ホーム >> COEプログラム事業の遂行と成果について >> b. 研究会 >> グループ2「神道・日本文化の形成と発展の研究」 第3回「神道・日本文化と外来宗教思想研究会」 | |||
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○テーマ:「神道と道教思想−神道思想の形成と道教−」 1.開催目的 本「神道・日本文化と外来宗教思想研究会」も、今回で第3回目を迎えた(リンク:第1回「神道・日本文化と外来宗教思想研究会」報告、 リンク:第2回「神道・日本文化と外来宗教思想研究会」報告)。この第3回目をもって本年度は最後となるが、その締めくくりとして、現代における道教研究、特に日本文化や神道を視野に入れた研究では第一人者である増尾伸一郎氏を招き、日本における道教思想の展開について様々な事例を掲げながら考察・討議を行った。 2.日時 平成15年11月26日(水) 16時 〜 18時30分 3.会場 國學院大學院友会館 2階小会議室 4.研究発表者・コメンテーター・コーディネーター(司会) ※敬称略 研究発表者:増尾伸一郎(東京成徳大学助教授) コメンテーター:淺野春二(本学文学部助教授) コーディネーター・司会:三橋 健(本学神道文化学部助教授・事業推進担当者) ※出席者、21名。 5.研究会の詳細 5−1 発表概要 今回招へいした増尾伸一郎氏は、これまで主として大陸において生成・発展した道教の日本への導入や受容・展開を、日本史学の視座から研究されてきたが、その研究成果の中から、特に神道と関わりの深い問題を中心に発表がなされた。 それに先立ち、日本における従来の道教思想研究の成果が挙げられ(古くは黒板勝美氏・津田左右吉氏・妻木直良氏・下出積與氏、最近では窪徳忠氏・野口鐵郎氏・坂出祥伸氏・千田稔氏など。順不同)、それらの解説と、その検討・批判についての説明がなされた。 (1)「天皇号」について 従来の日本の道教受容に関する研究はおもに古代に視座を据えたものが多い。とりわけ、これまで論議の中心となったものとして「天皇号」をめぐる問題が挙げられる。今回はまず、第1の発題として、この「天皇号」問題が提起された。 氏は従来の学説(津田・下出・東野治之氏など)を踏まえたうえで、「天皇」号の導入が、「天皇大帝」あるいは「天皇」という称号を「皇帝」の称号に替えて使うようになる中国の制度の事例(唐の高宗)を前提にして考えるべきであるという説を提出した。さらに、「大王」に替わって「天皇」という文字を使用するのは、種々の資料から、律令天皇制の成立や、それに基づく神祇祭祀などの確立する7世紀の天武・持統朝頃のことであり、それは中国の長い思想の展開過程で醸成された概念に基づくものであるという考えを示した。 (2)中世神道説と道教(『老子』受容の問題) 第2点目として、中世神道における道教思想、とくに経典の受容についての考察が提出された。 とくに、中世神道を代表するものとして「伊勢神道」「吉田神道」が取り上げられた。 伊勢神道や吉田神道には、とくに道教思想の影響が色濃く見受けられ、これまでも注目を集めてきた。 例えば、伊勢神道において重要視された『大元神一秘書』、『神名秘書』、あるいは「神道五部書」には『老子述義』や『老子』「河上公注」が多々引用され(高橋美由紀氏)、吉田(卜部)兼倶撰述の『唯一神道名法要集』にも『北斗元霊経』の注釈書(『道蔵』傅洞真・徐道齢)からの引用が見られる(出村勝明氏、坂出氏)。 増尾氏はこのような道教経典・典籍の引文の問題をさらに深化させ、その淵源を、日本における『老子』の受容にもとめる。古来、『懐風藻』をはじめ、空海や大江匡衡などの著作には『老子』の撰文や文句を引いたものが多々見受けられるが、しかし、その多くが「河上公注」という注釈書の引文である。「河上公注」とは、まず後漢末期前後に『老子』の注解に託して道家的な君主の在り方を説いた原本が成立し、次いで六朝期までに道教徒によって新たに養生説が附益され、多少の改変も施されて現行本のような形になったと考えられている。 また本来(少なくとも原本の段階)「河上公注」は、主として帝王君主における「無為の治」をすすめ、寡欲・官能の抑制、あるいは心の安静や奢侈の戒めという道家的な訓戒を説くことにその趣旨があった(楠山春樹氏)。そして、これは表向き道教という立場を標榜するものではなかった。そのため、『老子』を学制の中に組み込まず(百済の学制の導入)、公的には道教と距離を置いた古代日本の知識層にとっては、私的なレベル、つまり詩文や歌を作るという営みの中において、「河上公注」が非常にふさわしく、一番拠りどころとしやすい『老子』の注釈・解説であったと考えられる。 以上のような伝統のもと、「河上公注」によって中国思想(とくに養生思想)に関心を持つ知識層が『老子』を読み継ぎ、卜部家においても、卜部兼直(鎌倉中期)の頃、つまり、新たに神祇の有職・古典学を専門とする家学を形成した時期(吉田神道展開過程の第2期 岡田莊司氏)に老子関係の注釈書等を身近に置いた時期が長くあったのではないかと推測する。そのような環境の中で、兼倶は、中国的思想の中核にあるものとして、道教的世界に関心を持ち、室町期の禅僧を通じて大陸から流入した民間の道教関係の経典、あるいは注釈書を積極的に摂取し、自身の神道論を補った。 つまり、前述の、古代から続く『老子』への関心の上に中世流入の経典・注釈書が重なる形で、兼倶にとどまらず、中世の神道家と、そして教学形成において道教というものが結びついたのではないかという説が提出された。 (右から、淺野氏・増尾氏・三橋氏) 5−2 成果と課題 以上の発題を踏まえ、まずコメンテーターの淺野氏より、一口に道教と言っても、「儀礼・祭儀」「呪術」(実践)と「経典」(思想・理論)の受容の相違の問題や、「道教の受容」と「中国文化の受容」、あるいは「中国の国家体制・国家制度の受容」等との線引きの問題などが提起された。こういった問題については、やはり、大陸における道教自体の存続や展開、断絶についても考慮しつつ、今後、さらに広い視野から究明していく必要性があろう。 次いで出席者による、「昨今言われるような、日本古代遺跡と道教施設(道観など)との関連性」「古代における朝鮮半島(百済・新羅)を経由した道教思想流入と、日本の対応」「儀礼と思想を「護符」が繋げられるのではないか」「室町期(15C)に、道教の新しい影響、あるいは伝播があったのではないか」など、活発な質疑応答・意見交換がなされた。 以上により、今後、さらに神道・日本文化と道教間における影響・受容・展開の問題について考究する必要性とその余地が多分に残されている事が理解される内容となった。 文責:新井 大祐(COE研究員) |
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