ホーム >> COEプログラム事業の遂行と成果について >> b. 研究会 >> グループ2「神道・日本文化の形成と発展の研究」 第7回「神道・日本文化と外来宗教思想研究会」 | |||
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1.目的 本研究会は過去6回にわたって、神道を中心とする日本の宗教文化と大陸における宗教文化との関わりについて様々な方面からの研究を進めてきた。 今回は、大学院におけるCOE演習「日本文化研究B」の一環として実施され、事業推進担当者の浅野春二による「道教儀礼について」というテーマでの発表がなされた。 現在の台湾において実際に道教儀礼を依頼するのはどういった人なのか、その執行者はどういった存在なのか、道教の信者とはどういうものなのかなどの人的組織的な問題に着目しながら、映像資料も織り交ぜつつ、道教儀礼に用いられる呪具や呪符等を実際に扱い、どのような形式で儀礼が行われているかという点を中心に発表と議論が行われた。 2.日時 平成18(2006)年7月22日(土) 15:00〜17:50 3.会場 会場:國學院大學渋谷校舎 若木タワー5階・0502教室 4.発表者等(※敬称略): 研究発表者 浅野春ニ(事業推進担当者) コメンテーター 三橋 健(事業推進担当者) 司会・コーディネーター 新井大祐(研究開発推進センター助手・COE事務局) ※当日出席者数、13名。 5.研究会の詳細 5-1 発表概要 浅野氏は発表にあたり、まず大淵忍爾著『中国人の宗教儀礼』(1983年 福武書店)を引用しながら、道教は儀礼そのものが「実像」であるという点を強調しつつ、神道と儒教、そして道教の儀礼のそれぞれの性格に関する概略の解説を行った。神道はもともと地域や国との関係の中で祭祀を行うものであり、儒教を中心とする古代中国の祭祀は万物の根源である「天」を祀る行為で、それは皇帝のみが行うものであった。それらに比して、道教の儀礼は宇宙の根源である「気」に直接働きかけるという考えのもとに発達したものであり、地域や国といった土地(土地神など)などとの関係は希薄である。さらに、本来、漢民族の民間信仰の一部であったものが発達したという点からも窺えるように、「思想」より先に「儀礼」が重視され、さらにそれらが体系づけられて成立したものが「道教」であった。 以上のような道教儀礼の発達史の解説がなされた後、現在の台湾に目を移し、現代日本の宗教文化との比較をしながらその信仰の有り様についての報告が行われた。 まず、道教を信仰する人、すなわち儀礼の実践者(道士)に目を向けると、彼らの中には特定の道長のもとに小グループを作って活動を行う人々がいる一方、特定の人物を長として据えることをせずに「壇」というグループを作り、ビルの一角などで「私神壇」と呼ばれる斎場を設けて自分たちで神をそこに呼び、儀礼を実行する人たちがいる。また童乩(タンキー)や紅頭法師(こうとうほうし)といった存在についても個別にその活動を行っており、やはり組織を統括する特定の人物がいるというわけではない点が特徴的である。 次いで、儀礼の依頼者である一般の人間(いわゆる漢民族と呼ばれる人々)に目を移すと、特定の宗教を信仰するのではなく、状況にあわせ儒・仏・道の3つの宗教を使い分けていることが理解される。彼らは日本人が人生儀礼を社寺に依頼するのと同じような意識で道士に儀礼を依頼する。道士はそうした依頼に応じて複雑な儀礼を執行する存在ではあるが、その中で彼らは自分たちの教義・伝統にある儀礼を、依頼者の求める儀礼(その依頼者の属する地域に伝わる風習や祭祀)にうまく適応させながら儀礼を行うという柔軟性をもっている。 5-2 成果と課題 以上のように、現在の台湾における道教儀礼における組織や儀礼の在り方をつぶさに観察すると、現代日本の神社神道や仏教の諸宗諸派などとは異なり、大規模で統一的な組織形態を持つものではなく、道士の親方的存在である道長を頂点とした小集団によって構成され、多人数の道士を必要とする祭祀には、婚姻関係などのつながりの深い道長間で連絡をとりあいながら道士の数を揃えて祭祀が行われるという「自由な個別性」や、そこから、儀礼形態も、統一された一定の作法様式が存在するわけではなく、その場に応じて様々に応用されていく「柔軟性」をもつものであることが理解された。 また、実際の道教儀礼には作法以外にも演舞や歌謡といった芸能的要素が多分に要求され、道士たちはそれらを自分の属する集団の中で学び取る。神道にも神楽が存在するように、道教儀礼にもこうした形で宗教と芸能の関わりをうかがわせるものが多数存在することから、両者の関係についても研究を進める必要性が見出された。 文責:石井嘉生(大学院文学研究科博士課程後期) |
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