第8回 古代・中世の神道・神社研究会


1 開催目的
 本事業における中世以降の神道・神社関係史の実態把握について、進捗している護符研究や一宮に関する研究以外の面をさらに深めるため、今回は特に若手研究者の発表によって、さらなる事業推進の一視角を見出すことを企図する。
 今回の発表の具体的なテーマは、(1)平安時代末期の平氏政権下における家人の実態把握と、(2)江戸時代の起請文の史料論的研究、の2つである。(1)では、当時の安芸国一宮厳島社神主・佐伯景弘を対象としているところから、議論によって一宮や神職層の特徴を見出されることを、(2)においては、江戸幕府の将軍代替わりごとに大名が捧呈する誓詞の時代変遷の分析結果によって、当時の宗教信仰の一端が抽出されることを企図した。
2 開催日時
 平成16(2004)年11月26日(金) 18:00〜21:00
3 開催場所
 國學院大學大学院第1演習室
4 発題者・司会(敬称略)
 発題者
  林薫(中央大学大学院博士課程後期)
  「平氏家人の存在形態−厳島神社神主佐伯景弘を事例として−」
  大河内千恵(國學院大学大学院特別研究生)
  「将軍代替誓詞の再検討」
 司会
  千々和到(事業推進担当者・本学教授)
 なお、今回の出席者は28人であった。
5 研究会の詳細
5‐1 発表概要
(い) 林氏「平氏家人の存在形態−厳島神社神主佐伯景弘を事例として−」
 林氏は、厳島社神主・佐伯景弘の在京活動を採り上げ、
 (1)平氏一門の神事への関与
 (2)平治の乱(平治元(1159)年)以前における信西一族との接触
 (3)安芸国司を歴任した顕房流村上源氏一門及び摂関家が周辺人脈として挙げられる仁和寺別院・木寺への、承安4(1174)年における景広の関与
 といった特徴を指摘した。さらに、木寺の法印寛雅(源顕房の孫)と、厳島社に安芸国安摩荘の年貢・地利を寄進した八条院・平頼盛との姻戚関係を採り上げた上で、これまで平氏と在地とのパイプ役としての性格面が論じられてきた景弘が、在地領主として主体的な行動を取り、平氏政権が確立される以前にも、平氏家人として保護された時も、権力者に接近し人脈構築を図っていたことを論じた。
(ろ) 大河内氏「将軍代替誓詞の再検討」
 徳川家光以降の将軍の代始めに、大名が忠誠を誓う旨の起請文を拝呈していた。これを「将軍代替誓詞」というが、大河内氏は、この起請文の罰文についての先行研究を5つ掲げ、その妥当性を、誓詞の発生期、家光の時、家綱の時、綱吉以降、の起請文をもとに検討した。その結果、再検討すべき点について、
 (1)幕府の書札礼に従って書かれていない点
 (2)綱吉代始め以降、罰文が御成敗式目の形式に統一されていく点
 (3)これまでその存在が指摘されてきた寛永9年の誓詞雛形は提示されていなかった点
 の以上3点を指摘し、加えて初期の段階での統一形式はなく、大名家ごとの書き方が重視されていた点などについて触れた。
5‐2 研究会で得られた成果と課題
 2つの発表の内容は直接的には関係せず、事業推進との関連も大きく異なるので、林氏・大河内氏それぞれについて、そこでなされた質疑を端緒に、成果と課題を述べていきたい。
(い) 林氏の発表から得られた事業推進上の成果と課題
 林氏の発表は、佐伯景弘を在地領主かつ平氏家人として捉えた上で、その動向を検討していたので、本事業で特に注目される点である、いわゆる神職としての景弘の役割の実態解明ということについては、発表の一部(前項の(1))において神事に携わる者とする言及に留まっていたが、質疑においてはこの部分についての議論が中心となった。すなわち、
・ 景弘が平氏の神事に携わったことについては、源頼朝と伊勢神宮祠官との祈祷関係と、神職がいわば個人的な祈祷を行うという形態で共通するが、中央貴族層の他の事例が考えられるか
・ この時期の一宮の展開とどう関わるか(以上2点、岡田莊司事業推進担当者より)
・ 八条院との関わりについては、諏訪社も同様に有しているが、差異はあるのか(加瀬)
 また、景弘の持つ在地領主的な性格の反映に関する確認(加瀬)や、景弘が厳島社で貴族を出迎えたとする具体的な根拠に関する質問(司会)がなされた。
 中世神社の神職に関する研究は、在地領主としての性格面などの研究はあるが、今回林氏が指摘した、神職自らが中央貴族や寺院との関わりを積極的に持とうとしたという点は、神職のネットワーク形成を知る上でも興味深い示唆を含んでいる。神職の性格に配慮した、別角度からの交流関係の確認作業を施すと、非常に立体的な神社及びその神職像が抽出される可能性を想起させる機会となった。
(ろ) 大河内氏から得られた成果と課題
 大河内氏の発表は、本事業で実施されている「中・近世の護符・起請文の研究」と密接に関連するものである。質疑の中では、起請文の形式確立の過程と、老中組織などの江戸幕府機構の形成が関連するかどうかという点についての確認(大学院博士課程後期・角昭浩氏)がなされ、政治制度との関連性が論点となった。
 資料収集とその分析は本事業の根幹に関わる作業である。大河内氏は収集した資料を分析する上での一視座を提供したという意義がある。それだけに、議論となった問題への配慮や、江戸時代を通した変遷の把握、各藩における儀礼があればそれとの比較など、様々な発展性が期待されよう。
※ なお、今回の林氏の発表は、『中央史学』の次号において掲載される論考と関わるものである。
文責:加瀬 直弥(21世紀研究教育計画嘱託研究員)




日時:  2005/1/20
セクション: グループ2「神道・日本文化の形成と発展の研究」
この記事のURLは: http://21coe.kokugakuin.ac.jp/modules/wfsection/article.php?articleid=156