みをもって迫ってくる。最後のところで食事の時間になってしまったが、積年の感謝の思いを綴り得た彼女の表情は非常に晴れやかだった。食後、たまたま保護者会で通所施設に来ていた母親は、この文章を見ると、ただただ彼女を抱きしめていた。

 同じく、30代で初めて気持ちを表現した男性の言葉は、次のような言葉から始まった。

 

おとうさんおかあさんいつまでもげんきでね。ありがとういつもかわいがってくれて ことばでつたえたかった200856日)

2534歳男性:bVと同じ)

彼の場合は、実に、私が小1から関わっていながら、つい最近まで言葉の存在に気づくことができなかった。すぐそばによりそっていながらそれに気づきえなかった罪は大きいが、彼は、私たちを責めることもなく、こうした感謝の思いをまっさきに語ったのである。

 次は、小学校の低学年の4人の少年の文章である。

 

おかあさんありがとう だいすき かわいそうすきなことができなくて いつもぼくのせわばかりしてはつかれているから。がんばっています いつまでかあさんにせわになれるかとおもうとしんぱいです。2007626日)

26.小学2年生男子)

 

おかあさんやさしいからだいすき。○○○はきっとおかあさんをしあわせにするからね。これからがんばっておかあさんにたくさんしあわせになってもらいたい。いつもありがとう ひとりではなにもできないくせにいろいろいってごめんね。めんどうをみてくれてかんしゃしています。○○○とおかあさんはいつもいっしょだからきもちがよくわかる。おかあさんがすきだからせんせいのようにできなくてもいいよ。2007529日) 

27.小学2年生男子:58と同じ)

 

かけてうれしいりかいしてもくちでいうことができないのがこまっている。てがつかえることがはっけんできてうれしい。とてもかんしゃしていますよじぶんをさつりくしていつもがんばっているところがすてきでーす。ぶーけのおおきなはなたばをぷれぜんとしましょう。なきむしのおかあさんだけどだいすきでーす。あまりむりをしないでね。せっかくうまれてきたのだからしあわせになりたいです。2007520日)         

28.小学校3年生男子)

 

いろんなはなたばをおかあさんにあげたいいつもぼくたちのせわばかりしていてたいへんだから。ねがっていることはみんながしあわせになることです。りかいしてもらえてうれしい。20071130日)

29.小学2年生男子)

 

 大好きな母さんが、母親自身のやりたいことはいつも後回しにして自分に尽くしてくれることへの感謝の気持ちが余すところなく綴られている。そして、母親自身の幸せを何よりも祈り、「ぶーけのおおきなはなたば」や「いろんなはなたば」をわたしたいと語る。自分では動けない彼らは、いつも母親とともにあった。だから、母親の苦しみや悲しみ、つらさをいちばん近い場所で、逐一肌で感じてきたのだ。生まれて初めて気持を語ることができた時、まっさきに伝えたいのは、そんな母親への思いだった。なお、4人目の少年には同じ障害のある6歳上の兄がいて、「ぼくたち」とはそのことを意味している。この文章は、こちらがクリスマスのプレゼントでほしいものがあれば書いたらと促して生まれたものである。この小さな少年は、自分へのプレゼントは後回しにして母へのプレゼントを美しい言葉で書いた。

 次に、紹介するのは高等部を卒業する前後からパソコンで文字を綴り始めた2人の言葉である。

 

かあさんありがといーたいとおもいます。つかれているかあさん ○○ちゃんはかないなやみがあります。かーさんにいいすいみんあげたい200656日)

からだがなかなかうごかないけどいろいろかあさんのことをしんぱいしています2006729日)

かあさんに ありがとうございます りかいしてくださってうれしくおもいます みえないあせうつくしくおもいます20061125日)

                             (3010代後半女性)

 

うれしくかんじますあらたなしゅっぱつができて。あたらしいであいがもしできたらいいとおもう。くるしくてもきっといつかりかいしてくれるひとがあらわれるとしんじています。おかあさんにくろうばかりさせてもうしわけないけれどむりをしないでほしい。ありがとうそれがいいたかった。あえていうとはずかしくなるけれどきかいがなかったからね。 2007年5月29日)

3110代後半男性:963と同じ)

 

 一人目は、女性である。毎晩、寝返りをさせてもらうために母親に起きてもらわなければならない。それがどれだけ母親に負担を与えているか、いちばんわかっているのは彼女自身である。だけど、これまでは、お礼を言うことができなかった。この文章は3回にわたって書かれたもので、彼女の強い感謝の思いが伝わってくる。

 二人目は男性だ。体もすっかり大きくなった彼を、小さい赤ちゃんの時からずっと大切にしてくれた母へ、ようやく言えたありがとうの言葉だった。身近な母へのあらたまった感謝は気恥ずかしいものにはちがいない。しかし、まさに「きかいがなかった」のだ。

 次の文章は、二人の高等部の女性のものである。

 

おかあさん いままでよくめんどうみてくれて ありがとうございます。じをかけて うれしいきもちになりました。すきなものは べんきょうです。てをうまく つかえたらいいな。がまんしてきたけどきぼうがでてきました。2006年5月16日)

かあさんにかんしゃしています ほんとうにりそうてきなかていです にいさんがはやくいいところにしゅうしょくできますように そうすればけっこんできるとおもうけどかのじょがひつようです ふつうのしかたでねらってもだめなのでてくにっくがいるとおもうの ちかづくときはかのじょのきもちになってもっとかんがえないといけないとおもう すくないちゃんすをかくじつにいかしていかないといつまでもおなじことだよ やさしいおにいさんだからだいじょうぶだとおもうよ                    2006620日)

32.高校1年生女子)

 

○○○のねえさんは○○○です とてもやさしいです ねえさんのぐちをいつもきいています なかがとてもいいです けっこんしてもしたしくしてね ねえさんがしあわせになることをねがっています べんきょうもたいせつだけどあそびもたいせつなのでどちらもいっしょうけんめいがんばってください こどものときからずっといつもわたしのめんどうをみてくれてかんしゃしています おとうとはすこしあまえんぼうですがとてもやさしいです めんどうもよくみてくれます ねがいはかぞくみんながずっとなかよくすることです。2008821日)

33.高校1年生女子)

 

 1人目の文章は、2回にわたって書かれた文章だが、母への感謝の後、「りそうてきなかてい」に話が及ぶ。彼女の心配は、兄の恋愛のことだ。自分の欲求は、さしあたりは勉強と意志を表現することだけであり、むしろ自分を大切に育んできた家庭のことが、彼女の最大の関心事なのだ。それにしてもどんなふうにして「てくにっく」など、彼女は、学んできたのだろう。文字をいったいいつ覚えたのかという問いもさることながら、静かに横たわって過ごしてきた日々の中で、テレビなども含めて様々な機会をとらえて、実に多くのことが学ばれていることが伝わってくる。

 二人目の文章は、姉がすぐ横で見守る中で書かれた。姉の結婚の心配と幸せを願う純粋な思いの背景には、みずからの結婚の困難さに対する自覚の上で、自分の分まで幸せになってほしいとの思いが秘められていると考えてよいだろう。

 次は、静岡県に住む中学生の少年の文章である。以下の3つの文章は、半年以上の期間をおいて書かれたものだ。

 

つかれないようにすわってかあさんぼくあまりせっかちではないからだいすきなかあさんあまりしんぱいしないでね。きっといつかできるようになるからだいじょうぶかあさんといつまでもともにあゆんでいこう。とうさんかあさんをだいじにしてよろしくおねがいします。○○○と○○○ねえさんにけっこんはやくするようにいってほしいぼくのことはしんぱいしないでいいから。200654日)

せがのびてふたんをかけてもうしわけない。ぼくがたくさんがんばってよくなったらひとりでなんでもできるかもしれないけどりはびりへいってもなかなかなおらないのでゆるしてね。のぞんでいることはただひとつあいしあっていきていくことです。やさしいおかあさんとおとうさんがいてとてもしあわせです。ぼくののぞみはみんながわかりあっていきていくことです。ひとはみなあいしあっていくことがたいせつです。きぼうをこころにもってがんばりたいとおもいます。りかいしてもらえてうれしい。ぼくはなかまがべつべつになるのがかなしい。みんないつまでもいっしょにいきていきたい。2007811日)

きっといつかかなえたいことがあります

これまでのじんせいにこれまでぼくがしてもらったことにたいしておかえしをすることをなんとかしてしとげたいとおもいます

じぶんだけではなくねえさんたちにもしあわせになってほしいからぼくはどこかのしせつでくらします2008915日)                 

34.小学6年生〜中2年生男子)

 

 多くの方々と出会ってそれなりに熟達してきた私のスイッチ操作の援助に比べて、母親の援助はまだまだぎこちない。うまく援助できずに焦っておられたお母さんから代わったとたん、彼は母親を気遣う言葉から始めた。そして、彼もまた、自分を育んできた両親と家族に感謝するとともに、二人の姉の将来の幸せを願う。その気持ちの中には、自分の存在が少しでも姉たちの幸せの妨げになることのないようにという、切ないほどに純粋な思いがこめられていた。たくさんを望まない彼の「のぞんでいること」は「ただひとつあいしあっていきていく」ことである。そして、「ねえさんたちにもしあわせになってほしいから」将来は施設で暮らすという。その是非はともかく、あまりにも美しい決意である。

次の文章は、中学生の少年が何度かに分けて書いた文章である。

 

げんきずしいきおかあさんに、たのしくたべてもらう。 (2005723日)

いけてよかつた。おかあさんいけてきげんがよい○○くん(兄のこと)なやみで (20058月26日)

せんたーしけんたつくんおわればやつとらくになりかあさんちょっとうれしい2006127日)

○○○くんが○○○だいがくにゆうしうかればうれしい。 (2006224日)

なまえはとにかくらくながくぶにはいればいい (2006324日)                       

○○○くんとおかあさんがなかがよくなっちゃった! (2006428日)

○○くんにもっとあせらずにべんきょうーしてね。 (2006623日)

おかあさんげんきかなどうしてるかなー。いいりょこうができるかなー。すばらしーりょこうになりますようにいのってます(この日お母さんは、娘さんと二人で旅行に出かけていた。)(2006922日) 

35.中学生男子:4569と同じ)

 

 それまで、シンプルなことしか書いてこなかった彼が、ある日、「げんきずし」(すしのチェーン店)に母親を連れて行きたいと綴った。とても唐突な表現だったが、翌月にそのことの意味がわかった。実は、心を痛めている母をいたわる思いから発せられた言葉だったのである。ずっと仲の良かった母と兄の関係が、兄の大学入試勉強とともにぎくしゃくしてきて、この頃は口もあまりきかなくなった。小さい頃から、毎日、自分を二階に背負っていってくれた兄は、自分との関係にはまったく変化がない。母には話しかけない兄は、自分には変わることなく独り言のように話しかけてくる。この時、この少年は、母と兄をつなぐ絆の役割を果たしていたのかもしれない。残念ながら志の高い兄は、現役での大学受験を失敗する。「なまえはとにかくらくながくぶにはいればいい」という言葉は、受験競争にさらされることなく生きている彼の、心の底からの疑問なのかもしれない。そして、浪人生活に突入したとたん、兄は母とまた以前のように仲の良い親子になった。

 9月の文章は、姉と母の旅行についてふれた文章である。私たちとの関わり合いの日、母は、高校生の姉と旅行に出ていて、父親とともに私たちのもとを訪れた。そこで書いた文章である。

 言葉で表現することのなかった彼は、家族みんなのよき聞き役になっていたようで、彼を中心に家族が回り、そして、彼もそんな家族に対して、優しい気遣いをしていることに、とても心をうたれる。

 こうした数々の親や家族へ向けられた言葉から、一つのことが見えてくる。障害のある子どものことを母親やきょうだいが心配するということは、よくあることだろう。しかし、また、その思いにまさるともおとらないくらい、本人もまた、家族へ深い思いを寄せているのである。こうした相互性こそが、家族の関係の本質なのだろう。

 

(2)友への思い

 最初に紹介したいのは、障がい者青年学級という活動に参加している二人の女性で、最近、私が活動にパソコンを持ち込んだことによって表現ができるようになった方々で、今年度は同じコースに所属している。

 

ずっとひとりでびょういんにいてさびしかったです なにもできずなにもみとめられずつらいまいにちでした のぞんでもきいてはもらえないし よるもねられませんでした なんにもりかいしてもらえず なんにもねがえずみじめなまいにちでした はやくみんなにあいたいとおもっていたので しんぼうすることができました ふしあわせだとはおもわないですがつらかったです ながかったです ねがいはてでみんなとはなしができるようになることです まいにちのぞんでいました がっきゅうのなかまとあえることを 2008112日)

3640代女性:18と同じ)

 

 7月に初めて文字を綴ったこの女性とは、しばらく会えなかった。間に、9月、10月と長期の入院が入ったりしたからだ。そして11月に久しぶりに言葉を綴った。かつて普通に会話をして軽度の知的障害者として生きてきた彼女が進行性の障害によって言葉さえ失ったかのように見えていながら、実はこんなに豊かな表現のできる方であるとは、私たち以外まだ知らない。そんな中での入院だった。病棟でのつらさが痛いほど伝わってくる。すでに両親もいない彼女は、仲間を思うことにより、そのつらさに耐えた。

 こうした彼女の気持ちを受けて書かれたのが、次の文章である。

 

ねがってました ふたりではなしたかったです ふたりのはなしがしたかったです にゅういんをしていたとはしりませんでした ずっとかえりたかったのですね ふたりでこれからもずっとかたりあいましょう ねがいはふたりでてをつかってはなすことです 2008112日)

3730代女性:6493と同じ)

 

 二人は、10年以上、この青年学級に参加してきた。だが、互いに気持ちを通い合わせながら、言葉でそれを伝え合うことはなかった。新しい友情のかたちが、ここから生まれるはずだ。

 次の文章は、同じく青年学級のメンバーの男性のものである(厳密に言えば、青年学級から独立した本人活動の会「とびたつ会」に所属する)。彼は、重度の身体障害を抱えており、眉毛をあげるという動作で「はいーいいえ」を表現し、シンボルを使っていろいろなコミュニケーションを行ってきた。その彼に、最近になって、スライドスイッチによる2スイッチワープロの方法を試みたところ、長い文章を一気に綴ることが可能となった。文章の冒頭は、彼が、青年学級のメンバーが中心になって開催しているコンサートでミュージカルに出演した際、実際に養護学校に通う高校生の女の子の詩(「6.研ぎ澄まされた詩的表現」、86参照)を、自分の気持ちという設定にして演じたことがあるのだが、その高校生にも次回のコンサートには出てもらいたいという意味の言葉である。

 

のにさくはなのようにのおんなのこもしゅつえんしてもらいたい ぼくのきもちにはそんなひとたちのことがずっときにかかっています ぼくのきもちしかひょうげんしていないのでほかのひとたちのきもちもひょうげんしてもらいたい すぎたことをいってもしかたないけなどみらいにむかってぼくたちのきもちをつたえていくひつようがあるとおもう

このほうほうではなせるひとがたくさんいるかもしれないとおもうとむねがはりさけそうになる

ぼくはわかってもらっているからいい でもたくさんのなかまがくるしんでいます このことをつたえていかないといけないとおもう ぼくはまけない2008105日)

3820代後半男性)

 

 彼とほとんど同じような障害の状況にあって、「はいーいいえ」を伝えうるかどうかという紙一重の条件でまったく状況が変わってしまっている仲間たちの気持ちを彼は痛いほど理解している。彼は、そのコミュニケーション手段を得たことにより、言葉を理解している存在と見なされ、そのような手段が持ち得なかった多くの仲間は、言葉を理解しているとは考えられてこなかったのである。その彼だからこそ、まだまだ言葉を表現できないでいる多くの仲間のことに思いが及び、「むねがはりさけそうに」なったのである。

 次の文章は、すでに紹介した27年の関わり合いの後に文章を綴った方のものである。

 

×××(施設の名称)のおともだちにもおしえてあげてほしいとおもう みんなもおなじようにかんがえているのにはなせずにいるのではなせるようにしてあげたいとおもう やっとやみからかいほうされたのだからみんなにもよろこびをわけてあげたいとおもう200874日)

3934歳男性:bV,25と同じ)

 

 「やみからかいほうされた」自分の喜びをみんなに分かち合いたいというものだ。この施設には、彼が幼少期の通園施設から同じ養護学校を経て入所している仲間たちがたくさんいる。そんな仲間たちを思っての言葉だった。

 友だちへの思いを綴った文章の中には、年若くして亡くなってしまった仲間のことを表現したものがある。

 次の二つの文章は、冒頭に紹介した10歳でなくなった女の子(2223参照)へ向けられたものである。

 

これから、あうのができないの、あえなくてまいあささみしいね。わすれないかんなちゃんのことを。○○○くんよりよわいままへーなかないでね2005325日)

40.小学5年生:47と同じ)

 

 ぼくのちいさなともだちがなくなりました。やまきかんなちゃんです。ぼくはいままでになくなったひとへぜんこうせいとであつまって、ごめいふくをいのるほうがみんなにしってもらえてやまきさんはうれしいとおもいます。ぼくらのしはいつもたいへんなことです。かなしむべきことです。やはりせいとたちもしってとうぜんで みんなでかんじていきるいみをかんがえるときだとおもいます。たくさんのともだちにめいふくをいのってもらいたかったとおもいます。きのうまでいっしょにべんきょうしたともだちだからいっしゅんにしてわすれさられるのはつらかったともいます。せいとの なかにもぼくとおなじきもちのひともいるとおもいます。もっとせいとにもきもちをあらわすきかいをください。もっとやまきさんのことをしってください。やまきさんはじぶんのことばをもってたのにみんなにしってもらえなかったです。やっとこえが でた やまきさんに てんごくでは いっぱい じゆうに はなせよと みんなで いのる きかいを ください。2005225日)

41.中学生男子:80と同じ)

 

 最初の文章を綴った少年は、亡くなった女の子が文字を綴ったことがきっかけとなって言葉を表現することができるようになった。学校では同じグループに所属し、医療的ケアが必要なために毎朝母親とともに登校する彼女のことを身近でいつも見ていた彼だからこそ綴ることのできる表現である。「よわいまま」とは、ちょうどこの文章を綴っている現場に亡くなった女の子の母親がいたのでかけた言葉である。

 二番目の文章は、手を支えられて50音表を指さすことによって言葉を表現する中学生の少年のものだが、女の子が亡くなった時、学校では改まって彼女を追悼する場をもつことはなかった。そのことをめぐる思いと、学校では彼女が言葉を表現できることが知られずじまいだったことについての気持ちを記したものだ。

 次の文章は、小学4年生の女の子が仲間の死を悼んで書いたものである。本来なら私は、この亡くなった女の子も含めたグループと関わるはずだった。しかし、最初にこのグループに出会う2か月ほど前に、女の子は亡くなったという。ともにいつか話せる日が来ることを望みながら、思いを果たせずに逝った仲間への深い思いが表現されている。

 

○○○ちゃんへ そちらでもげんきですか のぞみどおりにはなせるようになりましたか もしはなせていたらこんどいっしょにはなそうね どうして○○○ちゃんはわたしをおいてさきにいってしまったの わたしはとてもさびしいです めのまえのなやみはたくさんあるけどわたしはまだげんきだから ○○○ちゃんのぶんまでがんばりたいです のぞみどおりのじんせいをいきられるようにがんばりたいとおもいます2008811日)

42.小学5年生女子)

 

 私たちは、子どもたちの死に遭遇する時、たいていその子どもを亡くした親の気持ちと向かい合う。懸命に育てた親の思いがまっさきに心をよぎるからだ。しかし、当事者は、亡くなったその子どもとストレートに向かい合い、もっともっと生きようとして道半ばに倒れた無念の思いを表現する。私たちは、子どもの死という厳粛な事実への本当の向かい合い方を、彼らからもっと学ばなければならない。

 

(3)想像上の他者の存在

 長い間、言葉によるコミュニケーションを閉ざされてきた人たちは、その心の中に想像上の他者を生み出していることがあるということに初めて気づかされた時、大きな衝撃を受けた。そういう心のメカニズムの存在自体が驚異でもあるが、それ以上に、自ら心の中に他者を作らないではいられないほどの孤独の深さがどれほどのものなのか。容易には想像しがたいものだったからである。それと同時に、長年にわたる関わり合いにもかかわらず、そうした他者を生み出させてしまったことの罪深さに気づいたからである。 そして、こうした他者を生み出している人は決して小数ではなかった。

 まず、最初にその存在を伝えてきた高校生の女子の文章から紹介したい。これは、学校の先生が、彼女が文章をパソコンで書いているということを聞いて、見学に見えた際に書いたものである。

 

くいちがうことがおおくてなみだいっぱいでましたよ。せんぱいのひとにからかわれておおきなかなしみをかんじました。のはらくんいてくれてたすかりました。みかさんもやさしくてわかってくれてうれしくおもいました。なかまのかなしみをわかってくれるともだちがいてかなしみもやわらぎましたよいことでした。わたしのこころのなかのえんぎしゃです。わたしがつくりました。からだはうごかなくてもかんがえていています。2006512日)

43.高校1年生女子:445686と同じ)

 

 私は、この文章が綴られていくのを援助しながら、実はほっとしていた。なぜなら、私が知らない友人の名前が書かれたことは、彼女自身が書いていることの証となるはずだったからである。ところが書き終わると、先生方は怪訝な顔をして、そんな生徒はいないという。その時、私は、とっさに「のはらくん」がアニメのクレヨンしんちゃんである「のはらしんのすけ」の事であることに気がついた。彼女は小さい時からクレヨンしんちゃんが好きで、それをこれまでも教材に利用してきたからである。だが、その好きであることの内容がこれほど深いものだということなど、まったく想像だにしなかったことだった。

 さらに、彼女は、「すいせんこむそう(水仙虚無僧)」と「せいたかすみれそう(背高スミレ草)」という不思議な美しさを持つイメージをとともに、想像上の他者の存在を語った。

 

うちでのせるすずにすてたねこが ねがいどおりすいせんこむそうをけらいにして もっととおくまでのがれ せいたかすみれそうのさくくにに いきたいとおもったものの にげることができずかなしんで いぜんすばらしいうちだとおもってがまんすることにした。200859日)

すいせんこむそうのいみは つらいことがあるとしおれてしまうはなのような こむそうです。つまづいてしまうと おきあがることができなくなってしまうほど ひとりぼっちでちいさなともだちです。こどものころからいっしょでした。すいせんこむそうはとてもせがひくくてとてもやさしいさむらいです。このまえそばでともだちのわたしをげんきづけてくれました。せいたかすみれそうはとてもいいにおいのはなでせがたかくていつもいのりをそらにむかってこいこがれながらさいています。いつもせいたかすみれそうはねがいをもちながらねがいがかなうことをゆめみています。2008613日)

44.高校3年生女子:435686と同じ)

 

 同伴者としての「すいせんこむそう」、願う姿の象徴としての「せいたかすみれそう」。コミュニケーションという意味では孤独だった彼女が、心の中に描き出した美しい世界である。

 この女子高校生と同じグループの中学生に少年に、想像上の他者の存在について尋ねてみたことがある。以下、その答えである。

 

むかしからぼくにもようせいはいた。なまえはわすれたけれどさびしいときにあらわれる。わるいひとがあらわれたらでます。2007720日)

45.中学生男子:3569と同じ)

 

 彼にとってはそれほど切実な存在ではなかったのかもしれないが、それは妖精のような存在で、寂しい時や悪い人があらわれた時というように、何か困った状況にある際に、支えてくれる存在として登場していることがわかる。

 次は、成人になってから文字を綴る力が明らかになった女性の文章である。

 

わたしてをつかってはなそうとおもってからきぼうがでてきました ひとのこころがよくわかっていましたからじぶんのきもちをつたえたかったです ほんとうのりかいをしてくれてうれしいです みんなもおなじようにかんじているとおもいます みたこともないふしぎなせかいがひろがってきたかんじです これからのせいかつがたのしみです しんじてもらえてありがとうございます みかちゃんもよろこんでいます ともだちです こころのなかのわたしのはなしあいてです なきたいときにはわたしにかたりかけてくれます (20083月29

4620代前半女性)

 

 「みか」という名を持った心の中の話し相手で。泣きたいときにはいろいろなことを語りかけて励ましてくれるという。客観的な言い方をすれば、自分自身を自らはげましているということになるのだろうが、おそらく、実感としては、自分自身の声なのではなく、他者として感じられる存在からの声なのだろう。

 この他者性について、語った中学生の男子の文章がある。

 

すてきなともだちあそびにきたけどこのぼくのもんだいらいしゅうまでまてるかしんぱいです。めをつぶるとよくみえるさんたのようなともだちです。げんきなこどもにはみえません。ともだちにあえるのはともだちがみえるときだけです。2008627日)

47.中学3年生男子:40と同じ)

 

 「あえるのはともだちがみえるときだけ」という言葉は。恣意的に呼び出すことは困難であることを述べており、単なる主観的存在ではないものとして感じられているということを示したものと言えよう。

 さらに、コミュニケーションが可能になって、そういう存在が消えたことを述べた高校生の男子がいた。

 

ともだちがほしいけどさとしくんがしんでからこまっています。さとしくんはとうめいなそんざいです。ややとうめいですんだひとみをしていました。ふしぎなともだちでさびしいときにあらわれますがなかなかきてくれません。とうめいですがぼくにはみえます。まださみしいけどみとめられるようになったのでみえなくなりました。みとめられてからはねがっていることがつたえられるようになったのでひつようではなくなりました。2008524日)

48.高校2年生男子:7172と同じ)

 

 寂しさが完全になくなったわけではないけれど、パソコンで気持ちの表現ができるようになると、もう現れなくなったというのだ。こうした存在が、単に恣意的な存在とは言えないことだけでなく、まさに、こうした存在を作り出したのは、孤独な心の世界だったということを示している。

 最後に、これまで紹介してきた想像上の他者とはひと味違うものを取り上げたい。この文章を書いたのは、高校生の女子。これまでの他者が支えてくれる他者であったのに対し、次の他者は、誘惑する他者である。

 

いちごのこによくふくらむようこちらにこいといわれてもわたしはいこうとはおもわない なぜならちいさなときからにくしみをかんじてきたきもちがあるから いつだってすなおなきもちではいのれない どうすればいいのかわからないけれどともかくうまくやっていこうとおもっているから いちごのことがっこうではうまくやっていくつもりです いちごのことはすみれきょうしつでであったようせいです みえないのにわたしたちにあらわれてゆうわくをします すみれきょうしつのときはせまいこころになるようにとよびかけ がっこうではねがいをもたないようによびかけます

2008年7月11日)

49.高校生1年生女子:2185と同じ)

 

 以前から、彼女がイチゴを好きであることが聞いていた。その好きなイチゴだからこそ、誘惑は強いということになるのだろう。誘惑の内容は、幼児期が「せまいこころになるように」、学校にあがってからは、「ねがいをもたないように」ということになる。まさに、彼女が絶望というものと一人で戦っていることが痛いほど伝わってくる。

 

(4)世界に向けられたまなざし

 重い障害があるために、生きている世界はきわめて限られているにもかかわらず、遠い世界の他者の痛みに対して敏感な心がある。

 最初の文章は、小学校6年生の女の子のものである。訪問教育を受けるほどに、外出も困難な状況にありながら、彼女は、テレビのニュースに耳を傾け、戦争の話に胸を痛めていた。この文章は、ちょうど、アフガニスタンでタリバン政権が崩壊し、新しい政府の選挙が行われるという状況の中で、書かれたものである。

 

きずかない あふがにすたんでくびをながくして へいわをのぞんでいるひとのくるしみ よくかんがえてほしいです。20041012日)

50.小学6年生女子)

 

 次の文章は、アメリカで起こった同時多発テロ以降の世界情勢の変化に敏感に反応して書き続けられたものである。最初の文章は彼が2度目に書いた文章で、小6922日、事件から10日あまりしか経っていなかった。その後中3まで。折に触れて戦争の話を書いた。以下はその一部である。

 

すべてにさそってくにせんそうしたらなおのこととめられなくなるよね。2001年9月22日)

にぃいうゅあゃひかれすずのおときこえへいわがきた。2003年1月)

いけないころしてはにんげんいたみをわけあっていきていかなければいけない。2003222日)

にくしみがあらそうしかないせきにんのれきしのはんせいをせまる。(2003年3月22日)

ちいさいへいわでくらすひとしあわせきょうむずかしいということがかなしい。(2004年4月24日)

のぞむことはまけてしまったあきらめからうまくたちなおってもらえたらとおもう(2004年)

どうしてかこのせんそうをしあわせなさいぜんいのってりかいできるようにならないの。2005528日)

   51.小学5年〜中学3年生男子)

 

 同時多発テロが起こり、2つの戦争へと突入し、それぞれの戦争の終結とその後の混乱をリアルタイムで綴っていた。彼の根本的な疑問や、平和への深い願いに、具体的には何も答えることはできなかった。

 次は、援助による手書きで文章を綴る少年が小学5年で書いた詩である。

 

空にひろがる星たちが  ひそひそとはなしはじめている

きみはどこの戦地だった  みかたかてきか  わらいながら話す

空の上では てきもみかたも  かねもちもびんぼうも かんけいない

みなおなじ星の交わりになる

いかりにくしみをもたず 愛する心だけが光りになり 地上をてらす

愛の光は 苦しみ生きる者をてらし 希望の心をやどす

わずかな幸せを 大きくさせる

さばくのような土地に水を与え 人々を生きながらせる

この世の命がきえたとき  また星がきらめき 町をてらす 20045月)     

 52.小学5年生男子:6782と同じ)

 

 どろどろとした現実に対して、こうした言葉は、あまりにも美しすぎるかもしれない。しかし、生活全般にわたって介助を要し、コミュニケーションさえも誰かの援助を得なければならない小学生が懸命に考えたこととして、本来は、もっと耳を傾けられてもよい言葉だと思う。

 幼い頃の事故によって体の自由を奪われた少年が、中学生になって初めて自分の気持ちをパソコンを介して言葉で表現した。しかし、その言葉は、平和を語る文章だった。彼は、後述するように、「くなんはきぼうへのすいろ」「てのなかにうつくしいていねんをにぎりしめていきていこう」と書き、さらに、「どらまよりもすさまじいたいけんをしてきた だからことばがとぎすまされてくるのはあたりまえのこと」と書く少年である。沈黙の日々の中で、様々な思いを越えて、最初に語ったのは、世界の平和だったということになる。

 

せろんこまる せかいからせんそうがずっととだえて てきみかたきめずに くらしていけたらいいのに。2007年3月26日)

へいわがくればいい うちゅうがえいえんにじかんのあるかぎり いつのひかちいさないのちがうまれてそだっていくように しあわせがいっぱいにひ(な?)りますように わすれないでえらいひとたち 2007年7月24日)

せかいにへいわがやってくる いのちむけてよび へいわにともにいきて にほんじゅうのそらから たたかいのこえがなくなること そのためにねがいをもっていきていこう20071113日)

             53.中学2年生男子:94と同じ)

 

 この項の最後に、高校生の男子の言葉を紹介したい。これは、自分たちの言葉の力がなかなか評価されないもどかしさを綴った時に、世界平和のことなど書く方もいるのだけど、それがまた誤解を呼んだりするんだよと語りかけた直後に書かれた者である。

 

せかいへいわのことぐらいどんなこどもでもかんがえています だってぼくたちはへいわなしゃかいでしかいきてゆけないのですから。ちべっとのしょうがいしゃはどうしているのでしょうか。きっとつらいおもいをしているのでしょう。だからへいわがひつようなのです。2008420日)

54.高校生男子:bRと同じ)

 

 この項の冒頭に遠い世界の他者という表現をした。だが、重い障害とともに生きている者にとって、平和は遠い世界のできごとではなく、自分たちの日々の命の問題に直結した身近な問題だったということなのだ。

 

3.学びをめぐって

(1)学びへの渇望

 ここで紹介している子どもたちは、ほとんどが肢体不自由の特別支援学校に通っており、障害程度別のグループ編成においては、もっとも障害が重いグループないしは、その一つ上のグループあたりに分けられることが多い。そして、そうしたグループ分けの根拠となっているのは、通常は発達段階という考えであり、彼らが所属するグループは、発達の遅れも大きいと仮定されるところからすべての関わり合いが始まっている。しかし、年齢相応とも言える言葉の世界を有している子どもたちは、同じ年齢の子どもたちと同じ、当たり前の勉強がしたいのである。

 以下に掲げる文書は、そうした思いを綴った文章である。

 

しあわせになるためにまいにちがっこうでべんきょうがしたい。こくごさんすうしゃかいりかのべつのべんきょうがしてみたい。 2007724日)                               

55.小高学年男子)

 

このあいだなかないでいきていかなければとかいたけれどひとりくやしいおもいでいます。がっこうでせんせいがしんじてくれないので はやくそつぎょう べつのしせつでうきうきしたきになりたいとかんがえていますよ べんきょうのわかるひともなにもおしえてもらえないけど ほんとうはなんでいちばんこのべんきょうするのがたいせつなじきに さぎょうがくしゅうばかり ほかの くよくよするたのしくないです。  200761日)

  56.高校生女子:434486と同じ)

 

じぶんのことはやっぱりえらぶときにはじぶんできめたいけれどえらぶのがむずかしい

いいがっこうはどっちなのかわからない。ふつうのがっこうがいいとおもうけどむずかしいとおもうので××(弟の名)のがっこうのほうがおかあさんがらくかもしれないなら○○○○(学校名)のほうでいいよ。(どうしてふつうのがっこうにいきたいとは書かなかったの?)それはふつうのがっこうにはいけないことはわかっているからなやめばなやむほどかなしくなるからなやむのはやめた。

よのなかにはどうにもならないことがあることはよくわかっているからかんがえないことにしているの。たしかにふつうのがっこうにはいけないけどなっとくできているわけじゃないの。なぜしょうがいのあるこどもはふつうのがっこうにはいれないのですか。しばたせんせいおしえてください。

むかしにくらべるとよくなったかもしれないけれどふつうのがっこうにはいれないのはりかいできないわ。わたしはふつうのがっこうではべんきょうしたりあそんだりしたいわ。りかいしていることをしってもらえないとなにもはじまらないのがくやしいとおもうけれどりかいしてもらえるまでがんばりたいとおもいます。20071028日)

がっこうをべんきょうができるばしょにしてほしいとおもいます。あそんでばかりなのでおもしろくありません。しりたいことはたくさんありますがおしえられないのでがっこうのいみがないようにおもいます。ちゃんとべんきょうがききたいです。2008年1月27日)

てでなかなかできなくてもかんがえさえすればわたしにもできます。わたしはわかりやすいやりかたをおしえられてこなかったけどじぶんでかんがえてわかるようになりました。のぞみはむずかしいすうがくのべんきょうをやることです。けいさんのべんきょうもやりたいけどなかなかじかんがないのでできません。かんたんなけいさんはできますがべんきょうをさせてもらえないのでむずかしいけいさんはできません。すうがくのべんきょうをしたいのですがおかあさんはむりだといいます。えっくすというのはどういういみですか。とてむずかしくてわかりません。おしえてください。2008629日)

                           57.小4女子:bP、17と同じ)

 

 最初の小学校高学年の少年の時間割表には、普通の教科名がない。彼も多くの子どもたちが学んでいるのと同じような、教科の勉強がしたいのであろう。しかも、その目的は、決していい学校にはいるためでもなければ、お金持ちになるためでもなく、ただ、「しあわせになるため」だけなのだ。誤った発達段階への位置づけから自由になり、彼の豊かな言葉の世界の存在を当たり前にわかることができれば、おそらく誰だって、彼に世界の様々なできごとを教えようとするだろう。しあわせになるための純粋な学びへの欲求に答えさえすればよい授業は、教える側にとっても理想の授業になるにちがいない。

 二人目は、高校生の女子である。学校の職場実習に行った帰りに会った日の文章である。本来、勉強をする場である学校は、なぜか勉強をそっちのけで職場実習や作業学習を重視する。進路を考えればそれも大切かもしれない。しかし、高校生という青年期まっただ中の大切な時期に、勉強を通してたくさんの世界を知ることこそ大切なのではないか、そう彼女は言う。感性豊かな言葉を綴る彼女の言葉の世界の存在を本当に信じることができたら、大切なことはおのずと見えてくるはずなのに。しかも、彼女はもうあきらめてしまっているようだ。勉強に関する限り、卒業後の施設に期待することは、むずかしいだろう。だが、彼女は、もっと「うきうきする」体験に出会うことを期待しているのである。

 三人目は、小学4年生の女子で、すでに別の言葉を紹介した子どもだが、地域の肢体不自由の特別支援学級に通っていたけれども、小5からは特別支援学校へ学校側の強い奨めによって転校する。それがまったく本人の意に反していることは文面から明かであり、本人が本当に望んでいることは、「ふつうのがっこうに」はいることであり、そこで「べんきょうしたりあそんだりしたい」のである。

 その後、彼女は分数や小数の意味について尋ねてくるようになった。その言葉は省略したが、尋ねられたことを教えているうちに、ついに「えっくす」の意味まで聞いてくるようになったのである。教えるのも容易ではないが、とても楽しくかつ緊張した時間が流れる。そして彼女の目はらんらんと輝いている。

 先生方は決して怠けているわけではない。ただ、こうした子どもたちが、当たり前に言葉を理解し、当たり前に学びたいと思っていることが、厚い常識の壁に阻まれて、理解されていないだけなのである。そこにあるのはあまりにも悲しい誤解なのだ。

 

(2)文字習得の経緯

 障害児教育においては、基礎からていねいに積み上げていく学習が重要であるということには、私もまったく異論がない。特に、一般の子どもたちが就学前に意図的な教育を経ずに、生活の中で獲得する様々な能力を、意図的な働きかけを通して獲得できるようにしていくことが、障害児教育においてはいかに重要であるかを、私も繰り返し強調してきた。ところが、ここで紹介している方々は、そのほとんどが、そうした意図的な積み上げを外見上は経ることなく、こうした言語表現を獲得してきた。

 まず、紹介したいのは、私たちがあえてどうやって文字を覚えたのかというという質問をしたことの答えとして表現された文章である。

 

おしえててくれたおかあさんざつしでおかあさんありがとういつも。ちいさいもじはみえないけどしずかなおうちのなかでおしえてくれたのでわかった。2007529日)                  

58.小2男子:27と同じ)

 

ちいさいころにおかあさんがほんでおしえてくれたながいあいだかきたいとおもってきましたねがいでしたほんとうによかったです200861日)

59.高校2年生女子:90と同じ)

 

ちいさいころからわかっていましたおかあさんがよくえほんをよんでくれたのでおぼえました200861日)

60.高校2年生男子)

 

ねがってきたてではなしができることをてがつかえてうれしいですもしそれができたらすばらしいとおもってきたこどものときにおかあさんがえほんでおしえてくれたどうしてそんなことをきくのですか20081014日)

61.高校1年生女子)

 

じはじぶんでおぼえましたえほんでおぼえましたきになることばがあるとくりかえしおもいだしていました けっこうたいへんでしたががんばっておぼえました 2008914日)

6220代女性)

 

 字を覚えるのに役立ったものとして、雑誌、本、絵本などがあげられている。まだ、小さい時に、おそらく母の膝の上で、そうしたものを通して字の存在を知り、区別することを覚え、読み方を身につけたのだろう。障害のない幼児でも困難な文字習得が、ただ見るだけで可能なのかという疑問もあるだろう。だが、彼らは、自由に動き回ることもできず、母親の膝の上で見る物が環境の大きな部分をしめるのだ。しかも、周囲の子どもたちが、自由に読み、書き、話すことを羨望のまなざしで見つめながら、自分にもできる聞くことと文字を読むことに、密度の濃い集中をすることは、当然といってもよい。5番目の女性は、「きになることばがあるとくりかえしおもいだしていた」というのである。しかもこの女性は未熟児網膜症で強度の弱視だから、機会はより限られていたはずである。

 次も、文字の習得について語ったものである。

 

ちいさいころからりかいしていました。にいさんがおぼえているのをみておぼえました。2007529日)

みえますみつめるとみえます 99÷11=9 おぼえている ちいさいときおにいさん なぜそんなことをきくの わかりました おかあさんはいそがしいからしかたがない またあいましょう。 20071226日) 

6310代後半男性:931と同じ)

 

がっこうでようごでともだちがおぼえているのをみておぼえた200997日)

6430代女性:3793と同じ)

 

 ここで、一番目の男性が「にいさん」と呼んでいるのは近所の子どもらしい。兄弟や近所の友だちあるいは、養護学校で自分よりも障害が軽いとされる友だちが、周りからの賞賛をあびながら喜々として文字を覚えている姿を、羨望のまなざしで見ながら、みずからも文字を覚えようと努力したということだろう。

 一番目の男性は、計算についてもあわせて自分がよく理解できていることを教えてくれた。自分が知っている計算の中でも難しいのを書いてと、式そのものから書いてもらったものである。

 さらに、この男性と61の女子高校生は、文字をどうやって覚えたのかという問いに、どうしてそんなことをきくのかと問い返してきた。障害のない子どもたちが当たり前にできたことを、なぜ障害があると特別なこととされるのか、その不当さを訴えているようでもある。私は、このおろかな問いをせざるをえない現状を説明して、二人に謝った。

 なお、文字を覚えた年齢について言及したものはないが、次の文章は、難病のために、ずっと新生児室にいて、わずかに動かせるあごを使って文字を書いた少年のものだ。1文目が38か月でのもの、2文目は、310か月でのものである。34ヶ月の時点で出会い、私が彼に文字を教えた。関わっている中では、もっとも幼い年齢の子どものものだ。○のところには名前が書かれていた。まだ、意味の判然としない文字列も含まれているが、「おかあさんすてき」「じうれしい」「あたまかぶったなにがいいのまつくらこわいの」というきちんとした言葉が綴られている。

 

て○○○○○○おかあさんすてきうんきすりしろ。2004415日)

まましにみあひ○○○じうれしい。あたまかぶったなにがいいの。まつくらこわいの。ぎっちにあかわこわいちますきた200463日)

 (653歳男子)

 また、次の文章は、小2の男子が書いたものである。

 

くるしかったけどはなせることができてきもちがらくになりました。くるしいのはよくめがみえないことです。かあさんがえほんでおしえてくれた。ちいさいもじのえほんがべんきょうになりました。2008624日)

66.小学2年生)

 

彼は、3歳頃から白内障が進行し、現在は、完全に失明している。したがって、かなり早い時期に絵本で文字を覚え、それを記憶していたことになる。なお、この時は、音を聞くことだけで文字を選択している。

ここで注意しておきたいのは、さしあたり、まず、読むことが問題で、多くの子どもたちが直面し、苦労している書字については問われていないことである。また、多くの子どもたちが、活発に活動し、きわめて豊かな刺激にさらされているのに対して、彼らに与えられた世界は、非常に狭く、情報も限られている。そのような中で母とともに、あるいは兄弟や近所の子どもたちとともに見る絵本などの文字がその生活にしめる割合の大きさのことを十分配慮すべきだろう。

 

 

4.自己をめぐって

(1).大人になること

 障害の有無にかかわらず、大人になるということは、思春期の心の重要なテーマである。

 最初の文章は、援助による手書きで書かれたものだ。

 

そらの青さがまぶしくて ぼくはおもいきり目をつぶる

きのうの空よりも 青さがこい

すこしづつ ぼくも大きくなる 気ずかなかったけれど ぼくも大きくなる 

あのくものように自然なうごき

かんしゃしよう 今のぼくに かんしゃしよう ぼくの春に 2005年)

            67. 小学生6年生男子)

 

 表面上は素朴な自分の成長を喜んでいる詩だが、この底には、自らの重い障害に対する思いが隠されている。障害がある自分だって、大きくなっていくということに改めて気づいている。なぜ、自分はこんな体なのだろうかという問いながら、しかし、その成長を感謝の気持ちで受け止めようというものだ。この詩は、静謐な心境の表現というふうにとれるかもしれない。しかし、現実の彼は、様々な葛藤のさなかでこの詩を書いた。

 次の文章は、中学部進学を前にして、決意を述べたものだ。屈託のない気持ちの表現ではあるが、背景には、なかなか勉強を教えてもらえないもどかしさがあることも忘れてはならない。

 

ちゅうがくぶにいったらいっしょうけんめいがんばりたいよ。のんきににはしていられないよ。たくさんべんきょうしてあたまがよくなりたいんだ。おとなになるさようならこどもじだい。200717日)

       68.小学6年生男子)

 

 次の文章は、中学生のものだが、先輩から、自立に考えてみてと宿題を出された直後、綴ったもlのである。

 

じぶんがいりたい(入りたい)ところにきめたいからいろいろなところをみてかんがえる。じぶんできめることがだいじとおもう。2007126

                      69.中学生男子:3545と同じ)

 

 こうした話題を一度もしたことがなかったが、彼は、この少年は、しっかりと自分で決めることの大切さを語った。

 次の文章も中学生のものだ。

 

なやみがあまりにもありすぎいまねむれないでこまってばかりいます。せわされてともだちができるのかむずかしい。なにをするのといわれてもわからん。しょうらいのこともかんがえています。ちゃんとしたひとにはざんねんながらなれそうにないけどしぬきでぼくのじんせいをいきていきたいとおもいます。いちばんまよっているのはざんこくなことだけどけっこんできるかどうかということです。いろいろといちがいにはいえないけどよくかんがえてみます。2006829日)

                      70.中学生男子 bS.14と同じ)

 

 将来に対する不安が悶々と綴られている。「せわされて」「ちゃんとしたひとには(…)なれそうにない」といった自分の障害を見据えた表現も続く。そして、結婚について「ざんこくなこと」という前置きをした上で、自らに問いかけている。この少年は、ふだん非常に力強い文章を書いており、大人に対しては、きっちりと言いたいことを言う。そんな彼の強さが、状況をこれだけ厳しく見据えさせているのだろう。

 次は、同じように悩んでいる高校生の男子である。

 

おとなとしてあつかってほしい。こうこうせいだから。こどもではない。じりきでいきていきたい。わかってほしい。といれのほうほうができればいいとおもう。2007929日)                  

71.高校1年生男子:4872と同じ)

 

 日常生活が全面介助であることは、しかたないとはいえ、それが子ども扱いと区別がつかないことがある。それはやめてほしいこと。願いは自力で生きることだが、容易にはかなわない。せめてトイレが自分でできれば、自力で生きることに一歩近づくかもしれない。そんな心の葛藤が現れた一文だ。

そして、彼は、4ヶ月後、再びこのように綴った

 

のぞむことはねがいどおりに○○ようごをそつぎょうしたらじりつがしたい。なるようにしかならないけどかのうせいがあればちょうせんしてみたいとおもう。わかってくれるひとはすくないけどきぼうをすてずがんばっていきたい。けっこんしたいとおもう。もんだいはあいてがみつかるかどうかだけどみつかるまでがんばります。えらんでいるよゆうはなさそうだけどわかってくれるひとがほしいとおもっています。ともだちがほしいとおもうけどなかなかみつからないのでこまっています。なんでもはなせるともだちがひつようです。なやみもわかってくれてそうだんにのってくれるともだちです。なかなかみつかりません。わかってくれるせんせいもすくないです。わかってくれないせんせいがいっぱいいます。ぼくがことばをりかいできていることもむししているせんせいがいるのでこまります。わかってくれないよりもわかってくれるせんせいがすくないのがこまっています。2008126日)

72.高校1年生男子:4871と同じ)

 

 こうした彼の思いに気休めの答えでごまかすことはできない。私にもさしあたっての明確な答えはない。これから彼自身が自らの人生の中で出していく答えに寄り添うことしかできないからだ。だが、ただでさえ厳しい現実に向かおうとしている彼に、無理解というかたちで関わることは罪深いことだと思う。われわれが容易になしうることなどないのだから、せめて、彼の気持ちを理解し、支えていくことが関わる者の責務であろう。

 次は、高等部の卒業前後に語られた二人の若い女性の言葉である。

 

さきまでしんぱいさせてはすまないけどおとなとしていきていけたらいいなとおとうさんおかあさんへちかいます。200616日)           

73.高校生女子)

 

そつぎょうしきがちかずき ししゅんきのとしもおしまいになるのがかなしい。ふしぎなかきもちがわたしをおそう。ひのあたるなみきみちをあるいていこう。もしかしてつかれてしまってたちどまることもあるかもしれないけど ともにあるくなかまがいるかぎり まえにむかっていきてゆこう。わたしがしんじていくゆめはむずかしいけれど たたかいつずけきもちがつずくかぎりがんばりたい。○○○くん(そばにいた中3の後輩)そつぎょうしたらようごでがんばってね。わたしはりんとしたきもちで○○○(通所施設)でがんばります。めざすさきだけをみつめていきたいとおもいます。2008222日)

わたしはそつぎょうしきがおわってからまいにちいえにいてしゃしんをみています。めをさますとがっこうにいかなくていいのがふしぎとおもいます。○○○(通所施設)にいきます。にゅうしょしきはよっかです。もくひょうはとおいけれどもよくばらないでがんばりたいとおもいます。ふまんはないけれどのぞみはむずかしいことをしたいです。てをつかってまたひょうげんしたいとおもっています。わたしもやっとおとなのなかまいりができます。わたしがうまれてからにじゅうねんちかくになるけれどじぶんしかできないことをやったことがないのでやってみたい。2008321日)

74.高校3年生女子)

 

 一人目の女性は、高等部3年の冬休みに上の文章を書いた。社会人を迎える年の初めに誓ったものだ。長い間、自分の言葉で気持ちを表現できなかった彼女が初めて文を書いたのは、高2の秋のことだ。その後も頻繁に会えたわけではなく、また、私の読み取りの速度も遅かったので、表現された言葉は少なかったが、きっぱりとした表現の中に、大人としての自覚が読み取れる文章だ。

 二人目の女性は、高等部の卒業式が近づいた2月の文章と、卒業式が終わった直後の文章である。「ししゅんきのとし」が終わり、社会人になるにあたってのゆらぐ思いが美しい言葉とともに語られている。そして、社会に出る不安とともに、そこで「りんとしたきもち」でたたかい続ける決意も述べられた。

 

(2)障害について 

 障害の重いと言われる方々の障害の状況は様々だが、中に、その意味が理解されにくい行動をしている人たちがいる。問題行動とされるものや常同行動と呼ばれるものなどがそれにあたるが、そのうちのいくつかについて、本人自身から説明をしていただいたことがある。障害について整理するに当たって、まず、このことについて触れておきたい。

 最初は、幼少期、ずっと指しゃぶりや指をかんでいたが、ある時期からタオルを自分で持ち、それをずっと口に入れては出しという行動を繰り返している20代の女性の方にその意味を尋ねてみた。すると明快な答えが返ってきた。

 

からだがうごかないからいちばんつかえるところをつかっているだけです2008729日)

7520代女性:62と同じ)

 

 次の方は、高校生の女子だが、どうして自分たちが言葉を書く力をもっていることが理解されないのかと尋ねられて、いくつか理由を述べたあと、彼女たえずかりかりと机などをひっかくような動きをしたり手を口に入れたりしていることなどが、誤解をより強めることもあるということをあえて述べ、その行動の意味を尋ねた際のやりとりである。

 

りかいがむずかしいのはなぜですかおしえてください (手は)かってにうごく (止めるのは)むずかしい (手を口に入れるのは)うごきをとめたいから (気持ちは)めでうったえています なかなかうまくいきません からだがうごかなくてもいろいろかんがえていてかんじています にんげんですから でもわかってもらえてよかったです2008628日)

76.高校生女子:11と同じ)

 

 たえずかりかりと机をひっかくような常同的な動きをしている人はときおり見かける。それは、少なくとも彼女に関する限り、勝手に動くのであり、また、手を口に入れるのは、そんな手の動きを止めるためであるという。前者については、私は、積極的な遊びだったり、時間をもてあました末の遊びであると考えてきたが、それはあやまっていたようだ。後者については、おおむねそういう見解をこれまで述べてきたが、私は、こうした行動は、以前は、言語獲得以前の段階にある人に特徴的なものとどこかで見なしていた。それは、決定的な誤りであったし、大変失礼な見方であったのである。

 次は、小学生の少年だが、彼には、手を頻繁に口に持っていき、いったん物を持つと口に持っていってかむという行動や、突然物を突き飛ばすような動きをすることがある。その行動の意味がいったい何なのか、尋ねた。

 

じっとしていることがむずかしいのでからだがいつもうごいてしまうのがりかいされないでこまっています せんせいにそれをつたえてほしいです てがいつもくちにはいっているのはすっていないとからだがとまらないからです きもちとはちがったうごきをするのでこまっています 2008811日)

77.小学5年生男子:3B君と同じ)

 

 彼の場合、手を口に入れる行動は、上の女性よりも積極的に手を吸っていて、それだけよだれもたくさん出てくる。そのある種の積極さが口に持って行く行動自体に意味があるように感じられていたが、動いてしまう体を止めるためだとは思わなかった。また、彼は、机上のパソコンを突き飛ばして落とすということもあった。それだけを見ると、パソコンで深い思いを綴る行動と大きなギャップが感じられてしまうのだが、それが意図していない行動で体が止まらないからだとすると大変納得できる。こうした誤解をされ、時には注意をされたりしながら、生きているということを私たちはもっと知らなければならない。

 次の文章は、レット症候群と呼ばれる障害のある高校生の女性だ。寒くなって体調がよくないことについてや、文章を綴っている最中にパソコンのキーを指で押してしまうこと、相手のめがねに手を出してしまうことなどについて尋ねたところ、以下のように答えてくれた。

 

このごろそんなにきぶんがよくないのはさむくなってからだがかたくなったからです きもちがしずんでしまいます てをつかおうとするとてがかってにうごいてしまいます てのひらはなんでもありません とめられなくてこまっています すきなひとにもめいわくをかけてしまいます2008113日)

78.高校3年生女子)

 

 寒くなると体が固くなること、手が勝手に動いてしまうこと、手のひらが特別に敏感でさわれないということではないということなどについての明快な説明が返ってきた。そして、好きな人にも迷惑をかけて困っているという心の痛みについてもふれてくれた。しかし、通常は、こうした彼女の思いに気づくことは難しく、むしろ、問題行動として見なされたり、迷惑をかける行動を平気でしてしまうというというように、つらい誤解をされてしまうことが圧倒的に多いはずだ。

 次の文章は、高校生の男子のものだ。

 

でんしゃでこのまえむかいのひとにへんなめでみられました。ねがいはみんなによくわかってもらうことです。てもつかえないしきもちもひょうげんできないのでずいぶんごかいされるけど ほんとうはなんでもわかっているのでふゆかいです。こえはなかなかとめられません。ゆびはかってにてがうごくのをとめるためですからしかたありません。かってにうごくのはなかなかとめられません。しせいをあんていさせるいみもあります。 2008831日)

79.高校2年生男子)

 

外出時、人から変な視線を向けられることに関するもので、そのきっかけに声が出てしまったり、指を口に入れていることなどがあるようなのだが、それが自分ではどうにもならないということを語ったものである。私たちのこれまでしてきた誤解の罪深さに慄然とする思いだ。

 以上、障害ゆえに生じてしまう行動上の困難について、特に私たちが誤解しやすいものを簡単にまとめた。ここにも明らかなように、障害は、本人にとって困った状態をもたらすことも少ない。しかし、障害という現実から逃れることはできず、障害という状況の中で積み重ねられる経験を経ながら生きていかなければならない。そのような状況の中で、みんな自分にとっての障害の意味をそれぞれに問い直しながら生きている。次に、そういうことに言及したいくつかの文章を紹介したい。

 最初の文章は、高校生の男子のものである。大学に行ってみたいという彼を、私が授業に招待した際、用意した文章である。題は、「障害は個性か」というものだった。なお、彼は、B5サイズくらいの紙に書かれた50音表を、腕を持つという援助によって指さして文字を綴っている。漢字はあとで、母親があてたものだ。

 

障害とは命にも関わるほどの重い枷です。それを個性というのは、どう思いますか。ぼくは個性とは、たとえ障害者でも一人一人感じが違うように、性格の違いとか考え方の違いとか体格の違いとか、そういうものを個性というと思います。それは障害者も同じです。麻痺になって、速く過去へさかのぼり、家で起こった悲惨な病をなくしたいと今でも思います。前向きに生きたいと思うけど、いつもくじけてしまいます。

もし、あなたが、明日から、しゃべれないし動けないしトイレにオムツになったらどうしますか。僕のようになってもあなたは簡単に個性だと言いますか?20066月)

80.高校1年生男子:41と同じ)

 

 障害を個性ということですませないでほしいという主張である。障害を個性と言われてしまうと、障害がもたらす苦しみなどが十分に顧みられることがなくなってしまう。それは、不当な言い方ではないかということである。もちろん、障害を個性と考えることによる長所については、ある程度理解が深まってはきただろう。しかし、それはとても不十分な理解にすぎないと彼は言うのである。あまりにも広く社会に受け入れられてしまった感のある「障害は個性」という考え方の落とし穴を見事についたものだった。彼は、授業で大学生の意見を聞きたいということだったが、誰一人として彼の考えに反論できた学生はおらず、みんな、その彼の思いの深さに圧倒されていた。

 もちろん「障害は個性」という言い方が、大きな意味を持つ場合もある。次の文章は、高校生の時から関わっていた女性の文章である。高校時代とても引っ込み思案だった彼女が、いつかこうした文章を綴るようになっていた。なお、この文章は、本人がパソコンのキーを独力でうって書いた文章である。

 

私は、20歳を過ぎてから、自分の「障がい」について、考えるようになりました。

私は、歩行器を使って、生活しているので外出すると人にジロジロ見られます。人にジロジロ見られるのが嫌です。その度に私は、「どうして生まれてきたんだろう」とか「生まれてこなければ良かった」と、自分が生まれてきた事を後悔しました。「健常者」になりたいと思ってもなれません。私は、「健常者」がうらやましいです。障がい者も、「車いすに乗っている以外」は健常者と同じです。

そこで私は、「障がい」を別の言葉にかえて、「個性」と思うようになりました。「障がい」を「個性」と思うようになってから、私は自分が好きになりました。人に見られるのが嫌だった私は、今では「こんなに沢山の人が私を見てくれている」と思うようになり、「障がい者」がいることを知ってもらおうと思うようになり、「個性」を楽しむようになりました。200721日)

8120代女性)

 

 かつて、彼女は健常者のまなざしを自らの内に内面化し、健常者のまなざしで自分を見つめていた。それは、「生まれてきた事を後悔」させるようなまなざしであった。しかし、彼女は、健常者のまなざしで自分を見つめるのをやめ、障害者である自分自身をいとおしむようなまなざしを得ることができた。健常者のまなざしにとって障害はマイナスのものであるが、彼女が獲得した新しいまなざしは、自分を肯定するまなざしである。その時、「障害を肯定する」=「障害は個性である」という考えがしっくりと心に根をおろしたのだと思う。

 なお、「障害は個性である」という言い方は、1970年代に「青い芝の会」によって主張されたものだと言われる。その時にこめられていたものは、社会があってはならないものとして忌み嫌う障害を個性として受け入れよという激しい主張を秘めていたという。今やその主張は、耳障りのいい言葉として広く受け入れられるようになってきた。しかし、誰がどのような思いでこの言葉を使うかということを抜きにして、安易に語るべき言葉ではないということが、この二人の言葉に示されている。

 次の文章は、中学生のものである。彼は、母親が彼の手を上から持って行う手書きの文字によってコミュニケーションを行い、たくさんの文章や詩を作っている。これは、その中の一つである。

 

ぼくは体が不自由です。でも考えることはできます。感じることもできます。ぼくが自由に動いていたら感じないことも不自由だからわかることもぼくはきずきました。ぼくには父と母と弟がいます。けんかもあるけれど、一生けんめいやっています。すばらしい人だと思います。ぼくはこの家族といっしょに生きています。ぼくの生きるいみをさがしながらきっとみつかるはずだとしんじて・・・。

ぼくをおうえんしてくれる父、母、弟、友人のためにもぼくはぼくの生きるいみをさがしつづけ生きつづけていきます。ぼくはここで光りかがやく。2005年)

82.小学6年生男子:5267と同じ)

 

彼と長い間つきあってきて、こうした表現が、めげそうになる自分を励ますために書かれたものだということを知っている。だから、この背後には、彼の不安もまた透けて見えている。しかし、そういう危うさの中から書かれたものだからこそ、真実であるし、それでもなお、このように希望を持ち続けることの中に、強さを感じる。

次の文章は、事故の後遺症で全身の自由を奪われた中学生が、事故から1年あまり後に書いた文章である。

 

このうつうつとしたじょうたいいつまでつずくのだろう。くなんのしれんをこえてこのせかいのなかでけんとうしてゆくのはむずかしい。おおきくなるまでにからだがうごくようになるかしんぱいです。

いつまでつずくのだろうこのくるしみは。おかあさんいつもありがとう。このじょうたいになってもかわいがってくれてくれてうれしいです。できるならこのじょうたいからぬけだしてもとのからだにもどりたいけど、とてもむずかしいようなのでこのじょうたいでがんばっていきたいのでよろしくおねがいします。このじょうたいでもきっとしあわせはみつかるとおもいます。くるしいことだけかんがえていてもしかたないからたのしいことをかんがえていきたい。うちのなかがあかるいのですくわれます。いいかぞくたちにかこまれてしあわせです。からだはうごかなくなったけどことばもとのままです。めはすこししかみえません。けんこうなときにはかんじませんでしたがいいじんせいってなんでしょうか。くるしいことはいやだけどすきなことができなくてもこのよにうまれてきてきっとなにかいみがあるとおもうのでかんがえながらいきていきたい。きっとくるしみのいみをみつけてみせる。きっといいじんせいになるとおもうからおかあさんあんしんしてみていてください。うちじゅうによろこびがあふれることをねがっています。きっといいにんげんになりますとちかいます。20081111日)

83.中学生男子)

 

 文章は「うつうつとしたおもい」から始まる。そして自問自答を重ねながら、ふりかかってきた災いを正面から受け止め、その中から「くるしみのいみ」を見いだそうと決意するにいたる。そして、その背後には、それを支える家族の存在がある。このような状況にあって、なお、こうした決意を語りうるその強靱な精神の力は、もちろん彼自身のものであるが、おそらく、人間という存在の奥底に秘められたものなのであるにちがいない。もちろん彼もまた、この日を境に生まれ変わるということではないだろう。こうした自問自答をこれからも繰り返しながら、少しずつ、こうした決意をより醸成されたものとしていくにちがいない。

 

5.研ぎ澄まされてきた詩的表現

 非常に重い運動障害をもつことによって動きを大幅に制限され、コミュニケーションの手段を持ち得ず、しかも、伝えるべき言葉も有していないと見なされて生きてきた世界とは、ぎりぎりの極限状態と言ってよいだろう。だが、そのような状況だからこそ研ぎ澄まされていくものがある。最後に、詩的な表現として研ぎ澄まされたものを取り上げてみたい。

 最初の文章は、盲学校の重複学級に在籍していた高校3年生が生まれて初めてパソコンで書いた文章である。本人は、詩として綴ったというよりも気持ちをそのままに表現したものと思われるが、言葉は、沈黙の中でこのように研ぎ澄まされていた。

 

くるしくてもがんばります ひかります くるしくてもさきにきぼうがあるかぎり どこまでもどこまでも はてしないみらいにむかっていつまでも やさしいかあさんすき 2007813日)           

84.高校3年生女子)

 

次の文章は、一人の少女のいくつかの文章である。毎回、途中で体力が続かなくなって終わりまでたどりつかないままになってしまうが、何とか表現を工夫して、自分の思いをかたちにしようとしていることが伝わってくる。

 

めもうさぎあかいいろしてぬすんだみたいなかぜがむなしくふきわたしのことをわらった2007216日)

なつかしいひびいつかうえたしあわせのたねからおおきなはながさいたらすてきとおもう。ゆめがせかいにあふれだしそうなきがする。すきなうたがいづこからかきこ(え) 2007413日)

くらいうんめいなのにかるくいきてそとへむかってつらいことをみんなふきとばそうときにはきもちがとてもくるしくなってまよいそうになるけれどかのうせいをしっかりとみつめてふなでをしよう2007914日)

なきたいうちいっぱいないていきもしなみだがかれはててしまったならののはなをさがしにいこうかな。きっとちいさなはながやさしく20071012日)                              

85.中学生女子:2149と同じ)

 

 次の文章は、高校生の女子の文章である。本人が散文として書いたものなのか詩として書いたものなのか、定かではなかったが、私たちは詩としてとらえ、既に述べたように、障害者青年学級のコンサート中のミュージカルにおいて、劇中の歌として使用させていただいたものである。

 

のにさくはなのようにばてない 

むりをしないでいきていかなければいいこともある 

とおくにまいおりたとりのようにみえるきぼうにむかってよんでみよう 

ねがいはひとつたとえみちはとおくても ゆめさえなくさなかったらなあとおもう 

らくなみちではないけれど へんてこなわたしだって たたかいつずけていきたい 

もしなやみがあまりにおおくて まえがみえなくなってしまっても ぜったいにあきらめない 

のにさくはなのようなけだかさでもっていきていこう いつまでもへこたれないで2007112日)

      86.高校1年生女子:434457と同じ)

 

 言葉を表現できるようになって希望が鳥のように舞い降りてきたけれど、それは、まだ遠くにあるという絶妙な比喩や、「へんてこなわたし」という自己の凝視、「へこたれないで」「たたかいつずける」力強さなど、単なる感傷ではけっして生み出すことのできない表現が、この詩に独創性をもたらしているように思われる。

 次の詩は、通常学級で学ぶ肢体不自由の小6の女の子のものである。彼女は、言語障害があるために、最小限の短い言葉しか話さないのだが、2スイッチワープロを試みたところ、内面を吐露するような表現が出てくるようになった。そんな彼女の国語の教材である短歌や俳句のプリントを一緒に解いていて、短歌の解釈を尋ねると、思わずうなるような表現がかえってきた。例えば、万葉集の志貴皇子の有名な短歌、「石(いわ)ばしる、垂水の上の、さわらびの、萌え出づる春になりにけるかも」については、「はるになってわらびがはえてきた ぼくのこころにもはるがきた」、芭蕉の「古池や蛙飛びこむ水の音」には、「ちいさないけでかえるがしずかにとびこんでとてもしずかさがふかまった」、与謝野晶子の「金色のちひさき鳥のかたちして銀杏ちるなり夕日の岡に」については、「なにかかなしいことがあってゆうがたさんぽをしていたらゆうやけがうつくしくていちょうのはっぱがとりのかたちをしてちっていくのをみてはげまされた」というようにである。そこで、詩とはどういうものだと思うかと聞くと、「なにかできもちがしずんでいたりうれしいときになにかをみたりきいたりしてこころがゆさぶられたときにつくられるものです」と返ってきた。これはきっと詩を作ったことがあるのだろうと思って聞くと「ある」というので書いてもらったところ、驚くべき作品が書かれたのだ。

 

すばらしいのらいぬもねぐらにかえるゆうぐれどき 

しずかにせみがないている

せみのこえのぬけがらに 

ひとりくれゆくそのこえのむこうに 

あきがないている

うちにかえるこどもたちのなかからおなじにおいがして 

えれないゆめがきえていく

でもそこにはただくれてゆくすがたのままのくるしみがあるだけ

すべてしをわすれたねがいがあしたをゆめみている

すべてつみをのがれられないとしても

うつくしいねがいがかがやいている

とびのなきごえにこころがあらわれ 

すべてをゆるすばかりにはねをひろげて 

のぞみをすてないことをちかった  20081014日)

87.小学6年生女子)

 

 このことをきっかけに、私は、別の方々に対しても、時々、きっかけがあると詩を作ったことがあるかという質問をするようになった。

 以下、7編の詩は、そのように尋ねたところ、その場ですらすらと2スイッチワープロによって綴られたものである。

 

 このせかいにうまれて

 

まっしろなくもが つらいこころをなぐさめる

こよなくあいしたくもだから わたしのつらいきもちをしっている

もうすこししたらとてもきれいなひかりがさしてくるよと そらのくもがいう

くらいそらにひとすじのひかりがさし とてもあかるくいろづいて

こころいっぱいにひろがって こころがすっかりかるくなった

そらがとてもひろいのに こころもまけてはいられない

こころがちいさくなってしまったら せかいにうまれたいみがない

こころがせまくなったら はなにまけてしまう

のぞみをすてずにいきていく 

もっとのぞみをそだてたい こころがせまくならないように 20081122日)

88.小学4年生女子)

 

たくさんのかなしみ

 

つらいときなみだがほほをながれたら

そらをみてかおをあげてみよう

ほほをながれるなみだもきえていく

ゆめみてみよう きれいなときのしらないせかい

ふしぎなこえがきこえてきて のはらにはないっぱいさきほこり

ちいさいころのおもいでがよみがえり

なみだはやがてそらにきえていく   20081122日)

89.小学5年生男子)

 

きたからのこえ

 

きたのそらからきこえているこえにむかって わたしはさけぶ

すてきなくにはどこにありますか しっていたらおしえてください

つみぶかいめをしたなきむしのすめるくには どこにありますか

しっていたら おしえてください

くしんしているけど このからだではさがすことができません

きっといいくにがどこかにあるとおもうのですが きぼうのくにはみつかりません

いいくにはどこにありますか

きたのほうからきこえるこえに わたしはたずねる いつまでも20081129日)

90.中学3年生女子)

 

たびだち

 

うつくしくひろがるこのせかいに わたしはうまれてきた

なにひとつかわることのないからだでうまれ ことばもたずさえて

しかしそのことは だれにもしられずにきた

なやみもくるしみも すべてひめたまま このせかいでいきてきた

そんなわたしがことばをもった

こころいっぱいひらき たびだとう   2008113日)

91.高校2年生女子)

 

きぼうのきたかぜ

 

きぼうのきたかぜがふき 

ていくうひこうをするつばめたちは みなみをめざし

いきたいところをさがし ひこうをつずける 

くなんがまつこどくなたびを

きぼうのきたかぜがふき

しらないひとがすぎていく

みたこともないすてきなきぼうのひとみをして

くるしみをのりこえ みなみをめざして

きぼうのきたかぜがふき

しらないすずめがにげていく

つよいとりになろうとして

くるしみのみちをさがし とびたってゆく

しらないきたのくにをめざして    20081129日)

9220代後半男性)

 

つらいときそらをみあげてみよう

そらはきっときいてくれるわたしのきもちを

ねがってみようすみきったそらに

きっとそらはつらいきもちをきいてくれる

きぼうのそらにむかってさけんでみよう

しんぼうしてきたけどすくわれたよと

きいているそらはいつもわたしのこころを

きいているいつもわたしのねがいを

きいているいつもわたしのゆめを

きいているいつもわたしのほんとうのきもちを。 20081130日)

 

きたのそらからきたしろいまほうつかい

きたのくにからやってきて

きたのくにのきれいなゆきをふりつもらせる

きたのくにからきたまほうつかいは

きたのくにのきぼうをかなえるためにゆきをふりつもらせる

きたのくにからふくかぜはきたのくにのいのちをつたえてくる  20081130日)

9330代女性:3764と同じ)

 

 これら7編の詩は、突然の求めに応じて書かれたものであり、すでに何らかの形で作られていたものと考えられる。あえて尋ねなかったら、記されることはなかったものだ。このことが意味しているのは、これらの詩が、まったく人に見られることを前提としておらず、自分のためだけに書かれたものだということである。

それではいったい何のために書かれたのだろうか。行動の自由も表現の自由も閉ざされた中で、自由に精神が飛翔できるのは、豊かなイメージを秘めた言葉が生み出す想像の世界だけである。そして、それはけっして現実逃避ではない。みずからがおかれた厳しい状況をしっかりと見据えながら、その現実との戦いに傷ついてしまった魂をいやし、もう一度確かな希望を取り戻すために、自らに力強く語りかけられたものであろう。

6編目と7編目の詩を書いた女性は、合わせてこういう言葉も書いた。

 

しはきもちをずいぶんらくにしてくれる きもちをきいていいきもちにしてくれる きもちをきいてこころをくるしみからときはなってくれる

 

「きいて」という表現の中には、一人の心の中で対話が成立していることを示唆している。詩を作るということは、ここでは、もう一人の聞き手としての自分に語りかけているということになるだろう。

そして、それを、何度も繰り返す中で、よりふさわしい言葉が選ばれていき、表現は洗練されていった。評価や賞賛などまったく無縁なところで語り出された偽りや虚飾をまったく排したこれらの詩は、詩が生まれる原点を指し示しているようだ。

 私たちが、長い間見過ごしていた障害の重い人々の心の中に、こうした世界が広がっていたという事実には、慄然とする思いである。

 最後に、こうした研ぎ澄まされた表現がなぜ生まれてくるかについて、明快に語った中学生の少年の文章を、彼自身の研ぎ澄まされた言葉とともに紹介しよう。

 

うしなわれたかこはもどってはきませんがのぞみにあふれたみらいがあることがすばらしいです。くなんそれはきぼうへのすいろです。けっしてあきらめてはいけないということをおしえてくれます。

てのなかにうつくしいていねんをにぎりしめていきていこうとおもう。うつくしいていねんはしんじつそのものです。くるしみのなかでひかりかがやいています。てのなかにあるしんじつはさいわいそのものです。のぞめばいつでもてにはいりますがだれもこのことはしりません。なぜならにんげんはつねにらくなみちのほうをこのむからです。いきるということはくなんとなかよくしてゆくことなのです(200886日)

げんきなこどもはことばをしってからずっとしゃべりつずけてきたけれどぼくたちはけっしてなにもするわけでもなくただじっとことばだけをつかっていきてきた しかもいちどもそのことばをだれにもはなさずにいきてきたのでのんふぃくしょんのどらまのようなせかいをすごしてきた だからどらまよりもすさまじいたいけんをしてきた だからことばがとぎすまされてくるのはあたりまえのことなのです

ことばがあればはなすことができなくてもりかいしてくれればずいぶんととらくです きもちはつたえられなくても たくさんきもちのはいっていることばをつたえてくれれば それをかんがえていちにちをすごすことができます ことばこそぼくたちにとってひつようなものなのです(20081014日)

94.中学3年生男子:53と同じ)

 

 「苦難、それは希望への水路」「手の中に美しい諦念をにぎりしめていこう」といった洗練された鮮烈なイメージとともに語られた言葉には、ただ圧倒されるばかりだが、「じっとことばをつかっていきて」きて、「どらまよりすさまじいたいけんをしてきた」ことが、言葉を研ぎ澄ませていくのだという彼の主張には心から納得させられた。

 

おわりに

 今も、言葉を話すことなくじっと暖めている人々が、いろいろな場所にいることだろう。厚い常識の壁が破られ、信憑性の議論を越えて、彼らの言葉にかけられた覆いが取り除かれる時、きっと新たに世界が開かれてくる。その世界へ向けての胎動は確実に始まっている。もはや、時間を後戻りさせることはできない。もちろんこの覆いを取り除くのは当事者みずからだ。そんな歴史の扉を押し開く当事者の声を、さらにいっそう聞き取る仕事を前へと推し進めていかなければならない。

 

 

参考文献

柴田保之(2001) 「深く秘められた思いとの出会い―表現手段を手に入れるまでの純平君の歩み―」『國學院大學教育学研究室紀要35

柴田保之(2002) 「重度肢体不自由児・者における文字学習に関する一考察―パソコンによる自己表現の試み―」『日本教育心理学会第44回総会発表論文集』

柴田保之(2005) 「んなさんの言葉の世界の発見」『重複障害教育研究会第33回全国大会発表論集』

柴田保之(2006) 「障害の重い子どもの言葉の世界の発見―あおいさんの言葉の世界の広がり―」『國學院大學教育学研究室紀要40

柴田保之(2007) 「元気君の9年間の歩み〜物に触れることから文章を綴るまで〜」『國學院大學教育学研究室紀要第41号』

柴田保之(2008) 「かなえさんが切り開いた言葉の世界」『國學院大學教育学研究室紀要42