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ホーム >> COEプログラム事業の遂行と成果について >> a. 調査 >> グループ2「神道・日本文化の形成と発展の研究」
「中・近世の護符・起請文の研究」調査概要 
公開日: 2003/6/25
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「中・近世の護符・起請文の研究」調査概要 

Ⅰ、「中・近世の護符・起請文の研究」に関する調査。
國學院大學神道資料館所蔵「鳥羽藩御側坊主等連署起請文群」の翻刻と分析
調査日 2003年 1/15~2/19
調査地 國學院大學神道資料館
調査者 千々和到(國學院大學教授・事業推進担当者)、根岸茂夫(國學院大學教授)、太田直之(COE研究員)、吉岡孝(國學院大學兼任講師)、小保内進(大学院研究生)、清水正彦(大学院研究生)、堀越祐一(大学院研究生)

調査内容

神祇信仰の変遷を考察するにあたって、「神かけて誓う」いわゆる起請文の神文の分析をすることは、有用な論点を提示してくれるに違いない。そのような発想にもとづいて、このプロジェクトでは、14・15年度に中世及び近世に作成された起請文の調査・史料収集を進めることにした。
そして平成14年度にはまず、國學院大學神道資料館蔵の「鳥羽藩御側坊主等連署起請文群」の整理・及び翻刻作業を行った(総点数53点、紙数205枚)。この起請文群は購入時には「某藩御側坊主等連署起請文」とされていたが、調査によって以下のことが明らかとなった。
まず第一に、この起請文群は、志摩国鳥羽に居城をもつ大名稲垣家を藩主とする藩の起請文群ではないかということである。四十通ほどの起請文は寛政元年(1789)を初見として安政・文久年間にいたる江戸後期から幕末まで間のもので、そのうちの大半は、御側坊主や御納戸坊主、さらには草履取りなどの者たちがその職に就任したときに、仕事を一生懸命にすること、また仕事の中で見聞きしたことを他人はもちろん家族にも口外しないこと、などを誓ったものである。そしてその起請文の宛名の中には「稲垣姓」が頻出し、また起請文以外のごくわずかな書状の中に、「稲垣信濃守」あての書状があることもわかった。

起請文
文政11年8月11日 長坂吉彌起請文


 このことをヒントに他の文献を調べると、「稲垣信濃守」は代々の鳥羽藩主の名乗りであり、幕末の鳥羽藩の分限帳が皇學館大學史料編纂所や三重県立図書館などに残されていることがわかった。そこでこれらの文書を調査してみる(後述)と、起請文の宛名と分限帳などに出てくる藩士の名の多くが一致することが明らかになった。したがって、この起請文群が鳥羽藩の藩庁に保存されていたものか、別に保存されていたものかなど、伝来の詳細はまだ不明だが、鳥羽藩に関係する文書群であることは、間違いのないところだろう、ということがわかった。
 そして第二に、この起請文群の大半の料紙(108紙)には熊野牛玉が用いられ、しかもそのうち104紙には熊野本宮の牛玉宝印が料紙として用いられている。そこで、これら牛玉宝印を仔細に比較検討してみた。
 その結果、この熊野本宮牛玉宝印は、欠損の部位の形状などから、全てが同一の版木から刷り出されたものであることがわかった。起請文の年号からすると、寛政年間(1800年頃)から文久年間(1860年頃)までの六十年にわたっており、しかも欠損の状況はほぼ年次を追って不可逆的に同一の方向に拡大していることが確かめられるので、これらの牛玉宝印は一度に大量に入手するというより、少しずつ年を追って入手されていたこともわかる。このように数多くの起請文の料紙がほぼひとつの版木から刷り出されたことが明らかになった例は、管見の限り、一例もないと思われる。
 今回の調査の結果、本起請文群の基本的な性格が明らかとなった。また、本格的な分析にあたっては、1)鳥羽藩関連文書の追加調査、2)熊野三山、特に本宮大社における牛玉宝印の版木の調査、が必要であることが確認された。      (文責:千々和 到)


Ⅱ、「中・近世の護符・起請文の研究」に関する調査。
熊野三山での牛玉宝印版木調査。「鳥羽藩御側坊主等連署起請文群」分析のための鳥羽藩関連文書調査。
実施日時 ①2003年3月3日~7日、②2003年3月10日~12日
実施地  和歌山県(熊野速玉大社・本宮大社・那智大社)
三重県(皇學館大学図書館、鳥羽市立図書館、県立図書館)
参加者  千々和到(國學院大学教授・事業推進担当者)、根岸茂夫(國學院大學教授・平成15年度4月より事業推進担当者)、太田直之(COE研究員)、池谷浩一(國學院大學神道資料館学芸員)、吉岡孝(國學院大學兼任講師)、大河内千恵(國學院大學神道資料館非常勤職員)、清水正彦(大学院研究生)

調査内容 

本調査は、今年1/15~2/19に行われた國學院大學神道資料館の「鳥羽藩御側坊主等連署起請文群の調査」の成果を受けておこなわれた。目的は
① 起請文料紙に使用されることの極めて多い、熊野牛玉宝印を歴史上発行し、現在も発行している熊野本宮大社・速玉大社・那智大社の現地調査を行う。また、牛玉宝印の古い版木と「鳥羽藩御側坊主等起請文群」に使用されている牛玉宝印を比較し、牛玉宝印の年代推移などを明らかにする。さらに現在発行されている牛玉宝印の収集を行う。
②「鳥羽藩御側坊主等連署起請文群」成立の背景を探るため、三重県皇學館大学図書館・県立図書館・三重県鳥羽市立図書館蔵の鳥羽藩関係文書を調査し、必要に応じて翻刻・写真撮影などを行う。
の二点であり、それぞれを前期・後期の日程に分けて実施した。

① 熊野三山牛玉宝印版木調査 
調査方法としては、まず版木の同大のレプリカがなければ起請文料紙に使用された牛玉宝印との校合作業ができないので、それを拓本によって作成することにした。手刷りすることも検討したが、手刷りでは刷毛目と木目の差異が判断しにくいなどのマイナス面があり、むしろ拓本のほうが、版木表面の細かな欠損や傷を資料として残すことができるだろうと判断したためである。そして計測や写真撮影なども行い、版木を将来多面的に検討できるように記録を残す配慮をすることにした。
 最初に熊野速玉大社(新宮)に赴いた。残念ながら新宮は、明治の火災でほとんどが焼け、江戸時代にさかのぼる版木はほとんどなにも残っていない状況だったが、近世末期の本宮の牛玉宝印版木と、近年まで用いられていた新宮の版木とを調査することができた。現在、新宮では牛玉刷りは神事として行なわれることはなくなったという。

速玉大社社殿
熊野速玉大社社殿 

速玉牛玉
速玉大社牛玉宝印版木拓本


次に熊野本宮大社の版木調査を実施した。本宮は明治22年に洪水によって旧社殿が被害を受けたときに古い版木も失われたと思われ、残念ながら鳥羽藩起請文に用いられた牛玉宝印の版木とみなされるものは発見できなかったが、洪水以後の版木3点が残されていた。それらを検討すると、概ね江戸時代の牛玉宝印よりも小型化していることなど、変化の様相をはっきりと把握することができた。こうして得られた資料と、鳥羽藩御側坊主等起請文群の料紙に用いられた牛玉宝印とをつないで検討すれば、江戸後期から近代にいたる本宮の牛玉宝印の変化について、ほぼ切れ目のない資料が得られたことになるので、新年度にはさらに詳細な分析を試みたいと考えている。

本宮大社
熊野本宮大社

本宮牛玉                  本宮大社牛玉宝印版木拓本


最後に熊野那智大社を訪れた。4枚の那智滝宝印が鳥羽藩起請文に用いられているので本宮と同様な調査を試みてみた。ただ、那智大社の発行した牛玉宝印は、全国的にみれば三社の中でもっとも大量に残されており、同時期に一枚の版木しかないとはとても考えられないことなどから、まずは資料を収集するにとどめることにし、調査することを許された最古とされる版木と、数年前まで用いられていた版木について調査を実施した。


那智の滝
那智瀧

那智牛玉
那智瀧牛玉宝印版木拓本


こうして持ち帰った資料は、まだまだ数的には多いとはいえないが、今後江戸時代の起請文を見いだしたときに、それに用いられた牛玉宝印の同定作業を行なうために一定の役割を果たしうるものと考えている。

② 鳥羽藩関係文書等の調査 
・皇學館大学所蔵鳥羽藩関係文書を調査。すでに鳥羽市史などに翻刻済みのものに関しては、刊本との校訂作業を行い、未翻刻史料に関しては撮影・複写などの史料収集を行った。
・ 神宮文庫所蔵の『山中文書』所収の起請文関関連史料調査。刊本との校訂作業を実施。
・鳥羽市立図書館調査 「鳥羽藩御側坊主等連署起請文群」成立の背景を探るには、まずここに署名した御側坊主たちの実態を見極める必要がある。これら御側坊主の活動を探る一視角として、鳥羽藩主が大坂加番を勤めた際の史料群に注目し、鳥羽市立図書館所蔵の鳥羽藩関係文書の内、『加藤家文書』所載の「文政九年 大坂御加番御城出御行列帳」「安政四年 大坂加番日記」などの翻刻を行った。また、同図書館には鳥羽藩主稲垣家の史料である『稲垣家文書』があり、家臣団関係史料の調査を行った。
・三重県立図書館調査 文化五年~文政七年の江戸藩邸日記の抜粋と思われる「文化文政鳥羽藩記録」の調査・写真撮影を実施。

今回収集した資料群については未だ未整理ではあるが、これらの分析によって、今後起請文群成立の背景を分析する予定である。

なお前期の日程については、千々和到が中心となって調査を行い、後期は根岸茂夫の指導のもとに行われた。          (文責:太田直之)
 
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