「神道・日本文化の形成と発展に関する調査研究、アジアの諸文化との比較」に関する研究調査報告(1) 奄美徳之島カムィヤキ調査概要※写真は準備中です
調査地 宮崎県宮崎市 宮崎県総合博物館 鹿児島県大島郡伊仙町(徳之島)
期 間 2002年11月14日(木)〜11月17日(日)
出張者 鈴木靖民(國學院大學大学院教授) 山崎雅稔(國學院大學COE 研究員)
調査目的 奄美群島のひとつである徳之島において、およそ11世紀から13世紀にかけて生産され、南西諸島一帯から南九州に及ぶ広範囲に流通していた陶器・カムィヤキの調査を通じて、南島の社会・文化の歴史を解明する手がかりを得る。
調査経過〔1日目〕11月14日 午前、東京羽田を出発、宮崎へ向かう。
午後、宮崎県総合博物館にて「古代特別展示 文字のある風景」を見学。 この企画展示は、近年目覚しい発掘の成果を得ている南九州地域の出土文字資料を一堂に集めたものである。それらは、当地域への文字文化の浸透を通じて、その背景にある律令制的国家支配の広がりや人々の生活・信仰などの一端をうかがうことができるという点で大変興味深かった。展示の企画を担当された柴田博子氏と籾木郁郎氏に、展示内容に関して懇切な説明を頂くことができた。これらのなかに、今回の調査目的であるカムィヤキ1点が展示されていた。
〔2日目〕11月15日 午前、鹿児島空港を出発、徳之島へ向かう。 午後、伊仙町役場社会教育課の方々のご協力を得て、カムィヤキ古窯群を調査。
今回の調査は、翌日(16日)の「カムィヤキ古窯群シンポジウム」開催に伴い、一般公開のために窯跡のうち1基が掘り返されたのに合わせて行なった。悪天候のため、シートが被せられたままであったが、窯の規模や構造を確認することができた。また同行した吉岡康暢氏、永山修一氏の見識をうかがうことができた。 この日、窯跡までの道筋に所在する面縄貝塚遺跡の発掘現場(面縄小学校敷地内)を見学した。この遺跡は、土器や獣骨のほか貝類が出土しており、わけてもヤコウガイの貝匙などの貝類の加工物が多数出土している。砂地の発掘現場であるが、共伴の土器から縄文時代にさかのぼるということであった。
また、カムィヤキ古窯群の発見者である義憲和氏(伊仙町立歴史民俗資料館館長)のもとを訪問し、発見当時のことなどをうかがうとともに、資料館の展示物を見学した。展示室の一室には、高さ30〜60cm程度の褐色の壺類が数多く収集されていた。これらは近世〜近代にかけて、生産され、流通したものでカムィヤキの系譜を引くものと考えられる。その多くに数字と文字を組み合わせた箆書き記号が記されていた。これらは窯記号と考えられる。
〔3日目 11月16日〕 伊仙町立体育館で開催された奄美群島交流推進事業文化交流部会実行委員会主催「カムィヤキ古窯跡群シンポジウム」に参席。町ぐるみのシンポジウムは町内外から1200人以上が参集し、盛大に行われた。シンポジウムでの報告は、以下の通り。 基調講演 村井章介 カムィヤキと海上の道―『海東諸国紀』から見る― 報 告 青崎和憲 カムィヤキ古窯跡群調査の経過及び概要 報 告 田辺昭三 東アジアにおけるカムィヤキの位置づけ ―カムィヤキと須恵器― 報 告 吉岡康暢 カムィヤキの形式分類・編年と歴史性 報 告 赤司善彦 カムィヤキと高麗陶器 報 告 三木 靖 奄美のグスクと中世城郭 報 告 永山修一 カムィヤキ時代の南島世界 全体討論 司会進行 池田榮史
シンポジウムでは、中世徳之島のカムィヤキをめぐって、生産技術・様式・流通などの各方面からの報告、議論が交わされた。その窯の形状や陶器表面の紋様などは、高麗陶器と類似性を持つこと、やはり南島の交易品であったヤコウガイが朝鮮半島や東北地方にまで交易されるのに対して、カムィヤキは、南島社会〜南九州に限られ、流通範囲が限定的であることなども指摘された。
当日は体育館内にカムィヤキ古窯群跡出土の土器片のほか、熊本県相良村下り山遺跡や大韓民国全羅南道康津七陽面三興里遺跡、沖縄県那覇市牧志御願東方遺跡など、カムィヤキとの類似性・関連が指摘されている出土遺物も展示され、観察することができた。
〔4日目〕11月17日 午前、義憲和氏の案内で面縄貝塚の喪葬地などを見学。 午後、鹿児島空港を経由し、東京に帰着。
調査概要 (1)宮崎県総合博物館「古代 文字のある風景」展示品 鹿児島県名瀬市奄美博物館所蔵の小壺(龍郷町表採)。頸部に箆書きの記号(文字)が確認できる。箆書きは、「夫」あるいは「天」と読める。また、窯での出荷時の記号と考えられ、(1)窯元の印、(2)「3」を示す画数記号、(3)何かの象徴的な記号などが想定できる。 なお、笠利町歴史民俗資料館所蔵の小壺(マエヤグスク表採)にも、底部外面に「天」と箆書きするカムィヤキがある(中山清美副館長のご教示による)。
(2)鹿児島県伊仙町カムィヤキ古窯群および伊仙町総合体育館展示品 a 第1支群−4 外部底面 :土器制作工程(台など)を反映か、その模擬か。
b 第10支群−2 肩部 :窯記号か。
c 第11支群−3 外面 針書:日本本土中世陶器の系譜を引くか(吉岡康暢氏の御教示)。
d 第10支群−4 :窯記号か。
e 第9支群−5 壺の縦型の把手: 矢羽文様を刻書。壺自体が矢筒に利用されたか(赤司善彦氏の御教示)。漁労・狩猟の豊饒祈願など矢の象徴性を表すか。
f 第9支群 底面外部:窯記号か。
g 不明 底部(破片)外面:土器制作台に敷いた小枝などをモチーフに意識か(吉岡氏の御教示)。
h 第1支群 大型壺(完形)。胴部。 浅い針書、線刻。窯記号に意識定期に小波線を追記か。さらに焼成後、別の部分に2カ所、波線を針書。単なる窯記号以上の意味を示唆する。大型壺での貯蔵、運搬と関係があるか。
(3)沖縄県那覇市牧志御願東方遺跡 a 小壺 胴部(破片):窯記号でなく描画か。
考察にむけて―調査の成果と課題― 11〜13世紀、日本中世の奄美徳之島で生産され、波照間島を南限とする南西諸島各地から本土鹿児島県域まで、広範に流通した貯蔵容器、運搬具としてのカムィヤキは、制作に高麗陶器との関係も考えられ、東中国海海域を舞台とする南西諸島、日本本土、朝鮮半島にまたがる異文化間の交易・交流、さらには日本と東アジアの交易文化を考えるうえでの貴重な資料である。現地の窯跡に立ち遺物を見つめ、研究者との意見交換を通じて、特に琉球王国成立以前の南島の社会と文化、その担い手たちの生活、信仰、生業、航海や商業をはじめとする海洋活動を解明するために不可欠の研究テーマであることが確かめられた。 また無文字社会における文字、記号の成立、使用、普及、意義など、文字文化の形成・展開を探るうえでも、カムィヤキに記された文字・記号を調査することによって、具体的な事例を知ることができた。今後、調査研究を継続し、各地のデータを集積することによって、日本文化をめぐる異文化間交流、日本古代・中世文化の交流史、比較史などを考える際の手がかりを得られるであろう。
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