第1回「日本における神観念の形成とその比較文化論的研究」研究会 2002年12月26日


第1回「日本における神観念の形成とその比較文化論的研究」研究会報告


日時
平成14年12月26日(木) 午後2時〜4時半
場所
國學院大學常磐松1号館1階大学院会議室
参加メンバー
野村純一・辰巳正明・青木周平・廣田律子・中村幸弘・松田稔・磯沼重治・駒野恵市・城崎陽子・大館真晴・大堀英二・荒木優也、他4名(以下敬称略)

概要

 今回は中国西南地域の少数民族を中心とした内容の研究報告がなされた。まず、席上野村からCOEの主旨とその概要が説明され、続いて辰巳によるトン族・ミャオ族のVTRを用いたレクチャーとトン族の「大歌」についての研究報告が行われた。その後のフリートークにおいてはトン族・ミャオ族の習俗や行事に対する質疑応答のみならず、日中学術交流史の位置づけなど今後の活動に示唆的な内容も話し合われた。

 以下、研究会の内容についてサマリーを掲載する。

内容

1、日本文学専攻代表・野村純一挨拶 

 「日本における神観念の形成とその比較文化論研究」の第一回研究会を開催するにさきがけまして、一言、ご挨拶申し上げます。

 ご存知のように、國學院大學はこのたび「平成14年度21世紀COEプログラム」に採択されました。『神道と日本文化の国学的研究発信の拠点形成』がそれであります。これを受けまして、日本文学専攻では事業推進担当者に青木、辰巳、野村、倉石の各教授と小川助教授を選び、更にCOE研究員と致しまして城崎、須永の二名、ついでCOE奨励研究員として大館、長野の二名を加えました。これによりまして、標記命題を可及的すみやかに解明いたすべく、以下、申し上げるような基本構想にもとづいて推進することになりました。

 (1)神道観念形成に関する比較文化論的調査研究(中国調査)。

 (2)日本人の神観念形成に関する調査研究(琉球調査、ヤマト調査)。

 (3)大学所蔵の神観念形成に関する諸研究の調査研究(折口博士記念古代研究所、図書館武田文庫、河野文庫など)。

 (4)COEプログラム内での相互連携を進めていくことを基本的な構想としている。

 以上によって導かれた各セクションのテーマごとに、今日現在、私共はそれぞれがいかにこれをすすめているか。いずれはそれの具体的状況をオープンにし、その上で討議、討論を重ねて、より豊かな成果を得て行きたい。こうした発想の下に、今回みなさま方に呼びかけた次第であります。

 本日は、それの第一回と致しまして、辰巳教授、並びに城崎研究員担当分、つまりは、「中国南西部地区民族(中国貴州省ミャオ族・トン族)の神観念調査研究」に向けて発表していただくことになりました。

 その際ちょっと余計な言葉を添えますが、私はまえまえから、“解放後の日・中学術交流史”というべきものを用意し、整理する必要があろうかと考えております。研究史をしっかり抑えておくことは大切です。顧みますと、昭和55年(1880)12月、鐘敬文教授を会長とする中国民間故事学会からの招聘を受けて、日本口承文藝学会代表訪中団ははじめて北京に入りました。このときの記事は雑誌「国文学」(昭和56年4月)に載せました。爾来、各学問分野にわたって多彩な交流がなされ、多くの成果が積み重ねられています。それを共通の財産にするのが、まずはセーターの第一ボタンかと、私は認識しています。これに関しましてはいずれ、手を染めて行く所存です。それでは早速本日の会に入ります。

2、研究報告「トン族の『大歌』について」・辰巳正明

 中国貴州省に住むトン族は、歌において極めて特殊な内容を伝統として持つ民族である。そこでは、児童から老人に至るまで、それぞれの歌班を構成し、歌隊を構成している。そこには、しっかりとした歌唱のシステムが存在しており、両親は子ども達が歌えるように教育をする。トン民族の社会では、歌えなければ社会に参加することも道を歩くことも出来ないといわれるほどであり、それだけに大人たちは真剣に歌を教育するのである。ここには、かつて文字も学校も無かった民族の教育があり、教育学からこのような問題を考えることは重要である。

 このトン族には『大歌』と呼ばれる歌がある。これはトン族における伝統的な歌の世界であり、そこには合唱・斉唱などの歌唱方法が見られるところに特質がある。客を迎える時には、この大歌を以て迎え、主と客とが交互に歌い合うものである。しかも、客が隣り村の男客の歌隊であるならば、迎える方の主は女性の歌隊というふうに、男女が一対となるように組み立てられる。ここには、広くアジアに広がる歌掛けの文化システムが存在していることを知るのである。

 また、ここに唱われる内容は、挨拶歌から始まり、男女の歌隊の交互唱が行われて、続いて「情歌」と呼ばれる恋歌が多く唱われる。その背景には古来からトン民族社会では自由な恋愛は認められず、交差イトコ婚が中心であったことにより、さまざまな怨情が生まれ、そうした男女の苦しみを訴えるものが大歌の中心テーマとなったのである。これを芸術の領域にまで高めたのがトン族の大歌である。

 日本の平安朝に大歌所があり、重要な歌が大歌所という役所で管理されていた。この日本の大歌も遡ると万葉集の古い歌うたに見出され、そこには恋歌が多く集められているのである。そのような大歌研究は折口信夫によって宮廷歌としての位置づけがなされて、以後、宮廷歌としての大歌研究が進んでいる。だが、国家や文字あるいは宮廷を持たない民族にも大歌が存在する理由は見出されていない。大歌の古層の研究は、このような民族の儀式歌の研究からはじめなければならないように思われる。

(03.02.12作成)






日時:  2003/5/3
セクション: グループ1「基層文化としての神道・日本文化の研究」
この記事のURLは: http://21coe.kokugakuin.ac.jp/modules/wfsection/article.php?articleid=11