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ホーム >> COEプログラム事業の遂行と成果について >> b. 研究会 >> グループ1「基層文化としての神道・日本文化の研究」
第3回「神観念形成」研究会 
公開日: 2003/7/24
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期 日 平成15年5月17日(土)16:30から
会 場 國學院大學常盤松2号館第二会議室
内 容 「民謡伝承論」の構想    COE奨励研究員 長野隆之
    ユー(世)乞いの島々−種子取祭を巡って−
                  事業推進者    野村純一
参加者 野村純一・辰巳正明・小川直之・城崎陽子・長野隆之他

内容の概要

「民謡伝承論」の構想         COE奨励研究員 長野隆之

 従来の日本民俗学が、その対象として調査・考察を行なってきたのは、伝承というシステムを内包し、前近代との連続性が認められた社会集団であった。それは、民俗学の創始期から、民俗、即ち、研究対象の消失という事態に直面していたということでもあり、この状況は年を経るごとに急速化し、伝承・民俗・基層文化などの民俗学の基盤の再検討を促すものとなった。
 民俗学創始期より民俗学の研究対象の一として大きな位置を占めてきた民謡においては、資料として取り上げられることはあっても、民謡における伝承様態そのものは等閑視されてきた。本発表は民謡研究の立場から民俗学に対面するものであり、民謡の全体像を把握しようとする試みである。民謡の全体像とは、どのような「場」に歌があり、それぞれの「場」において見出される歌の機能・意味、そして、それがどのように伝承されてきたかということである。
 ハレであれ、ケであれ、人びとの生活の中には民謡のみで構成される「場」はない。仕事・儀礼・遊びといった「場」を構成する要素として民謡は存在している。したがって、民謡の在り方は、それが用いられる「場」と深く関わっていると言えるのである。また、民謡の変化は、集団を背景としつつ、個人の意志・心情が関わってくるものである。つまり、民謡とは、詞章・曲節というカタをもった歌謡、集団性を有する「場」に加えて、個人の表現という、これら三者の関係性において成立する事象であり、この三者、ならびに、その関係性は伝承されるものでもある。
 こういった多様な民俗的「場」と関わっている民謡を媒介として、人びとの心情や感覚に迫ろうとするために、「民謡伝承論」という語を設定したのである。

ユ(世)乞いの島―種子取祭を巡って−   
                     事業推進者 野村純一

沖縄県八重山郡竹富島に行われる「種子取祭」を巡って、南島の「神観念の形成」を具体的に追求する。
 毎年11月に開催される「種子取祭」は、さきがけてまず、9月上旬に行われる「ユーカイ」をもって、その端緒とする。「ユーカイ」は「ユーコイ」であって、「世乞い」と理解し得る。ここにいう「ユー」は「世」である。ただし、「ユ、ユー」は他に「代・齢・穀物・米」そしてさらにその人たちの「運・命運」とも認識し得る。
 竹富島の「ユーカイ」は早暁、浜に降り立った神女たちの儀礼から始まる。それはニライカナイからの「カミ」を招く仕儀にある。シマ(共同体)のツカサ(司)によって招来された「カミ」は、そのまま彼女たちによって導かれ、ついで家々から出向いた村人たちによってシマに来臨したことになる。
 さて、問題は年に一度来訪されたこのカミガミ、つまりは「まれびと(稀人)」の意思をだれがどのようにしてシマの人々に伝えるのか。私は、それこそが「ホンジャー」であると指摘する。沖縄本島、先島にいう「大主(ウフシュー)、長者」がそうである。彼等は自らを120歳、121歳と称し、「翁」であることを自認している。今回は竹富島の生盛大和(せいもりひろかず)を紹介した。

《参考文献》島袋源七『炉辺叢書 山原の土俗』昭和4・2郷土研究社
 
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