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ホーム >> COEプログラム事業の遂行と成果について >> c. 国際会議・シンポジウム >> グループ1「基層文化としての神道・日本文化の研究」
国際シンポジウム「東アジア世界における日本基層文化の考古学的解明」 
公開日: 2006/10/31
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 國學院大學21世紀COEプログラム第1グループでは、日本基層文化の東アジア史的位置づけを明らかにすることを目的に、「東アジアにおける狩猟採集社会の文化と縄文文化」・「東アジアにおける農耕社会の文化」・「東アジアにおける青銅器祭祀」を主要な考古学的な課題として、これまでロシア・中国・韓国をはじめ国内外各地において調査研究を実施してきた(参照:國學院大學21世紀COEプログラム考古学班刊行、21COE考古学シリーズ1〜7、平成15(2003)年〜平成18(2006)年)。
 平成18(2006)年9月30日(土)・10月1日(日)の両日にわたって、國學院大學渋谷校舎120周年記念2号館1階2104教室において開催した今回の国際シンポジウムでは、国内外第一線の研究者を招聘して、最新の研究成果に関する意見交換をはかり、これまでの本学COE考古学関連調査研究成果を総括することを目的とした。
 今回のシンポジウム開催に関しては、事前に一部新聞等でも報道されるなど多くの関心が寄せられ、当日は天候不順にもかかわらず両日の合計で約300名の参加者があり、成功裡に終えることができた。
 当日の各発表題目と概要は、以下の通りである。なお、以下の概要は、阿部昭典・伊藤慎二・加藤元康・加藤夏姫・渋谷賢太郎・新原佑典・高橋毅・土屋健作・深澤太郎・山添奈苗が執筆し、伊藤慎二と山添奈苗が全体を取りまとめた。

「縄文文化の南の境界」 伊藤慎二(COE研究員)
 縄文土器を特徴づける縄文施文と口縁部突起の世界的分布状況を検討し、口縁部突起の分布から縄文文化の独自性を明瞭に浮彫りにした。そのうえで、縄文土器口縁部突起の時期・地域別出現状況を分析した結果、域外先史文化に面する「周縁部」的地域に限って口縁部突起の一時的衰退現象が見られ、縄文文化の範囲等を推し量る重要な指標となることを確認した。なかでも、琉球縄文文化の土器口縁部突起存続状況の不安定性・特殊性は、主体的独自性の反映のみでなく、縄文文化とは異質の起源をもつことに結びつく可能性が存在することを指摘した。

「民族考古学から見た東北アジアの狩猟採集文化と縄文文化」 佐藤宏之(東京大学助教授)
 縄文文化などの先史文化のダイナミズムを叙述することを目的に実施したロシア極東における一連の民族考古学的調査成果と、その課題を述べた。列島の先史文化の理解には、同様の自然環境を共有する極東ロシアの文化・社会・生活の諸相を解明することが重要である。たとえば、ロシア極東と縄文文化は、生業カレンダー・経済生業活動領域の基本構造が類似する反面、東日本の縄文文化で重要であったクリがロシア極東では欠落する点で食糧基盤に重要な差異があることなどを指摘した。また、縄文文化の人口復元研究にあたっては、民族誌的観点のみではなく、歴史的観点からの検討も不可欠であることを述べた。

「東アジアの中の縄文文化」 大貫静夫(東京大学教授)
 縄文土器や縄文文化の大陸起源論あるいは系統論というのは、日本列島周辺の大陸考古学に精通すればするほど、そのような課題に答えることの困難さを深く認識するようになる。そうした中で、はたして縄文文化は日本列島固有のものであるのか、縄文文化と周辺地域の文化との境界をどう捉えるかということが、非常に重要な問題であることを指摘した。日本列島における縄文文化の位置づけ、さらには大陸の新石器文化からみた縄文文化の位置づけという二つの視点から文化の「連続性」と「不連続性」を検討し、土器・石器・気候・植生の比較に基づいて東アジアにおける縄文文化の位置とその特色を述べた。

「韓半島尖底櫛文土器社会の動態と東北アジア新石器文化の広域変動」 イム=サンテク(林尚澤)(韓国:(財)韓國考古環境研究所助教授)
 韓半島尖底櫛文土器文化の変動を、東北アジア新石器文化の中で理解することを試みた。筆者の提示した編年案をもとに、道具組成・住居址・集落の構造・生業形態等の動態に着目し、初期農耕の受容・周辺地域への展開・小規模集団の拡散・集団の瓦解現象といった具体的な文化変容状況を明らかにした。その上で、遼西・遼東・吉長地区・黒龍江南部および沿海州の文化動態との比較を行なった。これらの分析の結果、器形の側面では独自性が強いと考えられていた尖底櫛文土器文化も、社会全体の変化は周辺地域と密接な関係をもって連動していることを指摘した。

「地理情報システムと予測モデル:極東考古学における分析見通し」 クリストファー=ギラム(アメリカ:サウス=カロライナ大学研究員)・アンドレイ=タバレフ(ロシア:科学アカデミーシベリア支部考古学・民族誌学研究所上席研究員)
 地理情報システム(GIS)を使用した考古学的な分析について、その応用手法や極東地域の具体的な分析事例を示した。極東地域のGIS応用研究例として、黒曜石交易の最低コスト経路分析や、遺伝的アルゴリズムモデルを利用した旧石器時代のアジア大陸北部における人類の生態学的な居住適所の探索推測事例を紹介した。これにより、先史人類集団の相互関係や北アメリカのパレオインディアン文化集団のアジア大陸における起源地に関する仮説を提示した。こうしたGIS分析の精度を高める上で、世界的に情報を共有蓄積することが重要であることを述べた。

「極東の石器時代における新石器石刃伝統」 アナトリー=クズネツォフ(ロシア:国立極東大学教授)
 完新世に入ると旧石器時代の押圧剥離技術に代わって、極東北部では強力な押圧剥離技術による新石器時代の石刃製石器群、極東南部では磨製および両面調整などの典型的な新石器的技術による石器群が、主体的分布域を異にして展開する。しかし、完新世前半期の特に沿海地方と北海道では両石器群が共存するという図式を、近年の調査成果に基づき新たに提示した。極東地域周辺の石器研究は、比較的早い時期の土器の出現や、新石器文化の本来的な定義から外れるこれらの地域をどのように位置づけるかといった問題の解明に、今後重要な鍵となることを述べた。

「東シホテ=アリニ(ロシア沿海地方)考古学の新資料」 アレクサンドル=クルピヤンコ(ロシア:国立極東大学準教授)
 東シホテ=アリニ山脈地域の考古学研究の現状について、國學院大學と共同調査したウスチノフカ8遺跡等の成果を基に論じた。東シホテ=アリニのゼルカリナヤ川流域では、旧石器時代・新石器時代・青銅器時代・古金属器時代の遺跡の濃密な分布が、これまでの調査で明らかになった。なかでもウスチノフカ8遺跡からは、各時代の多様な遺物が確認されたのみでなく、他地域や多様な文化に関連する土器・石器・石製品・土製品・装身具などが出土しており、東北アジアにおける人の移動や適応過程を今後解明する上で重要な意義をもつことを指摘した。

「サケの民:ロシア極東の石器時代諸文化における技術・芸術および儀礼」 アンドレイ=タバレフ(ロシア:科学アカデミーシベリア支部考古学・民族誌学研究所上席学術研究員)
 ロシア極東における旧石器時代後期から新石器時代にかけての石器組成・芸術的遺物・遺跡立地などの大きな変化を、サケ漁の発展と関連づける解釈を提示した。とりわけ当該地域の新石器時代開始期の重要な要素である石器製作における両面調整技術や土器の出現も、サケ漁とそれに付随する生業活動などに関係するものであることを具体的に述べた。また祭祀関連遺物から、祭祀センターが長期的に使用され、近隣地域(沿海地方・サハリン島・日本列島)と儀礼的なネットワークを通じて相互に結ばれていた可能性を指摘した。

「縄文のマツリ」 小林達雄(拠点リーダー)
 縄文革命以降、定住的なムラ生活の中で様々な発展があり、その中で解決できない困難に当たったとき、人々の中に神頼みという観念が生まれた。そしてカミとの交信の場として、環状列石・巨木柱列・環状土手などのマツリの装置が構築された。また非実用品であるとされがちな道具を“第二の道具”として積極的に評価し、神との交信のための小道具的役割を果たしたことを指摘した。この二つは、マツリのもとに結束し独自の安定した社会を築いた縄文文化のシンボルであるといえる。こうした要素の動向が、周辺文化や弥生文化との接触があった時期の社会動態を知る有力な手がかりとなることを述べた。

「弥生のマツリ・古墳のマツリ」 杉山林継(事業推進担当者)
 鏡・剣・玉や、その模造品が神社の境内から出土するように、マツリの場と道具には4〜5世紀から今日に至る継続性を認めることができる。日本列島人が初めて手にした青銅製の鏡は韓半島の多鈕細文鏡だが、後漢以降の鏡は伝世して奉賽された例も少なくない。墳墓に鏡を大量副葬する習俗の中心は、紀元50年を過ぎると九州から畿内へと移動し、その畿内において前方後円墳が成立した。中国大陸では地下に埋葬施設を構築するのが通例だが、列島では墳頂部に営む。これは、先祖は天より来訪したとする思想と「天円地方」思想が融合した現象である可能性を指摘した。そして、次第に前方後円形の意義は忘却され、体系的な外来思想の導入と共に、7世紀の方墳や上円下方墳の盛行を迎えたものと想定した。

「古代のマツリ」 吉田恵二(事業推進担当者)
 古代の祭祀は、国家祭祀と民間祭祀に二大別できる。その中でも民間祭祀には、国家が容認あるいは黙認した律令的祭祀と、殺牛殺馬のように国家が介入して禁止した非律令的祭祀が存在した。7世紀末に現れた呪符木簡などは、外来要素を示す最たる資料であるが、政府による禁令にもかかわらず広範に流布したことが知られている。従来の共同体祭祀に加え、個人的な呪術行為が盛んになった現象も、古代のマツリの特徴ということができることを指摘した。

「祭祀考古から「神道」へ」 岡田莊司(事業推進担当者)
 天皇に神の祟りが集約される「循環型祭祀体系」や、出雲大社・出雲神話の成立、大国主命・大物主神の融合をはじめとする神道の基本構造は、7世紀後半の斉明朝から天武朝にかけて確立した。このような神道の原型を考古資料が豊富な事例に求めると、大神神社や宗像大社を取り上げることができる。三輪山麓では山ノ神遺跡などから4世紀後半の祭祀遺物が確認されており、沖ノ島22号遺構から出土した金銅製織機は宗像三女神の神格と関連するものであろう。そして、6世紀には外来の亀卜も取り入れられ、7世紀の神道成立へと至る見通しを提示した。また、神道の成立基盤を一層詳らかにするためには、COE終了後も考古学を交えた神道研究を推進する必要性があることを述べた。

「東アジア王制と日本古代の天皇祭祀」 辰巳正明(事業推進担当者)
 高句麗・新羅が諸侯の礼を以て王の儀礼を行なっていた一方で、百済は中国皇帝と同様に天地の祭祀を行なっていた。天武・持統朝には、天皇号や天皇祭祀の整備が進められたが、その理念的な根幹は皇祖天神を祭るところにある。『日本書紀』に見える「神道」とは、「随神道」であり、「随在天神」であることを指摘した。その意味で、天皇祭祀も皇帝としての行為に等しい。このような「神道」観は、東アジアにおける王制の日本的在り方を示すものであったことを述べた。

「総括」 藤本強(事業推進担当者)
 似たような自然環境の中であっても、全く同じような文化が育まれるわけではない。例えば、日本列島における縄文文化の中心的地域となった落葉広葉樹林帯や、米作りの基盤となった照葉樹林帯は、それぞれ中国大陸の草原地帯と湿地帯に相当するものであることを指摘した。
 同様に、世界各地の文化変容も一様ではなかった。遊動と採集を特徴とする旧石器時代にはじまり、定住と農耕の新石器時代、集住と都市、あるいは密集と過密都市に代表される金属器時代へと至る大まかな流れは一般に認められる。しかし、列島の縄文時代は世界標準でいう旧石器時代と新石器時代の狭間にあり、弥生・古墳時代も新石器時代と金属器時代の特徴をあわせもっていた。そして、「神道」の成立と直接的に関わる7世紀末から8世紀初頭は、そこから一気に都市化や社会的分業が展開した激動の時代だったことを述べた。
 國學院大學の21世紀COEプログラムでは、過去の生活文化について明らかにしてきた考古学のみでなく、精神文化の復元を目指す関連諸学が相互に注文を交し合い、領域横断的な研究を日常的に実践していくための基礎的な体制を整えてきた。今後もこの研究拠点を活かし、発展させる試みを國學院大學の使命として継続させる必要があることを指摘し、今回のシンポジウム成果を総括した。
(執筆(代表):伊藤慎二・山添奈苗)

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国際シンポジウム予稿集表紙
 
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