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ホーム >> COEプログラム事業の遂行と成果について >> c. 国際会議・シンポジウム >> グループ1「基層文化としての神道・日本文化の研究」
『東アジア異文化間交流史研究会』第1回国際研究会議 
公開日: 2003/7/8
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『東アジア異文化間交流史研究会』第1回国際研究会議

1.はじめに
 日本の歴史・文化を東アジア史や異文化間交流や比較の視角から把握する研究は、これまで大学院文学研究科で渤海、古代日本・東アジアの交流をテーマにした国際シンポジウムを2回催し、その成果を公表してきた。外国人研究者を招いた講演会・研究会も連年のように開いてきた。
 こうした実績と2002年12月、中国山東省で実施した遣唐使ならびに延暦寺僧円仁の足跡調査とを関連させたのが2003年3月11・12日の第1回国際研究会議の開催である。若手研究者の育成という21世紀COEプログラムの趣旨に沿って、韓国・中国・日本の第1線にある中堅・新進の研究者を多数招聘し、さらに学界の代表的研究者をコメンテーターにお願いし、「古代東アジアの国家と異文化間交流」を主題とする報告・討議を2日間にわたって行った。
 この会議には2日間で延べ約200人が九州・関西・北海道各方面を含む各地から出席した。報告内容は多彩で討論での論議も多岐に及んだが、“日本と東アジアの異文化間交流”というテーマに沿い、報告に当たった日本の研究者6名、中国の研究者2名、韓国の研究者5名のほか、中国・台湾・韓国の研究者、大学院留学生10名の参加を得て、国際会議にふさわしいばかりでなく、日本古代・中世史、神道史、宗教史、中国史、朝鮮史、考古学などの研究者が集い、日本語のほか、中国語・韓国語が用いられて、実に学際的な雰囲気を醸し出した。

◇『古代東アジアの国家と異文化間交流』
  セッションⅠ 古代東アジアの諸国と交流
       Ⅱ 神祇・仏教の異文化間交流
  開催期日  2003年3月11日(火)・12日(水)
  開催会場  國學院大學 院友会館

◇日 程◇ 
〔第1日〕 セッションⅠ
    開会 鈴木靖民 シンポジウムの趣旨
〔報告〕 韓 圭哲 渤海と新羅の交流
  李 宗勲 渤海文化の二重的特徴-靺鞨と高句麗の異文化交流-
宣 石悦 加耶滅亡前後の新羅と倭の関係
     朴 眞淑 8・9世紀東アジアの外交と大宰府-渤海と統一新羅を中心に-
     石井正敏 渤海の政治と経済-渤海商人と営州・幽州-
     石見清裕 唐の国際交易と渤海
〔討論〕 モデレーター 酒寄雅志・鈴木靖民 / コメント 小嶋芳孝・蓑島栄紀 


〔第2日〕 セッションⅡ
 開会 鈴木靖民 シンポジウムの趣旨
〔報告〕山崎雅稔 山東・円仁求法巡礼地の調査
    馬 一虹 唐代山東の文化状況 
塩沢裕仁 赤山神の信仰
    中 大輔 9世紀山東の在唐新羅人社会における儀式と言語
    菊地照夫 赤山明神と新羅明神-外来神の受容と変容
    岡野浩二 12世紀宗像社僧の写経活動と入宋
    趙 明濟 高麗と宋の交流と禅宗
    討論 モデレーター 佐藤長門・鈴木靖民 / コメント 岡田精司
    


2、国際研究会議の目標と報告・討論の内容
 全体の課題は「古代東アジアの国家と異文化間交流」であり、①古代東アジアの諸国と交流、②神祇・仏教の東アジア異文化間交流、という2つのセッションで構成した。それぞれの主な目標と当日注目された論点は多様であったが、プログラムの趣旨に沿って整理すると次の通りである。

(Ⅰ) 古代東アジアの諸国と交流
1 東アジアと交流
 国家の形成や構造がその基盤をなす社会・集団と外部の関係によって成り立つ場合、異文化間交流・交易、情報伝達を要因とする社会・文化の形成・変容は、様々な背景・条件のもとにおいていかにして生じるか、その特質は何か。交流、それも古代・中世という時代性、二国間だけに限らない諸国(諸地域)間の複線的な交流もある中で、東アジア秩序の変革・編成による規定性(相互規定性)はいかに追求できるか。
事実に即した考察によって、周知の中国皇帝、日本天皇、諸国・諸地域の国王や最高首長の公権力、そこを淵源とする法規定(律令)、仏教、儒教、漢字(文字・言語)秩序の体制と共通性を重視する、いわゆる東アジア世界論(冊封体制論)、東夷の小帝国論、東アジア文化論など)を見直し、また現在の中国・韓国での東アジア理解の状況とも異なる、東アジア世界と諸国・諸地域に展開するそれぞれ独自の文化(仏教・道教・神道など)、それらの相互の交流(または交流の遮断)のパラダイムをめぐる展望が可能であろう。
 もとより一国内の動き、国家・王権間の関係に留意しながらも、一方でそれを超えるか、あるいは国家と絡みつつ交易する商人、宗教・信仰を求める僧侶や民衆、技術・技能をもち移動する工人等々、社会、制度、生産、イデオロギーの形成や変革にもあずかる多彩な人々の動態を、海域を含んだ東アジアの特色ある歴史のステージ・空間・環境とともに照らし出すことができるのではないか。当然、日本列島の前近代の歴史・文化の細部もその枠外ではないであろう。
 
2 渤海の国家、政治・経済と文化
 東アジアの国家形成で、いわば突如として誕生し独特な課題を抱える渤海の場合、その多重な民族集団と国家と文化のかかわり、政治と経済、生産・交易の関係はどのようであろうか。それらに対する支配と密接にかかわる人的構成、領域的実態がどのようかがことさら重要であろう。国家主導の外交にともなう交易、その反面、国際関係や外交政策に必ずしも収まらない渤海湾・黄海・東中国海・日本海などを利用し、あるいはユーラシア大陸を横断するクロテン(黒貂)の道を通っての地域(首長)間交流(遠距離交易)、境界地帯での交流・交易も注目に値する。ソクド人を介した西方文化と西日本文化の交流も視野に入る。
 国家は特定の文化(宗教)を創造するか。渤海国家の領域内に生じた文化の系譜、二重性・複合性は外圧と並んで、異質の文化(荷担者・信奉者)に融合・反発・棲み分けを促すか、複雑な異文化間交流は民族構成(高句麗・南部靺鞨・北部靺鞨)や政治・支配とも深く関連する。
 中国の、東アジアの国際的政治秩序、政治経済ネットワークもかかわりながら、唐と渤海、渤海と新羅の政治領域を含む公私に渉る交流・交通の事実の文献的考古学的究明、これら両・三者を並べて包摂する論理や意義の追求が要請される。個別には、渤海・新羅の王権・国家の支配、理念が住民の人的・物的その他諸々の交流をどう抑制したのか、あるいはどう依存(共存)したのか。新羅にとっての倭(日本)・加耶、渤海と統一新羅と日本(大宰府)の間の外交と交易もまた荷担する人々と場のありようをはじめ、同様な問題を内包している。
 いわば「政治や経済にとけ込んでいる文化」、その文化は経済・政治とどのように溶け合った存在だったのか。こうした政治・経済と文化、特に宗教・信仰の関係、また政治が産み出し、政治にまとわる文化現象総体を、歴史学的に「政治文化(史)」とする言説は適切なのかどうか。一言でいえば、これらの問題を「異文化間交流」をキーコンセプトとし歴史事実に即して解明してみる必要がある。

(Ⅱ) 神祇・仏教の異文化間交流
1 異文化間交流と文化変容・文化形成
 日本歴史上に珍しくはない在来(土着)の文化と外来の文化との異文化交流(接触)はいかなる文化複合、文化変容、新たな文化形成(または文化崩壊・拒絶)をもたらしたか。 異文化(社会)に接触し受容する個々人・集団・社会、あるいは国家の文化的アイデンティティとの関連は、どのような姿・形で表現されるものか。古代・中世の神祇・仏教にかかわる精神文化、仏教文化の面から追求する。日本伝来以前の東アジア各地での仏教と道教など土着信仰(宗教)との交流・混淆も考慮しなければならない。

2 赤山信仰から赤山明神へ、新羅明神との抗争
 入唐求法僧円仁たちの唐という異文化社会での仏教や生活面の苛酷で多様な異文化体験や見聞、唐人・新羅人との接触と異文化摂取、長安での仏教排斥、とくに3度も滞在し親しみかつ援助を受けた在唐新羅人の赤山村、法華院での宗教生活と環境の解明、殊に彼が山岳神・赤山信仰を知る契機、在唐中の辛酸、在唐最終段階での法難、度々の海難の危険と航海神だけでない内外の神々への祈願、これらが赤山神を護法神とする(と観ぜられた)赤山法華院周辺の信仰をひな形として、帰国後、将来し、再現する動機付けとなったのであろうか。それが比叡山と園城寺で、円珍以後、山門・寺門の対抗の中で赤山明神、新羅明神の2つの明神を創出させ、ゆかりの祭祀・美術・芸能にも及ぶ。新羅明神にも円珍による嵩嶽将来説があるが、あるいはその由来が赤山明神と違い新羅ゆかりの大友村主氏などの信仰(蕃神)にあったと見ると、その形成は赤山信仰に対抗する形で、単なる異国・異神を超えた列島内部向けの新たな神祇の進展(同時に著しく国際性を欠く変貌の面も)にまでどうして、何ゆえに到達するのか。のみならず、道教的な泰山府君信仰をも附加するのはなぜか。
 渡来人の固有信仰が神仏混淆を受けつつ、神像に似せて仏像のような異形の像容としてヴィジュアルに顕現される明神として昇華する過程、あるいはもともと中国の土着の山神である外来神を土着させて地主神とも異なる役割を担わせて新たな神格を付与し日本化する過程こそ、日本の宗教文化を考える上で看過し難い事実であろう。異文化社会の中の渡来人に限らない外から来る(外に行く)神の信仰への着目・分析は、後々まで続く日本だけでない類似の神(精霊)観念・意識とその信仰の構造にも新たな解釈の広がりを可能にする。

3 東アジアの激動と日本の仏教、神祇
 古代~中世移行期の日本は国家、王朝の交代を繰り返す東アジアの激動の局外にあったが、「絶えざる外来と土着の繰り返し」を特質とする日本の政治文化は、東アジアの政治秩序に対応しなければならず、日本仏教は東アジア秩序の再編に規定されていたと考えられ始めている。日本の神祇・仏教は隣接する高麗・宋・遼の仏教文化とどう向き合ったのか。経典将来や写経事業により東アジアに向き合う社寺と信仰者の動き、東アジアを意識しながらも飽くまでもドメスティックな神(また神を祀るもの)を志向し、あるいは神仏習合(混淆)を強めて社会に流布する意識・思想の展開との歴史的関係も問題となる。
この海外の仏教の行方は日本国内部の政治・社会とも無関係ではなく、受容主体の日本仏教と中世国家・王権の不可分性だけでなく、日本文化を相対化する視角を得られる。
 同じく中国仏教を、対外危機・対外意識の高まりに連れて自らの世界観・国家観・王法とも底通させて継受・選択した高麗の仏教の例を比較・参照することによっても、日本独自の受容・形成・展開の実態と意義が東アジアの視界から、一層明確に浮かび上がる。

 国際研究会議の成果は、記録化して公刊するために目下、編集中であるが、上記のようにまず様々な具体的事実の掘り起こしと検討を行い、研究の現状、問題点、研究の視角・方法などの問題を議論して、積極的に学術交流を進めたことにより、今後の新たな研究の方向性の大枠は見通すことができたと思われる。今後、古代の歴史・文化を主とする歴史学的な調査・研究を軌道に乗せ、研究会や国際研究会議を通して、外に開かれた幅のある日本文化研究の拠点を築くための確かな第一歩となったものと信ずる。

                                 (鈴木 靖民)
写真・会場の風景

異文化間交流国際研究会議1


異文化間交流国際研究会議2


異文化間交流国際研究会議3
 
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