ホーム >> COEプログラム事業の遂行と成果について >> a. 調査 >> グループ1「基層文化としての神道・日本文化の研究」 折口沖縄民俗写真の現地調査ならびに文献調査 | |||
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1.研究課題名 グループ1 基層文化としての神道・日本文化研究 2.出張先 沖縄県那覇市ならびに伊是名村 3.出張期間 平成18年7月29日〜平成18年7月31日(3日間)2泊3日 4.出張者 事業推進担当者 小川直之 COE研究員 大堀英二 COE研究員 河野光沙 5.調査内容 (1)調査概要 折口博士記念古代研究所には、折口博士が大正10年ならびに大正12年、昭和10・11年に沖縄県で行った民俗調査時に撮影した民俗写真、現地で入手した絵葉書が約300点保存されている。 これらは沖縄地方に見られる御嶽などの聖地信仰、女性神人であるノロ・ツカサとその祭祀、生活風俗などの実態を示しており、基層文化としての神道・日本文化の研究資料となるものである。沖縄県は太平洋戦争時に激しい戦災を受けて画像資料が多く失われており、大正期・昭和初期の写真・絵葉書は貴重な資料である。 今回の調査では、これらのうちから伊是名村(伊是名島)に関する民俗写真について、撮影地の特定と現状調査を行うとともに、折口博士の沖縄調査に関する文献資料の調査を行った。 伊是名島民俗写真に関して、沖縄国際大学南島文化研究所の狩俣教授、沖縄県立芸術大学附属研究所の波照間教授に教授を受け、伊是名島での現地調査を行った。また、折口博士の昭和10・11年沖縄調査に関しては、地元の故・宮城真治氏の同行ノートが名護市史編さん室から出版されており、同ノートならびに関連資料の調査を行った。 (2)調査日程 7月29日(土) 沖縄国際大学・沖縄県立芸術大学附属研究所にて伊是名島民俗写真に関する情報収集 7月30日(日) 伊是名島内の折口民俗写真撮影地調査 7月31日(月) 伊是名島内の折口民俗写真撮影地調査 名護市史編さん室などで文献資料調査 (3)調査成果 研究対象である画像資料は大正10年、大正12年、昭和10年のもので、その後の現地の変貌が激しく、撮影地などを特定するのは容易ではないが、今回の調査では、昭和10年12月に撮影された伊是名島の民俗写真に関する情報収集を行い、現地で撮影地の特定、現状との対比を行った。 折口博士による伊是名島の民俗写真は7点が確認できており、このうち5地点について撮影地が特定でき、現状との対比を行うとともに当該地に関する情報が収集できた。これによって折口博士古代研究所所蔵の民俗写真に関する情報整備が進み、該当する画像資料の史・資料としての価値を高めることができたのが成果である。また、伊是名島では、折口が沖縄の村落祭祀に関してしばしば言及しているアシャゲが古い姿のまま残されており、これについての現状が確認できたことも成果であった。 撮影地が特定できた民俗写真の一部である3地点について以下に例示しておく。 伊是名城跡の北麓にある伊是名玉御殿 (上:昭和10年の折口写真、下:現在) 玉御殿は東室と西室があり、東室には尚円王の親と妻が、西室には親戚が納骨されているという。現在は石造の玉御殿の外装が漆喰塗になっている。 諸見の「逆田(サータ)」 旱魃のときにも水が涸れずに豊作であった水田で、尚円王となる「北の松金」が耕作した田と伝えている。左の写真が昭和10年撮影のもので、水田には水が湛えられ、谷から続く平地にも水田が広がっている。現在は左の写真のように、水田は狭くなり、逆田の下の平地はサトウキビ畑になっている。 勢理客集落の遠景写真で、昭和10年写真も集落の周囲には水田が広がっている。水田が広がる光景は現在も同じで、折口は、仲田から勢理客に向かって歩き、集落が全貌できる位置で撮影をしたのがわかる。写真の右の山稜は大野山の山稜である。 (文責・小川直之) |
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